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カテゴリー: ドイツ

島原城まるわかりブック

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 吉岡 慈文(監修) 、 出版 長崎文献社
 島原城下には武家屋敷の並ぶ通りがあります。道の真ん中に清らかな水の流れる水路が走っています。落ち着いて散策できるので、おすすめです。知覧(ちらん)や角館(かくのだて)ほどの規模ではありませんが…。
 島原城の近くには、有名な戦国時代の合戦場があります。「沖田畷(おきたなわて)の合戦」があったところです。天正12(1584)年、佐賀の戦国大名・龍造寺隆信が大軍を率いて島原半島に攻め込んできました。迎え撃つ有馬晴信は鹿児島の島津氏に援軍を頼みます。このとき、島津軍の策略にはまって、大将の龍造寺隆信が首を討たれ、佐賀の軍勢は惨敗を喫したのでした。島津勢の強さは待ち伏せ戦法にもあります。
そして、島原城を築いた松倉重政はキリシタンを厳しく取り締まり、過重な年貢徴収をすすめ、島原・天草一揆の原因をつくり出しました。
 ただ、この重政は、ルソン島(フィリピン)に使節を派遣していたそうです。そして、その子の松倉勝家の治世下に大一揆が始まるのでした。
 原城跡には2度か3度、私は行ってみましたが、ここに3万人からの百姓たちが一家一村あげて生活していて、ほとんど皆殺しの憂き目にあったかと思うと、感慨深いものがあります。それはキリスト教信仰だけの問題ではなく、生存そのものが脅かされていたから大一揆は起きたと私は考えています。
大一揆の原因をつくった勝家は、切腹させられたのではなく、責任をとらされ、大名として異例の斬首の刑に処されました。
 島原は、平成になってからも噴火し、大規模な火砕流が起きて大災害となりましたが、寛政4(1792)年にも「島原大変、肥後迷惑」と今でも語り伝える大災害が起きました。死者1万人とも言われています。
 島原城下をゆっくり散策し、そのあと温泉に浸るというコースは、おすすめです。
(2024年3月刊。1200円+税)

「悪の凡庸さ」を問い直す

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 田野大輔・小野寺拓也 、 出版 大月書店
 ナチスによるユダヤ人大虐殺の仕掛け人の一人、アイヒマンについて、アンナ・ハーレントは裁判を傍聴して「凡庸な役人」に過ぎなかったとしました。本書は、果たしてそうなのか、議論しています。興味深い対話が続きます。
 アイヒマンは、無名どころか、アイヒマンの名は1930年代後半から、しばしば新聞などで言及されていて、ユダヤ人問題に関する権力者として広く知れ渡っていた。アイヒマンは、「ユダヤ人の皇帝」と呼ばれて恐れられていた。
 アイヒマンは、アルゼンチンで敗残者として生きていたのではない。西ドイツの平均賃金を上回る給与を得て、家族とともに高級保養地でバカンスを楽しむゆとりをもっていた。1952年にオーストラリアから妻と3人の息子を呼び寄せ、1955年には四男ももうけている。
アイヒマンは本名のままで世界観に関する論議をし、ナチスの第三帝国時代の内輪話をして、社交の中心にいた。
 アイヒマンは録音されたインタビューのなかでユダヤ人の大量虐殺があったことをはばかることなく認め、それについて何の後悔もしていないと言い放った。
アルゼンチンで、逃亡中の身でありながらアイヒマンが長広舌をふるったのは、重要人物としてスポットライトを浴びる快感にあらがうことができなかったから。
 アイヒマンにはユダヤ人の遠縁も何人かいて、就職に際して便宜を図ってもらったこともある。
ナチス機構のなかで大学出でもないアイヒマンが出世するには、ユダヤ人政策において業績をあげるしかなかった。アイヒマンは、自分はユダヤについての知識を豊富にもっていると周囲に信じさせるだけの演技力を身につけていた。
 アイヒマンは無能ではなかった。アイヒマンの知性は、ナチスのような不法国家においてのみ評価される類のもの。アイヒマンは単純な命令受領者ではなかった。
 アイヒマンは、法規や命令を遵守(じゅんしゅ)するだけの杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)な官僚ではなかった。むしろ、前例を打破して、目ざましい成果を上げるクリエイティブな組織者として名を馳(は)せていた。
 アイヒマンのユダヤ人に対する個人的な憎悪は希薄だった。仕事で実績を上げて名声をえたいという出世欲や功名心がアイヒマンを突き動かした。
 アイヒマンは中央官庁にいて、事務仕事をしているだけではなかった。東欧各地の現場で、ユダヤ人銃殺に直接従事していたし、頻繁にユダヤ人殺戮現場を視察して指示を出していた。
 アイヒマンという人間の本質特質に触れた思いのする本でした。フツーの人が、自分の欲望を満足させるため、信じられないほどの極悪・非道なことができるし、するものだということが、改めてよく分かりました。
(2024年1月刊。2400円+税)

戦史の余白

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版 作品社
 著者の本は、どれも実によく調べてあって、いつも驚嘆しながら読み進めています。今回も知らなかったことがいくつもありました。
 まず、ロンメル将軍(ドイツ)です。北アフリカでロンメル将軍の率いるドイツ軍はイギリス軍と戦闘し、結局、最終的にはドイツ軍は敗退しますが、途中までドイツ軍がイギリス軍を圧倒していました。1941年から1942年にかけてのことです。
 このとき、ロンメル将軍は驚くべきことに194年6月22日からソ連へ侵攻する「バルバロッサ」作戦のことを知らされていなかったというのです。そんな重大なことを知らないので、ロンメル将軍は北アフリカ戦線にもっと兵力を増強してくれと国防軍本部へ要求し、拒否されていたのでした。だから、イギリス軍との戦闘は、国防軍本部の了解なしのロンメル将軍の独断専行ですすめられました。それでも途中まで大きな成果をあげたので、その限りでヒットラーから賞讃されたのでした。
 次は、ヒトラー・ドイツによるコーカサス石油獲得作戦です。
 ドイツはイギリスから海上封鎖されて石油の確保に苦労していました。そこで、ヒットラーはソ連領のコーカサス油田を狙ったのです。この油田を制圧したら、ソ連は石油不足になり、ドイツは有利になると考えました。そこで、戦闘軍団(A軍集団)に技術者集団を随伴させたのです。
 ところが、ソ連は焦土作戦を敢行して、ドイツ側の技術者の活躍を封じ込めてしまいました。ドイツ軍がわずかに石油基地を確保したとしても、パルチザンの攻撃と破壊工作にさらされ、ほとんどモノにはならなかったのでした。ヒトラーの石油の夢は実現しなかったのです。
 ドイツの国防軍のトップとヒットラーがそりがあわなかったことは、ヒトラー暗殺計画(ワルキューレ計画)があったことでも明らかです。この暗殺計画が失敗したあとヒトラーは、国防軍幹部を親ヒトラーで固めることに成功しました。
 ところが、この本によると、ヒトラーの面前で「ドイツ式敬礼」(右手を高々と掲げ、「ハイル・ヒトラー」と呼ぶこと)をしなかった将軍がいて、しかもヒトラーの軍事上の指示を受け入れなかったというのです。それでも何の処罰も受けなかったといいます。信じられません。
 このザウケン将軍はヒトラー免官されることもなく、装甲兵大将に進級し、第2軍司令官に就任しました。そして、ドイツ降伏後はソ連軍の捕虜となり、10年間の抑留生活のあと、ドイツ・ミュンヘンに居をかまえて画家となって、1980年に88歳で亡くなったのでした。いわば天寿をまっとうしたわけです。
 歴史については複眼的視点が必要だと、いつも思っていますが、この本を読むと、もっともっと事実を知り、また想像力を働かせる必要があるようです。
 いろいろ面白い裏話が満載の戦史の余白でした。
(2024年2月刊。2200円)

溺れるものと救われるもの

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 プリーモ・レーヴィ 、 出版 朝日文庫
 アウシュヴィッツ絶滅収容所に入れられながら奇跡的に生きのびたイタリア人の作家による深い洞察文です。思わず姿勢を正しました。知らなかったことがたくさん書かれていました。
 ユダヤ人は強制収容所でやすやすと殺されるばかりではなかった。反乱が起きていたこと。それは、トレブリンカ、ソビボール、ビルケナウで起きている。そして、驚くべきことに成功したのもある。トレブリンカでは、ほんのわずかだけど、生きのびた人がいる。
 いずれにせよ、反乱は起きた。それは決意を固めた、肉体的にはまだ無傷の少数者が、知力をふりしぼり、信じられないほどの勇気をふるい起こして準備したものだった。そして、その代償は恐ろしいほど高いものになった。
 それでも、それは、ナチの収容所の「囚人」たちが反乱を試みなかったという主張が誤りであることを示すのに今も役立っている。
ユダヤ人たちがシャワー室だと騙されて入ったガス室に、特別部隊(ゾンダーコマンド)が立ち入ったとき、全員死んでいるはずなのに、16歳の娘が生きているのを発見した。娘の周囲に、たまたま呼吸できる空気が閉じ込められていたのだろう。ゾンダーコマンドは、彼女を隠し、体を温め、肉のスープを運び、問いかけた。しかし、彼女は瞬間・空間の感覚を失っていた。いま自分がどこにいるかも分からなかった。さあ、どうするか…。しかし、彼女は虐殺現場の目撃者。生かしておくわけにはいかない。
 医師が呼ばれ、医師は娘を注射で蘇生させた。そこにSSの兵士がやってきて、状況を知った。このSS兵士は自分では殺さず、部下に娘を射殺させた。そして、このSS兵士は戦後、裁判にかけられ死刑となり絞首刑が執行された。
 ドイツに住んでいたユダヤ人がなぜ殺される前にドイツを脱出しなかったのか…。彼らはほとんどが中産階級で、おまけにドイツ人だった。秩序と法を愛していた。体質的に国家によるテロリズムを理解できなかったのだ。
 最悪のもの、エゴイスト、乱暴者、厚顔無恥なもの、スパイが生きのびたというのが現実。
ユダヤ人である著者は前から宗教(ユダヤ教)を信じていなかったが、アウシュヴィッツを体験したあとは、さらに信じなくなっていた。
 収容所で死んだ人の多くは、その優秀さのために死んだ。
収容所でドイツ語を知らなかった「囚人」の大部分は入所して1日から15日のうちに死んでいった。情報不足のためだ。ドイツ語を知っていることは生命線だった。
ナチのSS部隊のメンバーとゾンダーコマンドのメンバーはサッカー試合を楽しむことがあった。両者は、対等か、ほとんど対等のような関係でサッカーを戦うことができた。
 「おまえたちは我々と同じだ。誇り高きおまえたちよ。我々と同じように、おまえたち自身の血で汚れている。おまえたちもまた、我々と同じように、兄弟を殺した。さあ、一緒に試合をしよう」
 人間とは、混乱した生き物である。人間は極限状態に置かれれば置かれるほど、より混乱した生き物になる。
SSにとって、「囚人」は人間ではなかった。牛やラバと同じ存在でしかなかった。とは言っても、すべてのSSが疑問なく任務を遂行していたわけでもないようです。
人間性について、人間とはいかなる存在なのかを深く考えさせられる本でした。
(2023年11月刊。840円+税)

ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 ベンジャミン・カーター・ヘット 、 出版 亜紀書房
 ヒトラーがドイツ国防軍の高級将官と対立していたというのは前から知っていましたが、この本でその詳細を知ることができました。
 ブロンベルクとフリッチュという2人の将軍をヒトラーが解任したのが決定的だったのです。ドイツ国防軍の最高司令官であり、陸軍元師であるブロンベルクはベルリン出身の「一般家庭の子女」と知りあい、結婚した。ところが、その女性は売春婦として登録し、客の持ち物を盗んで逮捕された経歴があることをゲーリングは知り、ヒトラーにそのことを報告した。
 さらに、陸軍司令官のリッチュについては、似た名前の男性が同性愛者であることを利用して、同性愛者と決めつけ、ヒトラーは2人を解任した。このあと、ヒトラーは名目ではなく、ドイツ国防軍の実権を握る本物の最高司令官となった。やがて、国防軍の高官たちはフリッチュに対する告発が捏造(ねつぞう)だったことを知った。ブロンベルク=フリッチュ事件は、SSとゲシュタポが陸軍に対して起こした「冷たいクーデタ」だと見た。したがって、高官たちはこの2つを無力化させなければいけないと考えはじめた。
 そのネットワークの要(かなめ)の1人がアプヴェーア(情報部)の部長であるカナリス提督だった。カナリスは「戦争の回避とヒトラー一味の粉砕」を真剣に模索しはじめた。
 陸軍参謀総長となったハルダー将軍はヒトラーについて、「狂人、犯罪者」「たかり屋」「変態の病的な気質」によってドイツを戦争へ向かわせていると罵倒した。
 国防軍内の抵抗派はヒトラー殺害も辞さない方向で検議をはじめた。ところが、イギリスのチェンバレンがヒトラーと会談し、また、国防軍首脳部の悲観主義の影響によって攻撃開始が遅れ、結果としてヒトラー主導の緒戦の勝利によって、抵抗派は腰だけとなってしまった。
 ハルダーたちはヒトラーによる戦争には正当性がないうえに、大惨事となって終わりかねないと考えていた。また、ユダヤ人絶滅作戦のような犯罪行為には反対だった。
 この本ではローズベルトとチャーチルについても注目すべき評価をしています。
 ローズベルトについては、アメリカ国内の強固な中立主義にひっぱられていたこと、チャーチルについては、イギリス国王を擁護して評価を落としたものの戦争指導では卓越した能力を発揮したことが明らかにされています。
 150頁近い本(480頁)ですが、タイトルに見合った大変興味深い内容ばかりでした。
 
(2023年9月刊。2800円+税)

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