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ジャンヌ・ダルク復権裁判

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著者:レジーヌ・ペルヌー、出版社:白水社
 ジャンヌ・ダルクが処刑裁判によって破門・火刑に処せられてから25年たって、復権のための尋問が開かれました。フランス国王シャルル7世の命令によります。1450年のことです。しかし、教会裁判の結論を破棄することは国王の裁判所ではできませんでした。
 1450年4月15日、フランス西北部のフォルミニーの戦闘で、イギリス軍はフランス軍に完敗しました。かつてのアザンクールの戦い(シェークスピアの「ヘンリー5世」で有名です)のお返しをフランスは果たしたのです。
 1452年5月から、教会による調査が始まりました。そこでは、ジャンヌが処刑されたただ一つの理由は、彼女が男の服装を再度着用したことだということが明らかになった。
 そして、被告ジャンヌに弁護士がおかれなかったことは、法規に違反するとされた。
 教会による復権裁判が始まったのは、1455年11月7日。裁判に出頭した証人の尋問調書が残っています。
 ジャンヌは、たった1人で被告席にすわり続けていた。審理の最後まで、指導者も、助言者も、弁護士もいなかった。
 ジャンヌは非常に用心深い答弁をしたので、陪席者たちは感嘆していた。
 あるイギリスの高官がジャンヌの牢獄に入ってきて、暴力で彼女をものにしようとした。これが彼女が男の服装に戻った理由だとジャンヌから聞かされた。
 一緒にいた兵士たちに屈しないためでなければ、彼女は男の服装をすることもなかっただろうと言われていた。
 ジャンヌは火刑台に連行され、柱にしばられながらも、神や聖者への讃辞や信仰に支えられた嘆きの言葉をはき続け、その死の間際には、高い声で「イエズス様」と最期の叫びを残した。
 ジャンヌの遺骸の灰は集められたうえ、セーヌ川に捨てられた。
 復権裁判における証人尋問が終わったのは1456年5月14日。判決は1456年7月7日に下された。処刑裁判の判決は無効であるとして、破棄された。オルレアンの町では、町主催で7月21日に祭典が開かれた。15世紀の裁判なのに、こんなに詳しく過程が分かるというのも、本当に不思議な気がします。
 先日、ジャンヌ・ダルクの遺骨を称するものが残っているので、DNA鑑定にかけて真偽を科学的に調査するという新聞記事を読みました。セーヌ川にすべて捨てられたわけではなく、火刑台に残っていた骨を拾って持ち去った見物人がいたというのです。ジャンヌの残っている衣類と照合するのだそうです。いったいどういう結果が出るのでしょうか・・・。

標的は11人

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著者:ジョージ・ジョナス、出版社:新潮文庫
 映画「ミュンヘン」の参考図書だとオビにかかれています。1972年9月5日、ミュンヘンで開かれていたオリンピックの選手村に8人のアラブ人テロリストがしのびこみ、イスラエル選手団を襲いました。11人の選手と役員が殺されたのです。それからイスラエル政府の反撃が始まります。モサドは暗殺チームを結成し、同数の11人をターゲットとします。イスラエルのメイア首相が暗殺チームにじきじきに特命を下したという場面が描かれていますが、本当のことでしょうか・・・。
 暗殺チームに対する訓練の様子が紹介されています。
 殺しあいの撃ち方は、まず相手の用いる拳銃の種類を学ぶこと。弾のよけ方を知っておくには、相手のもつ拳銃の種類をとっさに判断することが肝要だ。どんな拳銃にも癖がある。
 特殊工作では、小火器の射程距離や貫通力より命中の精度、発射時の低音、携行する際の秘匿性が重要。22口径の半自動小型拳銃ベレッタ。これこそが最高の武器だ。でっかいやつは役に立たない。
 いったん銃を抜いたら、必ず撃て。撃つ意思がなければ、絶対に銃を抜くな。そして、引き金をひくときは、いつも2度ひけ。いちど狙いをつけて発射したあと、少しでも間をおくと、手を2度と同じ位置に安定させることはできない。もし2度とも的をはずしたら、狙いなおして、続けざまにもう2発、撃て。いいか、引き金は常に2度ひくのだ。
 人間を撃ち殺すのは難しい。百年かけて訓練しても、できない人にはできない。人間を撃つときには、頭や脚ではなく、胴体という大きな的を選ばなければならない。もちろん、続けて2発。
 偽造文書を見破るコツは心理学、読心術にある。所持者の目色にあらわれる微妙な変化を読みとれるかどうかだ。どんなに精巧な偽造証明書を所持していても、もっている者がそれに100%の自信をもたなければ、きっと簡単に見破られる。偽造証明書は所持する者の気構えひとつで生きもし、死にもする。盗んだ他人の運転免許証だって、心底から自分のものだと信ずれば、堂々とまかりとおる。
 これって、私たちの日常生活でも似たようなものを体験することがありますよね。思いこみによって、本当は他人のものがバレないということがあります。
 工作中、たえず周辺の変化に神経をくばれ。眼球をレーダーのように働かせろ。一つのものを数秒間以上、凝視してはならない。そうしていると、いつしかめったに笑わなくなってしまう。異常といえるほど表情のない顔となる。顔面の筋肉を動かしたのでは、たえず眼球を働かせるわけにはいかなくなるから。
 暗殺チームのメンバーは、10人並みの性格でいい。しかし、すべてに几帳面、信頼するに足る冷静な人物でなければならない。むしろヒーロー志向は嫌われる。信頼されない。さらに敵対感情の強すぎる者もご遠慮願う。熱狂的な愛国者でなければならないが、狂信性があってはいけない。むしろ抜け目ない人間である必要がある。大胆不敵であると同時に、クールさが求められる。
 テロリストは、飛行機に乗ったとき、通路際の座席が合理的のはずなのに、なぜか窓際に坐りたがる。
 モサドの暗殺チームは、与えられたターゲット(標的)の11人を次々に1人ずつ殺していきます。少人数でも、資金とわずかな決断力さえあれば、人をわけもなく見つけ出して殺せる、というのです。
 しかし、報復の連鎖は今日なお、とどまるところを知りません。実のところ、アラブのテロリストが殺しを始めたというのではありません。どこかでこの果てしない殺しあいを止めなくてはいけない。そのことを痛感させる本でもあります。でも、日本政府はいつだってアメリカの言いなりです。日本人の我々も黙っていたら殺し合いの連鎖に手を貸しているだけだということを、もっと自覚しなければいけません。

官邸主導

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著者:清水真人、出版社:日本経済新聞社
 自民党をぶっつぶすと叫び、多くの国民の喝采をあびて登場した小泉純一郎は、自民党の支配構造をしっかり温存したうえで、日本社会を根底からぶっつぶしつつあると私は考えています。かつての総中流意識は今は昔の物語になってしまい、今では一部の富める者はますます金持ちになり、多くの貧しい者は日々に貧しくみじめになりつつあって、日本社会が大きく揺らいでいます。このまますすめば、暴力が横行するアメリカと同じで、私たちの生命も健康も危険にさらされ、ゆとりとうるおいのない日本社会に早晩なるのは必至です。マスコミもホリエモン逮捕以来、少しはその点を報道していますが、根本的な問題提起はごくわずかなままです。
 この本は、まず小泉純一郎が登場するまでの激動する政界のあゆみをたどっています。村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三そして森喜朗と、歴代首相は相次いで失政を重ね、国民が離反していきました。そこへ、「変人」首相が割りこんできたわけです。2005年9月の総選挙は、マスコミを抱きこんで、ひどいものでした。
 竹中平蔵は小泉内閣メルマガで諮問会議の舞台まわしを次のように紹介している。
 1回2時間の諮問会議のために、スタッフとの打合せ数時間、提言をする民間メンバーとの打合せ数時間、そして首相・官房長官との打合せが1時間。これに根まわしの時間を加えると、合計して1回あたり20時間をこえることが少なくない。
 要するに、諮問会議というのも、小泉の手のひらのうえに乗っているということを自白しているようなものです。
 小泉なくして竹中なし。竹中なくして小泉なし。それが真実だ。
 内閣総理大臣の権力とは、とことん突きつめると、まず第一に衆院議員全員のクビを一瞬にして切ることができる衆院の解散権。同時に、閣僚や党首脳の人事権は解散権の行使を円滑にするため、表裏一体のものとして欠かせない。結局のところ、この二つをどう有効に活用するかに集約される。
 小泉は、政権担当以来、一貫して党三役や閣僚の人事を派閥の領袖の推薦を受けつけず、相談もせず、断片的な情報もれさえ極度に嫌って、たった一人で決めてきた。
 人事権のもっとも効果的な使い方は、この役職に就くことができたのは、誰のおかげなのかを明白にすること。小泉は、それが総理総裁の専権事項であると徹底して思い知らせる戦略を貫徹し、派閥を完全にカヤの外に置いて、ガタガタになるまで弱体化させた。
 小泉政権下では、どの党三役も閣僚も100%、小泉のおかげでポストに就けたことは明確であり、党執行部と閣内の求心力は抜群に高まった。小泉は、いざ政局有事の造反の可能性を極小化してきた。
 小泉が自民党幹事長を求めたのは、総裁に代わって党内を押さえこむ剛腕ではなかった。解散などの政局有事に裏切るおそれのない総裁への忠誠心こそが第一であり、忠実に小泉の方針を実行する能力に尽きている。
 怖い政治家です。国民が「強い」政治家を待望すると、このようなとんでもない政治家が出現し、日本社会をズダズダに切り刻んで、これまで国民のなかにあった、なんとなく、ほんわかとした連帯心がなくなってしまい、ギスギスして夜道を女も男も安心して歩けない日本社会になってしまうのです。
 400頁をこす、ぎっしりと重たい内容の詰まった本でした。

石器時代の経済学

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著者:M・サーリンズ、出版社:法政大学出版局
 20年ほど前に出版された本です。図書から借りました。調査自体はもっと古く、今から40年前くらいになります。しかし、その意義は決して薄れていません。というのも、石器時代の人類の生活がどんなものであったか、その名残をとどめている民族を調査したものだからです。
 石器時代の人類は生きるために、耕作民や牧畜民よりも、はるかに激しく働かねばならないという考えは必ずしも正しくはない。このことが調査によって明らかにされた。
 カラハリ砂漠にすむブッシュマンは、食物と水はさておき、日用品については、ある種の物質的な潤沢さを享受している。必要に応じて加工品をつくりかえる材料は、たいてい身近に潤沢にあったので、恒久的な貯蔵手段を開発する必要もなければ、じゃまな剰余物や予備品をかかえこむ必要も欲求ももたなかった。明日を思いわずらって貯える必要がなかったので、物品の蓄積と社会的身分とのあいだにはなんの関連もなかった。
 大部分の狩猟民は、非生活資料部門では、ありあまる富ではないにしても、あふれる豊かさのなかで生きている。狩猟民は、何も持たないから、貧乏だと、我々は考えがちだ。しかし、むしろそのゆえに彼らは自由なものだと考えた方がよい。きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは、日々の必需品にかんする心配からまったく免れており、生活を享受しているのである。
 すごい指摘ですよね。まったくそのとおりではないでしょうか。現代人は、あれもこれも必要だと思いこまされて、実際に使いもしないものを家じゅうに貯えておき、その支払いに汲々として、心のゆとりを喪っているように思います。
 狩猟民は、食物生産に一日あたり平均3時間から4時間しか費やしていない。狩猟民は、1日働いて、1日休むという間歇性を特色としている。1人あたりの労働量は、文化の進化につれて増大し、その反対に余暇量は減少した。
 ブッシュマンの若い人々は、結婚するまで、定期的な食物の調達を期待されていない。少女たちは15歳から20歳までに結婚し、少年はそれより5歳ほど遅れる。年とった親類たちが若者たちのために食物供給すべく働いているあいだ、健康で活発な十代の若者たちが遊び歩いているのは珍しいことではない。
 ニューギニアのカパウク族は、人生でのバランス感覚をもっているため、労働するのは一日おき。しばしば数日のあいだ激しく働く。仕事を完了すると、また数日ゆっくり休息する。なにごとにも、ほどほどを方針にしている。祭りや休養には、たっぷり時間をとってある。どうでしょう。未開の野蛮な社会だと私たちが思っていた社会は、人々が生き生きと、ゆったり暮らしていたのではないかというのです。
 アリやハチの最近の研究でも、すべてのアリ・ハチが忙しく働いているのではなく、のんびり、ごろごろしている働きアリ、ハチもたくさんいて、忙しく働いていたアリ・ハチがいなくなると、補充兵のようにして自分が欠員を埋め、忙しく働きはじめる。こんな話を聞いた覚えがあります。
 ところが、残念ながら、万物の霊長と自称する人間は、そのような調節ができていません。仕事がなくて困っている若者がいる一方、働きすぎて過労自殺、病気にかかる人があまりにも多い日本です。

雇用破壊、非正社員という生き方

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著者:鹿嶋 敬、出版社:岩波書店
 高校を卒業してすぐに就職し、同じ会社に正社員としてずっと勤務している人の生涯賃金(19歳から60歳までの年間収入の累計)は2億1500万円。高校卒業後、ずっとアルバイトを続けている人(パート労働者)は5200万円。生涯賃金の格差は4.2倍、1億6000万円の差がつく。
 フリーターが正社員になれないことによる経済的損失は、税収面では1.2兆円、消費額は8.8兆円、貯蓄額では3.5兆円になると推測されている。
 フリーターの7割はサービス業に従事している。そして、半数以上が従業員30人未満の小規模な企業・事業所に勤務している。
 フリーターの平均年収は、男性156万円、女性は122万円。フリーターの生活は気楽などころか、先を考えれば考えるほど、不安で押しつぶされそうになる。
 非正社員の親との同居率は高く、結婚している比率は低い。経済的に不安定なフリーターが増えれば増えるほど、非婚・晩婚というライフスタイルの選択に拍車をかけ、少子化はさらに進む。
 中高年フリーターが100万人時代となっている。若いうちからずっとフリーターで流されていく漂流組が100万人となり、近い将来には300万人をこすことになるだろう。
 25〜29歳の未婚男性フリーターの有配偶率は28.2%、男性フリーターの未婚は顕著だ。
 悲劇を増幅しやすい夫婦とは、夫はプライドがあって失業したことを言い出せない、妻は夫の失業を知ったとき、あなたがだらしないから、こんなことになると怒る、というケースだ。経済から疎外された男性のあせり、屈辱感は相当なものだ。
 正社員は多忙すぎ、非正社員は安すぎ。まさに言い得て妙です。うちの娘も朝7時すぎに家を出て、夜10時すぎに帰ってくる生活です。はたでみていても、本当に大変そうです。3月半ばに会社を辞めるというのを、とめる気にはなれません。

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