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戦場の現在

カテゴリー:未分類

著者:加藤健二郎、出版社:集英社新書
 早稲田大学の理工学部を出て、建設会社勤めのあと戦場ジャーナリストになったという異色の人物によるレポートです。
 中米・中東・東欧・アジア・アフリカなど世界各地の戦場に出かけて写真をとってきました。現地で何度も捕まった体験をもっています。本当に危ない瞬間を何度となくくぐり抜けてきたことがよく分かる本です。どうして、こんな危ない目にあおうとするのか不思議な気がします。でも、著者のそんな行動のおかげで、私たちは安全地帯にいて寝っころがりながらも世界の実情の一端を知ることができるのですから、少しは感謝しなくてはいけないのでしょうね・・・。
 逃げるときには、たくさんの人が逃げる方向へは行かないことが重要だ。
 戦場では、実際に人が殺されるのはあまりない。しかし、戦況報告はたいてい大きく誇張される。それは、現場にいた者のほとんどすべてが、戦闘を大げさに捏造することによってトクをするからだ。
 今回のイラク戦争では、アメリカ軍は通常なら侵攻する前に空爆によってイラク軍を叩くはずなのに、それをしていない。それは、イラク軍が抵抗しないことに確信をもっていたからだ。イラク軍には組織的な抵抗をする戦力がなく、イラク兵には戦う意思をもっていない。これをアメリカ軍は事前に察知していた。なーるほど、ですね・・・。
 日本の自衛隊でも、実際にイラク復興のため実働するのは、1日わずか50人程度でしかありえない。では、自衛隊はイラクに何をしに行っているのか。それは日本の国防のためでも日本人の安全のためでもなく、ましてやイラク人のためなどであるわけはない。自衛隊をイラクへ派遣する目的は、自衛隊の運用範囲拡大のための前例つくりである。つまり、本当の目的は、日本国内における自衛隊の地位向上、権限拡大、運用範囲の拡大である。現地イラクの事情とは関係のないところで、日本政府の思惑によって決まってなされていることなのである。
 うーん、そうなんですよね。そうとしか考えられません。真面目にイラクの人々への人道支援をしたいのなら、世界のNPOに資金援助すればもっと効果的だということは既に大勢の人が言っていることです・・・。

イラクー湾岸戦争の子どもたち

カテゴリー:未分類

著者:森住 卓、出版社:高文研
 1991年1月に始まり、わずか43日間で終わった湾岸戦争が終わって7年後の1998年にイラクへ行った写真家による写真集です。劣化ウラン弾が今なお大勢のイラク人とりわけ子どもたちを苦しめていることがよく分かります。
 劣化ウランは半世紀に及ぶ核兵器や核燃料の生産過程で生み出される。だから、総計 110万トンの半分近くがアメリカ(47万トン)であり、ロシア(43万トン)。しかし、日本も2600トンも生み出している。これは放射性廃棄物として厳重に管理・保管しなければならない。そのためには莫大な費用がかかる。
 ところが、劣化ウランが固くて重いことに着目してアメリカの兵器産業は兵器に利用することを考えついた。劣化ウラン弾は戦車に命中すると、分厚い装甲を貫通し、その摩擦熱で一気に燃焼させて乗員を焼き尽くす。同時に煙霧状(エアロゾル)化する。これは広範囲に拡散する。
 巡航ミサイル・トマホークも劣化ウラン弾がつかわれた。結局、広島に落とされた原爆の2万倍から3万倍の放射能がペルシャ湾岸地方にばらまかれた。その結果どうなったか。イラク南部のバスラ市では、湾岸戦争前の1988年にガンで死亡した人は34人だった。ところが、1996年219人、98年428人、00年に586人、01年には608人と急増した。
 無脳症の赤ちゃんの写真があります。生まれたときから頭部の上半分が欠損しています。口から泡を吐き出し、何時間も生きてはおれません。白血病に苦しむ子どもたちもたくさんいます。治療薬のため頭髪が抜けおちてツルツル頭となった少年のつぶらな瞳が印象的です。
 ミルクが買えないため栄養失調で死にかけている赤ちゃんは、ガリガリで顔が尖っています。水頭症の赤ちゃん、皮膚ガンの少年、腹水がたまってお腹がポンポンに膨れあがっ
た少年の写真が次から次へ紹介されています。子ども専用の墓地もあります。一日に4、5人が埋葬されます。広い墓地にたくさんの墓標が見えます。どれもこれも目を逸けたくなるものです。でも、私たちは現実をしっかり見つめるべきです。
 そんななかでも、イラクの子どもたちの目が輝いているのが救いです。学校はスシ詰め。遅れて登校すると座る机もありません。床にすわりこんでノートをとります。
 いったいイラク戦争とは何だったのか。それはイラクの人々に何をもたらしたのかを考えさせる貴重な写真集です。

それでもやっぱりがんばらない

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著者:鎌田 實、出版社:集英社
 がんは冷やしたらダメ。乳がんや子宮がん、卵巣がんなど、女性のがんはあたためなければいけない。体温が上がると、がん細胞とたたかうリンパ球が働きやすくなる。免疫機能は温度が上がった方が働きやすくなる。身体を温めるのは、がんの予防にもなる。また、副交感神経を刺激すると、リンパ球が増える。だから、がんとたたかうためには、ホッとしている時間をつくることが大切。
 余命告知はあたらないことが多いわりに、本人や家族を暗い気持ちにして免疫機能を低下させる。免疫機能を上げるためには、希望をもてる話をすべき。ところが、あとで家族から責められないように、医師はことさら厳しく告知する傾向がある。そんな言葉にまどわされず、希望を持ち続けることが大切だ。
 著者は父親から一度も誉めてもらったことがないそうです。厳しく、怖い父親だったようです。叱られて、叱られて、ぼくは育った。こう書かれています。学校の百メートル競走で1位になっても父は誉めてくれなかった。学校の試験でいい点をとっても父は誉めてくれなかった。余力を残しているのを見抜いていたからだ。全力を出しきらない息子を父親は認めようとしなかった。
 うーん、なんだかよく分かりません。なぜだったんでしょうね・・・。私は、それほど父親から直接誉めてもらったという記憶はありませんが、それでも叱られて、叱られて、ということは決してありませんでした。
 なんだか、ほのぼの、ほんわり軽い気持ちにしてくれる本です。カットの絵も癒し系です。私と同世代の著者は定年まであと10年を残して、院長として勤めていた病院を早期自主退職してしまいました。すごい決断です。がんばりすぎないで、自分に正直に生きていきたいという著者の静かな訴えがよく伝わってくる本です。

日本退屈日記

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著者:サイモン・メイ、麗澤大学出版会
 日本が放棄しなければならないのは、生活のほとんどすべての面にわたる無責任な官僚たちによる秘密主義、もみ消し、統制が占めている比重の大きさである。
 日本の最悪の暗黒面は、秘密主義や嘘をつくことや道徳的責任の回避に対して、極端なまでに寛容なことだ。
 うーん、なるほど、そうかもしれませんね。政府の嘘に対して国民が怒りを示さないからこそ、今も小泉首相がノウノウと政権に居坐り続けているのです。
 日本には三悪がある。和という名の合意や秘密主義、生活のほとんど全局面に及ぶバカげた官僚主義化。これが腐敗、非能率、不誠実、自然環境の破壊、無用な公共事業、お粗末な建築物、不十分な高等教育などを助長させてきた。だが、国民たちの計り知れない弾力性、忍耐、技能、精密さへの愛好心、健全な判断力、そして最後に現実主義と適応力とのおかげで、今よりも強い新日本が出現するだろう。
 日本人は、ひとつの仮想現実をもっとも手際よく製造する業種、すなわち平和産業を創出した。平和産業は過去を想い出すどころか、過去を決して想い出させなくすることに専念している。記憶というより催眠効果だ。
 なるほど、鋭い指摘ですね。小泉首相をはじめとする歴代の日本首相が8月6日の広島の祈念式典に参列しても、平和が遠ざかる一方だという理由がよく分かります。
 忘れるという粗暴な技術を会得した国ありとすれば、それは日本だ。自己検閲こそは日本の特技だ。日本という国は、独裁者のいない独裁政治国家に似ている。
 野心を抱く民衆扇動型の政治家たちは、軍隊のタブーを屈辱とみなし、解放者ぶりもよろしく、嬉々としてタブーを廃棄せよと叫んでいる。いま、自民党と民主党の若い40歳代以下の政治家たちに好戦的な連中が多いというのは、本当に困ったことです。
 ロンドン大学の哲学教授が1年間、東大で哲学を教えました。寿司をこよなく愛するイギリス人ですが、決して象牙の塔に閉じこもっている人ではありません。ベンチャー企業の経営にも関与しているのです。そんな哲学教授が、東大の官僚主義に閉口した話などが具体的に語られ、日本という国を再認識させられます。
 最後に、京都の俵屋旅館に泊まって最高級の懐石料理に舌鼓をうつ場面が登場します。私も、一度は行って味わってみたいと思っています。どなたか行かれましたか・・・。

江戸の養生所

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著者:安藤優一郎、出版社:PHP新書
 私は、20代のころ山本周五郎を夢中になって読みました。しっとりとしたうるおいのある雰囲気に心が洗われる気がしたからです。「赤ひげ診療譚」も好きな本でした。その舞台となった小石川療養所は、いまの東大・小石川植物園内にありました。黒澤明監督によって「赤ひげ」として映画化され、世界的に有名になっています。本書は、その小石川養生所の実像を描き出した本です。
 小石川養生所の収容定員はわずか40人。享保7年(1722年)、4万坪の小石川御薬園の一角(1000坪)に発足しました。養生所に診療・入所を希望する病人があまりに多かったので、定員は40人から100人へと増やされました。7年後には150人定員にまでなりましたが、そのあと少し減って、117人定員で幕末を迎えました。養生所の医師は、幕府の歴とした役職であり、医学館として医師養成の機関でもありました。
 ところが、養生所への入所希望者は次第に減っていきました。というのは、養生所の医師の大半が治療に熱心でなく、いい加減な治療しかしないという定評があったからです。しかも、入所者にとっては、なにかと物入りの生活でもありました。月に最低500文、今でいうと数万円は必要だったのです。つまり、ある程度の金銭的余裕がないと、養生所に入ることはできませんでした。また、管理する人間が物品を横領するのは珍しくなく、入所者への虐待行為もあり、病室では酒盛りや博打の開帳があっていました。衛生状態が最悪のうえに、所内の風気は頽廃していたのです。
 幕末を迎えて、養生所周辺に大名屋敷が建ち並ぶようになり、そこで射撃訓練まで実施されはじめました。これでは小石川養生所はもちません。
 小石川養生所の入所者総数(140年間)は3万2千人。そのうち全快した人は1万6千人。入所患者の平均は200人ほどでした。うーん、そうだったのか・・・。江戸の実情を少し知った思いです。

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