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イラクは食べる

カテゴリー:未分類

著者:酒井啓子、出版社:岩波新書
 タイトルからすると、イラクの人々の食べ物を解説した本のようなイメージがあります。でも、読んでみると、イラクの社会と人々の生活、そしてアメリカによるイラク戦争の現実を知ることのできる本です。
 2003年のイラク攻撃から、シリアに年20万人以上ものイラク人が流れこみ、シリア国内のイラク人は、100万人から170万人にものぼるとみられている。
 ヨルダンに住むイラク人は75万人。これはヨルダン人口の1割になる。エジプトに 10万人、レバノンに4万人のイラク人がいる。国連の発表によると、国外へ脱出したイラク人は250万人にものぼる。毎月5万人のイラク人が国外へ流出している。250万人というと、イラク人口の1割だ。
 イラクの中間層の40%が既に国外へ脱出した。だから、頭脳流出とも言える。バグダッドからの流出は100万人のうち8割にもなる。それは、主として治安上の理由から。2003年からの4年間に2000人もの医師と看護婦が殺され、同じ数が誘拐された。国内難民も220万人いる。毎月5万人が国内難民になっている。2006年に正式政権が成立してからのイラク国内の治安悪化は、シーア派政党同士の対立、民兵の扱いをめぐるイラク政府の対応の不十分さによる。そして、民兵をもった政党に権力を与える「民主化」をすすめたものこそ、アメリカのブッシュ政権なのである。
 2500万人のイラク人口のなかの4割が日々1ドル以下で生活しており、3分の1が貧困層に分類され、100万人が最悪の貧困状態にあるとされている。インフレ率は60%、失業率は5割以上。国内、国外あわせてイラク人難民は450万人以上。その半数が身の危険を感じて故郷を離れた。
 アメリカは2003年から2007年までに、わずか500人のイラク人しか受け入れていない。スウェーデンが2006年の1年間で8000人も受け入れたのと、対照的だ。
 イラクの料理はイラン料理との共通点が多い。ご飯をよく食べるし、どちらも酸っぱい料理が好き。大鍋でご飯をたいて、鍋底のオコゲに、トマト味のシチューをかけるのが庶民の大好物。
 フセイン元大統領が死刑判決のあと絞首刑にされる様子が映像で流れた。フセイン処刑の映像は、2005年以降のイラク政権が、まがうことなきイスラーム政権であり、イスラーム革命を志向する「革命政権」であることを、そして、そこで施行されている司法システムが「革命裁判所」であることを、これ以上ないほどに露呈した。
 サドル潮流が与党内のゲームに加わったことで、統一同盟内の政党間関係は複雑な内部対立を生んでいる。移行政府の成立から現在に至るまで、サドル潮流が与党連合のなかでキャスティングボードを握ることになった。
 マリキ政権において、サドル潮流は、6つの閣僚ポストを得て、最大派閥となった。
 ファルージャは、イラク人にとってカバーブの美味しい街として有名だった。ところが今や、反米抵抗運動のシンボルとみられている。そこでのアメリカ兵の死者は1300人。全体の3分の1を占めている。
 イラクでは、そもそも宗派で政党を形成するという歴史をもっていない。右も左も、欧米式のリベラル派もナショナリストも、党員がどちらかの宗派に偏ることはあっても、はじめからどちらかの宗派のみに支持基盤を限定して政党を結成したことはなかった。
 スンナ派だから、シーア派だからといった理由でイラク人同士が殺しあうという状況は、建国以来なかった。
 イラクの治安は、2006年に2月に宗派対立に火がつき、悪化の一途をたどっている。それは、ちょうど、スンナ派政治家の国政参加のすすむ時期でもあった。
 外国から反米ムスリム義勇兵がイラク国内に入っているのは事実で、1年間にイラクでアメリカ軍が把握した反米義勇兵606人のうち41%がサウジアラビア人だった。
 イラク復興のために開かれたマドリード(スペイン)で決まった330億ドルのうち、アメリカ200億ドルの次に日本の50億ドルが来る。破格の金額だ。
 つかわれた復興資金の半分が警備や保険料などの治安費につかわれ、実際にイラク人の手に届くのは3割以下。世界の腐敗ワーストで、イラクは3番目にひどい。先日は88億ドルという使途不明金が発覚した。
 イラクを軍事支配しようとすることがうまくいくはずもありません。アメリカにいつもいつも追随して、イラクに自衛隊を派遣するなんて、愚の骨頂です。
 先日、新聞のコラムに、アメリカ人だったと思いますが、日本はアメリカにいつも追随しているので、まったく存在感がないという指摘がありました。本当に情けない状況です。フランスみたいに、もっと日本政府はアメリカにモノ申すべきだと、心底から私は思いますよ。
 先日、名古屋高裁は、きわめてまっとうな判決を出しました。久しぶりに胸のすく思いがしました。福岡高裁にも熊本のイラク派遣阻止訴訟がかかっています。たった1回で結審したそうですが、その判決を注目しているところです。
 淡いピンクの朝顔が咲いています。朝、雨戸を明けるとまっ先に目に飛びこんできます。心が洗われる思いのするほど、すがすがしいピンクの朝顔です。やはり夏の朝は朝顔です。
(2008年4月刊。780円+税)

チャップリンを観る

カテゴリー:社会

著者:吉村英夫、出版社:草の根出版会
 読んでいるあいだにも、読み終わってからも幸せな気分に浸ることのできる本です。だって、あのチャップリンの映画をみたときの感動がまざまざとよみがえってくるのですよ。私は、この本を読んで、またまたチャップリンの映画をみたくなりました。何度みても、いいものはいいのです。とりわけチャップリンの映画って、見飽きることがありません。
 『キッド』『街の灯』『ライムライト』こう並んだら、どれもこれも、すぐにまたみてみたいものばかりです。
 私の尊敬する故諫山博弁護士は、現役を引退したあと、DVD三昧の日々を過ごしておられました。私も、ぜひそれにあやかりたいと思いますが、そのなかでも、チャップリンの映画は絶対に欠かせません。
 私は30年近くも市民向けの法律講座を毎年開いてきましたが、はじめのころ、チャップリンの短編映画を客寄せパンダがわりに上映していました。短編映画をみてもチャップリンの笑わせ方は天才的だと思います。
 でも、これらの長編映画は、レベルがまったく違います。比較になりません。言葉でいいようがないほどです。そして、この本は、そんなチャップリンの映画を今どきの大学生に授業としてみせたときの反応が紹介されているのですから、面白さが2倍にもなります。チャップリンの映画を大学の授業でみせられるなんて、そんな学生は幸せですよね。
 私も大学生のとき、『男はつらいよ』第1作を大学の教室でみました。学園祭(五月祭)のときのことです。窓ぎわまで学生がすずなりになった教室で、みんなで大笑いしながらみたことを覚えています。ですから、チャップリンの映画だったら、拍手してほしいところなんですが、授業だというので、誰も拍手しなかったそうです。残念です。やっぱり、思ったことは少しでも行動にあらわすべきなんですよね。
 学生の反応のなかには否定的なものや消極的なものもあります。やはり、そこが個性なんでしょうね。私だったら、特AとかスーパーAという評価を与える映画であっても、CとかDをつける学生もいますから、やはり世の中はさまざまです。
 『キッド』も『街の灯』も泣かせますよね。もちろん、私も泣きました。すごいですよね。これも、チャップリンの不幸な生い立ちと無縁ではありません。
 1889年4月16日生まれ。イギリスはロンドンの貧しい労働者街で生まれました。両親はミュージックホールに勤めていた芸人です。ヒトラーの生まれはチャップリンとほんと同じで、わずか4日後の4月20日生まれでした。
 夫と離婚したチャップリンの母は必死に子育てしながらも、ついに精神病院に入った。母34歳、チャップリン12歳のときのことである。チャップリンは、母が亡くなるまで愛し、感謝の気持ちをもって母に接した。
 チャップリンは、左利きのバイオリン演奏などもできる器用な人物だった。作曲もできた。チャップリンの映画は、ほとんどチャップリンが作曲している。
 『モダン・タイムス』のラストシーンにミスがあるかどうかが問題になっています。ラストに2人が夜明けの道を朝日に向かって歩いていくと、はじめのうち著者は解説していました。しかし、現地まで出かけて実見してみた人によると、これは、夕陽になってもまだたどり着かずに歩いている2人を示しているのだというのです。希望への道のりはとてつもなく長く厳しいというわけです。
 いやあ、これには、さすがの私もまいりました。映画のロケ地まで実際に行ってみて(今も、ほとんど変わらずに残っているそうです)、その時間差を考えたというのです。世の中、さすがに偉い人はいるものです。
 チャップリンは、日本にも4回来ているそうです。その秘書は日本人で、高野(こうの)虎市という人だということは知っていました。5.15事件と同じときに、チャップリン暗殺計画まであったそうです。
 アメリカ政府はヒトラー・ドイツとたたかうチャップリンを「アカ」だと決めつけ、事実上、アメリカから追放してしまったのでした。そんな馬鹿げたアメリカも、あとになって反省し、1972年にアカデミー特別名誉賞をチャップリンに授与しています。
 さあ、みんなでチャップリンの映画をみましょうね。三重大学と愛媛淑徳大学の映画サークルのみなさん、これからも元気にがんばってください。
 炎暑の夏日が続いていますが、サボテンがまたまた純白の花を咲かせてくれました。速く手入れしてやって、サボテンの子どもたちをきちんと地面におろして植えてやるべきなのですが、ともかく、この暑さでは手入れする気にもなれません。サボテンには申し訳ないのですが・・・。
(2008年1月刊。2200円+税)

死刑

カテゴリー:司法

著者:森 達也、出版社:朝日出版社
 死刑判決が急増している。2006年の1年間に出た死刑判決は、44件。地裁13人、高裁15人、最高裁16人。1980年以降、もっとも多い。地裁での死刑判決は3倍にも増加している。
 アメリカでは死刑の執行は、通常、金曜日の午前2時。その週の火曜日に死刑囚は執行室隣の監房に移される。区画内は自由に出入りできるし、外部への電話も自由。処刑の日時は死刑囚の家族にも連絡され、最後の面会がある。
 処刑の立会人は16人。公的立会人4人に加え、被害者遺族や死刑囚の親族の立会も可能。メディア関係者5人の枠もある。
 日本では死刑存置の声が急増している。死刑廃止6%に比べて、81%。「どんな場合でも死刑廃止という意見に賛成か!」と問われると、賛成は16%弱で、反対は66%強である。日本は少し異常としか言いようがない。
 すでに世界では死刑廃止が大勢である。死刑廃止国133ヶ国に対して死刑を実施する国は半数以下の64ヶ国。アジアと中東とアフリカの一部でしかない。ヨーロッパはみな死刑を廃止した。EU加盟の前提になっている。
 カナダでは1975年に死刑を廃止してから、殺人事件が大幅に減少したというデータを政府が発表した。私も、この説です。死刑がなくなれば、かえって治安は良くなるのです。死刑を存続させているアメリカなんて治安が悪化する一方なのです。
 死刑になりたいから人を殺す。犯罪大国でもあるアメリカでは、そんな実例がいくつもある。そうなんです。先日の秋葉原の連続殺傷事件もそうだったと思います。
 私は誰がなんといっても死刑廃止派です。国家が人間を殺すなんて許されません。もちろん、人が人を殺すのを許すつもりはありません。でも、単純な報復主義がはびこる社会は悪い方向にすすむだけだと確信しています。カナダの実例があるわけです。
 死刑について考えさせてくれるいい本だと思います。
 今の法務大臣は私とまったく同世代です。これまで既に13人の死刑囚を処刑してしまいました。私は、せめて死刑執行を停止して、もっと真剣にそもそも犯罪をなくすにはどうしたらよいのか、報復主義を横行させていいのか、被害感情優先でいいのか、正面から社会全体で議論すべきだと考えています。目には目を、歯には歯を、では決して安心して生活できる社会を築いていけない、これは35年間の弁護士生活を通じた実感です。
(2008年1月刊。1600円+税)

のぼうの城

カテゴリー:日本史(戦国)

著者:和田 竜、出版社:小学館
 非常にユニークな時代小説とオビにかかれています。なるほど、そうでしょうね。戦国時代のお城の攻防戦を描いているのですが、とてもユニークな物語です。そして、それが史実をふまえているというから、余計に面白いわけです。
 ときは戦国時代末期。秀吉の小田原攻めの最中に起きました。信長が本能寺の変で倒れる前、秀吉は毛利軍と戦っている最中でした。そのときとられた作戦は有名な備中高松城の水攻めです。
 秀吉がつくった人工堤は、下底が12間(22メートル)、上底が6間(11メートル)の幅があるという、途方もない分厚さがあるものを、3里半(14キロメートル)という気の遠くなるような長大さをもっていた。
 いやあ、これはすごいですね。北条攻めに動いた秀吉軍は総勢16万騎。そして、石田三成を総大将とする2万の大軍が忍城に向かった。忍城は関東7名城のひとつに数えられていた。忍城にいた成田長親は、周辺の百姓を城に呼びこみ、迎え入れた。
 三成は、籠城は内より崩れることを知っていたので、それを止めなかった。無駄な数の籠城兵は、兵糧を喰い散らす。兵糧が減るにしたがって裏切りの噂が噴出して城内は疑心暗鬼となり、裏切り者とされた者はどんどん粛清されてしまう。やがて籠城方の大将は、この状態では開城やむなし、と城を明け渡す。すなわち、城内に人が多いと、ほころびも増すことになる。
 やがて、忍城には3740人の籠城兵が充満した。ところが、城内には戦闘心旺盛で、士気は衰えなかったのです。
 三成は緒戦で忍城の計略によって負けたので、水攻めに切りかえた。7里(28キロ)の堤をつくることにしたのだ。秀吉の堤の倍である。のべ10万人を5日間、昼夜兼業で働かせる。人夫に対し昼は永楽銭60文、夜は100文。それぞれ米一升をつける。夜だけでも夫婦2人が5日間働くと、家族4人が1年食べられる米が買える。なーるほど。
 三成が人工堤の建設に着手したのは天正18年6月7日。数十万人が人夫として集まった。人工堤は、断面の台形の下底を11間 (20メートル)、上底を4間(7メートル)という厚さとし、高さを5間(9メートル)とした。秀吉のつくった備中高松の人工堤とほぼ同じ大きさ。三成は秀吉をはるかに上まわる長大な人工堤防を短期間のうちに完成させ、あわや忍城は落城寸前。ところが、アリの一穴が始まったのです。
 本を面白さがなくなりますので、これ以上は紹介しませんが、奇策によって忍城は助かってしまうのです。これだけ面白く読ませるのですから、たいしたものです。さすがに大絶賛を浴びた本だけのことはあります。
 三成は意外や意外、敗軍の将となってしまったのでした。
 最後に、「のぼうの城」というのは、「でくのぼう」の「でく」をとった呼び名からきています。「でくのぼう」でありながら、民衆の心をつかんでいた殿様だったというわけです。
(2007年12月刊。1500円+税)

地獄のドバイ

カテゴリー:アフリカ

著者:峯山政宏、出版社:彩図社
 北大理学部を出た日本人の若者が海外で寿司職人となって一旗上げようと、いま世界最先端のドバイで渡って体験した悪夢のお話です。世の中、何ごとも表があれば裏があるというわけですが、このドバイの話は、ちょっといくらなんでもひどすぎる。そう思いました。ドバイは地獄だという英文タイトルのとおりです。大金持ちにとっては天国のような国なのですが・・・。
 ドバイはアラブ首長国連邦(UAE)の一つ。いま大変な建設ラッシュのため、世界のクレーン車の25%が埼玉県ほどの面積しかないドバイに集まっている。ドバイの経済成長率は16%。いくらでも入れ替えのきく外国人労働者は奴隷のように扱われる。出稼ぎ労働者のために職場環境をよくしようという発想はない。高層ビル建築現場に働く外国人労働者の賃金は105ドル。一流ホテルの従業員であっても、月給3万円もあればいいほうだ。
 著者は東京の江戸前寿司職人養成学校に入った。3週間で一人前にするというふれこみだ。受講料はなんと40万円。しかし、ドバイでは寿司職人にはなれませんでした。何のコネも紹介状もなかったからでもあります。やむなく肥料会社に入り、大金持ちの社長邸宅の芝生に水やりをする仕事につきます。水道管のパイプがよく詰まるのです。
 外国人労働者の賃金をケチるから手抜き工事が蔓延し、結果的に水をロスすることになってしまう。そんな皮肉な現実があっても、大金持ちは、何とも思いません。すべてはお金で解決できるからです。
 著者は肥料会社に勤めていた。パスポートもあり、3年間のUAEの居住許可証も労働ビザも持っている。そのうえ、日本に帰ろうとして飛行機も手配していた。にもかかわらず拘置所へ入れられた。ええーっ、なぜ、なぜ・・・?
 勤めていた会社が閉鎖されたら、次の職場に移る前に拘置所に入れられることになっている。そんなバカな・・・!?
 しかし、それがドバイという国の法律。うひょう、し、信じられませんよね、これって。
 拘置所に入れられる。そのときスーツケースに拘置所の係官がわざと番号を間違える。荷物を行方不明にして巻き上げるため。な、なんと、そんなことが堂々とまかり通っているとは・・・。
 そして拘置所内のひどい生活ぶり。読むだけで鼻の曲がりそうな汚濁にみちみちた雑居房に前科もない日本人が一人ほうりこまれるのです。心細いですよね。200畳ほどの部屋に300人をこえる囚人が押しこまれている。囚人には、くの字になって寝るだけのスペースしか与えられていない。新参者は悪習臭を放つトイレの側で寝るしかなかった。そして、1年以上も風呂に入っていない囚人たちの強烈な体臭が押し寄せる。
 幸運にも、わずか4日間で出所できた著者による、この世の地獄ドバイだよりでした。あなたもドバイに行く機会があったら、その前にぜひ読んでみてください。
 私の娘がドバイへ一人旅に出かけ、無事に戻ってきましたが、旅行中にこの本を読みましたので、それなりに心配したことでした。
(2008年5月刊。590円+税)

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