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移民の子どもの隣に座る

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 玉置 太郎 、 出版 朝日新聞出版
 大阪市のど真ん中に位置する「島之内」は住民6千人の3割以上が外国籍、日本でも指折りの移民集住地域。住民の大半はミナミの飲食店街で働いている。とくにフィリピンと中国出身者が多い。そこに「minamiこども教室」がある。火曜日の夜の午後6時から8時まで、小学生から高校生まで30~40人が集まってくる。フィリピン、中国、韓国、ブラジル、ペルー、ルーマニア、ネパール…と続く。
 教室では、ボランティアが一対一で子どもの隣に座る。
 ほとんどの子どもは島之内の中層マンションに住んでいる。島之内には暴力団の事務所もある。こども教室がオープンしたのは2013年9月のこと。なので、もう10年以上になる。
 著者は朝日新聞の記者として取材を兼ねて、教室でボランティアを始めた。
 大学生のころはバックパッカーとして、海外への一人旅に出た。
子供たちにとって、この教室は「居場所、心の居場所」だと言う。
 ボランティアには元教員もいる。その長年の教員経験から子どもの内面が姿勢に表れるという。それまで解けなかった問題が解ける喜びを知ると、もっと集中しようという気持ちが姿勢に出てくる。
 日本に住むフィリピン国籍の人は2010年代は20万人台で増え続け、2022年末には30万人になった。中国、ベトナム、韓国に次いで4番目。フィリピン国籍の人は男性10万人に対して女性が20万人。これは興行ビザでフィリピン人女性が来日してきたことによる。
 フィリピン人女性と日本人男性とのあいだの子は、「ジャパニーズ、フィリピノ、チルドレン」(JFC)と呼ばれている。法改正があり、日本国籍をとるJFCが急増した。7年間で4千人をこえる。実子が日本国籍をもっていたら、外国籍の母親も「子どもの養育」を理由に「定住者」在留資格を得られる。
 ブラジル国籍をもつ人は5番目に多いが、その大半は北関東や東海地方で、自動車関連の工場で働いている。
 日本に住むブラジル人は1989年に1万5千人だったのが急増し、ピークの2007年には30万人をこえていた。今や20万人前後。
 自己紹介が嫌いだ。日本人っぽくない名前を言うのが恥ずかしいし、怖かった。いじめの原因になるんじゃないかって、いつも不安だった。
 著者って、すごいなと感心したのは、34歳のとき、朝日新聞を2年間休職して、ロンドンの大学院に留学し、移民について学んだことです。しかも、このときもロンドンで移民の子どもたちのなかでボランティア活動をしたのです。すごいです。うらやましいです。
 子どもたちのなかに入ってボランティアしているときは、子どもたちの名前をしっかり覚えられるように、小さな紙片にカタカナで名前を書いてポケットに入れていたそうです。名前を間違えると、子どもはとても寂しい顔をするから…。
 ロンドンの、ここ(ソールズベリーワールド)は、いろんな背景をもった人の入りまじった場所なので、自分も、その一部だという感覚になれる。そうやっていろんな背景や文化をもった大人たちが、子どもと身近に接するからこそ、子どもたちは「違い」に対する寛容さを身につけることができる。
 なるほど、なるほどこんなこども教室が日本全国、あちこちに出来たら、本当にいい社会に日本も変わると思いました。
(2023年10月刊。1870円)

ラパスの青い空

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 下村 泰子 、 出版 福音館日曜日文庫
 1995年11月発行の古い本です。このころ30歳代の若い日本人女性がボリビアに1年間滞在したときの生活と苦労話が紹介されています。ずっと前から我が家の本棚にあったのですが、読んでいないので、思い切って読んでみました。とても面白い本でした。
 著者は京都YWCAに勤めて不登校の若い人たちと交わるなかで、このままなんとなく流れに乗ってやっていては、いつか足元にぽっかり穴があいてしまう。ここはいっぺん、まるごと自分をリフレッシュせなあかんと思い立ったのでした。そこで、まずは仕事を辞めたのです。なんのあてもないまま…。そして、募集記事を見てボリビアに行くことを決めました。先住民の人口比が多い国だというのもボリビアを選んだ理由の一つでした。
 ボリビアの首都ラパスは標高4千メートル超ですので、たちまち高山病にかかりました。どこかふわふわと漂っている感じがして、足どりも頼りない。そして、飛行機に乗る前に預けた荷物は出てきませんでした。やむことなくガンガン襲ってくる激しい痛みのため、時差ボケもあって、眠れません。辛いですよね、これって…。
 明るすぎる日差しには、現地の女性がかぶっているフェルトの山高帽は、この日差しをさえぎるのにぴったりということが分かりました。
 腹痛と吐き気がひどいとき、甘くておいしい葛湯(くずゆ)のようなものと、砂糖のたっぷり入ったコカ茶を飲むと、少しずつ楽になっていったのでした。
 最初に生活した家は裕福な家庭で、お手伝いの女性がいます。たとえば朝食は家族みな別々で、お手伝いのイルダが、それぞれの部屋に運びます。
 ボリビアでは、昼12時から午後3時まではレストランを除いてほとんどの会社、商店などが休み。みな自宅に戻って昼食をとる。ボリビアでは1日の食事のうち昼食が質・量ともにメイン。
 日本人の著者は「チノ」と呼ばれます。「チノ」は本来は中国人を指しますが、東アジアの人を広くさすコトバとしても使われているのです。
 お手伝いのイルダは家族と一緒に食事することは全然ない。家族のように仲良くしようという発想がない。はっきり違った二つの階層が、ひとつ屋根の下に存在して生活している。
 ボリビアでは、お客のもてなしは、ます一杯のコーラから始まる。
女性たちは、コカの葉を口に入れてもぐもぐさせている。コカの葉は女性たちの大好物。コカには寒さや空腹感、疲労感をマヒさせる作用がある。
 公立学校の教師の給料はひどく安く、ほとんどの人が副業をもっている。たとえばヤミ両替商をしている。
 ボリビアは1年中、祭りの絶えない国。そのなかで、一番盛り上がるのはカルナバル(カーニバル)。
 著者はボリビアに1年間いるあいだに体重が5キロも増えたとのこと。慣れない土地で健康に過ごすには、のんきさも大切だと著者は強調しています。まったく異論ありませんが、私にはとても出来そうもありません。
 著者はボリビアでいろんな人と知りあい、一緒に生活し行動するなかで、まさに「そのとき」を生きている実感があったとのこと。そのことがよくよく伝わってくる文章であり、何枚かの写真でした。
5年後にボリビアを再防したときのことも少し紹介されています。今を大切にして生きることの意義を感じさせてくれる本でもありました。著者は現在65歳のはずです。どこで何をしておられるのでしょうか…。
(1995年11月刊。1400円)

マゼラン船団、世界一周500年目の真実

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 大野 拓司 、 出版 作品社
 マゼランはスペイン船団を率いて世界一周したことであまりにも有名ですが、マゼラン本人はポルトガル出身の航海士。39歳のときに出発し、41歳のとき戦死した。ポルトガル語では、フェルナン・デ・マガリャンイスという。
 マゼラン自身は航海の途中に、フィリピンで亡くなっているので世界一周したわけではない。残った線団員はわずか18人だった。ただし、途中で脱落した船団員17人が別に帰還したので、35人は世界一周を果たした。
 そうは言っても、マゼランが出発したとき、5船には総勢265人(237人から280人まで諸説あり)だったのですから、1割強しか世界一周を果たすことができなかったのです。5船は、いずれも中古船で、つぎはぎだらけの老朽船。
 多くの船員を襲ったのは壊血病。ビタミンGの欠乏によるもの。新鮮な野菜や果物不足によるものだが、当時は原因がまだ分かっていなかった。
 マゼランたちが目ざしたのは海外領土の獲得とスパイス(香辛料)。とりわけ珍重されたのがクローブやナツメグ。「ナツメグ1グラムは金1グラム」とまで言われるほど希少で貴重な商品だった。
 マゼランはフィリピン内部の勢力争いに自ら乗り込み、マスケット銃を2.3発ぶっ放せば地元民はたちまち四散して逃げ出すと甘く見込んで、わずか60人で敵陣に乗り込んだ。しかし、敵は1500人(3000人とも)という大群で、マゼランを集中攻撃したので、たちまちマゼランは戦死し、遺体も運び去られたまま。このときの「敵」・首長ラプラプは、今に至るまでフィリピンの「民族の英雄」として尊崇され、大きな銅像が建立されている。
 ちなみに、フィリピンは、世界に冠たる船員派遣大国。世界の商船の乗組員160万人のうち、4分の1、40万人を占めている。海運界に限ると、なんと70%もの依存率。
スペインは1998年12月アメリカに2000万ドルでフィリピンの主権を売り渡した。これは、今日の価格に換算すると680億円になる。
 著者は私と同世代、元朝日新聞記者で、マニラ支局長もつとめています。いろいろ知らないことが多くありました。
(2023年11月刊。2700円+税)

小畑哲雄が語る戦中・戦後の体験

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 小畑 哲雄 、 出版 京都・114番平和委員会
 95歳になっても反戦・平和のため自らの戦中・戦後の体験を話せるというのは実に素晴らしいことです。
 1937(昭和12)年12月、日本軍は南京を占領しました。悪名高い南京大虐殺を日本軍が敢行したときのことです。このとき、日本では、南京が陥落したので、これで戦争は終わりだ、万々歳だとして提灯行列をして喜びました。著者は10歳でした。
 日本軍が真珠湾を攻撃して開戦した12月8日は、日本で月曜日なので、アメリカ・ハワイは日曜日、安息日でみんな休んでいたところに日本は奇襲攻撃をかけたのです。
 日本軍による南京攻略のとき、日本軍の若い将校2人が「百人斬り競争」というのをして、日本の新聞で連日、大きく報道されました。これは戦場で斬り込んでいって何十人も敵兵を斬ったというのではありません。すでに「捕虜」となっていた中国人(兵隊も民間人も)を並べて首を斬ったというものです。典型的な捕虜虐待ですから、国際法違反は明らかです。戦後、この2人は中国で戦犯として裁かれ、死刑になっています。
 著者は陸軍経理学校に入ります。建前としては、日本の軍隊も私的制裁は禁止されていたそうです。初めて知りました。私的制裁が公認されているとばかり思っていました。ただ、なかには本当に私的制裁をしない上官もいたようです。
 荒川さんという区隊長は、「指揮官は部下を殺したらいけない。その部下が、将来、将校になるかもしれない」「指揮官がしっかりしていなかったら、部下を殺すことになる。ようく考えて、やり方を間違えないようにしないと、組織を壊してしまう。部下を殺してしまう」と言って、著者を戒(いまし)めたそうです。この荒川さんはレーニンの本も読んでいたそうですから、たいしたものです。
この本を読んで、「召集」と「招集」の違いを認識しました。
 「召集令状」というのは、召(め)し集めるもの。「招き集める」ものではない。
 「注記」(ちゅうき)とは、兵隊になって一番先にすることは、全部の持ち物に自分の名前を書くこと。
 「上衣(じょうい)」とは、上着のこと。
「一装」は、正式な儀式のときの制服。「二装」は儀式や外出のとき着るもの、「三装」は普段着。
8月15日の終戦を告げる玉音放送では、最後に、「朕(ちん)は、ここに国体を護持し得て」と続く。「国体」、つまり国の体制、天皇制はちゃんと残ることを日本国民に伝えた。これが一番の眼目だった。
いやあ、すごい講演録でした。高齢になっても自分の体験を客観的事実も踏まえて話せるというのは素晴らしいことです。
(2023年11月刊。500円+税)

ちいさな言葉

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 俵 万智 、 出版 岩波書店
 コトバを話しはじめた2歳ころから5歳ころまでの子どもの話が丹念にフォローされている、楽しい本です。
 本当に子どもって天才ですよね…。でも、それがたいていいつのまにか、フツーの大人になってしまうのです。もったいないことです。
 著者は大阪の生まれですが、高校は福井だったようです。今回の地震で、福井の人は大変だった(過去形ではありません)と思います。その福井弁に「こっぺ」というコトバがあるそうです。こっぺな子どもを「こっぺくさい」と言います。生意気、賢(さか)しら、おませ、かわいげのない感じをミックスしたコトバだそうです。
 私の育った地域の方言でいうと、「ひゅーなか」に少し似ているのかもしれません。
 朝起きて、パンツ一丁のまま遊んでいる我が子を見つけた著者が、「ズボン脱いじゃあダメでは」と言うと、「脱いでないよ、はじめからはいてないんだよ」と得意顔。分かりますよね、こんな生意気を言う子ども。憎たらしいけど、そこまで知恵がまわるようになったのかと安心もしますし…。
  5歳になったら、自分でゴハンを食べるというのが、母親と息子の約束であり目標だった。ところが、外はともかく、家で母親と二人きりになると、母親に食べさせてもらおうとする。キレた母親が、「なんでそんなに食べさせてもらうのがいいのよ。自分で食べたほうが、てっとり早いでは」と言うと…。 その返事は、なんと、「愛の気持ちを感じるから…」
 ええっ、こ、こんな答え、あるの…。腰が抜けましたよ、私は。5歳の男の子が母親に言うセリフなんでしょうか、これって…。信じられません。母親は、つい大いに納得して、食べさせてやったそうです。愛の力は畏(おそ)るべしか…。
 著者が取材でフランスはボルドーへ行き、ワインの作り手にインタビューしたときのこと。
 「ブドウは、手間や愛情をかければ、かけたぶんだけ、いい方向に伸びてくれます。でも、子どもはそうとは限りません」
 いやあ、すごいコトバです。そして、著者は、こう考えました。
 「手間や愛情のかけかたを間違えると、その逆になるよ」
 でも私は、50年になる弁護士生活を通して、手間や愛情を惜しみなくかけていて、間違えることは、まずないと確信しています。出し惜しみしていると、つまり手間も愛情もかけないでいると、たいてい間違ってしまうと考えています。ただし、ダメな親に代わる人が身近にいて、そちらでカバーされたら違うとも考えています。皆さん、いかがでしょうか。
 著者には大変失礼ながら、この本を読んで、つい笑ってしまった一節がありました。
 著者が27年ぶりに福井の高校の同窓会に出席したときの話です。
 「高校2年のときの失恋、あれがなかったら早稲田に行ってなかったかもしれないし、そうしたら自分は短歌を作っていなかったかもしれないなあ」
 ということは、著者を「振った」男性は、大ゲサに言えば、日本を救ったことになるわけです。いやはや、すごいことですよね。人生って、何が「吉」になるか分からないっていうことなんです。なので、一回きりの人生って、面白いのですよね…。
 この本は2010年に発行されたもので、そのもとは2006年から2009年まで発行されていた月刊誌などに書かれています。本棚の奥に眠っていた気になる本をひっぱり出して読みました。とても面白い本でした。息子さんは今どこで何をしているのでしょうか…。
(2010年4月刊。1500円+税)

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