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カテゴリー: 日本史(中世)

日本商人の源流

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 佐々木 銀弥 、 出版 ちくま学芸文庫
 1981年に初版が出た本が文庫の形で再刊されました。類書が少ないからのようです。
 店(見世。みせ)、行商、市場、相場、為替、切手など、商取引に関わる基本的な用語は中世を初見年代とするものが多い。商人という言葉自体も、中世に入って国内の商人をさす語として急速に一般化し、定着したとのこと。なので、日本商人の源流は中世に求められる。
 博多は、かつて大宰府の外港として、鴻臚(こうろ)館を中心とした使節送迎、貿易の歴史をもっていた。中世に入っても、朝鮮半島そして大陸との貿易の拠点として繁栄を続けた。
 宋から帰化した多くの商人が住み、日宗通交にともなう禅僧の渡来によって、多くの禅寺が建立された。そして、その関係の禅僧たちが続々と朝鮮におもむいた。
 15世紀、博多の商人。宋金一行は、瀬戸内海で海賊に襲われたとき、東賊なるもの一人を七貫文の身代金で買って、自分たちの船に乗せ、西賊の襲撃を免れた。
 京都などの都市で土倉(どそう)と酒屋は、もっとも裕福な、いわゆる有徳人層を形成している。
 酒屋は、自分で醸造した酒を直接その店頭で売り出していた。
 当時の酒屋は都市を問わず、もっとも担税能力のある富裕にして、都市商人の中心をなす有力商人が多く、いわゆる有徳人層の中心的な存在をなしていた。
 16世紀の天文年間には、洛中に六人百姓塩座があって、専売権を行使していた。そのうちの一人が塩座の権利を娘に譲って営業させていると、他の座衆から、この譲渡は座衆の承認を得ていない非法行為なので無効だと幕府に訴え出た。座が合議制にもとづいて運営されていたことが分かる。
 私が小学1年生のとき、父が47歳で脱サラを図って、小売酒屋を始めました。サラリーマンの給料では5人の子どもを大学にやるのは難しいからということです。それまで、小さな企業体の専務をしていた父は、小売酒屋の主人になっても客に「いっらっしゃい」と頭をさげることができませんでした。子どもながら、ちゃんと客に頭を下げて「いらっしゃい」と言って迎えたらいいのになと私は見ていました。父は、少なくとも初めのうちは、焼酎を立ち飲みするような、一部の客を見下していたのではなかったかと思います。
 私の姉たちはサラリーマン家庭の娘として育ちましたが、私は小売商人の息子として育ったので、ほんの少しだけ感覚が違います。この感覚の違いは私が弁護士になってから役に立っていると私は考えています。やはり、商人の感覚というものがあるのだと私は実感しているのです。
(2022年6月刊。税込1210円)

日本商人の源流、中世の商人たち

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 佐々木 銀弥 、 出版 ちくま学芸文庫
 江戸時代の「士農工商」というコトバが職業の序列としてとらえられ、商売人は最下位に置かれていたというのは、今では間違いだとされています。といっても、そのことを私が知ったのは、それほど昔のことではありません。
 商売人がお金を扱うからといって、最下位の身分に置かれるなんて、考えられないことだと思います。「ヴェニスの商人」に登場するユダヤ人の商人がさげすみの」対象でしかなかったとは、私には信じられません。
 日本の中世商人は、著名な神社に所属し、奉仕するという神人身分であり、神威を背景とする特権をほしいままにしていた。
 これこそが中世当初の現実だったと私も思います。お金の力は今も昔も偉大なのです。
 高野聖(こうやひじり)とは、平安時代中期以降、厭世、隠遁(いんとん)の徒が高野山を修行の地とし、ここを根拠として全国を遊行・勧進して歩いた僧。中世後期からは、背に笈(きゅう)を負い、念仏を唱え、鉦鼓をたたいて布教して歩くかたわら、笈の中に呉服を詰め込んで、それを売り歩くようになった。この行商のため聖身分をふりかざし、声高に宿泊を強制するようになり、人々から「宿借聖」として忌み嫌われるようになった。そこで、高野聖は信仰面における人々の信頼を失い、統一権力者の信長や秀吉からは一種の無頼の徒とみなされた。
 12世紀前半に成立した『今昔(こんじゃく)物語集』には、伊勢に行商する京都の水銀商人たちの話がのっている。水銀は、化粧用白粉(おしろい)製造の原料だった。
 15世紀の商人は為替(かわせ)を振出していた。京都下りの商人は、京都との恒常的往来と取引によって形成された信用関係を背景にして、為替を振出すことによって現金を調達して、手広く仕入れることができた。
 全国各地の特産物を扱った行商は莫大な利潤をもたらした。その反面、常に命をかけた危険な旅でもあった。そのため、座と掟書が生まれた。
 旅の途中で出くわした山賊・海賊とは、話し合いで決着させた。
 鎌倉では、大町・小町・米町など都市化した地域に居住するものを町人といい、それ以外のものを商人と呼んで区別していた。
 室町時代から、店舗を示すコトバには「棚」から「店」に変わった。
 借金を帳消しとする徳政令について、商人の多くは債務破棄を申請しなかった。徳政令のあとの融資の可能性を保持するのを優先したことになる。
 京都では、土倉(どそう)と酒屋は一体とみなされていた。都市において土倉と酒屋は、もっとも富裕な、いわゆる有徳人層を形成していた。
 いつだって、したたかに生きてきた、日本の中世の商人の実像に迫った貴重な本だと思います。
(2022年6月刊。税込1210円)

奈良絵本・絵巻

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 石川 透 、 出版 平凡社選書
 この本の冒頭に書かれていて、あっと驚いたのは、『ガリバー旅行記』に日本の絵本の影響が認められるということです。
 『ガリバー旅行記』は、イギリスの作家スウィフトが1726年に刊行したものです。私は原文を全文読んだ覚えはなく、ダイジェスト版の絵本を読んだと思います。でも、そこに、こびとの島や巨人の島、さらには馬人の島、天空の島が登場してくるのは覚えがあります。
 ところが、御伽草子(おとぎぞうし)の一つである『御曹司島渡(おんぞうし、しまわたり)』という、源義経が兵法書を求めて、さまざまな島を訪れるというストーリー展開の絵本があり、そこにこびとの島、背高島、馬人の島が登場するというのです。日本の絵本のほうが『ガリバー旅行記』より100年古い。いったい、これは、どういうこと…?
 スウィフトは、イギリスで駐オランダ英国大使の秘書をしていて、大使の遺品整理をしている。もちろん、オランダは江戸時代の日本と長崎・出島を通じて交流があった。そのなかに日本の絵本が含まれていた可能性は大いにある。そして、文章は読めなくても、絵を見るだけでストーリー展開は理解できる。空中の島も絵本の中にあり、スウィフトは最後に「日本」を登場させていることから、恐らく間違いないだろう。
 驚きましたね。日本の浮世絵がヨーロッパの絵画に大きな衝撃を与えていたことは知っていましたが、それよりもっと早い時期にも、日本の絵本がイギリスに伝わっていたとは…。
 奈良絵本とか絵巻というから、奈良時代か奈良地方でつくられたものかというと、いずれも間違い。奈良絵本・絵巻とは、17世紀を中心として、主として京都で製作された絵本・絵巻のこと。印刷ではなく、すべて手作り。豪華に彩色されていることが多い。その作者として、浅井了意がいるが、居初綱(いそめ)つなという女流絵本作家もいる。
 このあと、私たちがよく知っている昔話が、実は、昔はストーリーの結末が大きく異なっていることが、いくつも紹介されています。
 「浦島太郎」では、子どもが亀をいじめる場面はなく、浦島太郎は乙姫と結婚している。そして、太郎は船で蓬莱の島へ向かう。息のできない海中を進むような非科学的なシーンはない。なーるほど、そうだったんですね…。
 『鶴の草子』は「鶴の恩返し」のもとになった御伽草子だけど、室町時代から江戸時代にかけては、機織(はたお)りをするのは鶴ではなく、蛤(はまぐり)だった。
 『桃太郎』のもとになった『瓜子(うりこ)姫』では、日本の古い時代において円形状ないし卵状のものから誕生するのは、圧倒的に女子が多い。瓜から生まれた瓜子姫は、その代表的な存在。
 かぐや姫は、竹から誕生するのではなく、その多くは鶯(ウグイス)の卵から誕生する。そして、かぐや姫は月に帰るのではなく、富士山へ帰っていくのが多い。
 いやあ、知らないことばかりでした。物語って、こんなに内容が変遷していくのですね…。
(2022年7月刊。税込3960円)

徳政令

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 笠松 宏至 、 出版 講談社学術文庫
鎌倉時代の13世紀末(1297年)、「永仁の徳政令」が発布された。いったい、徳政令とは何か、実際にどのような効力(効果)をもっていたのかを追及した本です。
鎌倉時代にも、もちろん裁判所はあったわけで、この本では、幕府の京都出先機関である六波羅で裁判が進行しています。このとき、依拠すべき幕府の法令が実在することを、裁判の当事者が立証しなければいけなかったという、今ではとても信じられない指摘がなされています。幕府が自分で出した法令について、当事者の立証にまかせていたというのです。ひどい話ではないでしょうか…。
通常の幕府の法は、全国に散在する御家人ひとり一人に伝達されるシステムはもっていなかった。民は由らしむべし、なんですよね…。
幕府の裁判は、徹底して当事者主義を原則とし、証拠も自ら提出したものがすべてだった。この永仁徳政令には、次のような条文があります。
「金につまると前後の見さかいなく、借金を重ねるのが世の通例であり、金持ちが利子でますます潤うのに反し、貧乏人はますます困窮していく。今後は、債権者からの債権取り立てについての訴訟は、一切受理しない。たとえ債権安堵(あんど)の下知状を添えて訴えても同じである」
当時の利息は月5~7%が普通になっていた。
田地の売買があったとき、代金の一部が未払いなら、徳政令によって、田地は売主に売却された。そして、残る未払金については、売主の債権は保護されない。
中世の田地や宅地の書い手や売り手に、女性の登場する割合が大きいことは前から注目されている。
永仁の徳政令には、所領面に限定された、スケールの小さいものだった。にもかかわらず、社会に与えたインパクトは強烈だった。永仁の徳政令の本質は、「もとへもどる」という現象にすぎない。ええっ、何ということでしょう…。
よく分からないなりに、徳政令なるものをいろいろ考えさせられた本として紹介します。1983年の岩波新書の再刊本のようです。
(2022年3月刊。税込1100円)

都鄙(とひ)大乱

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 髙橋 昌明 、 出版 岩波書店
この本は、平安時代末期の源平合戦のころの日本を対象としています。とても勉強になりました。知らないことが次々に出てきて、朝からずっと裁判のあいまに読みふけって、夕方までに完読しました。
本書は、治承4(1180)年5月の以仁王(もちひとおう)の乱から元暦2(1185)年3月の壇ノ浦合戦での平氏滅亡までの、足かけ6年にわたって続いた、鎌倉時代成立に至るまでの戦乱の時代を扱っている。
そのなかで、義経のひよどりごえの戦いも、軍紀物語の話だとされています。
治承・寿永の内乱と呼ばれるのは、この戦乱が単なる源平の戦いに解消されない、激動と創造の時代であったことによる。貴族化し、腰ぬけ武士になったために負け続ける平家(へいけ)と、質実剛健で死をも恐れ東国の武士という、紋切り型の対比は必ずしも正しいと言えないこと。このことが、この本を読むと、よく分かりました。
まずは、平清盛など平家が権力を独占的に握ったことが戦乱を招いて、ついには平家滅亡に至ったという分析・指摘に驚かされました。
クーデターで権力を独占した結果、支配層内部での平家の孤立は深刻なものになった。
また、知行国や荘園を大量に集積し、自らの政治的・経済的基盤としたことは、全国の公領・荘園が生みだし、当時、深刻化しつつあった、中央と地方間の社会的・政治的な対立を、支配層内部で平家がまったく孤立したまま、一手に引っかぶることを意味していた。つまり、本来なら王家や摂関家などに向けられるべき当然の怨(うら)みが、相手を変えて平家に向けられるという皮肉な結果になった。
だからこそ、以仁王が平家打倒を呼びかけたとき、反乱は燎原の火のごとく日本全国に広がった。この内乱は源氏と平家の争覇という次元にとどまらず、広く社会矛盾の激発という本質をもっていた。
平清盛には福原に遷都する強い意欲があったが、以仁王の乱の衝撃から、準備不十分のまま急いで遷都が実行に移された。これが結果として平家を自ら孤立に追い込み、反平家の気運をさらに高めた。
このころ、日本は、西日本を中心として大旱魃(かんばつ)に襲われていて、深刻さが増していた。平家は兵糧米の調達に苦しみ、大軍を動かすことができなかった。
源氏と平氏という氏(うじ)の違いは、この内乱での敵と味方を分ける原因とはなっていない。たとえば、頼朝のもとに結集した関東の家人たちのほとんどは桓武平氏の末流であって、坂東八平氏と、平姓を名乗っていた。
このころ、「駆(かけ)武者(むしゃ)」という言葉があった。平家と日常的な主従関係を結んでいる武士ではなく、国衙(こくが)の力によって駆り集められた地方の武者たち。かれらにとって、戦(いく)さは、稼ぎの機会でしかなかった。これは、平家の軍隊の特色ではなく、平安時代には普通に行われた兵力動員方式だった。
平家軍の侍大将は、大将軍のもとで、その兵を預かり、実戦の指揮をする武将たちをさす。平家軍が大軍化するとき、一門を構成する名家とその御家人集団を単位としながらの連合という形をとる(とらざるをえない)。しかも、全軍を統率する真の意味での最高司令官は存在しない。大将軍と呼ばれていても、他家に所属する御家人への直接指揮は原則として、ありえなかった。
源義経の有名な「ヒヨドリ越えの逆落し」は、実は多田行綱をリーダーとする摂津武士たちによるもの。義経は平家討滅には大功があった。しかし、三種の神器のうち宝剣を回収することができず、安徳天皇を死なせてしまった…。
義経の、あざやかな指揮の連続は、範頼に率いられて、半年ものあいだ、山陽道や九州で戦った人にとって義経は怨嗟(えんさ)の対象ともなった。そこで、義経の進退は、今や、鎌倉勢力と後白河院とのあいだの政治的な綱引きの焦点になった。
源平合戦について、歴史上の豊富な史料にもとづく、目を見張る解説のオンパレードでした。
(2021年9月刊。税込3080円)

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