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カテゴリー: 人間

生きる力、絵本の力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 柳田 邦男 、 出版 岩波書店
 孫たちが来たら、絵本を読んでやるのが私の楽しみです。一番直近は「ダンプ園長やっつけた」でした。「どろぼう学校」(かこさとし)は私のお気に入りの一つです。福井県にある「かこさとし美術館」には、ぜひ行ってみたいと考えています。
 「コルチャック先生」とう絵本があるそうです。知りませんでした。コルチャックは26歳のとき医師(軍医)として、日露戦争に従軍して満洲の地にやってきていたとのこと。ポーランド人のコルチャックは、ポーランドがロシア領だったことから、軍医として召集されたのでした。そこで、戦争の現実をコルチャックは知ります。戦争はしてはならないものだと確信したのです。
 30歳台になったコルチャック医師は、ユダヤ人やポーランド人の孤児たちの施設をつくった。ここでは、子どもたちの可能性を引き出し伸ばすために完全な自治制だった。子どもたちが自分たちで議会を開き、法律に相当する規則をつくり、裁判所まで設けた。そのなかでコルチャックが強調したのは、許すという寛容の精神の大切さだった。
 ふむむ、なんだかすごいことですね。まったく私の発想にありませんでした。
 そして、ナチスが子どもたちをゲットーから強制収容所へ連れ出すとき、コルチャックだけは助かる機会があったのに(この本では脱走する方法があったとされています。当局も対象から除外しようとしたという説もあります)。ところが、コルチャックは、子どもたちの信頼を裏切るわけにはいかない、不安に陥れることはできないとして、自分だけ助かることは拒絶したのでした。そして、コルチャックは、子どもたちの命を救うことはできなかったが、最後の最後まで、子どもたちの不安や恐怖を少しでもやわらげようと、そばから離れなかった。
 いやあ、すごいことですよね。私には、とても出来ません。人間って、こんなことが出来る人もいるんですね。信じられません。涙が止まりませんでした…。
 大人は子どもが言葉で表現することができないと、何も分かっていないと決めつけてしまう。しかし、子どもは言葉による表現力がまだ十分に発達していないだけであって、分かっていないのとは違う。感覚的には、生きることや生命に関わる大事なことは分かっているのだ。
 孫たちに接していると、自分の子のときと違って、少し距離を置いて客観的に眺める(観察する)ことができますので、人間の発達過程がよく見えてきます。子どもは自分本位で、わがままな存在ですが、差別されることは敏感です。ちょっとした違いにもすぐに反応します。そのとき、年齢(とし)や男女の違いは問題になりません。あくまで一個(ひとり)の人間として、自分が大切にされていると感じられるか否かが判断基準になります。その鋭い感覚には呆れてしまうほどです。
 この本には、子どもをほめることの大切さが強調されています。大人だって、ほめられたらうれしいものです。子どもは大人以上でしょう。
 子どもなのだから、失敗するのは当たり前。それよりも、「ちょっとだけ」の成功を見落とさず、しっかりとほめてあげるのが大切。そのとおりです。
 子どもは叱られてばかりいると、どんどん自己肯定感をもてなくなり、粗暴になったり、逆に引きこもったりして、素直に自己表現することができなくなる。子どもを見ていると、その親の子への接し方が分かる。弁護士として、依頼者に接したとき、ああ、この人は子どものとき、人間は信頼できるという安心感をもつことができないまま大人になったんだなと実感させられる人が少なくありません。
 著者は「絵本は人生に三度」と言ってきた。一度目は、自分が子どものとき。二度目は、子どもを育てるとき。三度目は、とくに人生後半になったときや思い病気なったとき。三度目は、私のように幸いにも孫がいるときをふくむのでしょうね。
 絵本は子どもだけのためではなく、大人のためでもあることを気づかされる本でした。
(2014年1月刊。税込1650円)

鷗外追想

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 宗像 和重 、 出版 岩波文庫
 明治の文豪・森鷗外が亡くなったあと、故人を偲んだ文章がまとまっている文庫本です。
 鷗外という人の性格と生活の様子が分かります。
 鷗外は、淡泊な野菜類、ナス、カボチャ、サツマイモを好んだ。
 とりわけサツマイモが好物で、砂糖をつけて食べた。
 晩年には、料理屋のものは一切食べなかった。
 本をたくさん買ったが、値切ることはしなかった。著者の苦労を思えば、そんなことはできないと言った。
 服装は1年中、軍服で通すことが多かった。
 留学してからは風呂に入ることなく、朝夕2回、桶1杯の湯と水を入れたのと穴のあいたバケツを2個そろえて、頭の先から足の先まで拭い清めた。
 タバコをすい、葉巻を愛用したが、晩年にじん肺になってからはやめた。
 酒は飲まなかった。
 日清戦争に従軍したあと、台湾へまわされ、そのあと東京ではなく、小倉師団に転任を命じられた。これは明らかに左遷であり、本人も「隠流」という雅号を名乗って、自分の心境を表明した。
 鷗外は、相撲を好んだ。
 鷗外も妻も、最初の結婚に失敗した同志だった。
 医者でありながら、自らは医者にかかりたくなかったようです。60歳で亡くなったのも、そのせいではないでしょうか…。
(2022年5月刊。税込1100円)

東北の山と渓(Ⅱ)

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ総合法律事務所
1996年から2018年まで、著者が東北の山々にわけ入って岩魚(いわな)釣りをした紀行文がまとめられています。いやはや、岩魚釣りが、ときにこれほど過酷な山行になるとは…。
 降り続く大雨のなか、道なき藪(やぶ)の中を標高差500メートルをはい上れるか、幅広い稜線に濃霧がかかって見通しがきかないときに目的とする下り尾根の起点を正しく把握することができるか、三人の体力がもつか、などなど心配は山積み。でも、より危険のひそむ沢筋を下るより、このルートしかない。
 夕食は、昨夜までと一転して酒もなし、おかずもなし、インスタントラーメンをすするだけ。
 源流で釣りをしていて夕立に見舞われ、雨具を忘れたので、Tシャツ姿でびしょ濡れになった。雨に打たれながらカレーを待っているとき、空腹と体温低下のために悪寒が走り、歯があわないほど、がたがた震える状態になった。
 カレーが各自にコッフェルに盛りつけられたので、待ってましたとばかり口にしようとしたら、先輩から叱責された。みんな同じ状況にあるのだから、自分だけ抜け駆けしたらだめ、苦しいからこそ、みんなを思いやり、相手を先にする姿勢が必要。それが苦楽を共にする仲間というものだ。こんこんと説教された。そして、三人で、そろって「いただきます」をして、カレーを食べた。
 いやはや、良き先輩をもったものですね。まったく、そのとおりですよね。でも、なかなか実行するのは難しいことでしょう。
 午前5時、藪に突入して、藪こぎ開始。枝尾根とおぼしき急勾配を登りはじめる。足下にはでこぼこの石があり、倒木があり、ツタがはう。足がとられ、ザックの重さによろめく。背丈(せたけ)をこえる草木からシャワーのように雨しずくが顔を襲う。
 予想をこえて悪条件の藪こぎに体力が消耗し、1時間半、果敢に先頭でがんばった先輩がばてた。昨夜、インスタントラーメンしか食べていないことから、糖分が枯渇しまったのだ。頼みのつなは、昨夜つくったおにぎり6個だけ。いつ着けるか、何があるか分からないので、おにぎり1個を3つに割って、3人で口に入れる。精一杯かんで味わい、胃袋に送る。こんなささやかな朝食だったが、さすがは銀舎利。へたった身体に力がよみがえった。
 よく見ると、ブナの幹に細い流れができている。コップを流れに差し出し、たまった水を飲み、喉をうるおし、あめ玉をほおばった。
 午後1時半、ついに廃道と化している山道にたどり着いた。やれやれ、残しておいたおにぎり2個を3人で分け、ウィスキーを滝水で割って乾杯。
 なんとまあ、壮絶な山行きでしょうか…。軟弱な私なんか、とても山行なんかできません。
 それにしても著者は、こんな詳細な山行記をいつ書いたのでしょうか…。帰りの車中から書きはじめ、家に着いたら、ひと休みするまでも書き終えたのではないでしょうか…。それほど迫真的な山行記です。くれぐれも本当に遭難などしないようにお願いします。
 この冊子は、奥様の中野耀子さんの素敵な絵が随所にあって冊子の品格を高めています。また、先輩弁護士である大森剛三郎さん、岡村新宜さんを偲ぶ冊子にもなっています。
 つい行ってみたくなる、ほれぼれする、写真集でもあります。贈呈、ありがとうございます。
(2022年7月刊。非売品)

寅さんの「日本」を歩く

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 岡村 直樹 、 出版 天夢人
 私の周囲にいる若い人たちの中に映画「男はつらいよ」をみたことのない人が多いので、驚くと同時に悲しいです。
 私は大学生のころから映画をみはじめ、司法試験受験勉強では、「寅さん」映画の笑いに救われていました。弁護士になり、子どもたちが少し大きくなってからは、家族みんなで見に行くのが楽しみでした。
 そんな「寅さん」役の渥美清が亡くなったのは1996年8月4日。68歳でした。もう26年も前のことなんですね。でも、映画「お帰り、寅さん」は2019年12月に公開でした。すごいことですよね、主人公はとっくに亡くなって新しい演技はないのに、ついそこにいるかのようにして、映画をつくりあげるのですからね。まことに山田洋次監督の天才的な技(わざ)には心から感服します。
 そして、50作も続いたギネスブック級のシリーズものをよく見ると、日本社会の移り変わりがよくよく見えてくるのですよね。その一つの例が、列車です。
 いま、国鉄が分割民営化されてJRとなり、地方の不採算線が次々に廃止されて、地元の人々が困っています。大都会のもうけを地方の不採算線にまわして何が悪いのでしょうか…。なんでも効率至上主義が日本を住みにくくしてしまっています。
 そして、寅さんも若いし、女優さんたちもピチピチ輝いていますよね。ああ、もう一度、こんな若いころに戻りたい。そんな白昼夢にふけることもできるのが「寅さん」の映画です。
 日本全国のちょっとひなびた観光地が次々に登場しているのも魅力です。そして、それが今と違って、本当にうるおいの感じられる風景なんです…。よく出来た、カラー写真が満載の「寅さん」本です。
(2022年6月刊。税込1980円)

「小倉寛太郎さんに聞く」

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 小倉 寛太郎 、 出版 全日本民医連共済組合
 『沈まぬ太陽』(山崎豊子。新潮社)の主人公である恩地元(はじめ)のモデルである小倉(おぐら)寛太郎(ひろたろう)氏が今から20年以上も前、2000年ころに話したものをテープ起こしした、40頁ほどの小冊子です。
書庫を断捨離しつつ整理していたら、ひょっこり出てきました。『沈まぬ太陽』は本当に傑作です。いかなる苦難・困難にも耐えて、不屈にがんばり続ける主人公の恩地元には、大いに励まされます。まだ読んでいない人は、ぜひぜひ、私から騙されたと思って、明日からでも読んでみてください。決して後悔することはないと断言します。
 私は第1巻を1999年8月28日に読了し、完結編の第5巻を9月15日に読み終えました。速読をモットーとする私が5冊を読むのに珍しく2週間以上もかけたのは、あまりに素晴らしく、泣けてきて、読みすすめるほどに胸が熱くなるので、読み飛ばすなんて、もったいなくて出来なかったからです。それは今でもよく覚えています(少し前に読んだ、アメリカの本『ザリガニの鳴くところ』もそうでした・・・)。
 小倉さんとは、私も一度だけ会って挨拶させていただきました。大阪の石川元也弁護士の同級生だというので、日弁連会館2階「クレオ」でのパーティーのときでした。いかにも古武士然とした風格を感じました。
 「私も辞めたくなるときがあった。でも、私が辞めると喜ぶ奴がいるし、反対に悲しむ者がいる。そして、私が喜ばしたくない奴が喜び、悲しませたくない者が悲しむのだったら、やはり辞めないほうがいい」
 「子どもに知られて困るようなこと、子どもに見られて困るようなことはしたくないと思った」
 「何も特別のことはしていない。ただ、愚痴ってもしょうがない。こそこそ陰で恨んでもしょうがない。そして、どんな所へ行っても、胸はって、そこの土地のもとを糧(かて)にしていけばいい」
 「次の世代のためにも、自分があとで考えて後ろめたく思うような心の傷をもってはいけない」
 「余裕とユーモアと、ふてぶてしさとで生きていかなければいけない。とくに働く者は、ふてぶてしくなければいけない。転んでもただでは起きない。何か拾って、立ち上がったという生き方、そんな生き方を伸び伸びとしたい。いつも悲壮な顔をしていたら、ほかの人はついていきようがない」
 「人間に必要なのは冷静(クール)な頭脳と温かい心(ハート)だ」
 「JALに来るような東大卒はクズかキズものだ。頭がよくて人柄もいい。そんな人間はJALには来ない。JALには頭は良いけれど、人柄が良くないのが来ることが多い。一番困るのは、頭の悪さを人柄の悪さで補うという者。こんな人間が、けっこう世の中にいる」
 いやあ、さすが苦労した人のコトバは重みがありますよね。
 小倉さんはナイロビ支店長に飛ばされたあと、1976年に、戸川幸夫、田中光常、羽仁進、渥美清、小原英雄、増井光子、岩合光昭の諸氏らと「サバンナクラブ」を結成しています。また、8年間のナイロビ勤務を通じて、アフリカのケニアやウガンダ、タンザニアなどの国の首脳陣とも親密な交流をしたのでした。まことに偉大な民間交流です。
 20年以上も前の、わずか40冊ほどの小冊子ですが、ひととき私の心を温めてくれました。
 (2022年3月刊。非売品)

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