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カテゴリー: 社会

教育と愛国

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 斉加 尚代・毎日放送取材班 、 出版  岩波書店
若者たちの投票率が3割とか4割しかないというのは、現代日本において文科省の統制下にある学校教育の「成果」なのではないでしょうか。いえ、「成果」というのは、アベ首相の思う教育「改革」が効を奏しているという意味であって、子どもたちの自主性が押し殺されてしまっている、ひどい状況の結果だということです。子どもたちの自主的なの伸びのびとした動きを上から抑えつけているのは、身近な教員集団ですが、その教員集団が上からの指示・強制によって自由に伸びのびと子どもたちに接することができない弊害が、子どもたちの政治的無関心を助長しているのだと思います。残念でなりません。
政治的圧力に対する教職員の反応は、4:4:2。政治的公平性・中立性からみておかしいと正面から唱える人は2割しかいない。4割は、首長や議員の意向を忖度(そんたく)し、こびる。残る4割は、自分の持ち場に逃げ込んで問題に関わらないようにする。
小学2年生の「道徳」教科書。
①「おはようございます」と言いながら、おじぎをする。
②「おはようございます」と言ったあとで、おじぎをする。
③おじぎのあとで、「おはようございます」と言う。
この3問のうち、正解は②。
ええっ、ウ、ウソでしょ。こんなことを小学生に学校で教えるなんて、バカみたいでしょ・・・。信じられません。
「学び舎」の歴史教科書は、考える歴史に挑戦し、全国各地の灘や麻布といった難関進学校で教科書として選択された。すると、「反日教育」やめろという抗議ハガキが何百枚も殺到した。これに対して、かの有名な灘中・高の和田校長が冷静に反論した。
学校教育に対して有形無罪の圧力がかかっている。多様性を否定し、一つの考え方しか許されないという閉塞感の強い社会に現代日本はなってしまっているのか・・・。
それにしても、大阪の橋下徹、そして吉村洋文という2人の弁護士の言動はひどすぎます。この2人が司法試験で憲法の問題をクリアーしたというのは、まったく信じられません。
次の日本をになう子どもたちが伸びのび自由に、自分の頭で考えている環境をつくることこそ市長(知事)以下の行政の責任だと思いますが、この弁護士たちは子どもを自分の思うどおりに操れるロボットにしたて上げたいようです。政治家としても、人間としても失格ではないでしょうか・・・。
(2019年5月刊。1700円+税)

ケーキの切れない非行少年たち

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宮口 幸治 、 出版 新潮新書
非行少年のなかには、小学2年生くらいから勉強についていけなくなったという子どもが少なくない。彼らは簡単な足し算や引き算ができず、漢字が読めない。自己洞察が必要だといっても、そもそも、その力がない。反省以前の問題がある。非行化を防ぐためには、勉強への支援がとても大切だ。「ほめる」だけでは問題は解決しない。
朝の会で1日5分をつかってさまざまなトレーニングをすれば、子どもたちは十分に変わっていく可能性がある。非行少年たちは学ぶことに飢えている。認められることに飢えている。
今の社会では、対人スキルがトレーニングできる機会が確実に減っている。SNSの普及によって、直接、会話や電話をしなくても、指の動きだけで、瞬時に相手とコンタクトがとれる。
知的障害はIQが70未満とされているが、これは1970年代以降のもの。IQ70~84の、境界知能の子どもたちも少なくない。つまり、クラスで下から5人ほどは、かつての定義では知的障害に相当していた可能性がある。
知的障害をもつ人は、後先(あとさき)のことを考えて行動するのが苦手。これをやったらどうなるのか、あれをやったらどうなるのか、と想像するのが苦手なのだ。
ところが、知的ハンディをもった人たちは、ふだん生活している限りでは、ほとんど健常者と見分けがつかない。違いが出るのは、何か困ったことが生じた場合。
刑務所の新しい受刑者1万9363人のうち、3879人は知能指数に相当する能力検査(CAPAS)が69以下だった。つまり20%の受刑者は知的障害者の受け入れなくなり、故郷でホームレスの生活をしている。
著者は、児童精神神経科の医師。画用紙に丸いケーキを描いて3等分するよう非行少年たちに頼むと、公平な3等分とはかけはなれたものを描いた。その絵をうつした写真が紹介されていますが、本当に驚くべき事実です。
口先だけで非行少年に反省の言葉を言わせたり、反省文を書かせても意味はないのです。
(2019年9月刊・6刷。720円+税)

神主と村の民俗誌

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 神崎 宣武 、 出版  講談社学術文庫
村のなかで神主が村人とどんな関わりをもっている(いた)のか、とても興味深く読んでいきました。途中で、これって、最近のことではないよね、いつのことだろうと疑問に思いました。
すると、この文庫本はごく最近(19年7月)に出たばかりなのですが、実は30年近くも前の1991年(平成3年)に出た復刻版でした。なるほど、30年前なら少しは分かる気がしました。
今では村の絶対人数が減って、神輿(みこし)かきをするだけの人数を確保できない。イノシシが出没して、農作物やタケノコ・クリなどの被害が増えている。
それでも、村祭りを復活させるところもあって、一路、消滅をたどっているわけではない。
平成の大合併は中央集権化をもたらし、葬祭場が出来て、葬儀や法要そして家祈祷までが個人の家から離れてしまった。
では、30年前はどうだったのか・・・。それが、ことこまかに嫌になるほど詳しく再現されているのが本書です。
著者は終戦直前の1944年生まれで、実家は代々、神主業を世襲してきて、著者も父親にたのまれて承継しました。東京から、新幹線で郷里・岡山の美星町まで通ったのです。
そこは、古くから自給自足の生活が営まれていて、集落の自治も古くから安定していた。
神主が太鼓を叩く技術は、一朝一夕に習得できるものではない。30歳になって習いはじめても難しい。幼いときから聞き慣れていて、若いときに叩きはじめないと、音に説得力が出てこない。
なーるほど、そういうものでしょうねえ・・・。分かる気がします。
世の中が好景気のときには、お神楽(祈祷料)が増大傾向にあり、また不景気のときには、神だのみから信心が盛んになる傾向がある。
仏教と神道は、日本では昔から両立してきた。神道と仏教は、その基本的な思想が似ている。基本的な思想としては、祖霊信仰である。
神道でも仏教でも、そのときどきに崇める神仏はその基本的な思想が似ている。
一神教ではなく、多神教であり、その中心に祖霊がある。
祭りとは、祖霊と現世とが交流する場でもある。
「神様、仏様、ご先祖様」とは、まさにいいえて妙である。現代日本人の信仰の形態は、果たして信仰といって良いのかどうなのか・・・。そもそも、日本人の信仰の形態は、はたして宗教といってよいのかどうか。
面白い本です。ほんの少し前までの村の生活がイメージできます。図書館で注文して読んでみてください。
(2019年7月刊。1070円+税)

大量廃棄社会

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 中村 和代、藤田 さつき 、 出版  光文社新書
現代日本社会は衣料も食料も、まだ使えるのに、まだ食べられるのに、惜し気もなく捨てているのですね・・・。呆れるというより、寒気がしてきました。
バングラデシュの8階建てのビルが崩壊して、1000人をこす縫製工場の労働者が生命を落とした。日本の安い衣料を縫製しているのはバングラデシュの低賃金労働者なのだ。
ユニクロ・GAPなど、低価格の衣料品ブランドがバングラデシュに生産拠点を置いている。
1年間に10億枚の新品の服が一度も客の手に渡ることないまま捨てられている。日本で供給されている服の4枚に1枚は、新品のまま捨てられている計算だ。
ブランド品のタグを外して定価の1割で買って、17%ほどで売る企業も存在する。
待ってまで買ってもらえる商品は、そう多くない。だから、やっぱり多目につくるしかない。
高級ブランドの商品だと、安売りはせず、処分費用がかかっても、すべて破砕して焼却する。証拠写真をとって、確実に処分する。そうやってブランド価値を守る。
洋服の需要調整は難しい。どんな商品をつくるか企画して、発注から販売まで半年から1年はかかる。その間に、トレンドが変わってしまうことがある。需給ギャップは、ふたを開けてみないと分からない。
日本で1年間に発生する食品ロスは646万トン。1人あたり茶碗1杯のご飯を毎日捨てている計算になる。節分当日、全国のコンビニでは売れ残った恵方巻きが大量に捨てられた。
この本では、食品ロスをなくすパン屋さん、手づくり衣料品をつくる試みも紹介されています。何でも安ければいいという発想を変えたいものです。値段は、それをつくる人たちの生活を支えているわけなのですから・・・。
現代日本社会の悲しい現実を知ると同時に、怒りを覚え、また、ほんのちょっぴりだけ希望をもてる内容の新書でした。やっぱり、コンビニとかファーストファッション店ばかりになってしまってはいけないと改めて思います。
(2019年4月刊。880円+税)

福島の記憶

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 飛田 晋秀 、 出版  旬報社
3.11で止まった町。こんなサブタイトルのついた写真集です。
まずは、大津波の恐ろしさに圧倒されます。
大きな船が陸に打ち上げられ、無残な船体をさらけ出しています。そして、建物はスッポンポン、もぬけのカラです。
駅があり、電車が停車したまま。
地震で火災も起き、津波に流されて火災が広がった。久之浜町では、家の今に車が突っ込んだまま。
3.11の恐ろしさは津波の被害だけではなく、放射能汚染にある。
楢葉町(ならはまち)では、津波の被害があったところが広大な空き地となり、そこに除染土壌を入れたフレコンバックが置かれている。
川内(かわうち)村は、原発事故のため中心地は無人。人の姿は見えない。至るところにフレコンバックが置かれている。
都路(みやこじ)町では、放射能被害が影響したのか、元気だった中年の女性が6年後に亡くなった。
葛尾(かつらお)村は、地震の影響は少なかったが、原発事故のため、全村避難した。村の風景を写真にとると、ありふれたフツーの田舎の光景だ。しかし、どこにも人がいない。牛も鳥もそして犬や猫の姿も見かけない。村全体で3000頭の牛を飼育していたのが、今や、雑草に家がのみこまれている。
富岡町の目抜き通りに桜が見事に咲いた。しかし、この桜も放射能に汚染されている。
除染作業をしたあとでも、1.62とか1.67マイクロシーベルトという高い線量だ。
町なかでもイノシシが出てきて徘徊している。除染したあとでも3.15マイクロシーベルトを示しているのを見ると、除染作業って本当に有効なのか疑問をもってしまう。
大熊町では放置された家の玄関先がなんと24.2マイクロシーベルト。かつてはにぎわった商店街は、今や完全な無人街。不気味だ。
双葉町(ふたばまち)には、有名な「原子力、明るい未来のエネルギー」という大看板があった。原発の「安全神話」は、今なおなくなってはいない。日本経団連は、幸いにも実現しなかったが、これほど危険な原発をベトナムやトルコなどの海外へ輸出しようとしていた。正気の沙汰ではない。
無人の商店街のキャプション(説明書)は、「地震被害だけなら復興が進んでいたはず」と書かれている。
抜けるような青空の下に広々とした草原が延々と続いています。いやはや東北地方も狭い平野ばかりではないのです。アベ首相の「アンダーコントロール」宣言をせせら笑うかのようにフレコンバックがあちこちに広がっています。
よく出来た写真集です。全国の図書館には必携ですね。
(2019年2月刊。1800円+税)

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