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やつらはどこから

カテゴリー:司法

著者 髙木 國雄、 出版 作品社
 うむむ、これはよくできた小説だ。思わず、唸ってしまいました。情景描写といい、筋の運びといい、とにかく冴えわたっています。感心、感嘆。私もこんな小説を書きたいと思いました。オビの文句を紹介します。まったく異存ありません。
 中学生の息子を襲う恐喝といじめ。税理士の父親への無法な強請り、たかり。現代日本に生起する荒廃の日常を活写する、現職弁護士による異色の小説集。
 6つの独立した短編集から成る本です。私より6歳年長の東京の弁護士です。
 あとがきによると、文芸同人誌に発表した11篇のうちの6篇に、少しだけ加筆・修正したものだということです。
 慌ただしく動き回ることと、その目的を精一杯果たしたいと焦燥に駆られる日常に、突然訪れたものであったからこそ、予期しない感動が鮮明だったのかもしれない。
 感動の本体は、人の言動であったり、ある物事自体であったりしたが、いったん確かに見聞し体験して触れたと思ったその中身は、時の経過とともに薄らいで、いつの間にか消えていった。それでも、書き進むという作業を繰り返す中でのほんのたまに、心の裡に感動の一部がよみがえったと思える瞬間があった。そのわずかな一時だけは、書くという手の作業が感動を確かに言葉に結びつけている、といった思いになれた。
 しかし、そんな充実した思いも長くは続かない。振り返ってみると、相変わらず馴れになってしまった、とりとめのない物事に埋没して動き回る日々を過ごしてきた。
 銀行の支店長に騙されて企業が倒産。DV夫から逃れようとする妻。頼まれて借金とり退治に精を出す坊さん。交通事故の真相を究明しようとするけれど、警察はそんなことにかまってくれない。
 他者をいじめる本性を持つのは、大人、子どもを問わず、狙う相手を探している。誰でもいわけではない、犠牲者は選別している。その選別のとっかかりとして、小出しに相手をつつき、叩いて、様子をうかがう。不条理な暴力や要求に断固として反発し抗議する相手方であれば踏み込めないのであって、反撃が弱く、態度があいまいな場合に限って、暴力はエスカレートする。つまり、いじめが本格化する。
 子ども社会で不条理な虐待を避けるには、その始期にはっきり反撃する態度、つまり仕掛けられたケンカへ正面からかみつき払い落す姿勢を身に着けているかどうかがポイント。いじめにあった子どもに共通するものは、最初の、いじめが始まるときに断固とした反発・反撃がまったくない、ということ。うむむ、なるほど、そういうことなんですね。
 ただ弁護士を長くやっていれば、立派な小説をかけるということではありません。やはり日常不断の研ぎ澄まされた感性が必要のようです。
 サンモリッツの3日目の夕食は、町の中心部にある広場に面した「ステファニィ」というレストランでとりました。店の外のテラス席です。メニューを眺めていると、日本語のもありますよと声がかかり、すぐに持ってきてくれました。
 魚は、舌ビラメのグリエ、そして肉は仔牛のチューリッヒ風というホワイトソースのたっぷりかかったものを注文しました。あと、サラダです。イタリアのワインを注文したら、カラフで持ってきましょうか、とボーイさんが言ってくれたので、お願いしました。
 観光客が広場をゾロゾロ歩いているのを見ながら、そして見られながら食事をするのです。虫は飛んできません。涼しいというより、少し寒さを感じるほどですので、イタリアの赤ワインを飲んで身体を温めました。
 子どもを連れた家族連れで、テーブルはどんどん埋まっていきます。日本人の大家族もやってきましたが、外のテーブルは満席なので、店内に案内をされました。広場に面した端のテーブルに中高年の日本人おじさん2人組も座りました。サンモリッツはどこでも日本人をよく見かけます。
 ワインを味わいつつ、道行く人を眺めながらゆったりと過ごしました。日本でこんな夕食をとることはありません。
 
(2005年1月刊。1500円+税)

羆撃ち

カテゴリー:生物

著者 久保 俊治、 出版 小学館
 いやあ実にすばらしい本です。まさに読書する醍醐味をとことん味わわせてくれました。
 男が野生の風になる瞬間を知った。その研ぎ澄まされた感性に羨望する。
 これは、オビに書かれた言葉ですが、まさしく言い得て妙です。
 森の中に一人分け入ってヒグマを追い続け、狙い定めて撃ち倒します。とても残酷です。ほめられたことではありません。でも、一対一の真剣勝負として、そこに生命を尊重しながらの戦いがえがかれているので、思わず拍手したくなるのです。そして、愛犬が登場してきます。一段と情愛細やかに狩猟場面が描かれます。その愛犬を日本に置いて、アメリカへ修行の旅に出ます。アメリカでの苦難の日々は、すごいものがあります。日本に帰国したとき、野も山も変わり果てていました。
 今どき、こんな狩猟を生業とする人がいるのだろうかと、不思議な思いで読み進めて行きました。すると、なんと著者は私と同じ団塊世代だったのです。私が大学生のころ、著者は北海道の山奥深くに分け入って、感性を研ぎ澄ましていたのでした……。
 ヒグマは本来、非常に警戒心が強く、常に人間とは距離を置こうとする。仔ヒグマを守らねばならないとき、自分のエサだと決めたものを守るとき以外、相手を威嚇する声は出さない。逃げるか、遠ざかろうとするのが、ほとんど。
 藪を歩くときのように、どうしても音が出てしまう場合には、できるかぎりシカの歩調と間合いに似せた歩き方をするように努力する。上手にできたら、シカの警戒心をゆるめることが出来る。そして、気づかれるよりも先に見つける方法を心がける。それには、一つのことだけに心を奪われ過ぎず、あたり一帯に均一な緊張感で注意を払わなければならない。とくに目を見開いて探すより、半目にして見るほうが、かすかに動くものでも目の隅でとらえやすい。自分の肌で感じた天候、気温、風などを記憶し、寝跡、足跡、エサ場などの場所と採食時間帯を自分の記憶と照らし合わせてみることも大切だ。
 シカを倒す。ナイフを取り出してシカの腹を裂く。その腹腔に凍えてかじかんだ両手を潜り込ませて温める。シカの最後のぬくもりが、痛いほどの熱さで両手にしみこんでくる。そのまま、しばしの間、じっとしている。最後のぬくもり、シカの生命のぬくもりの全部を両手にもらった。
 焚火であぶっていたシカの心臓を、焼けたところから、小さなナイフで切り取っては口に入れる。うまい。新鮮な心臓特有の、チリっとした鉄臭い味が口いっぱいに広がる。そして、空っぽの胃に気持ちよく落ちていく。
 うーん、なーるほどですね……。とても美味しそうですね。
 シカを倒した時、心臓と肺を引き出す。心臓は割って血を出し、あらかじめ踏み固めておいた雪の上に置く。このとき、柔らかな雪の上に置いてはいけない。まだ体温が残っていて、それが雪を溶かし、雪の中に埋もれてしまう。そうすると、十分に血が流れる前に凍ってしまい、ベチャベチャした感じになって味が悪くなる。
 雪の上に置いておいた肝臓の一片を少し切り、口に入れる。血の味といっしょに甘い味が口いっぱいに広がる。旨い。手負いで苦しんだり、興奮して死んだ獲物に比べて、苦痛や恐怖をほとんど感じることなく倒された動物の味は、いかにも旨い。
 そうなんですか……。
 寝袋にのって目を閉じると、手を凍りつかせたまま逃げたシカのことが思い出される。生きるということの凄さ、生きようと懸命に努力する姿を目の当たりにすること、それが猟の一番の魅力なのかもしれない。
 ヒグマに出会ったとき、注視するとヒグマもなんとなくこちらを見るので、あわてて目をそらす。できるだけ楽な姿勢で見るともなく半目にしていると、ヒグマもこちらを見ない。
 ヒグマを倒すと、仰向けにして山刀の峰で皮に筋目を入れてから、腹を裂き、内臓をとりだす。胆管を綿糸で縛ってから、胆のうを肝臓から切り離す。肺とすい臓はそばの木に掛け、他の動物に残す。胃と腸は、内容物を出して流れできれいに洗い、胆のう、肝臓とともにテントに持ち帰る。
 ヒグマを倒したとき、最後に、胸腔にたまってプリンのようになった血に、腸間膜を細かく切って混ぜあわせ、裏返して雪で洗った腸に詰め込み、ブラッドソーセージをつくる。それを塩ゆでにして食べる。食べるもののすべてが、すぐに血となり、エネルギーになって、身体の隅にまで浸みこんでいく。
 猟犬は、どんなに素質が良くても、主人の技量と心以上には育たない。猟犬を育てる側は、常に技と思考の向上を目指すことが必要となる。それを怠れば、素質のある犬ほど、自分の猟欲を満足させるために猟をするようになってしまう。
 犬の持っている能力を十分に引き出すためには、気を抜いてはならない。ほめるにしても、叱るにしても、いついかなるタイミングで行うのかを常に考えながら、注意深く、丹念に丹念に訓練を重ねて行く。素質のある犬ほど基礎訓練の覚えも早く、猟のたびに新たなことを覚え理解していく。
 猟犬にこれまで一人でやってきたヒグマ猟のことを話して聞かせる。猟犬に話して聞かせることは、大事な訓練の一つになる。
 山暮らしするうちに感覚が鋭くなって、いつの間にか時計も使わなくなった。陽の高さと、自分の体内時計とで、何も不自由を感じない。とりわけ聴覚と嗅覚が敏感になった。
 職業として狩猟を始めたころは、ヒグマに対する漠然とした恐怖と不安が、いつも頭の片隅にあった。攻撃することを決心したヒグマの恐ろしさは、半端なものではない。攻撃を決心するまでには時間がかかるが、一度決心を固めると、確実に攻撃に移り、焚火などがあっても、その攻撃を止めることはできない。
 猟で生活するのは、あまりお金にはならないが、なんとか食うことは出来る。いつも十分で腹いっぱいとはいえないが、食うものは常にうまいと感じ、ありがたいと思って食うことが出来る。雨、風、雪、寒さ、暑さ、すべてが備わった自然の中で、生きること、生きていることが肌で感じられる。
 すごい本です。思わず森の中にいる気分になって身構え、周囲を見回してしまいました。ありがとうございました。
 
(2009年8月刊。1700円+税)

謀略法廷(上・下)

カテゴリー:アメリカ

著者 ジョン・グリシャム、 出版 新潮文庫
 富めるものは、さらに富め。
 オビに書かれた文句です。日本もアメリカ型の超格差社会に突入しつつあります。ニッサンやソニーなどの取締役の平均年収が2億円という最近の新聞記事を読んで、私は愕然としました。派遣で働いている若者が月収20万円もいかず、派遣切りにあったら、たちまちネットカフェを泊まり歩くしかない状況を作り出す大企業の経営者は、月収2000万円というのです。この100倍もの格差は昔からあったものではありません。
 今度の選挙戦でも、高速道路の料金をタダにするか1000円にするかなんて不毛の議論がありましたが、派遣労働を一刻も早く止めさせることを争点にしてほしかったと切実に願います。
 それにしても、アメリカの金持ちと大企業は司法まで完全に支配しているのですね。
 この本は小説ですが、まったくハッピーエンドではありません。オビのとおり、富めるものがますます富んで、享楽の限りを尽くすのです。いやはや、そんな社会に未来はありません。しかしまあ、それを堂々と正面から問題にした小説が、アメリカで280万部も売れたというのですから、まだ救いはいくらかあるのでしょうね。
 日本で言うと、水俣病訴訟のような裁判が提起されます。地域住民に公害垂れ流しによる被害が発生して、加害企業を訴えたのです。原告代理人の弁護士たちは、その訴訟に全力投入したため、もはや破産寸前の状況に陥っています。銀行から多額の借金をしていて、それを支払えない状況なのです。
 しかし、陪審法廷は原告勝訴の判決を下しました。といっても、加害企業は直ちに控訴しますから、すぐにはお金は入ってきません。そして、加害企業は州の最高裁判事の構成を加害企業寄りに変更しようと企てます。そこに選挙ブローカーが介入して、選挙戦が始まります。アメリカでは、裁判官も選挙で選ばれるのです。
 州の最高裁判事の名前を一人も思い出せない住民が66%を占め、そもそも裁判官について有権者が投票によって選出していることを知らない住民が69%にのぼる。
 選挙で選ばれるのは、裁判官だけではない。道路管理局長、公共事業委員長、州出納局長、州保健農業委員長、郡の税務署長、監察医まで、みんな選挙の対象になる……。うひゃあ、す、すごいですね。
 その大企業は、裁判官の椅子をお金で買おうとしている。法廷が特殊利益団体にあやつられようとしている。これを避けるには、私的な献金をすべて排除して、選挙を公的な資金だけでおこなうようにするか、裁判官を指名制度に切り替えること。そもそも、裁判官になろうとする者が頭を下げて票を集めることを強いられるのが間違っている。
 死刑制度の廃止に賛成するか否か、ゲイ同士の結婚を認めるのか否か。こんなことが無理に争点とされて、無理やり候補者は踏み絵を踏まされます。
 そして、ダイレクトメール攻勢とテレビ宣伝攻勢にさらされるのです。そこでは、資金力の優劣が左右することになります。お金の力は、かくも偉大か、と思わせる選挙戦の結果でした。
日本の司法システムにも依然として大きな問題があります。裁判官をどこまで信頼できるか、ということです。しかし、本書のように直接選挙で選ぶシステムのなかで、お金の力でマスコミをうまく操作できたとしたら、大企業と金持ちのための司法でしかないということになります。そうなったら、虚しさいっぱいですよね……。アメリカの司法の問題点の一つを認識させられました。
サンモリッツへはチューリッヒから列車に乗っていきました。チューリッヒを9時半に出て、途中のクールで乗り換え、サンモリッツに昼過ぎに着きました。4時間かかったことになります。日本人のツアー客が同じ列車に乗っていたようで、ツアーコンダクターの引率で賑やかに話しながら駅前から去っていきました。若い日本人女性2人連れもいました。いずれも私とは別のホテルのようで、その後会うことはありませんでした。
ホテルは駅のすぐ近く。高台に見える大きなホテルです。ところが、スーツケースを引っ張りながら歩いて行くと、すぐ目の前に見えるのに、坂道の勾配がきついせいで、大変なのでした。
途中、高級そうなブティックの立ち並ぶ街並みを通ります。安っぽい土産品店は見当たりません。坂道を上りつめたところに泊まるホテル(クルム)があります。
あとでわかったのですが、急がばまわれというコースがあるのでした。駅からいったん湖側に出るのです。湖畔の道路を歩いてしばらく行くとエレベーターがあり、そこから地下駐車場内に入ります。すると、そこに大きくて長いエスカレーターがあるのです。そのエスカレーターに乗ると、なんと、目の前に高級ブティックの立ち並ぶところに出るのです。そこからホテルまではもうわずかなのです。
サンモリッツは、坂の多い街なのです。
 
(2009年7月刊。705円+税)

幻想の道州制

カテゴリー:社会

著者 加茂 利男・岡田 知弘 ほか、 出版 自治体研究社
 道州制の積極的導入によって九州経済は12%成長する。
 これは、九州財界のシンクタンクである九州経済調査協会のシミュレーションである。
 日本経団連の御手洗会長は、道州制の最大のメリットを次のように強調している。
 府県の廃止や国の出先機関の統廃合によって数兆円に及ぶ財源が浮き、これを国際空港・港湾・高速道路建設などの大規模プロジェクトの建設資金や、多国籍企業誘致の補助金にまわすことができる。
 ええーっ、これって、私たち国民にとって本当にメリットのあることでしょうか……?
 国家公務員のうち、6万6000人を地方に移管し、地方公務員3万2800人をリストラして民間に転出させ、総体として公務員を激減させる。そして、都道府県議会議員の数も半分ないし3分の1にまで減らす。
 道州制になると、一つの州は平均1000万人という巨大なものとなる。そこに「州民」という感覚が育つとは思えない。
そうですよね。九州はひとつというのは、単なる掛声みたいなものですから……。
 市町村合併によって役場がなくなった結果、その役場周辺の地域経済は一挙に衰退した。飲食店は閉店が相次ぎ、土木・建設業者も仕事がなくなり、次々に倒産していった。県庁がなくなることによって、より拡大した経済衰退が再現されるだろう。
 まことにそのとおりだと思います。
 道州制は、財界の古くからの悲願だった。実は、古く戦前の昭和2年(1927年)に最初の提案がなされている。地方自治が確立する前からのものだったとは知りませんでした。ただし、現在でも、東京をどうするか、中部を北陸と東海に二分するか、四国・中国はまとめるのか二分するか、まだ結論が出ていないところもある。
 平成の大合併の結果、1999年3月に3232市町村だったのが、2009年2月に1773市町村になった。町村だけで言うと、2562が998にまで減った。これをさらに、700~1000自治体にまで減らそうというのです。むちゃくちゃです。ところが、合併に反対すると守旧派みたいなレッテル貼りがされるのです。大きいことはいいことじゃないかというのです。でも、それは間違いだと思います。地方自治は身近だからこそ意味があるのです。
 知事会と違って、全国町村会は、道州制に強く反対していますが、私も同じ意見です。
 行政の距離が遠くなって、行政サービスが低下するというのが反対の理由です。
 国民健康保険、生活保護、福祉施設、保健所、児童相談所、教育、消費者行政、どれもこれも、地域密着型でこそ意味があるものばかりではありませんか。
 官僚バッシング(たたき)、公務員無用論、地方議員多すぎ論、私はいずれにも組みしません。前に紹介しましたが、北欧では福祉現場を担っているのは公務員です。身分保障がはっきりしているから、介護も医療も安心・安定しているのです。そこでは公務員が多すぎるという不満は出ていません。だって、自分の老後が安心できる体制が確立しているわけなんですから……。
 道州制論議のまやかしに乗せられないようにしましょう。
 わずか134頁の薄いブックレットですが、とても貴重な内容です。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

「羅生門」の誕生

カテゴリー:社会

著者 関口 安義、 出版 翰林書房
 日本の高校国語の教科書の全部に、芥川龍之介の小説『羅生門』が採用されているとのこと。すごいですね。まあ、それだけの内容のある小説ですよね。
 作品の完成度の高さ、文章表現の見事さ、ストーリーの奇抜さ、時代を見抜く洞察力、批評性が評価された結果であろう。なるほど、そうですよね。
 芥川龍之介は、1982年(明治25年)3月1日に生まれた。龍之介の養父は、なかなかの金満家であり、高額納税者名録にも名を連ねている。有能な金融マンであり、退職後の貯えも十分だった。
生母フクは龍之介を生んだ8ヶ月後に発狂したため、龍之介は母の実家に引き取られた。実際に養育したのは、フクの姉、芥川フキだった。
 龍之介は、1910年(明治43年)9月に第一高等学校(一高)に入学した。
 大逆事件が起こったのは、まさにこの明治43年5月25日のこと。大逆事件の判決は、翌年1月にあり、1週間後には幸徳秋水ら12人に対して死刑が執行された。さらに1週間後の2月1日、一高で開かれた弁論部主催の講演会において、徳富蘆花は「謀叛論」と題する講話をなした。蘆花は、このとき42歳。
 幸徳君は死んではいない。生きているのである。武蔵野の片隅に昼寝をむさぼる者をここに立たしめたではありませんか。圧政はダメである。自由を奪うのは生命を奪うのである。我々は生きなければならない。生きるために常に謀叛しなければならない。自己に対して、また、周囲に対して……。
 当時の一高生は、蘆花の演説を主体的に受け止めずにはいられなかった。「冬の時代」であったからである。龍之介も、蘆花の講演をきっと聞いていただろうと著者は推測しています。
 芥川龍之介は若い時から利己的で、「薄暗い諦念」を持った作家だと決めつけるのは、誤りである。
 龍之介の手紙によると、若き日には若き日なりの人間の持つ感情があった。そして、若き龍之介は、優秀で信頼できる多くの友人にめぐまれていた。ただし、龍之介は生母の愛を受けることはできなかった。そこで、女性への思いも屈折したところがあったようです。
 芥川龍之介は、自己の体験をストレートには決して表現しなかった。小説の本道は虚構にあるという堅い信念があった。いわゆる現実暴露の小説は無縁であり、やりきれない思いをひねりにひねって表現した。
 『羅生門』は、謀反を盛り込んだ小説である。『羅生門』を、はじめから自殺した作家の暗い陰鬱な作品だと考えてはならない。謀反の精神は、実は芥川龍之介を中学時代から魅了してやまないものであった。
 芥川龍之介は、決して時代や社会に無関心な青白きインテリ、か弱い芸術至上主義者ではなかった。若いときから、誠実に現実の問題を見つめ、それを作品世界に盛り込もうとした作家であった。よく読むと、『羅生門』には全編に熱気が漂っているのを感じ取れるはずである。
 うむむ、そう言われると、なんだかそんな気がしてきました……。
 龍之介の『羅生門』は、蘆花の『謀叛論』を媒介として、それまで秘めていたエネルギーが一気に爆発して成ったものなのである。
 むむむ、恐れ入りました。芥川龍之介の魅力がさらに深く掘り下げられていて、魅了されました。
 
(2009年5月刊。1800円+税)

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