(霧山昴)
エイミー・スタンリー みすず書房
これはすごい本です。アメリカ人の学者(女性)が江戸時代末期に生きた名もない庶民の女性の生活を、その書き残した130点ほどの書状をもとに再現していった本です。よくぞこれだけの書状が残されたものだと感嘆しますし、それを学者とはいえ、背景の時代状況を踏まえて再現、解読していくのですから、面白くないわけがありません。それほど書状が残ったのは、実家がお寺だったことも大きいと思います。
越後国石神村のお寺(林泉寺)の住職の娘として常野(つねの)は生まれた(1804(文化1)年春に)。常野は折々に実家へ手紙を送ったが、受け取った父親と兄弟たちは、その手紙を全部、文庫箱に納めて大切に保存した。今は、新潟県立文書館に納められている。
常野は越後の林泉寺を出奔し、江戸で女中奉公を重ね、江戸に定着した。
常野が亡くなったのは1853年5月13日。ペリーが江戸に出現したころのこと。
常野の最後の夫となった博助の主人は江戸町奉行・遠山景元(金四郎)でした。常野はそれまでに三度結婚しているが、申し出を断った相手の男性は5人いる。江戸時代は、結婚も離婚も今よりは簡単だったようですし、再婚も十分可能だったのです。夫に甲斐性がないとみれば、女性はさっさと愛想を尽かして離婚していました。
常野が三度の結婚に失敗したということは、つまるところ従順なタイプではないことを表わす。
越後での結婚にはそれなりにお金がかかっています。婿の実家は、嫁入り支援用に15両を嫁側に渡していますし、結婚式には庶民が23人もやってきて、6斗の酒を空けたようだ。鯨肉1キロ、大きな豆腐8丁、そして漬けたりゆでたりした大根を客たちはたいらげた。
常野の一番初めの結婚は13歳のとき。新郎は大石田にあるお寺だったようです。15年を辛抱して離婚し、いったん実家に戻った。
新潟での江戸時代の農村の生活、そして江戸へ出てからの女中奉公の実情が手紙文の紹介とあわせて詳しく語られています。とても勉強になりました。やはり、日本の女性は江戸時代もたくましく生き抜いていたのです。
この本には、武陽隠士の『世事見聞録』が紹介されていますが、私はあわせて明治時代に熊本の農村に入って実情を紹介した「須恵村の女たち」を思い出しました。
面白い本なので広く読まれてほしいと思います。ご一読ください。
(2026年3月刊、3740円)


