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カテゴリー: ヨーロッパ

スウェーデンはなぜ強いのか

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 北岡 孝義、 PHP新書 出版 
 
 スウェーデンは不思議な国である。国民の幸福感は、日本よりはるかに高い。税金の高い国なのに、国民からの反発は小さい。スウェーデンの国民は勤勉であり、労働生産性も日本より高い。福祉が行き届いた国なら、国民はやる気を起こさないはずなのにそうはなっていない。
 国民の政治への参加意識は高く、4年に一度の国政選挙の投票率は、常に8割を超えている。実にうらやましいですね。日本は良くて6割、下手すると半分以下の4割の投票率という低迷ぶりです。これでは日本は良くなりませんよね。あきらめていたら、いつまでたっても政治はいい方へは変わりません。ところが、今の日本は議員を減らせの大合唱ばかりです。マスコミも大きく唱道しています。国会も地方議会も、どんどん議員を減らせというのです。少数異(意)見の尊重どころじゃありません。そして、公務員の人数を減らせ、その給料が高すぎるというばかりです。いやになってしまいます。大企業の経営者が何億円というべらぼうな報酬をもらっていても、まったく問題にはしないのです。おかしな話です。
オンブズマン制度は、スウェーデンでは国営である。これまた驚きですよね。
 教育や医療サービスの分野で、スウェーデンは市場の機能は使われない。原則として、学校や病院は公立か国立であり、政府が運営している。スウェーデンでは、ながく社会主義政権が政権をにぎってきた。しかし、同時に国王をいただいてもきた。しかも、その国王の先祖はフランス人なのだ。ナポレオン配下のフランス人ベルナドッテ将軍が、時のスウェーデン政府に頼まれ、カール14世としてスウェーデン王国として即位した。いやはや、なんと・・・・。
 スウェーデンは、1995年にEUに加盟したが、ユーロは導入していない。
 スウェーデンの消費税は25%。医療費は、20歳以下なら原則として無料。20歳をこえても年間の医療費は上限で1万2000円。これはタダ同然ですね。教育費も原則として大学はもちろん、大学院まで無料。そのうえ、月額1万3000円の児童手当、託児所の無料化がある。
 スウェーデンの福祉は、育児、教育、医療、老人介護は、原則として個人の負担ではなく、国の負担であるという理念にもとづいている。スウェーデンでは女性が働くことが奨励されている。そのため、ソフトとハードの両面の政策が実行された。ソフト面では、女性が社会で働くことはいいことだという徹底した意識改革をすすめた。ハード面では、女性の就業を支援するための経済支援、環境整備である。なーるほど、そうなんです。日本でも少子化対策が必要だというのですから、この二つが欠かせません。
 現在のスウェーデン社会では、離婚は普通のことであり、男女の同棲、母子家庭、父子家庭、片親の異なる兄弟・姉妹はまったく一般的な現象である。スウェーデンの子どもは、このような家庭環境で育つ。だから、個性が強く、精神的に自立心の強い大人に育つのは、しごく当然のことである。うむうむ、そういうことなんですか、なるほどですね。
 スウェーデンという国を知ることによって、日本社会の変革の方向、目指すべき道も明らかになると思いました。
 
(2010年8月刊。0円+税)

ギリシャ危機の真実

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 藤原 章生、 毎日新聞社 出版 
 
 ギリシャには行ったことがありません。パンテノン神殿とか、一度は行ってみたいと思ってはいるのですが、少しは言葉の分かるフランスにどうしても魅かれてしまいます。
 それでも、先の選挙のとき日本がギリシャのようになってはいけないというキャンペーンが自民党や財界筋から出てきましたので、ギリシャの国の実情を知りたいと思って読んだのでした。この本を読んでギリシャの国の一端が少し分かった気になりました。ギリシャって、日本とはかなり異なった国家と国民性がある。つくづくそう思ったことです。
 まず第一に、ギリシャの公務員の総数を政府も把握しきれていないというのです。これには驚きというより、呆れてしまいました。
 公務員は選挙のたびに増え、2009年は2000年に比べて3割増の114万人になった。これは労働人口の21%、雇用者の3分の1に及ぶ。ところが、これは推計であって、実数は政府もつかめていない。
 新たな政権ができると、閣僚の顧問や局長職は総入れ替えになり、閣僚や次官などの政治化が好きなように身内や友人などをそのポストに就ける。このときに臨時雇用だったはずが、いつのまにか正規雇用になっていて、政権が交代しても解雇されない。
官僚の給料は安いので、副業にいそしむ人は多い。これは民間企業でも同じこと。無税で働く非公式のお金、闇経済の社会がギリシャにはある。
 そして、ギリシャの総計はまったく信用できない。実に怪しい数字をもとに算出されたマクロ経済の総計だけでこの国の実態は語れない。
ギリシャでは、政治すなわち公職を得る手段だと思われてきた。特権層に集中していた悪習を、パパンドレウ父首相は、左派の庶民にまで広げてしまった。ギリシャでは縁故主義が根強い。
ギリシャ共産党の得票数は1割でしかなく、議会政治のなかでは、決して主流になれない。しかし、ギリシャでは共産党員は孤立しておらず、庶民の中にふかく浸透している。
 ギリシャ共産党は、庶民の目から見れば、訳の分からないこと、実現しそうもない理想をうたう人々である。しかし、困ったときに、また自分が国の犠牲になったときには親身に相談に乗ってくれる相手である。
 共産党の古臭いスタイルのデモに、ごく一般の穏健な人々から極左まで参加している。そこには、レジスタンスを率いながら、戦後いい目にあえなかった被害者としての歴史がからんでいる。ギリシャ共産党は、主流のプレーヤーにはなれないが、庶民を動かし、世界に国のイメージを植えつける社会の一つのツールとしては機能している。
ギリシャ人は現状にすぐ慣れる。そして変化には強い。今回の危機など、長い歴史の中でみると大したことはない。周りが騒ぎ過ぎているだけ。
 何を言われようと、どれだけ困ろうと、頑固にギリシャ人は生活スタイルを変えようとしない。ギリシャ人は、したたかで図太い。ギリシャ人は、ドイツ人のようなあくせくした生活を嫌っているようです。でも、決して怠けを好んでいるのではありません。だって、2つも3つも副業して働いているのですからね・・・・。世界はなかなか広いですよね。
 
(2010年8月刊。952円+税)

私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー、出版社:文芸春秋
 大変貴重な労作だと思いました。今の日本にも、たとえば北朝鮮に先制攻撃しろと勇ましく叫ぶ人は少なくないわけですが、実際に戦争になったときに何が起きるのか、想像力が欠けているように思われます。この本は、子どもとして戦争の悲惨さを体験した手記が集められています。それも、対立する陣営に所属する子どもたちが書いていますので、実によく置かれた深刻な状況が分かります。今の日本で、一人でも多くの人に読んでほしいものだと私は思いました。
 手記といっても、立派な個人日記帳に書いた子だけでなく、読んだ本の余白にびっしり書き込んだ子もいるのです。そして、戦時下に飢え死にした子、特攻隊になって海のもくずと消えてしまった青年など、手記を書いた子が戦後まで生き残ったとは限らないのです。
 たとえば、ナチス・ドイツのイデオロギーに心酔していた子どもが次第に厳しい現実に直面させられていく様子。ナチスの残虐な支配の下でレジスタンスに身を挺する子どもの生活。この本は、それら両面から紹介していますので、人間社会の複雑さを理解する一助にもなります。
 18歳の東大生(一高生)は、12月8日の開戦日の翌日、次のように日記にしるしました。
 どうも皆のように戦勝のニュースに有頂天になれない。何か不安な気持ちと、一つは戦後どうなるのか、資本主義がどうなるかも気になる。友人は戦争が始まってサッパリしたというが、とてもそんな気持ちにはなれない(8月9日)。
 戦争?戦争が何だ。そんなものにうつつをぬかすから、犠牲者が出るのだ。人間、戦争なんかに精力をつかうほど馬鹿げたことはない。
 現在、皇恩の下にこの帝国に生活して豊かに生きることのできる僕は、御召とあれば赴くことを否むものではないし、戦争などに押しつぶされるほど弱い心ではないつもりだ。しかし、僕は断固として反戦論者として自らを主張する。戦争を除くことに努力するつもりだ(12月15日)。
 すごいですね。こんなことを日記に書いていたのですね・・・。
 今日、戦争についてパパと話した。この状況では、ドイツは戦争に勝てない。この事実を直視しようとしないのは、弱さの表れというものだろう。
 もうドイツに勝ち目はないとだれもが思っている。パパは、敗戦がそんなに絶望的なことだとは考えていない。アメリカの監督の下、ドイツは西側諸国によって共和国につくり変えられるだろうとパパは信じている。パパもママも平和になることだけを望んでいる  (1944年1月2日)。
 だけど、ドイツがアメリカの家来になるのだろう。それくらいなら死んだほうがましではないか・・・。本当に、この戦争は、とてつもなく無意味で狂っている。ドイツ人がすでに敗北を確信しているのに、前線ではまだみんなが殺されているのだから。それでも脅えているのは、あの狂ったヒトラーの意思の深さが予見できるのだからだ。ヒトラーは、自分自身の国の将来に対して、あまりに無責任だ(1944年7月25日)。
 ああ、神よ。あなたは、どうして許しておられるのですか? やつらは神は常に中立の立場におられるなどと言うのを。
 私たちを破滅させようとする者たちになぜ天罰をおくだしにならないのですか?
 私たちが罪人で、彼らが正しい者たちなのですか?
 それが真実なのですか?
 あなたは聡明なお方ですから、そうではないことぐらい、きっとわかっておられるはずです。私たちは罪人ではなく、彼らは決してメシア(救世主)ではないことぐらい!
(1944年8月)。
 これは氏名不詳の少年の最期の言葉です。
 1944年8月6日、ナチス・ドイツは最後のユダヤ人の強制移送を始めた。6万7千人あまりの青年男女がアウシュヴィッツに送られ、半数以上はガス室に直行させられた。この少年の日記は、終戦後に発見されたものです。
 1945年4月12日。ベルリンのみんなが自分の意見をあけすけに口にしていることには、まったく驚いてしまう。ほとんどが反ナチスの意見だ。ゲシュタポの恐怖にもかかわらず、もう誰もが意見を言うことを恐れていない。他人を密告する人間は、もう一人もいないからだ。そんなことをしたら、あとでアメリカ軍かソ連軍に捕まって処刑される、と誰もが思っている。
 ただ、理解できないことは、それならどうしてドイツ人は、ナチスの圧政にもっと前から抵抗しなかったのか、ということだ。単に親衛隊が怖かったからだろうか。ドイツ国民は臆病者ばかりなのだろうか。きっとそうなのだろう。ドイツ国民がこれほど無神経になったのは、空襲の恐怖のせいもあるかもしれない。今では、誰もがナチスを憎み、ナチスの支配が終わってくれたらと願っている(1945年4月12日)。
 ナチス・ドイツに加担した子ども、その被害にあったユダヤ人やポーランドの子どもたち、日本人で反戦思想の持ち主でありながら、特攻隊員となって戦死した大学生。さまざまな子どもと青年の手記によって戦争の残酷さが身にしみて伝わってきます。
 一人でも多くの人に読んでもらいたい本です。
 あとがきに、戦争中にも、実に多彩な青春があり、思春期があった。戦時下で大人になるとはどういうことなのか、読者は、あの戦争の意味を多面的にとらえることができるという指摘があります。まったく同感です。
(2010年8月刊。1900円+税)

カチンの森

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ヴィクトル・ザスラフスキー、出版社:みすず書房
 スターリンって、本当にひどい男ですね。許せません。こんな独裁者を許した国民はどういうことなんだろうと思いますが、そうはいってもヒトラーに追従したドイツ国民、そして、我が日本では天皇制と軍部が日本国民を戦争へ駆り立てていったのですから、狂気というのは、どこの国でも起きてしまうものかな・・・、と悲観してしまいそうです。
 でもでも、それにしても事実を直視することがまず第一ですよね。この本には、カチンの森で虐殺され、埋められたポーランドの将兵の遺体発掘現場の写真が冒頭のグラビアにあります。目をそむけたるなる写真ばかりです。
 1940年4月と5月、ポーランドの市民、将兵2万5000人以上がソ連の秘密警察(NKVD)によって銃殺され、埋められた。
 ソ連がナチス・ドイツと相互不可侵条約を結び、東部ポーランドをソ連が占領したときに捕われていた人々である。
 スターリンは、カチン虐殺事件をもみ消し、ドイツ国防軍の責任になすりつけようとして、史上空前の偽造・隠蔽・抹消の大宣伝工作を展開した。
 ポーランド分割によって、ソ連は領土の52%、国民の3分の1を獲得した。そのなかには25万人の将兵が捕虜となった。
 ポーランド捕虜の扱いについて、NKVDは、ソ連強制収容所の数百万人の囚人を管理して得た豊富な経験を最大限に活用した。自国民のために強制収容所を組織してきたソヴィエト国家の弾圧機関が20年にわたって蓄積した経験のすべてが簡潔に凝縮された指令を発した。
 1940年3月には、ポーランド将校を処刑する決定が下されていた。ソ連の政治局は、ベリヤとウクライナ共産党第一書記のフルショフが共同で提案したものを承認した。
 彼らは、全員ソヴィエト制度を憎むソ連の不倶戴天の敵なのである。
 1940年3月5日、ソ連共産党政治局の7人の局員、スターリン、モロトフ、ベリヤ、カガノーヴィッチ、ヴォロシーロフ、カリーニン、ミコヤンはNKVD機関に対し、2万5700人のポーランド戦争捕虜を特別手続き、つまり裁判手続きなしに処理(銃殺)するよう命じた。
 つまり、ソ連の指導者は、ポーランド独立のための戦いでポーランド人を指導できる者は、誰彼とわず抹殺する決意だった。
 ソ連は、ポーランド将校たちを脅迫・強 ・約束で再教育し、ソ連に協力させようと努力したが、わずか24人を除いて、他はみな将来ソ連軍と戦う危険があると判断した。
 ポーランドの「地域活動家」は、追放の過程で、追放された者の財産を着服することが認められることを期待して、大いに張り切ってソ連に協力した。
 いやあ、どこの国にも、こういう人は少なからずいるのですよね・・・。
 ポーランド共産党の指導者は全員、民族主義ないし国際共産主義運動への裏切り者とされて銃殺された。
 ですから、イデオロギーの問題というより、ソ連のスターリンなどの一部の支配者の保身のためだったのではないでしょうか・・・。
 1943年4月、ナチス・ドイツはカチンの森のポーランド将兵の虐殺遺体を発見して、ソ連の仕業だと宣伝を始めた。この1943年春には、戦局がドイツ軍に不利になっていたので、絶好の宣伝機会として最大限に利用しようとした。
 ソ連は1941年夏に虐殺があったと発表した。しかし、現場を観た特派員たちは、遺体が冬服を着ているのに気がついていた。
 西側政府(イギリスやアメリカ)の積極的な助けがなかったら、ソ連は半世紀ものあいだカチン虐殺が自らのものであることを隠し通せなかっただろう。西側政府は、入手していた情報を隠蔽し、事件を握りつぶそうと全力を尽くした。アメリカ政府は1950年代はじめまで、イギリス政府はソ連政権の崩壊まで、この態度を変えなかった。
 チャーチルは、「この問題には取り組まない方がよいと決定し、カチンの犯罪は突っこんで調査されることは決してなかった」と回想録に書いた。
 フルシチョフは、スターリン時代の犯罪に自分が結びつかないよう全力を尽くした。しかし、カチン事件でのフルシチョフの個人的責任は明白である。
 処刑は、NKVDの銃殺執行隊によってなされた。ほとんどの犠牲者は、後頭部の正確な個所を狙って、一発の弾丸で殺されている。拳銃と十段はドイツ製のものがつかわれていた。
 殺された捕虜たちは、静かに死地に向かった。死は予想外のことだった。
 該当者が呼び出されると、隊伍を組んで収容所を出て鉄道駅に向かった。その多くは釈放されるとの期待から嬉々としていた。
 しかし、この撤収が処刑を意味していたのは、捕虜を除いて、収容所の職員はみな知っていた「秘密」だった。
 カチン虐殺にかかわったソ連側の加害者は4桁にのぼる相当の人数になると思われるのに、目撃証言は出ていない。沈黙の掟が支配している。
 処刑人たちは、銃殺が終わると、食堂車で大宴会だった・・・。
 NKVDのブローヒンは1926年にスターリンの目にとまり、少将にまで昇進した。26年間のうちに数万人を自分の手で処刑したのが自慢だった。
 カチン虐殺を実行したNKVD処刑人たちは、勲章をもらい、加俸された。
 ソ連が崩壊して20年たっても、だれ一人として罪を問われていない。
 1943年3月、ドイツ軍がカチンの森でポーランド将校の遺体を発掘しなかったら、完全犯罪のままになっていた可能性もある。
 カチン事件を闇に葬り去るわけにはいかないと思わせる、貴重な労作でした。ポーランドの自主独立の回復を願いながら無念の思いで倒れた人々をしのび、襟を正しながら読み通しました。
(2010年7月刊、2800円+税)
 
 遠野に行ってきました。昔話で有名な、あの遠野です。実は10年ほど前に、花巻から電車に乗って行きかけたことがありました。遠くて時間がかかるのが分かって、途中で引き返したのです。今回は親しい弁護士たちとのバス旅行でした。遠野は小さな町ですが、何箇所かある見るところは結構離れていて、全部を歩いて見て回るのは大変です。1泊はしてゆっくり見て回るだけの価値はあるところです。
 まずは遠野の昔話を聞きました。100人ほども入りそうな小さなホールで、幸い一番前のかぶりつき席に座ってじっくり語り部の話を聞くことができました。語り部は老婆と言ったら失礼にあたる中高年のおばちゃんです。小さな舞台に一人番台に腰掛け、少し早口の遠野弁で語ります。私は半分ほどしか聞き取れませんでした。座敷わらし、雪女、とうふとコンニャクの話です。あとで遠野物語の本を読んだのですが、やっぱり半分しか分かりませんでした。語り部によると、修学旅行で来た生徒たちはさっぱり分からなかったという感想が出ることも多いそうです。無理もありません。
 昼食は、遠野地方の野趣あふれたお膳でした。サンマと牛肉の組み合わせにミソをつけ、ほおの葉でつつんだものが出ました。デザートに山ブドウとアケビが出てきました。どちらも少し酸っぱく、自然そのものの味がして、子どものころを思い出させます。アケビの皮に詰め物をした料理が、前日の夕食に出ました。アケビの皮は食べられないとおもっていたところ、京都の川中夫人が店の人に尋ね、アケビの皮まで食べられるということを教えてもらいました。なんでも訊いてみるものですね。
 遠野ではお祭りがあっていました。広場で子どもたちの可愛い踊りを見たあと、お祭りがあっていました。広場で子どもたちの可愛い踊りを見たあと、博物館へまわりました。水木しげるの妖怪マンガもあります。愛らしい河童が登場するのです。かやぶき屋根の曲り屋を伝承園で見たあと、歩いてカッパ淵に回りました。お寺の裏に流れる川は、いかにもカッパが出てきそうな雰囲気です。清流にキュウリをつけた釣り竿が仕掛けてあります。カッパをこれで釣ろうというのです。
 遠野は昔話が現代に生きている町です。

卵をめぐる祖父の戦争

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 著者 デイヴィッド・ペニオフ、 早川書房 出版 
 
 ナチス・ドイツに包囲され、飢餓にあえぐレニングラード。その戦いの規模は『攻防900日-包囲されたレニングラード』(早川書房)で詳細に紹介されています。この本は、そのレニングラード防衛戦の実情を、ソ連軍からの「脱走兵」とされてしまった二人の若者の奇妙な戦争を通して浮きぼりにします。なるほど、小説って、こうやって悲惨な戦争の実態を読み物にしてしまうのですね・・・・。
 飢えに苦しむレニングラード市民、地雷犬の無残な死など、戦争の悲惨さがリアルに描かれている。ソ連政府の発表でも、100万人もの市民が生命を落としたレニングラード攻防戦。それでも、ナチス・ドイツに征服されることなく、守り抜いた。その陰には、多大の犠牲があった。しかし、レニングラードを防衛する軍の上層部には、娘の結婚式のためにケーキが必要だ、そのために卵を1ダース調達してこいと命令するくらいの余裕はあった。卵1ダースを調達するために、二人の若者が戦場へ生命かけて探しまわる。そんなお話です。なんともまあ、悲惨な状況での、おとぼけた話の展開ではあります。
 戦場の奇妙な現実を、それなりに反映しているのだろうなと思いながら、ついつい引きずりこまれて読了しました。
 
(2010年8月刊。1600円+税)

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