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チンパンジーの社会

カテゴリー:生物

著者:西田 利貞、 発行:東方出版
 アフリカで40年以上も野生チンパンジーの生態を見続けてきた学者が、平易な言葉で写真を示しながら語っていますので、とても分かりやすい本になっています。ヒトとチンパンジーの違いというか、よく似た存在だということがよく分かります。
 長期間ずっと観察する。多くの集団を見て比較する。個体識別する。これがニホンザルでもチンパンジーでも必要不可欠のものだったし、それで成果をあげることができた。
 チンパンジーの性行動は乱交的であり、特定のオスと特定のメスだけが頻繁(はんざつとは読みません。麻生さん)に交尾するのではなく、いろんなオスメスの組み合わせで交尾している。しかも、他のオスやメスがみている前で交尾することが多い。だから、子どもの父親が誰だかまったく分からない。父親も誰がこどもか分からない。
 チンパンジーの集団はニホンザルと違って、メスがよそから入ってくる。オスは動かない。動くのは、まだ子供を産んでいない若いメス。だいたい11歳になると、メスは集団から出ていく。そして出ていったきり、集団に戻ってくることはない。だから、チンパンジーは母系ではなく父系の社会である。ヒトとチンパンジーとボノボは基本的に父系社会である。
 チンパンジーは、ゴリラのように一夫多妻ではなく、ボノボと同じく複雄複雌群だ。
 チンパンジーのリーダーに必要な資質は、ディスプレーの持続力。ライバルと対峙したとき、逃げ出さないこと。恐怖心をおさえて、ハッタリであっても威嚇や攻撃を続けること。リーダーには、恐怖心の克服が何より求められる。
リーダー(第一位)の在位期間は平均して5年ほど。リーダーにとって、2位と3位のオスは自分の一番怖いライバルである。そこで、2位と3位が連合を組むのを絶えず阻止しようとする。トップの獲得は単独で、しかしトップを維持するには連合で、というのがチンパンジーの世界だ。この点をもっと詳しく解説した『政治をするサル』(フランス・ドゥ・ヴァール、平凡社)という、面白い本があります。
 リーダーになるとき、メスの支援はあまりあてにできない。メスは現リーダーを応援する傾向が強い。つまり、現状維持志向が強い。
 リーダーの大きな仕事として、メスの喧嘩を引き分けることがある。しかし、これも、何かをするというより、間に入って走り抜けるだけのこと。リーダーがどちらかのメスを応援することはまずない。
 リーダーが負けてしまうと、村八分のようになって、集団から出てしまう。グループにそのまま残ることは少ない。たまには、あとで返り咲くこともある。
 チンパンジーは、通常は平和に暮らしている。しかし、お互いの順位については非常に神経質だ。順位の低いオスは、高いオスにパント・グラントという挨拶をしなければならない。
 チンパンジーの母親は、子どもに教えるということはしない。子どもが自分で試したり、見て覚えていく。
 チンパンジーの離乳は、おっぱいを吸わなくなるだけではない。だいたい5歳になるまでには、自分で自分のベッドを作り、母親とは別々に寝るようになる。
 ヒト以外の霊長類には、児童期はない。
 大人のオスになる条件というのは、どの大人のメスよるも強くなること。要するに、どのメスにもパント・グラントという挨拶をさせることが、大人のオスの条件である。
 オスと違って、メスの順位はほとんど年齢順。年寄りほど順位が高い。40歳を超えたチンパンジーも出産した個体がいる。ヒトの女性の更年期というのは動物界の例外である。繁殖終了後のチンパンジーの生存率はほとんどゼロ。
 チンパンジーは、夜は必ず木の上で寝る。そのベッドは頑丈にできている。ベッドは寝るためだけで、子育てには使われない。だから、巣ではない。
 チンパンジーの交尾時間は、7〜8秒とすごく短い。それはオスがたくさんいて、競争で交尾するから。
 チンパンジーは詐欺ができる。また、ヒトが赤ん坊を腕と両足で支えて「ヒコーキだよ」と遊ぶように、同じことが出来る。
 チンパンジーは、人間らしい笑顔で笑う。母親は、子どもと遊ぶのが大好きだ。ただし、チンパンジーには人間のような集団対抗遊戯のようなものはない。綱引きはしない。
 ヒトとチンパンジーの違いと似たところがよく分る面白い本です。 
(2008年9月刊。1500円+税)

なぜ弁護士はウラを即座に見抜けるのか?

カテゴリー:司法

著者:佐伯 照道、 発行:経済界アステ新書
 とても刺激的なタイトルのついた本です。大阪の佐伯弁護士は、柔和な見かけによらず、かなりの豪傑です。なにしろ、事務所に押しかけて来た2人組がフトコロにピストルを隠し持っているのに気がついても、ひるまず柔らかい会話を30分間し続けて、2人組の戦意を喪失させ、早々と退散させてしまいました。帰る途中で、2人組はピストルを試射して前を行く通行人をケガさせ、たまたま目の前にあった警察署によって現行犯逮捕されたというのです。これは並みの弁護士には、とても真似のできない話です。
 佐伯弁護士は、妥当な解決、あるべき姿、望ましい結果とは何かを考え、そこから「では、どうするか」を発想する。観念上の理想は追わないが、現実的な理想は希求するのだ。
 相手が大声で威嚇するときに、自分も負けじと声を荒げたりするのは得策ではない。挑発するような言葉や態度は慎む。怒らせないように、暴れさせないように、静かに、ぼそぼそと、言うべきことを言い、主張する。それで十分なのだ。うむむ、なーるほど、ですね。
 暴力団の事務所へも佐伯弁護士は一人で出かけました。私も、30年も前のことになりますが、地元の暴力団組長宅に行ったことがあります。怖いものですから、先輩弁護士に頼んで同行してもらうことにして、二人で行きました。玄関には虎の剥製が置いてあり、見るからにヤクザという若者が応対してくれました。お茶を運んできた女性は、いかにもアネゴ肌で、いやあヤクザ映画そのままなんだと感心してしまったことでした。その人は今やれっきとした市会議員で、公共事業を裏で取り仕切っていて、影の土木部長と呼ばれています。
 脅そうとして、まったく通用しなかった佐伯弁護士に対して、暴力団の組員は内心は強い敗北感を持っていた。夜、自宅前で二人組の男が嫌がらせのために張り番をしている。そこに帰って来ると、佐伯弁護士は「御苦労さん」と声をかけたというのです。
 ぼそぼそと言う。決して挑発するようなことは言わない。絶対に大きな声は出さない。帰ってくれ、とも言わない。何をしてくれ、とも言わない。ともかく淡々と、「お互いの不利益になることはしないようにしよう」と呼びかける。
破産管財人となって在庫一掃セールをやったとき、2億2000万円もの現金を紙袋に入れ、両手にぶらさげて帰って来た。22キロの重さだった。うひょう、私も一度は持ってみたいものです。
 弁護士のスキル・アップに大変役に立つ、しかも面白い本です。ありがとうございました。ぜひ、引き続きご活躍いただき、ご指導いただきますよう、お願いします。
(2008年12月刊。800円+税)

貧困と怒りのアメリカ南部

カテゴリー:アメリカ

著者:アン・ムーディ、 発行:彩流社
 アメリカ南部の黒人(今では、アフリカン・アメリカンと言われていますし、それが正しいと思いますが、ここでは黒人とします)が、公民権を獲得するまでの苦難のたたかいの最前線で活躍していた黒人女性の自伝です。アン・ムーディは1940年9月に生まれました。
 公民権運動の指導者はキング牧師だというのは正しくないという訳者あとがきが、この本を読むと素直にうなずけます。
 白人の女を見つめただけで、黒人の男は絞首刑にされた。エメット・ティルが殺された事件は、ミシシッピ州ではニグロの男が白人の女に口笛を吹くだけで罪となり、死によって罰せられることを示した。
 人というものを私が憎み始めたのは、15歳のころだった。エメット・ティルを殺した白人の男たちを憎んだ。しかし、私は、ニグロたちこそ憎いと思った。立ち上がって、殺人に対し何かしようともしないニグロを憎んだ。ニグロを殺す白人よりも、白人にニグロを殺されてなにもしないニグロに対する憎悪の方が強かった。人生のこの時期に、私はニグロの男たちを臆病者だとみなすようになった。
若い白人夫婦の家庭では、ニグロの少女を家において主婦が出かけることは少なかった。夫がニグロの少女に誘惑されることを心配したからだ。その反対のことは考えられなかった。 
白人男性が黒人奴隷(女性)を犯していたのが、いつも黒人女性が白人男性を誘惑したからだと白人女性も信じていたなんて、とんでもない笑い草ですよね。
 著者は大学生になって、黒人の公民権獲得運動に生命がけで挺身しました。KKKがダイナマイトと鉄砲で運動を圧殺しようとしていた時期のことですから、まさに生命をかけた闘いでした。
 ミシシッピのニグロの将来は年配の人々によって決まるのではないことが明確になっていった。彼らはあまりにもおそれ、疑い深くなっていた。長いあいだ閉ざされてきた心に新しい考えを吹き込もうとするのは絶望的に近かった。
 著者の顔写真もKKKのブラックリストに載った。著者はフリーダム投票に取り組んだ。黒人の投票は8万票だった。これは州の正式な選挙登録者数より6万票も多かった。しかし、ミシシッピ州には21歳以上の黒人有権者が40万人いたから、8万票というのはその2割でしかなかった。
 ミシシッピ州では、経済的に余裕のある白人家庭の子弟は、人種統合に対抗して用意されていた私立高校に通った。子どもたちを通学させる裕福な白人たちが公立学校の教育に全く興味を示さないので、公立学校の基本的資金源として必要な税金が減少した。公立学校は白人貧困層と黒人のための機関だからという理由で見捨てられた。
 アメリカ南部で黒人による公民権獲得運動が進行する過程と軌を一つにして成長していった黒人インテリ女性の自伝ですので、スリルもあり、大変興味深い内容です。白人の黒人に対する強烈な差別意識に今さらながら驚かされます。要するに、白人はインディアンを人間を思っていなかったのと同じく、黒人についても自分とおなじ人間だとは思っていなかったということなのでしょうね。
 アメリカ南部における公民権運動において、キング牧師は指導者の一人でしかなかった。キング牧師を中心として運動がすすんでいたわけでは決してない。
著者は、このことを再三再四強調しています。
 また、公民権運動は「非暴力」ですすめられたというイメージをともなっているが、現実には運動に従事していた人の多くは散弾銃などで武装していた。つまり、公民権運動は自衛のための武装をともなっていた。 
 公民権運動のすさまじい実態を改めて知ることができました。白人には黒人を殺す自由があったのですね……。アメリカのおぞましい真実の一端がここにあります。
(2008年6月刊。3500円+税)

ユダヤ人財産はだれのものか

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:武井 彩佳、 発行:白水社
 ホロコーストは史上最大の強盗殺人であった。
 うむむ、な、なるほど、そういうことなんですね。
 ナチス・ドイツにとって、移住とは、無産化したユダヤ人の輸出であった。ヒトラー政権の成立時にドイツに暮らしていた52万5000人のユダヤ人のうち、移住した者は30万人、殺害された者は14万人とされる。その残りは不明ということでしょうか……。
 1933年当時のドイツの民間銀行1060行のうち、ユダヤ系のものが490行もあった。つまり、地方の民間銀行は、著しくユダヤ的な業種だった。大手銀行が、ユダヤ系の銀行を買収していくのがアーリア化の実態だった。
 ドイツにおけるユダヤ人収奪の最大の収益者は、明らかにドイツという国であった。
 1938年、ドイツの国家財政は破たん寸前だった。赤字は20億マルクにまで膨らんでいた。戦争に向けて大幅な増税は避けられないが、ヒトラーはこれを拒否した。
 ユダヤ人社会に10億マルクの弁済額が課せられ、特別税収は国家の収入を一気に6%も押し上げた。また、ユダヤ人の大脱出による出国税の税収増も加わった。戦争が始まる前は、国家予算の9%がアーリア化による収入であった。
 ユダヤ人から奪った物品を無償で分配することは原則としてなかった。収奪品を軍に引き渡すときにも支払いが要求された。盗品にも値札がつけられていた。
 ヨーロッパのユダヤ人から奪われた財産は、ドイツの戦争経費へ転化された。
 そして収奪されたユダヤ人の財産を戦後、どのように被害者へ還付するかというのが問題になったとき、肝心の遺族がいなかったのです。皆殺しにされたのですから、当然といえば、当然の現象ではあります。
 そこで、ユダヤ民族という集合体が、ヨーロッパに残された財産の相続人であるという国際法の常識を覆す主張が登場した。
 しかし、ユダヤ民族とは法的に定義可能なのか。民族というものに個々のユダヤ人の財産の相続権があるのか。つまり、集団全体は、集団の構成者の財産に対して権利を主張しうるのか。いずれにしても、殺して奪ったものによって富むことは許されない。このことは言える。
 では、誰が、相続人不在のユダヤ人財産に対する権利を有するのか。
 戦後ドイツのユダヤ人は2万人ほどでしかない。戦前の52万人ものユダヤ人には、とても匹敵しない。
 ナチス・ドイツが占領国の中央銀行から略奪した金塊を、スイスの中央銀行を含めた銀行が購入していた。
 ナチスに追われた難民がスイス国民で追い返された件数が2万4500件あり、少なくとも1万4500件の入国ビザ申請が領事館で却下された。
 IBMは、ナチ収容所の囚人管理のためのデータ管理システムを提供していた。
 ひえーっ、これには驚きました。あの天下のIBMって、ナチスのユダヤ人殺害に協力していたなんて、まったく知りませんでした。 
 島根の同期の弁護士から、太くて長い立派な長芋をたくさん送ってもらいました。実に見事な山芋で、トロロ汁を美味しくいただきます。でも、ちょっと食べきれませんので、知人にも少しだけ、おすそわけしました。
 トロロ汁もいいのですが、山芋ステーキも腹もちして、いい案配です。そして、梅肉を混ぜ込むと、これまた絶品です。思い出すだけで、口中によだれがたまってきてしまいました。
(2008年75月刊。2600円+税)

江戸商人の経営

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:鈴木 浩三、 発行:日本経済新聞出版社
 遅れた封建時代だったと考えられている江戸時代に、実は、高度な市場経済システムが成立していた。さまざまな業種で多様な市場競争が繰り広げられていた。江戸時代は、市場競争と市場メカニズムが機能する資本主義的な側面を色濃く持った時代だった。
江戸時代の商工業者にとって、事業の永続性は最大の経営価値だった。この点は、今の日本でもいえることだと私は思いますが、お隣の韓国ではまったくあてはまらないと聞いて、驚いたことがあります。
 井原西鶴の『日本永代蔵』には、現代の経営にも通じる企業行動と発想が随所にちりばめられている。たとえば、西鶴は烏金(からすがね。1日に限って貸す少額短期の高利金融)でわずかな元本を運用し、銭両替を経て本両替にまでなったひとの話を通じて、「銀(かね)が銀をもうける」という資本観念が当然のものだ、としている。
 また、『日本永代蔵』には、資金が遊休化しないように合理的な投資先やビジネスを探すこと、取引先の借用調査が重要だという認識、知恵や才覚によってビジネスチャンスを開くこと、後継者の指導育成と暖簾わけが重視されていたことが読み取れる。
 江戸の商業では、本業が危機に遭遇したときの保険・補完手段も発達していた。たとえば、多くの江戸の大店(おおだな)では、本店は近江や伊勢などの本国にあって、江戸の店は江戸店(えどだな)という支店の形態をとっていた。
日本列島沿岸に定期・商業航路が開設されたのは、戦国時代末期から江戸時代にかけてのこと。日本海側の海運組織としての北前船と西廻り廻船、そして、瀬戸内水運が、当時の経済先進国だった西国を中心に成立していた。
 そして、日本海沿岸の廻船は買積船(かいづみふね)だった。買積船とは、船主が自己資本で積み荷を買って船に積み、適当な相手に売るというビジネスで、差益商人そのものだった。主な船荷は、ふかひれ・ほしあわび・いりなまこなどの海産物や、金・銀・銅などの鉱産物だった。
江戸時代の貨幣経済の特徴は、金・銀・銅(銭)という3種類の貨幣が、それぞれ対等な本位貨幣として通用していたこと。金極め(きんぎめ)、銀極め(ぎんぎめ)、銭極め(ぎめ)という。金遣いの江戸でも、上等な茶、材木、呉服、薬品、砂糖、塩、職人の賃金などは銀建てだった。そして、吉原での遊興費や大名家で購入する書画・骨董などの高級贈答品は金建て。庶民の日常品、旅籠の宿泊料などは銭建てだった。
 江戸時代の年貢率は、寛文ころまでは7公3民で、農民の生産高の7割を領主が取立て、農民の手元には「もうけ」はほとんど残らなかった。ところが、寛文ころを境として、年貢率は急減して、農民に可処分所得が残るようになった。宝永・正徳期(1704〜16)には、3公7民となっている。
 町人は、信用を得るために両替商に預金した。当時の預金(銀)には当座預金しかなく、利子はつかなかった。しかし、両替高から信用されることは大いに評価された。
 よみ、かき、そろばんができないと丁稚にもなれなかったので、手習い=寺子屋が非常に盛んだった。天保期の江戸では、日本橋や神田といった町人の居住地域には手習い師匠が集中していて、師匠の生計は寺子屋だけで成り立っていた。「手習い師匠番付」まで発行されていた。寺子屋番付によると、221人の師匠が江戸で活動していたことがわかる。
 江戸時代に抜荷取り締まり令や禁止令がたびたび出されていたということは、それだけ抜荷つまり密貿易が頻発していた、ということである。
 江戸時代を新しい目で見ることを促してくれる本です。江戸と明治は切断されているのではなく、実は大きな連続性があるというわけです。
 このところ、曇天だったり小雨が降ったりすることの多い休日が続いていましたが、先の日曜日は久しぶりに秋晴れとなって気持のいい一日でした。選挙突入かと思われていたのに、いつの間にかそれはなくなり、かわって不景気風が吹き荒れています。こんなときには、庭いじりするのが何よりの気分転換です。
 まず、庭の一角を掘り上げ、コンポストの枯葉を取り出して埋め込み、その上にEMぼかしで処理した生ゴミを置き、土をかぶせます。本当はしばらく間をおくべきと思うのですが、師走の焦りから足で踏み固めるとすぐにチューリップの球根を植えこみました。
 そのあと、エンゼルストランペットを根元からバッサリ刈り取りました。コンポストに入れるために小さく切らないといけませんので、大バサミを使う腕が痛くなってしまいました。エンゼルストランペットは土中からすぐ芽を出すほど生命力の旺盛な木です。おかげで庭のあちこちにエンゼルストランペットが咲きます。すっかり見通しの良くなった庭に、ツメレンゲの小さな花がたくさん咲いています。
夕方5時半、暮れなずむ晩秋の夕空を見届けて本日の庭仕事の終了としました。
(2008年7月刊。1800円+税)

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