法律相談センター検索 弁護士検索

ガサコ伝説

カテゴリー:社会

 著者 長田 美穂、 新潮社 出版 
 
 大学生のとき以来テレビを見る習慣のない私は、芸能情報にもまったく疎いのですが、もちろん山口百恵も森昌子も野口五郎も知っています。といって、彼らの歌を聴いたことはありません。私は歌謡曲は好きではないのです。そんな私でも、芸能界の内幕話を本で読むのは好きなのです。つまり、活字を通して何でも知りたいのです。
 『月刊平凡』という雑誌がかつてあった。私は読んだことが在りませんし、興味もありませんでしたが、一世を風靡した雑誌であったことは間違いありません。
 昭和20年代後半の発行部数は100万部。『月刊平凡』は1955年には141万部を記録した。それも常に完売していて、回し読みされていた。ええーっ、驚きますね。そう言えば、私も大学生時代、寮生活のなかでマンガ週刊誌の回し読みの恩恵にあずかっていました。いの一番に読むのをガマンすれば、やがてただで読めるのです。
 『月刊平凡』の編集担当としてガサコこと折笠光子は名を売っていた。そのガサコは、高卒で、アルバイトとして平凡出版に入社してスタートを切った。なんということでしょう・・・・。
 ガサコの父親は、新興宗教の神様だった。愛娘が芸能界に入りたいというのを許さなかった。勘当だと声を張りあげた。それでも粘る娘に負け、ついに二つの条件を出して認めた。
 一つ、女であることに甘えて泣き言をいうな。
 二つ、みんなに可愛がられる女の子になれ。
さすがは神様ですね。ガサコが平凡出版に入社したのは1960年。このころ、白黒テレビの普及率は44.7%だった。
坂本九を連れてきたのはガサコだった。あの九ちゃんもでしたか・・・・。
大スターに時間を割いてもらうためには、編集者もまた自分の時間を割いて、少しでも彼らのそばに身を置き、心を開いてもらう必要がある。スターも人間であり、編集者もまた人間だ。忙しい売れっこになればなるほど、スターの立場が編集者より強くなる。スターを前にすると、編集者は時に芸者になる覚悟を迫られる。
1960年の御三家とは、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の三人。そうですね。この三人は輝いていましたね。1968年にGSブームが到来すると、御三家は姿を消した。1971年、野口五郎、南沙織がデビューした。1970年代、『花の中三トリオ』は、森昌子、桜田淳子、山口百恵。『平凡』はガサコ。『明星』は篠山紀信の写真。
 『明星』はGSブームに乗った。逆に、『平凡』は、低速を続けた。
山口百恵は、デビュー前、森昌子の見習いとして、昌子の実家に下宿していた。ええっ、ウソでしょう・・・・。
 山口百恵は、別に正妻を持つ父親の子として生まれ、母の手一つで育てられた。家族を豊かにしたいと芸能界にはいった百恵は、最初からプロ根性の塊だった。なるほど、すごいものですね。そして芸能界から完全に姿を消してしまったのですから、偉いものです。
ガサコは、アイデアの冴えで売るタイプの編集者ではない。時間と体力をかけて相手から信頼を得て、何かと融通を利かせてもらう、人たらしタイプの編集者だった。だから、スケジュールだけおさえて、「どうしよう?」とカメラマンに相談し、撮影プランを決めることになる。
 ガサコは1997年8月、57歳で病死した。『平凡』は今や消え去ってしまった。
 日本の戦後史の一つのエピソードとして、大変面白く読み通しました。
 
(2010年8月刊。1600円+税)

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか

カテゴリー:社会

著者:羽根田治ほか、出版社:山と渓谷社
 大雪山系の旭岳からトムラウシ山へと縦走する4泊5日のプラン(15万2000円)は、ツアー登山を扱う会社にとって募集すれば、すぐに定員一杯となってしまう人気商品である。参加者15人だと総売り上げは228万円となる。諸経費を差し引いても利益率は悪くない。
 耐風姿勢は冬山登山に必須の技術であり、体ごと飛ばされそうな風が吹いているときは腰を屈めるようにして姿勢を低くし、踏ん張った両足と雪面に突き刺したピッケルの3点で体を保持するのが基本だ。そのとき、風に背中を向けるのではなく、風上側を向くのが正しいとされている。風の強弱を読みつつ、耐風姿勢と歩行を繰り返しながら前進していくのは、習得すべき冬山登山技術の一つである。
 低体温症の引き金の一つとなる“濡れ”をシャットアウトしたことが、低体温症に陥らずにすんだ大きな一因となった。ただし、参加者の装備に、これといった手落ちは認められない。防寒具にしろ雨具にしろ、誰もがしっかりしたものをひととおりは持っていた。しかし、それを十分に活用していたかどうかは別の話。
 低体温症とは、体温が35度以下に下がった病態。1912年4月に起きたタイタニック号の遭難事件の1500人をこえる死者の死因は、冷たい海水に浸ったための低体温症。このとき氷山の浮いた海水温は2度だった。1902年1月の八甲田山で青森連隊210人のうち199人が死亡したのも低体温症だった。
 人間の熱をつくる場所は、筋肉、とくに骨格筋にある。外気温が下がり続けると、身体の熱産生を増やさなければならないので、全身の筋肉を不随意に急速に収縮させて熱を作り出そうとする。これが、震えである。この筋肉の収縮エネルギーが熱になるが、体温の下降速度が早まれば、震えも大きくなっていく。身体の中心温度を一定に保ちたいから、身体表面温度を犠牲にしても脳や心臓などの内臓の温度は下げないようにする。
 登山行動中に低体温症になったときには、それを回復させる熱をつくるエネルギー(食料補給)が十分でなければ熱をつくることができず、低体温症は進行する。
 登山中の低体温症は、濡れ、低温、強風などを防ぐことが不十分なときには、行動してから5~6時間で発症し、早ければ2時間で死亡する。低体温症の症状が発症し、震えのくる34度の段階で何らかの回復措置をとらないと、この症状は進行して死に至る。34度の段階で震えが激しくなったころには、既に脳における酸素不足で判断能力が鈍くなっている。
 低体温症の症状は、早期から脳障害を発症する。運動機能、言語、精神状態が症状として現れやすいのでその段階で的確な手当てをしないと、以後、急激に症状は悪化する。
 初日から遭難当日までの栄養摂取は決して十分なものではなかった。中高年登山者は若い人より荷物の軽量化のため、持つ食料の量が少ない。
 悪天候時の行動には、多くのエネルギーを消費するため、晴天時よりご飯・パンなどの炭水化物をとる必要がある。軽量化を重視したインスタント食品はカロリーが少なく、強風に耐えるだけの運動エネルギーと低体温に対する熱エネルギーになるだけのものがなかった。防寒・暴風対策の装備以前に、この問題が低体温症の第一の要因になった。
 体温を下げる最大の要素は「風」である。当時、風速25メートルだった。過去の低体温症による遭難例に共通しているのは、強風下での行動である。
 ペットボトルや水筒のお湯で湯たんぽをつくり、脇の下や股間部を温めることが必要である。身体をさすったくらいでは足りない。熱源が必要なのである。体温を上げるには、温風が最適である。
 正しい対処法は、できるだけ着衣を多くしたうえで、じっとしていること。本件では避難小屋へ戻るか、早めにビバークすべきだった。
 ツアー登山の実情、そして低体温症の怖さがよく分かる本でした。私もハイキング程度ではありますが、たまに山に登りますので、関心をもっていた事故でした。大変参考になる本です。
(2010年8月刊。1600円+税)

ミミズの話

カテゴリー:生物

 著者 エイミィ・スチュワート、 飛鳥新社 出版
 
 日曜大工ならぬ、日曜ガーデナーの私にとって、日曜日の午後からの庭いじりは無上の喜びです。買った当時は石ころだらけだった庭も、今ではふかふか黒々とした土で覆われています。EMボカシを利用した生ごみ処理の産物をたくさん混ぜこんでいますので、ミミズも大発生します。ですから、モグラもいますし、それを狙ってでしょうか、ヘビも庭に棲みついています。モグラと顔を合わせることは滅多にありませんが、ヘビのほうは年に何回か出会ってしまい、お互いすぐにこそこそと逃げ隠れします。今までのところ、最近のクマのような被害に、は遭っていませんが、蛇にだけ噛まれたくはありませんよ・・・・。
 ミミズを手にしたときぬるぬるしたものを感じる。これは、ミミズがストレスを受けたときに出す粘液である。うへーっ、ミミズもストレスを感じるのですか・・・・。
1エーカーの土地に、ダーウィンは5万匹以上のミミズがいるとしたが、今日では100万匹と推計されている。ナイル川流域のミミズは、1エーカーあたり1000トンにもなる糞を堆積し、エジプトの農地を驚くほど肥沃な土地にするのに貢献している。土壌の表層10センチは、毎年、ミミズの消化管を通過する。
シマミミズの寿命は2~3年。シマミミズが1年間に産む卵包の数は10数個から数百個とされている。通常は、1個の卵包から2、3匹の幼ミミズが生まれる。
 地下で起きていることの大部分の鍵を握っているのはミミズである。ミミズがちっぽけでか弱い生きものだなんて、とんでもない。実は、ミミズの領分である地下の世界では、ミミズは最大級の生きもの。言ってみれば、ゾウ、クジラ、巨大なのである。
 ミミズは土壌圏の微小動物によって引き起こされる寄生虫性の細菌の病気にかかることはほとんどない。これって、考えてみたら不思議なことですよね。
 ミミズが恐れるのは、鳥、モグラ、マウス、ラットといった動物である。
ミミズは皮膚で呼吸し、眠らない。ミミズにも原始的な脳がある。
ミミズは生殖器近くにある短くて頑丈な剛毛を使い、交接相手をしっかりと捕らえあう。さらに、ねばねばの粘液を多量に分泌することによって、お互いの身体を固定しやすくする。ミミズの交接の完了には数時間かかるが、この間、ミミズは周囲の環境にまったく無頓着になる。ミミズの性的欲望は光の恐怖をしばらく忘れさせるほどに強い。うむむ、なんとなんと、これには恐れ入り屋の鬼子母神ですよ。
 ミミズは体節を30回も40回も切断されても、なお再生することができる。頭部、中央部、尾部をそれぞれ別のミミズから取ってきて、その順に縫合すると、1匹のミミズになる。
 ふえーっ、こ、これって、まるでロボットではありませんか・・・・。驚きましたね。
ミミズのからだの全長にわたって、各体節に潜在的な生殖細胞が存在しているおかげで、生殖器官を完全に切除しても、また再生させることが可能なのである。
ミミズにも好き嫌いがある。オレンジやタマネギの皮はミミズは絶対に口をつけない。
 森にミミズが入ってくると、ハタネズミやトガリネズミがいなくなって、マウスが増えてくる。ミミズのせいで、地表性の鳥や動物が森から追い出されてしまう。
高窒素の化学肥料はミミズにとって、きわめて有害である。だから、ゴルフ場に使用すると、芝生は青々とするし、大ミミズは死んでくれて、一石二鳥である・・・・。
 土壌の撹乱ほどミミズが嫌うことはない。不耕起栽培はミミズを元気に活動させる。
ミミズは、土壌中の物質を何でも取り込んでしまう驚くべき能力を備えている。高濃度のDDTを体内組織に取り込んでもなお生きていられる。ところが、そんなミミズの特性によって、ミミズを食べた小鳥が被害にあった。ミミズは住環境に、なかなかうるさい。
ミミズという身近な生き物を多角的な視点から捉えた面白い本です。
 
(2010年月刊。1700円+税)
今月はフランス語検定試験(仏検)を受けます(準1級)ので、目下、過去問を見直しているところです。語学は日々やっていないとすぐに忘却の彼方へ散っていきます。毎朝、仏作文、聞きとり(ディクテ)そして音読をしています。ボケ防止には最高です。

深海のとっても変わった生きもの

カテゴリー:生物

 著者 藤原 義弘、 幻冬舎 出版 
 
 海の底に、こんなにも変わった色と形をした魚たちが棲んでいるのかと、びっくり驚天です。たとえば、水深270メートルの海底に生きるベニハゼは、暗いはずなのに、派手なピンク色でアピールしています。
 海底に沈んだクジラの骨の中には、ホネクイハナムシ、エビやカニ、ホシムシその他の生き物たちの棲み家になっている。海底のクジラの骨には、小さなクリスマスのようにツリガネムシがまとわりついている。クジラの遺骸は、生物の少ない深海では、大変なごちそうなのだ。スタウナギ、カニが肉を食べ、骨はホネクイハナムシ、ヒラノマクラなどが利用するなど、たくさんの生命を支えている。
長いアシをもつムンナは、まるで地上のカマキリ。長い手足は、カマキリが海底を歩いているとしか思えません。
 海底には、猛毒の硫化水素を含み、300度にもなる熱水噴出効孔がある。そこに、なんと多くの生物が寄り集まっている。アルビンガイもその一つ。
 深海では、赤い光が届きにくいため、赤いものは黒く見える。だから、赤い色をした生き物が多い。赤は深海では目立たない。
とっても奇妙な形をしていて、不思議な色をしている生き物が、こんなに深海の海底でうごめいて生きているとは、まったくの驚きです。
 どうやって撮ったのかしらん、と思うような傑作の深海底生物の写真集です。
 どうぞ、あなたも手にとって眺めてみて下さい。楽しい写真集ですよ。
 
(2010年6月刊。1300円+税)

鉄砲を手放さなかった百姓たち

カテゴリー:日本史(江戸)

 著者 武井 弘一、 朝日新聞出版 
 
 秀吉以来の刀狩によって、百章は刀も鉄砲も何もかも武器というものをまったく持たなくなったという常識は間違いである。
 のっけにこんな事実が摘示されて驚かされます。
 刀狩は、まさに刀を取りあげたのです。なぜなら、刀は武士身分を表像するものだったからです。そして、江戸時代の百姓は大量の鉄砲を手にしていました。
江戸幕府は時として鉄砲改めを実施していた。しかし、そのとき百姓から鉄砲を取りあげたわけではない。百姓の鉄砲は没収されずに、そのまま所持することが認められた。
ところで、百姓のもっていた鉄砲が、たとえば一揆のときに人間に向けて殺傷するために使われたことはない。それは武器としてではなく、音をたてる鳴物として使用された。そして、百姓一揆のとき、領主が百姓に向けて鉄砲を使うこともなかった。そんなことをすれば、たちまち支配の正当性を失うからである。すなわち、領主と百姓のあいだには、鉄砲不使用の原則があった。
 うへーっ、そうだったんですか・・・・。これって、まったく知りませんでした・・・・。
 ところが、一揆にアウトローが参加するようになってくると、様相が異なる。
 アウトローは、土地を失う百姓が増え、村が荒廃したからこそ生まれでてきた。
 百姓にとって鉄砲は、アウトロー対策そして、イノシシなどの「害獣」対策に必要なるものとして使われたのでした。  
 百姓は鉄砲を村全体の管理下において、その使用を規制していた。百姓は鉄砲が武器となることを自制していた。だからこそ、当局は村に管理をまかせることができた。
 害獣を防ぐための、数ある方法のなかから最適な道具として、百姓みずから鉄砲を選んだ。農具としての鉄砲が村の管理下におかれて広まり、害獣を防ぐために百姓が手にして使い続けた。
 日本人の若者が若いときから人を殺すための銃を持たされることもないのは大変幸せなことなのですよね。これを平和ボケなどと言ってほしくはありません。
(2010年6月刊。1300円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.