法律相談センター検索 弁護士検索

異端の大義(下)

カテゴリー:未分類

著者:楡 周平、出版社:毎日新聞社
 船が沈み始めてからではもう遅い。
 ぐさっと胸につきささる言葉です。47歳でサラリーマンが転職しようとしても、どこにも引き取り手がないというのです。なんとむごい言葉でしょうか・・・。
 窮地に陥ってから慌てて次の船を探すような人間に手をさしのべる企業はない。気配を察して、次の船を探す。それくらいのしたたかさと決断力がなければ、どこの企業も雇いたがるはずはない。最大の問題は決断力の遅さにある。
 うむむ・・・、こう言われてしまったら、返す言葉はありません。
 どんな会社でも、余人をもって代え難いなんて仕事はない。誰かが抜けたら、その後任が仕事を引く継ぐ。それが組織だ。これは私も、そう思います。
 早期退職制度、年功序列の撤廃、能力給の導入、これらが会社にとって本当にプラスになったのか。早期退職制度は、事実上の指名解雇だ。同時に有能な社員の多くが会社を去っていく。不必要な人間の何倍もの能力をもち、多大な貢献をしてきた社員が真っ先に辞めていく。真っ先に手を上げるのは、人事考課が優れているうえに将来を嘱望される人間だ。有能な社員は再就職に苦労しないから。まして割り増しの退職金をもらえるなら、なおさらのこと。
 同族企業の経営には問題がある。その経営は代々、創業者に連なる人間によって行われてきた。彼らがこれと目をつけた人間は、早くなら社内でグループを形成し、それに属さない人間たちよりも早い出世、重要なポストが与えられてきた。労働組合もそう。組合執行部の重要な役職につくメンバーは事前に会社からの内諾を得なければならず、賃金交渉や人事制度の改変も、すべて会社側の意向が100%反映される仕組みができあがっている。
 成果主義といっても言葉のうえだけのことで、実際はそのグループに属する人間たちのサジ加減ひとつで決められている。だから、社員の士気が低下するのも当然だ。
 会社の厳しい状況がよく伝わってくる本です。同時に、日本企業が倒産に直面していると、外資ファンドがそれをターゲットとして、金もうけに乗り出してくるカラクリも描かれています。
 私の住んでいる街でもリゾート・ホテルが外資に買収されてしまいました。そして、それがまた売られようとしています。彼らは、投資額がどれだけの利まわりで回収できるか、しか頭にないのです。それでは企業に働く人々はいったいどうなるのでしょうか。
 今日の日本企業の置かれている状況がよく分かる本でした。すごく調べてあるのに、つくづく感心します。モノカキは、こうでなくっちゃ、いけませんね。これは自戒の言葉です。

大学生が変わる

カテゴリー:未分類

著者:新村洋史、出版社:新日本出版社
 青年期は、それこそ疾風怒濤の時代である。
 久しぶりに、この言葉を目にしました。私の青春時代にはよくお目にかかったものです。たしかに、いろんな意味で大いに揺れた年頃でした。
 今の学生たちも、まともな自己形成の道をたどっているし、また、たどることができる。しかし、次のような学生が増えてきたのも事実。本を全然読まない、文章を読解できない。つらい課題に我慢や忍耐力をもって挑戦してみることをしない。嫌なことは絶対にやろうとしない。
 概して授業態度は真面目であり、いわゆる良い子や消極安定型の学生がふえた。精神的に安定はしているが、新機軸をうち出して何かに挑戦してみようという気概が乏しい。表情に乏しい学生、他の学生と関わりをもとうとしない学生の多いのが気になる。
 企業の側から、今の学生について、やる気や学ぼうという意欲が不足している、文章の読み書き能力の不足、何が問題かを見つけて解決する力が弱い、思考力・判断力・表現力が低いという指摘がなされている。なるほど、そうかもしれませんね・・・。
 自分としっかり向きあい、自分をみつめ、自我を拡大していこうという意識や意欲を失っている傾向が強い。自我理想を旺盛に心に描いたり、アイデンティティーを獲得・確立しようと勉強に励んだりすることが青年期の発達特性であるとされてきたが、この力が衰退しているのではないか。
 自己発見、自己形成、自信獲得は学生の求める根源的な課題。ところが、自己概念が否定的で、自己肯定感をもてない学生が多くなっている。
 学生のやりたいことは、私生活にかかわる狭い個人的な世界の事柄、たとえば、おいしいものが食べたい、映画をみたい、スポーツをしたいなど、に限定されてしまう。自分が置かれている現代社会への関心や公共的・共同的な関心が最初からほとんどないという生活感覚が認められる。
 主体的・自律的な学びをしめだし、特定の知識・技能やルールに生徒を適応させていくような大学の学校化、専門学校化は既に極限にまで達している。資格獲得型の大学で、教養や自己形成の教育を創造していくのは、至難の業だ。
 今の大学生は、誰とでも友だちになれるというわけにはいかない。仲間集団は2人から5〜6人。自分のホンネを出して言いあうことは避け、内心の真実を吐露しあうこともあまりない。自分や相手の価値観やプライバシーにかかわる話は避ける。話題は、いきおい、たわいもないことに限られてくる。友人関係、人間関係は貧困で空虚なものになっている。
 これはこれで、けっこう神経をすり減らす。そんな一日を終えて帰宅すると、どっと疲れが出る。明日の授業の予習どころではない。満たされないむなしさ、空虚感をそこはかとなく感じながら、ただぼんやりとテレビを見ながら夜をすごす。仲間集団という親密圏でのこまやかな気遣いは、その反面の公共的・共同的問題に対する無関心や無力感と対をなしている。
 何かの目標に向かって情熱を秘め、孤独に耐えて一人で本を読み考えるという営みができない。このような、仲間集団のなかの自我・人格が交錯しない空虚な人間関係それ自体が、人間としての孤立を意味しているのに、学生は孤立することを恐れている。
 およそ2〜3割の学生しか、自分自身の未来が明るいと感じていない。そうですよね。自分の将来がバラ色、明るいと思える学生なんて今どきいるんでしょうか・・・。
 関心というのは、結局のところ、主体的に世界を読みとり、世界に主体的にはたらきかけていく生き方や価値意識と同義である。
 学生には、不安感や恐怖感が常にある。実は、私も大学生のころ、そうでした。いったい自分は何になったらいいのだろうか、そんな不安と恐怖心をずっともっていました。これはホントのことです。消去法で司法試験をめざすことを決めたとき、一応それは解消しました。でも、受験中は別の不安がつきまといました。この試験にずっと受からなかったら、いったい自分はどの道を選んだらいいのだろうか・・・、と。
 自分がかけがえのない人間だという自己尊重の意識の発達、自我の成長発達を踏みにじるのは大人社会と教育の最大の間違いである。日本の子どもと青年は、学校に行くことや学ぶことを自分の権利とは考えていない。大人社会や親への義務として、仕方なく学校へ行くという観念は今も根強い。
 実は、この本を読んでぜひ紹介したいと思ったのは、今までふれていない著者の大学教育の実践記録なのです。無力感にとらわれていた女子大生がこんなに大学の授業が面白くていいのかな、他人事と考えたり傍観者ではいけないという実感をもてた、自分だってもっと胸を張っていいと自信がもてた、・・・そんな学生に変身していく様子が描かれ、感動的でした。その部分だけでも読むことをおすすめしたいと思ったのです。
 日曜日に久しぶり庭の手入れをしました。ナツメの木に実がなっていましたが、大半は地面に落ちてしまっていました。もったいないことをしました。昨年は、ナツメ酒をつけこみました。少しこってりとした味になっています。ナツメって漢方薬によく登場してきますよね。いま、芙蓉の花が咲いています。そのうち酔芙蓉の花も咲いてくれると期待しています。朝のうち白い花が昼からはピンク色に染まって、いかにも酔った感じの感じのいい素敵な花です。

砂漠の女王

カテゴリー:未分類

著者:ジャネット・ウォラック、出版社:ソニー・マガジンズ
 イラク建国の母といわれるイギリス女性がいたということを初めて知りました。ガートルード・ベルという女性です。
 ガートルード・ベルは2歳のとき、母を亡くしました。
 怒りや裏切られて棄てられたという思いは、親を亡くした子どものなかにうねる感情だ。けれど、ガートルードには彼女を包む父の愛があった。彼女は幸運だった。なにより父は彼女の手本となった。ガートルードは、誰よりも父の行動をならい、つねに父に認められることを望んだ。そして、父から大いなる自信と、障害を克服する態度を受けついだ。
 父が再婚したとき、ガートルードは本に逃避することができた。本は彼女の魔法の絨毯だった。当時、どれほど優秀であっても、ガートルードと同じ階級の少女たちが学校へ送られることはめったになかった。そのかわり、彼女たちは家庭教師をつけられ、17歳になると宮廷で拝謁を得て社交界にデビューするのがしきたりだった。そして、デビュー後3年以内で、生涯の伴侶を見つけることが求められた。
 ガートルードは、オックスフォード大学に入った。18歳の彼女は、自分はどんな男性とも同じ能力があると信じていた。もし、それに疑いをはさむ人間がいても、彼女には、自分の信念を支持してくれる父がいた。
 話題がなんであれ、だってお父様がそうおっしゃるんですものと熱心に言いはり、議論に決着をつけさせようとした。
 誰ひとり彼女に結婚を申し込まず、彼女のほうも結婚したいと思う相手はいなかった。いえ、若い男性と過ごすのを彼女は楽しまなかったわけではない。けれど、彼女の容赦ない言葉は男性のエゴを切りきざんだ。また、知的な刺激に飢えているガートルードが、男性のお粗末な知識で満たされることはなかった。
 1900年。31歳になったガートルードはエルサレムに赴いた。フランス語、イタリア語、ドイツ語、ペルシア語そしてトルコ語を自由にあやつり、苦もなく言語を切りかえた。アラビア語だけは苦手だった。それで、アラビア語の教師を雇い、朝4時間、夜も2時間ほど毎日勉強した。
 イギリスで婦人参政権運動が起きたとき、ガートルードはそれに反対する運動を熱心にすすめた。東方では大胆な行動をしたガートルードも、故国イギリスでは伝統の境界の範囲内で行動した。彼女の伝統とは、上流社会の、特権をもち保護された人間のものであり、貧しく、教育もない労働者階級がそれに挑むことは許されなかった。
 ガートルードは鉄工労働者の妻たちを助ける活動にも長く関わった。その活動から、女性には市町村の役場で働く権利はあるが、国政レベルに関わる力はないという認識をますます強めていた。ガートルードは、自分を男性と同等と見なしていたが、大半の女性は同等ではないと信じていた。
 ガートルードは、砂漠を6回も長期にわたって旅した。そのため、シリアやメソポタミアの部族にも明るかった。北部そして中央アラビアのアラビア人の気質や政情に通じているという点で並ぶもののない専門家だった。
 そのころ、アラビアのロレンスもいた。ガートルードは英国でも名の知れた家のひとつにあげられる一族の長女で、ロレンスは中流階級出身。出自はまったく異なる社会層だが、二人はよく似ていた。つまり、変わり者で、主流からはずれ、ひとりでいることを好み、人の多い応接間より閑散とした砂漠にいるほうに安らぎを感じた。この二人からみると、イギリス人よりベトウィンのほうが受容力があった。
 1917年3月。イギリス軍が進軍してきたとき、バグダッドの街には20万人しか住んでいなかった。その多くはスンニ派イスラム教徒と、ユダヤ人だった。
 ガートルードはイギリスの東方書記官となった。諜報活動を得意とした。教育を受け都市に住むスンニ派、地方の多数派であるシーア派、バグダッドの大きなユダヤ人社会、モスルのキリスト教徒。これらの動向をガートルードは見守った。
 ガートルードはメソポタミアの自治を主張した。しかし、これはイギリス本国政府の政策に反していた。
 イギリスのメソポタミアにおける商業的利益は長く深いものだった。メソポタミアの市場の半分はイギリスからの輸入品、石炭、鉄、織物などが占め、輸出品、ナツメヤシ・イチジク・オリーブ油・穀物の35%がイギリス向けだった。それに加えて、イギリス海軍そして空軍のため石油資源を確保する必要があった。
 イラクには、1万7000人のイギリス軍と4万4000人のインド軍が駐留していた。
 イギリスが委任統治という仕組みを導入しようとしているバグダッドで、ガートルードは無冠の女王と呼ばれた。イギリスの政策からはずれたため活躍の場所を狭められたガートルードはひどいうつ状態となり、1926年7月、いつもより多い睡眠薬を飲み、二度と目覚めることはなかった。
 イラク独立の前史に関わったイギリス女性の一生を紹介しています。大英帝国のなかで羽ばたいたものの、結局は国家に利用され、押しつぶされた女性だという印象を受けました。

脳視、ドクター・トムの挑戦

カテゴリー:未分類

著者:中野不二男、出版社:大和書房
 読字機能における脳のつかい方は第一言語によって決定される。
 ヒトの利き腕が左利きか右利きかというのは、生まれたときには既に決定している。だけど、最初からそれが表に出るわけではない。赤ちゃんのときには、左右の手を対象に動かす、いわゆる鏡運動のくり返しをする。その鏡運動が消えるころ、生まれながらの利き腕が前面に出てくる。
 しかし、言語における脳のつかい方はちがう。最初に読み方を覚えた言語によって脳のつかい方は決定される。そして第二言語、すなわち二つ目に覚える言語には、第一言語によって決定された脳のつかい方が、そのまま応用される。
 たとえば、日本人、日系人、中国系、中国人という4人の若者がサンフランシスコで育ったとき、家庭ではそれぞれの言語で話していても、最初に読み方を覚えた言語は英語だ。そのとき、彼らの言語に関する脳のつかい方は決まる。つまり、アメリカ生まれのアメリカ人とまったく同じパターンとなる。そして、日本語や中国語は、母国語であろうとなかろうと、英語によって構築されたパターンのもとで学んだ二つ目の言葉にしかならない。
 ヒトは、目や耳といった感覚器官から入ってきた情報により、脳をつかいながら言語機能をつくりあげていく。そのとき、前頭前野では、考えて理解することにより、理性ややさしさという人間らしさが生まれてくる。したがって、運動や言語を司る機能の部分、つまり脳の前頭葉や側頭葉に位置する領域を実際に行為する実践装置だとすると、前頭前野は、それを細かにコントロールしている制御装置だということになる。こころは、その制御装置と実践装置のつながりに生まれるはず。そのつながりを生み出しているのが、熱による脳内の対流、すなわち渦だ。
 ヒトがものを考えたり記憶したりしているのは、大脳の表層部分の大脳皮質である。大脳皮質はニューロンの集まり、いわばユニットの集合体で、層のような構造をしている。それぞれのユニットは、正確に6層になっている。それも中心には吹き抜けに似た中空部のある、6階建てビルディングのような層構造だ。
 脳の中央部の温度、すなわち、中核体温は、脳の表面よりも常に高い。脳のニューロンの代謝によって生まれる炭酸ガスをふくんだ液体が、その熱により対流を起こし、ビルの吹き抜けを通っていくはず。脳の活動が活発になるということは、すなわちニューロンの代謝が盛んになるということ。盛んになればなるほど、ニューロンは血液によって運ばれてきたグルコースをとりこみ、水と炭酸ガスを排出する。その液体の密度、つまり炭酸ガスの濃度の違いにより、シナプスというスイッチがオンになったりオフになったりすることで生まれるのがヒトの意識ではないか。
 言語や運動などのヒトの行為を司る実践装置としての機能は脳の前頭葉や側頭葉にある。その行為を細かくコントロールしている制御装置は前頭前野だ。そして両者のつながりを保っているのは、脳の中心部から外側へ向かって流れる炭酸ガスをふくんだ温かい液体である。
 この液体が、ニューロンで構成される大脳皮質のビルの吹き抜けを通り抜けて、6階建てビル群の屋上のような表面へと流れ出す。そのときに、ガスの密度の高低により、表面に広がる神経回路のスイッチのオン、オフを促していく。そしてガスを含んだ温かい液体は、大脳皮質の球形の表面に沿って流れるうちに冷却され、ふたたび脳の中心部へと戻っていく。それは、ヒトが生きている限り、ものを見て何かを感じ、考え、行為にあらわしている限り、ずっと続く対流である。この脳内の渦にこそこころが生まれる。
 このように説明されると、ヒトの意識と思考について具体的なイメージが湧いてきます。なんだか、脳のなかのこころの存在も分かったような気がしてきました。

食べる人類誌

カテゴリー:未分類

著者:フェリペ・フェルナンデス・アルメスト、出版社:早川書房
 電子レンジのある家では、家庭料理は消える運命にある。食事をともにしなくなれば、家庭生活は崩壊するにちがいない。魂が胃のようなものだとすれば、食事をともにすることのほかに、どんな精神的な交わりがあるだろう。電子レンジを見くびってはいけない。この装置には社会を変える力がある。
 たいていの動物は、ブドウ糖からビタミンCを合成できる。しかし、人間は、サルやモルモットと同じく、これができない。食事からビタミンCを摂取するしかない。
 体内に蓄えられたビタミンCは、補給されないと、6〜12週間たったら危険なレベルに下がる。ビタミンCのもっとも重要な機能は、細胞どうしをつなぐコラーゲンの生成の維持。毛細血管の壁が破れて体中の細胞から出血する。壊血病である。
 酢漬けの状態でそこそこのビタミンCを保っていたのは、ザウアークラウトのみ。そこで、ザウアークラウトは長距離航海の定番の備蓄食糧となった。
 ビタミンのすべてが食事からとれるわけではない。日光にあたることでビタミンKをつくっているし、ビタミンKは腸内のバクテリアによっても合成される。
 馬乳は、ビタミンCを豊富に含んでいることで、草原に住む人々はこれを飲むことで、果物や野菜を食べなくても生き延びられる。
 モンゴル人の火をつかわない調理法として、切りとった肉を鞍の下に置いて馬に乗ると、肉は繰り返したたきつけられ、馬の汗も加わってやわらかくなるというのがあるそうです。ええーっ、これって美味しいんでしょうか・・・。
 ライ麦、大麦、キビ、アワ、コメ、トウモロコシ、小麦の発明は人類のもっとも目ざましい功績のひとつ。反芻動物の食べ物として自然がつくったイネ科の植物を、非反芻動物である人間の主要な食物に変えた。すべての文明が、生命維持に必要な食物を、この6種に頼ってきた。
 20億人がコメを主食としている。人間が消費するカロリーの20%、タンパク質の 13%をコメが担っている。コメは世界でもっとも効率の良い食物として際立った存在だ。コメは、1エーカーあたり2.28人分の食糧がとれる。小麦だと1.49人分でしかない。
 小麦を食べる西洋人の出現は5000年前、コメは8000年前のこと。アングロサクソンの世界では手を加えない食べ物のほうが、ごてごてと飾りつけた食べ物よりも好まれた。ソースをかけない、ただ網で焼いただけのステーキをアメリカ人は恋しがる。そうなんです。だから私は、アメリカに行きたくないのです。やっぱり手をかけた料理をじっくり味わいたいものです。
 アメリカの独立はフランスの助けに負うところが大きかったにもかかわらず、簡素な料理を愛する心はイギリスらしい特徴のひとつとして大西洋の反対側で生き残った。
 オスマン帝国のトプカプ宮殿の厨房は、16世紀には、毎日6000人、祭日には1万人に食事を出せるだけの設備をそなえていた。料理長は50人の副料理長をしたがえ、菓子づくり担当の責任者には30人の助手が、味見担当の責任者には100人の部下がいた。17世紀はじめ、一日に消費されるのは、若い羊200頭、食べごろの仔羊か仔ヤギ  100頭、鶏330つがい、子牛4頭(宦官の貧血予防のため)。すごーい・・・。
 ヨーロッパで生産されるトウモロコシの大半は牛の餌になる。アメリカで生産されるもののほとんどはコーンシロップの原料にされ、残りの大半は飼料用である。
 料理は文明の基礎だと考える人にとって、電子レンジは最後の敵である。電子レンジがもっともふさわしいのは、社会の敵、ひとりで孤独に食べる人。食事をともにすることによる親しい交わりは、食事時間を待つことから家族を解放する装置によって簡単に崩れ去る。焚き火や鍋やひとつのテーブルをかこんだ親密な交わりは、少なくとも15万年にわたって協力して暮らす人間同士を結びつけるのに役立ってきたが、いまやそれが打ち砕かれようとしている。うーん、電子レンジって、こんな役割があるんですね。ほとんど毎晩、夜の遅い(といっても8時から9時まで)自分用の夕食のために愛用している身からすると、この分析は驚きでした。
 西洋料理で代表的な生の肉料理と言えばタルタルステーキがある。肉はやわらかく縮れた鮮やかなミンチにされる。香辛料、新鮮なハーブ、春タマネギやタマネギの芽、ケーパー、アンチョビー、酢漬けのコショウの実、オリーブ、卵など、風味を増すための材料を、客のテーブル脇でウェイターが仰々しい手つきでひとつずつ混ぜあわせていく。これにウォッカを加えると、風味がぐっと良くなる。
 私がタルタルステーキを初めて見かけたのは、20年以上前にフランスに行ったときのことです。訪問先のフランスの弁護士が同じテーブルで一人注文し、いかにもおいしそうにタルタルステーキを食べたのです。私も彼と同じものを食べたいと思いましたが、生の牛肉だと聞いて、旅先で腹痛でも起こしたら大変だと思い、ぐっと我慢しました。だから、この恨みというわけではありませんが、タルタルステーキを食べたいとずっと思ってきました。これまで日本でも2度ほど食べた記憶があります。見た目に鮮やかな赤身の牛肉で食欲をそそります。味もなかなかいけます。みなさんも、ぜひ食べてみてください。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.