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AI時代の司法を考える

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 角田 美穂子ほか 、 出版 弘文堂

 私はまったくAIを使えませんし、今さら利用したくもありません。ところが、この本にはAIの利用で「できること」をしない司法というのは、国民の期待、あるいは国民の信頼を裏切るもの、としています。

 さらに、「老犬には新しい芸を仕込めない」ものだが、「老犬にも新しい芸を学ぶ機会を与えること」が非常に重要だとします。うひゃあ、で、でも「老犬」の私には、今さら「新しい芸」を身につける意思も能力もないのです。

 裁判官が判決を書くにあたって、AIを使っていいのか、それとも許されないかも論じられています。南米のコロンビア共和国の裁判官が判決文にChatGPTとの「会話」をそのまま記載した(2023年1月30日)ことが話題になっています。判決文を起案するとき、AIを参考にするのは私も許されると考えています。ただし、双方の準備書面を全部インプットして判決文をAIに書かせているのはまずいとされています。私も同じ考えです。その点は、ルーティン的な事件だったらAIにまかせていいのかということでもありますが、この本は消極的です。結局、裁判というのは何のためにやっているのか、という問題だとされています。とても共感を覚えます。

 判決文を生成AIに書かせるのは危険が大きい。人の判断が形骸化してしまう危険がある。これは裁判官の能力をむしばんでしまう。そして、AIの判断に対する批判的な判断が訓練されない。

 判決をもらった当事者から、「裁判官が判断したと言ってるけれど、AIに書いてもらったんでは?」と言われたとき、裁判の正統性がゆらいでしまうのではないか……。

 生成AIをうまく使うためには、法律家としてつちかった経験と知識がそれなりに必要になる。

 日本の場合、判決文が全文インターネット上で公開されているわけではないし、裁判の4割は和解で終了しているが、その和解調書は基本的に公表・公開されていない。すると、AI利用には大きな限界があることになる。

 イギリスは人口6000万人の国だが、毎年1500万件もの紛争が民事・家事の裁判所に持ち込まれている。これは驚きですね。日本でいう非訟事件も恐らく含まれているのでしょうね、きっと……。それでも、1500万件とは、多いです。

 アメリカ・ニューヨークの弁護士がChatGPTが作成した6つの架空の判例を引用した準備書面を裁判所に提出して懲戒処分を受けたことは有名です。AIはそんなことまでしてしまうので、弁護士はAIに頼りきりにならず、さらに深く慎重に検討する必要があります。

 GPTには、ハルシネーションと呼ばれている。平気で嘘をつく現象が起りうる。なんとなく正しいような文章があっても、細かく見ると、実は間違っていたりするので、結局、精査する必要がある。人間の手による作業が必要になるので、同じだけの時間がかかってしまう可能性がある。これは、とても疲れることでもあります。

 AIは便利だけど、怖いものだと改めて認識しました。

(2025年12月刊。2970円)

ブラック・スノウ

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 ジェームズM・スコット 、 出版 みすず書房

 1945年3月10日、東京は300機ものB29によってほとんど焼失し、10万人が亡くなり、100万人が焼け出されてしまいました。これは、当時38歳のカーチス・ルメイ将軍の指揮によるものです。

 戦後、日本はこの大虐殺を指揮したカーチス・ルメイ将軍に勲章を送りました。1964年のことです。それも、なんと最高の勲一等旭日大授章です。よくぞ罪なき市民(日本人)10万人を殺していただきました。日本国として深く感謝しますというわけです。まさしく日本人(正確には日本政府)の奴隷根性をよくあらわしている勲章です。とんでもないことではないでしょうか……。

 カーチス・ルメイは、この無差別じゅうたん爆撃によって、日本を「暗黒時代」に戻すと高言していました。そして、ベトナム戦争のとき、同じくカーチス・ルメイはベトナムを「石器時代」に引き戻すと断言したのです。また、ケネディとフルシチョフのキューバ危機のとき、カーチス・ルメイは核攻撃をためらうなとケネディに進言してもいます(幸いにも、ケネディはその進言を却下しました)。

 その後、調子に乗ったカーチス・ルメイはアメリカ大統領選挙にジョージ・ウォーレスという右翼候補の副大統領候補になりましたが、思慮に欠ける発言を繰り返したため、メディアの嘲笑の的となり、ついには「ジェット爆撃機に乗った石器時代人」とまで風刺され、戦時中の英雄という評価は吹き飛んで、1990年に死ぬまで悪評に悔やんだ。本人も「英雄から役立たずに転落した」と語っていたそうです。日本人がどんなに無惨に死のうが、苦しもうが、まったく良心の苛責を感じなかった男の哀れな顛末です。

 この本は、B-29がなかなか実用化しなかったこと、非武装の市民に対する大量無差別爆撃は犯罪ではないかという良心のとがめを感じていたアメリカ軍のトップもいたことを明らかにしています。

 この本には書かれていませんが、非武装の市民に対する無差別爆撃を世界で初めて実施したのは、日本軍なのです。重慶への無差別じゅうたん爆撃です。英米軍によるドイツのドレスデン無差別攻撃もひどいものですが、カーチス・ルメイは、日本全土を焦土にする目的で、執拗に最後まで実施しました。そして、昭和天皇が、交渉を有利にするため、どこかで必勝の一撃をアメリカ軍に加えたいと粘ったのも、日本人の被害を増大させる原因となりました。

B-29の開発費用は37億ドル。そして、実戦に使われはじめても当初はエンジン不調などで、うまくいかない機が続出した。東京大空襲は、低高度(1600メートル)なので、日本軍の対空砲火によって70%を失う恐れがあると見込まれていたのです。そこをカーチス・ルメイは強引に押し切ったのでした。賭けに勝って英雄となったわけです。

 3月10日の東京大空襲の被害にあった早乙女勝元氏の本は私も読みましたが、著者は、早乙女氏ほか日本人の被災者からも話を聴いています。

 戦争にならないようにするのが政治家の責務だというのを痛感させられます。好戦タカ派の高市首相にはぜひ読んでもらって、頭を少し冷やしてほしいと思いました。

 

(2025年12月刊。4620円)

微生物世界の探求

カテゴリー:生物

(霧山昴)

著者 山本 太郎 、 出版 岩波書店

 望遠鏡が発明されたのは1600年代初頭。オランダのメガネ製作者リッペルスハイによる。

顕微鏡を初めて科学的発見に応じたのは1660年、イタリアのマハチェロ・マルビーギ。

1600年というと、日本で関ヶ原合戦があった年ですので、戦国時代になります。

中世ヨーロッパではペストが大流行した。ところが、奇跡的に助かって回復した人は、その後、いくらペスト患者と接触しても、二度とペストでたおれることはなかった。当時の人々は、それを「神の加護」と考えた。そして、神のご加護を得たものに対して、ローマ法王は課役や課税を免除した。それが「免疫」という言葉の語源となった。

 森鴎外は、森林太郎という本名で陸軍軍医として軍医総監にまで昇進している。その森軍医は鈴木梅太郎の発見したオリザニンが脚気(かっけ)に効果的だという事実に強硬に反対し、日本軍は日露戦争のとき脚気患者と死亡者を続出させた。まことに森軍医の誤ちは責任重大なのです。格調高い文体の小説なので、私は好きな作家なのですが…。

ウィルスは、いくつかの点で、一般的な生物・生命とは異なっている。ウィルスは細胞質をもたず、基本的にはタンパク質と核酸によって構成される粒子である。ウィルスは、代謝系をもたず、自己増殖ができない。

地球は、それ自身が極端な気象や温暖化を防ぐ仕組みを備えている。人間活動が排出する二酸化炭素の一部は、森林や海が吸収し、その副作用である地球温暖化を和らげる。なかでも海は人間が排出する二酸化炭素の3割を吸収する。その量は毎年20億トンをこえる。その立役者の一つがシアノバクテリア。光合成のとき、多くの二酸化炭素を消費する。

人体のなかには、細菌やウィルスなど、多くの微生物が共生している。これらの微生物は、そこに存在することによって、ヒトの生理や免疫を支えている。

ヒト常在細菌は1000種をこえ、100兆個に達する。人体には、数百兆個のウィルスが、主としてヒトに常在する細菌に寄生して存在している。ヒトの細胞数は37兆個なので、ヒトの大半は、常在する微生物によって構成されているということ。

抗生物質とサルファ剤は異なる。

抗生物質とは、そもそも自身の増殖によって邪魔になる他の微生物の増殖を防げるために、カビや細菌といった微生物が産生する物質のこと。サルファ剤は、染料など、人工物に合成された物質で、抗菌活性があるとしても、それは微生物由来ではない。

今日に至るまで、ペニシリンを産生するすべての株は、1943年に発見されたカビの子孫。

1970年より前は、肥満した人はあまり見かけなかった。それが1980年には肥満と過剰体重者を加えると8億人になり、現在では20億人超となっている。過去40年間に、毎日80万人を上回るスピードで増えている。

2010年時点、世界中に2億人の糖尿病患者がいる。

抗菌薬耐生菌によって、現在世界全体で毎年70万人が死亡している。人類が抗生物質を手にしてから、わずか70年が経過したにすぎない。ところが、今や、抗生物質を発見したより前の時代に逆戻りしている。2050年の、薬剤耐生菌による死亡者は1000万人という未来予測は、可能性がある。火の使用や農耕の開始に匹敵するほど大きな三度目の変化が、70年前から始まった抗生物質の使用ということになる。

微生物は、生態系において、これまで考えられていた以上に重要な役割を演じている。

なーるほど、そうなんですね…。

(2025年9月刊。3630円)

ネズミはなぜ回し車で走るのか

カテゴリー:生物

(霧山昴)

著者 中島 定彦 、 出版 岩波科学ライブラリー 

 回し車に乗っているネズミが必死に足を動かし回っている様子は、私ももちろん見たことがあります。これって、苦役なのか、楽しいから走っているのか、私もふと疑問を感じたことはあります。しかし、私は、そこで終わりです。それ以上、どっちなのか追究しようとも思いませんでした。そこが学者は違います。

 問題は、それをどうやって究明するか…、です。もちろん、ネズミにインタビューするわけにはいきません。2つのアプローチがあります。回し車で走っているネズミの生体の変化を調べるのです。エンドルフィンが出ていたら、楽しいから走っていることが判明するでしょう。もう一つは、選択回路をつくって、どちらを選ぶのか、様子を見るというやり方です。その肢択肢をつくるのには工夫がいります。なにしろ科学的証明というのは、実験に再現性がなければいけません。

 学者の観察によると、回し車で1日43キロも走る、つまり一晩にフルマラソンをしているとのこと。ただし、走っては休み、休んでは走っている。ずっと走っているのではない。そして、個体差がある。性別、週齢によっても違う。

 野生のラットは薄明薄暮型の生活様式なので、実験室でも同じように、夜間の初めと終わりに、たくさん走る個体が多い。

 回し車に入ってまわすのは、ネズミばかりではない。カエルもカタツムリも回す。なんと、ナメクジまで回し車に入って回す。

 ラットは50キロヘルツの呼び声を上げている。これは喜びの声だ。ただし、超音波なので、人間の耳には聞こえない。

 回し車に入ったのに回せないと、ラットは不機嫌になり、攻撃的になる。

回し車で回すネズミは、ランナーズハイの状態を味わっている。実は、回し車で走るのはネズミにとって苦しいこと。それは、人間がマラソンに出場して走って苦しくなるのと同じ。ところが、人間は苦しさを忘れたかのように、再び走る。なぜ、なのか…。ゴールしたあとに味わう達成感が味わえるから…。

 私も、たまに山登り(388メートルしかない、近くの小山に登ります)をするとき、行きは苦しいのです。でも、山の頂で、梅干しの入ったおにぎりをほおばるときの爽快感はなんともいえません。それがあるので、途中の辛さも我慢できます。

 ネズミも初めて回し車を見たときは、これは何だろう、面白そう、探ってみよう、そんな好奇心や探求心から回し車に入って走り始めるのではないか…。そして、走り始めは楽しく、走っている途中で苦しくなってくる。そして、回し車に快感を求めて再び走り出すのではないか…。なーるほど、ですね。

 科学的な証明をどうやったら可能にするのか、と問いかけ、それに対する一つの解を示している本でもあります。勉強になりました。

(2025年12月刊。1540円)

映画が娯楽の王様だった

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 戸田 学 、 出版 青土社

 淀川長治の神戸、山田洋次の東京、というサブタイトルがついています。かつて東芝日曜洋画劇場というのがあり、淀川長治が番組の冒頭に今日の映画のみどころを簡潔に紹介し、終わったあと、次回を予告し「サイナラ、サイナラ」と言うのが定番になっていて、それが有名でした。

 私の父は映画が大好きで、父と一緒に私も何回も映画を観に行っていました。最後に観たのはドイツの戦車との戦闘場面のあるアメリカの戦争映画だったと思います。なので、昭和2年に父が福岡から上京して東京で苦学生として生活していたときに浅草の映画街にも行ったことがあるはずだと思い、『まだ見たきものあり』(花伝社)には浅草の映画街の様子を調べて紹介しました。

 浅草の映画街は両側にズラリと映画館が立ち並び、よく満員御礼になる状況だったのです。もちろん、当初はサイレント(無声)映画で、有名な徳川夢声のような活動弁士(活弁。カツベン)が活躍していました。チャップリンの映画も多くはサイレントで字幕付きです。

 淀川長治の映画評は、難しい文章は使わない。身体で感じた感覚をあくまで大切にし、こだわった美意識に満ちている。淀川長治は、チャップリンが1936年3月に来日したとき単独会見した。チャップリンが「2.26事件」に巻き込まれそうになったエピソードは有名(知る人ぞ知る)です。

 マリリン・モンローはセックスシンボルの象徴としてあまりにも有名ですが、実は演技派の名優だった。そうなんですよね。演技の勉強のため夜の講座も受講しているのです。

 黒沢明監督の映画「七人の侍」は日本映画屈指の傑作だと思うのですが、昭和29(1954)年のキネマ旬報ベストテンでは、なんと第3位でした。では、第1位は何かというと……、木下恵介監督の映画「二十四の瞳」でした。たしかに、この「二十四の瞳」もいい映画です。「七人の侍」と比べるほうが無茶というものです(どちらも1位であって当然だと私は思います)。

山田洋次監督の映画にクレイジーキャッツのメンバーが何回となく出場しているのを改めて認識しました。

そして、映画「男はつらいよ」です。48本ある物語は、どれもワンパターンのマンネリズム。でも観客は楽しむことができるし、次回の新しいストーリーがだいたい分かっていても、新作を楽しみにする。また、同じ作品を何度みても毎回ゲラゲラと笑ってしまう。これは落語のエッセンスの情的な部分が根底にあるから。

とらや一家の人々に対し、あたかも自分の親戚や家族であるかのように錯覚し、また会いたいと映画館に足を運んでしまう。まことにそのとおりなのです。

私は正月になると、子どもたちを連れて一家そろって観て楽しんでました。さすがに年2回あったときには夏(お盆)のほうは見逃すことがあり、全部は観ていませんが、ほとんど観ています。葛飾柴又にも何回か行っていますし、矢切の渡しも見ています。

 お互い、愛するが故に喧嘩するというシーンをどう作るか山田洋次監督は苦労したとのこと。私は、今も月に1本は映画を観たいと思っているのですが、ままなりません。見逃して残念に思っている映画が最近いくつもあります。映画は映画館で観るに限るのです。

(2025年12月刊。3520円)

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