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カテゴリー: 人間

よみかき心得帖

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 平井 久義 、 出版 (有)知可舎
モノカキを自称する私ですが、日本語の文章は主語のないのを特徴とすると教えられたのは、今から30年ほど前のことでした。弁護士になって十数年たっていましたし、準備書面をはじめとして文章を書くことは多かったわけですが、文章というのは主語があって述語があって論理的に書くものだと思い込んでいました。なので文章を書くときには真っ先に主語を明らかにするのは当然のことでした。ところが、古来より、日本の文章は主語がなく、その主語を忖度(そんたく)しながら読み解いていくことに面白みと深みがあるというのです。
なので、私は、裁判官に向けた準備書面では必ず主語を明記しますが、その他のレポートや紀行文などでは極力、主語を省略するようになりました(省略しています)。では、本書です。
行きつけの飲食店の看板に「定休日は月曜日です」と書いてあると、むむむ、なんか変だと思う。ところが、店内に入ってお品書きの脇に「定休日は月曜日です」と書いてあったら、違和感がない。この違いは何か、どこから来るものなのか…。この店に入ったこともない、通りがかりの人にとって、「は」というのは抵抗がある。そうでなくて、すでに店内に足を踏み込んだ客にとっては、また来ようかなという気があれば、休みはいつなのか知りたくなる。そんなときは「定休日は…」と書かれていると、気持ちにぴったりくる。ふむふむ、なるほど、ですね。
文章はつないで読むものである。文章は、すべてを言い尽くすことはできない。書き手が省(はぶ)いているところがある。このときは、書き手の意識にそいながら読み手は想像力を働かせて補(おぎな)いながら読まなければいけない。これを「潜在判断を補う」という。
題述関係とは何か…。
「オレは女だ」
「ワタシは男よ」
この二つの文章は、一見すると奇妙だが、「キミの子どもは男か女か」と問われたときの答えだったら、文法的にも正しく、まちがってはいない。つまり、「オレは」、「ワタシは」は、主語ではなく、題目。さきほどの短文は、「オレ」と「ワタシ」に限って、主語のようであって、いわゆる述語ではないので、題目と答えの関係で題述関係と名づけている。
「雪が溶けたら、何になる?」
このなぞなぞの答えは、「春になる」。これも「雪が溶けたら」までは題目。
2017年10月、同じ中学校(岡大付属中)の卒業生(1977年卒29期)が、国語科の恩師・平井久義先生による特別授業を受けました。参加者13人で、3時間の授業。この授業での教師と生徒(卒表性)の問答のさわりが再現されています。このとき平井先生は81歳で、生徒たちは55歳前後。生徒の一人に則武透弁護士(現在の岡山弁護士会長で、中学校時代には生徒会長をつとめた)がいます。
平井先生は、重層構造図なるものを編み出し、授業で展開した。
重層構造図とは何か…。時間的、線条的に進行する一次元的表現を空間的、絵画的に展開する二次元的表現に移しかえた構造体であり、その構成要素は、段落ごとにまとめらえた「問いと答え」からなる要旨である。
「問いは何ですか」、「答えは何ですか」、「答えの中のどの言葉から次の問いが生まれますか」と言葉で表す。言葉で表さなくては文脈はとらえられない。
重層構造図のメリットは、正しく読んでいるかどうかが検証できる点にある。
生徒の一人は、こう喝破した。「重層構造図とは、文章の設計図なんだ」。平井先生は、文章は、有機的重層的構造をなすものであって、重層構造図化することができるという。
中学教師が生徒たちに情熱をもって国語教育をすると、それは大人になった生徒たちの心と頭、そして文章を紡ぎ出す手を豊かなものにしてくれるということを実証した本だと思いました。
文章を分かりやすく書くための二つの心得。その一は、言葉の順序を意識する。その二は、長い文は分割する。
このような素晴らしい本にめぐりあうことができたことをモノカキの一人として大変うれしく思いました。則武先生、ありがとうございました。
(2019年7月刊。非売品)

どうしても頑張れない人たち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 宮口 幸治 、 出版 新潮新書
「がんばれ。がんばれば、きっと報われる」
よく聞くセリフですよね。私も言った、いえ言っていたかもしれません。
でも、世の中には、そもそもがんばれない人たち、怠けてしまう人たちがいる。その現実をきちんとみて、そんな言葉を切り捨ててしまうのではなく、本当の支援、手を差しのべる必要があるのではないか…、本書で著者の言いたいことは、ここにあります。
子どものころから、何度も何度も挫折を味わい、既にやる気を失っていて、もうがんばれない、そんな人は少なくない。がんばれないのは認知機能の弱さだけが理由ではない。
4つの欲求。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求ないし所属と愛の欲求、承認の欲求。この上に最終段階である自己実現の欲求がある。非行少年たちの家庭環境は恵まれていないことが多く、これら4つの欲求の土台が満たされていないことはしばしばだ。
がんばってもできない人、がんばれない人に「やればできる」と声をかけるだけなら、彼らの心を傷つけるだけのことではないか…。「もし、あなたが頑張ったら応援します」
これは、あなたががんばらないのなら支援はしない、支援金○○円を差し上げることはない。本当にそれでいいのか…。がんばらないとがんばれないの違いは大きい。でも、外見から判断できないことも少なくない。
本当に支援な人たちとは、実は、私たちがあまり支援したくないと感じる人たち。
では、「がんばらなくてもいいんだよ」と誘いかける行為はどうだろうか…。しかし、安易な言葉かけは、場合によっては無責任であり、課題を先送りさせ、教員を困らせてしまうかもしれない…。誰だって、みんなと同じようにできるようにはなりたい…。中途半端な声かけは、逆に彼らを追い詰めてしまうことがある。
がんばる、がんばれるを支える3つの基本がある。その一は、安心の土台、その二は伴走者、第三のチャレンジできる環境とは、自己評価を上げるには、他者から評価されることが絶対に必要。達成感も自信も、成し遂げたことへの周囲からの承認があってはじめて成り立つ。決して成し遂げたこと自体からではない。しっかり承認の言葉をかけてやる。それが、やる気につながっていく。
何でもないことをいくらほめても非行少年たちの心には響かない。しかし、彼らが一生懸命やったことに対しては、心からの感謝の一言だけで響く。
子どもたちが求めているのは、生きづらく困っているときに支えてくれる「安心の土台」、「チャレンジしたい時代に守ってくれる伴走者」なのだ。
支援者には笑顔とホスピタリティが求められる。
『ケーキの切れない非行少年たち』の続編のつもりのようです。いま、しっかり読むべき本だと思いました。
(2021年5月刊。税込792円)

一度きりの大泉の話

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 萩尾 望都 、 出版 河出書房新社
1970年から2年間ほど、東京都練馬区大泉の2階家で竹宮恵子と共同生活していたころのことを振り返った本です。
大泉の共同生活を解散したあと、著者は竹宮恵子とはまったく没交渉となり、その作品も全然よんでいないとのこと。なぜか…。
「あなたは、私の作品を盗作したのではないのか?」
「あなたは男子寄宿舎ものを描いているが、少年愛を知らないあなたの作品は偽物(ニセモノ)だ。偽物を見せられると、気分が悪くてザワザワするの」
「書棚の本を読んでほしくない」
「スケッチブックを見てほしくない」
そして、3日後…。
「このあいだの話はすべて忘れてほしい。全部、何も、なかったことにしてほしい」
なるほど、こう言われてしまったら、もう竹宮恵子の作品は読まないという著者の決断は理解できますよね。
この話は、前提として、竹宮恵子は少年愛、つまり少年同士の同性愛に関心があり、それを題材にしたマンガを描いていたことにありますが、これに対して、著者は、少年愛は理解できず、テーマとしていないのです。
著者は、両親とのあいだで激しい葛藤をかかえていました。
「あんたは買い物もできないの」
「あんたはダメ」
これは母親のコトバ。父親は「女には学問はいらない。生意気になるから」と言った。
大牟田で三井の社員だったようです。両親は、マンガを描く仕事をくだらない、恥ずかしいものと思っていた。著者が親と一緒に生活していたときは、親の機嫌をうかがいながら、ビクビクしてマンガを描いていた。何かで親の機嫌を損ねると、親は怒りに血相を変えてすぐにマンガ禁止を言い出した。
著者は大牟田出身。三川鉱大災害が起きた1963(昭和38)年11月9日は、船津中学(「舟」ではありません。14頁)校の2年生で文化祭の準備をしていた。私は、隣の延命中学校3年生でした。土曜日の午後でしたが、何かテストを受けていた記憶があります。ドーンという大音響がしたので3階から外を見ると校舎の遠くに黒煙が見えました。
実は、私の母と著者の母親は福岡女専の同窓生で、著者の母親は我が家によく顔を出していました。私が小学生のころだと思います。なんので、よく顔を覚えていました。大人になった著者の顔写真を見て、「あれっ、お母さん、そっくりだ…」と、つい叫んでしまったほどでした。
竹宮恵子は1950年生まれ、著者は1949年生まれ。同じ学年です。でも、竹宮恵子は先にマンガ家として活躍していました。
著者は竹宮恵子の才能を認めていて、高く評価しています。
青空のような明るさ、いつも前向き、心が伸びやか。
竹宮恵子は著者に嫉妬したのではないか…。そこには排他的独占愛があったのでは…。
著者は無自覚に、無神経に竹宮恵子を苦しめていた…。なので、思い出したくない、忘れて封印しておきたい。
いやあ、才能ある人々の人間関係というのも大変なんですよね…。思わず引き込まれた本でした。
(2021年5月刊。税込1980円)

脳の大統一理論

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 乾 敏郎、阪口 豊 、 出版 岩波科学ライブラリー
脳は、ヘルムホルツの自由エネルギーを最小化するように推論する。これが自由エネルギー原理。そんなことを言われても、まったく何のことやら理解できません。というか想像すらできません。
「家に帰ると、窓ガラスが割れていた」という状況で、人間は、「どのような原因か」だけでなく、「それぞれの原因がどの程度、ありそうか」もあわせて推論している。
最近のスマホのカメラは2000万画素以上の画素数を有している。高級なカメラのほうは1億個以上の画素数を有している。
予測が安定していれば、精度が高い予測信号であるといえる。感覚信号と予測信号の精度のバランスをうまく操作することが、脳が環境を理解するうえで重要な意味をもっている。
脳は外環境だけでなく、自分の身体内部(内環境)に対しても、同じように「知覚」し、また、「働きかけ」ている。脳は、内臓や血管の状態をコントロールすると同時に、それらの状態を把握している。血管や内臓は自分の身体の一部ではあるが、脳からみれば環境の一つなのだ。
自分で自分の体をくすぐっても、くすぐったく感じないのは、自分がくすぐるときは、くすぐったことで引き起こされる皮膚からの触覚信号が神経系の内部で抑制されるから。
大脳皮質は1.5~4.5ミリメートルの厚さをもつ。その内部は、第1層から第6層までの6層構造をしていて、層内と層間の結合を経て、多数の神経細胞がネットワークを構成している。
1000人に1人がかかるパーキンソン病は、ドーパミンの欠乏によって引き起こされると考えられている。この病気にかかると、運動を意図的に実行できなくなるだけでなく、行動計画や問題解決、注意の移動や切り替えなどの機能が低下する。さらに、無気力、不安などが見られ、目標志向行動の低下や興味の喪失も生じる。モチベーションの欠如として捉えられる。
パーティーで急にスピーチを頼まれたとき、心臓の鼓動が早まるのは、実際のスピーチするときになってホメオスタシスに大きな乱れが起きないように、前もってホメオスタシスの設定値を変更する仕組みがあるため。感情は、内臓状態(隠れ状態)の知覚と、その内臓反応をもたらした(隠れ)原因についての相論という二つの要因によって決定される。
統合失調症では、知覚においても感覚減衰が低下する。統合失調症患者は身体を簡単に動かせる状況なのに、一定期間、同じ姿をとり続ける。
統合失調症患者は、事前の信念のみに従った、現実から乖離(かいり)した知覚や認知を得るため、幻覚や妄想をもつことになる。
赤ちゃんは、自分の期待に反するものを長い時間、注視するという経験則がある。
私たちは、環境との相互作用を通じてエントロピーを一定の範囲内に抑えることにより、ホメオスタシスを維持し、生存している。
そして、内受容感覚を通じて内環境を相論し、精度の最適化を通じて自身の状態を感じ、世界の中での自身の存在を感じることができる。
デカルトの「我思う、故に我あり」というよりむしろ、「我あるが故に我思う」なのだ。
脳についての難しい話が満載の新書です。読んで分かったつもりになったところだけを紹介しました。
(2021年3月刊。税込1540円)

しゃにむに写真家

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 吉田 亮人 、 出版 亜紀書房
これは面白い。読ませます。私は何の期待もせず、車中で読みはじめました。ところが、なんとなんと、ええっ、そ、そんなことを奥さんから言われて写真家を志(こころざ)しただなんて…。信じられない展開が次から次に登場してきて、まったく目が離せません。車内放送もまったく耳に入らないうちに終点となりました。いやはや、とんだ経過と修行の結果、ついに立派な写真家になったのですね…。
写真家になる前は小学校の教員、5年目でした。奥様も同じ仕事。その奥方が、夫に向かってのたまわった。言葉は次のとおり。
「この家に公務員は2人もいらん。1人でいい。だから、あなたは教員やめて」
ええっ、なぜ…。
「自分の手で自らの人生を切り拓いて、道をつくっていってる姿を子どもに見せるのが親の役目…」
ふむふむ、なるほど、それで…。
「私は安定の道を進むから、あなたはいばらの道を行って。そして荒波を突き進んでいって、私と子どもに、その先に見つけた新しい風景を見せてほしい。父親って、そういう姿を子どもに見せるべきなんだから…」
ええっ、これって本当に言われたの…。信じられなーい。
夫として、父として、一人の人間として、この一度きりの人生をどう全うするのかという大きな命題を妻からいきなり突きつけられた。さあ、どうする…。
一晩寝て、翌日、著者は教員をやめると妻に告げ、妻はそれを受け入れた。では、何をやるのか…。思いつきのようにして写真家になることになった、のです。
それを知って、著者の父が宮崎から京都へやってきた。断乎反対、息子の転職を食いとめようと思って…。ところが、妻が夫の父に断乎として応対した。
「私たちはこう生きていくって決めたので、それを暖かく見守ってもらえませんか」
夫の父は、もちろん承知しない。
「あんたたちの人生はオレたちの人生でもあるとぞ」
「私たちの人生は、おとうさんの人生ではないです。私たちがどう生きようと、誰も口出しできる権利はありません。これ以上、何も口出ししないでください。うまくいかなかったら、私に見る目がなかったと思いますし、恥ずかしい思いも甘んじて受け入れます。何もせず、ただ、見守ってやってください。それが親の役目だと私は思います」
ドラマのセリフでも、こんな見事なタンカを私は聞いたことがありません。思わず、息を呑むほどのすごさです。そして、著者は妻のタンカに発破をかけられ一念発起して、一路、写真家へ成長をたどる…。なんてことはありません。それはありえないことです。それほど職業家としての写真家になることが甘い道であるはずがありません。でも、ともかく著者は現場に通い続けたのです。もちろん、奥様の支えがあってのことです…。
とりあえず著者は、2010年8月から2ヶ月間、インドを自転車で走破する旅に出ました。これまた、すごい、すごすぎます…。しかし、辛い日々でした。途中で、著者が唱えた呪文は、なんと…。「もう帰りたい、日本に帰りたい、今すぐ帰りたい」
そう言いながら、一本道を毎日70キロから100キロも自転車で走ったのでした。よく身体がもちましたね。そして無事でしたね…。
自分で発案した旅なので、誰も責められない。自分を徹底的に恨んだ…。ところが、人との出会いで、元気をとり戻してもいくのです。行く先々で人々から親切にしてもらったというのですから、よほど著者の人柄がいいのでしょうね…。
途中で、インドの染織工芸品をつくる工場に入っていった。そこの労働者たちは、こう言った。
「仕事を楽しいと思ったことはない。大変だと思ったこともない。嫌だと思ったこともない。なぜなら、これは神から与えられた仕事だから。オレたちは、それをやるだけなんだ…」
うむむ、しびれますよね、このセリフ…。
日本でカメラマンとして仕事を始めたころ、著者をつかってくれた人がこう言った。
「今日、ずっとキミの仕事を見ていたけれど、正直ものすごく不安だった。頼んだ側に現場で不安をいだかせるようなカメラマンではダメだよ。キミには仕事が来ないと思うよ」
いやあ、きつい言葉ですね。著者の頭が真っ白になったそうですが、当然ですよね…。
カメラマンの腕というのは、撮影技術はもちろんのこと、撮影現場を主体的に回し、雰囲気をつくり、適格に撮影していく能力にあらわれる。雰囲気をつくるだけでなく、商品そのものやモデルそしてセットも細やかな気配りをしながら、現場全体を冷静に把握する能力が必要だし、クライアントや政策チームに対してより良い提案をする積極性、そして臨機応変さも必要。そのどれをも的確に丁寧にやってのけてこそ、はじめて信頼してもらえる。なーるほど、プロとはそういうものなんですよね…。
写真は誰でも撮れる。でも、写真は誰でもは写せない。「写す」ためには、自分の中にある、自分だけの情熱が必要。カメラという道具を何も考えずに使えるようになるころ、新しい表現が生まれる。最初は広く見る。そして、そこから深く潜ることが大切。
バングラデシュのレンガ工場で働く労働者の写真の迫力は、まさしく圧倒的です。その目つきの鋭さには言葉を失ってしまいます。写真家になるというのが、本当に大変なことなんだっていうことがよくよく分かる本です。
もしも、疲れたなっていう気持ちに浸っていたら、ぜひ読んでみてください。何かが、きっと得られると思います。
(2021年2月刊。税込1760円)

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