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カテゴリー: 社会

東大闘争の天王山

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 河内 謙策 、 出版 花伝社
今から50年も前、1968年から1969年にかけて東大は大きく揺れ動きました。そのとき大学2年生だった私は、その渦中にどっぷり浸っていましたので、決して東大紛争なんて言いません。私にとっては、あくまで東大闘争です。激しいゲバルト衝突のほとんどを現場で学生として体験あるいは見聞しているものとして、いったい東大闘争とは何だったのか、疑問は尽きません。
750頁もの大作である本書は、東大法学部に、この人ありと言われていた著者が渾身の力をふりしぼって書きあげた力作です。単なる歴史的記述だけでなく、著者のコメントがところどころに入っていてますから、読解を深めることができます。
東大確認書がつくられた秩父宮ラグビー場での大衆団交の実現に至る過程が生々しく再現されているのが、本書の大きな特徴です。これには、当局側で動いていた福武直教授(故人)の詳細なメモをまとめた『東大紛争回顧録』が大きな手がかりとなっています。これによって、当局側のいろんな動きが今になっては手にとるように判明します。残念なことに、私は見たことがありません。
また、例の安田講堂攻防戦(1969年1月18~19日)が、実は全共闘と警察・機動隊そしてマスコミとのあいだで、事前に大きなシナリオが出来ていたという衝撃的な指摘がなされています。
安田講堂の周囲にテレビ局が桟敷をつくって、テレビカメラをもって構えていた。網をかぶせて、火焔瓶を投げられても大丈夫なようにしたうえで、「実況中継」した。NHKは、なんと11時間も放映した。これはTBSが9時間あまり放映したのを大きく上回っている。
全共闘も機動隊も、テレビカメラがまわっていることを明らかに意識して役者を演じていたわけです。
その前の秩父宮ラグビー場での大衆団交については、七学部代表団は、学外で長時間にわたって大衆団交をしていると、その間に学内を全共闘が封鎖してしまう危険があるとして反対した。このとき、加藤執行部は代表団のなかの有志(保守派。たとえば町村信孝)は学外での団交に自分たち3学部だけでも応じると言い出した。実は、加藤執行部の一員である大内力総長代行代理から法学部学生懇のリーダーに学外での団交をやろうと働きかけがあっていた。その結果、七学部代表団は分裂行動の危機にあった。加藤執行部は学生大衆の力を信用していなかったので、このような謀略まで、あえてしたのだろうという著者のコメントが付いています。
この本は、東大闘争に東大生の多くが実際に関わっていたことを数字で明らかにしています。私は、この点はもっと世間に広く知られていいことだと思います。
1月10日の秩父宮ラグビー場に東大生(学生・院生・教職員)が8千人(マスコミの記事では7千人)が集まりました。
1月6日、駒場に登校した学生は2500人と記録されている。全共闘の集会の参加者が80人だったのに対して、団交実現実行委員会(団実委)の集会には500人が参加。
1月8日、法学部の学生・共感討論集会の参加者230人、団実委に登録した法学部生260人。1月8日の駒場の学生登校数2800人。もちろん授業なんかやられていませんので、授業を受けにきたのではありません。
1月9日には、駒場の学生登校数は4200人。これは総学生数の6割です。1月9日、七学部代表団主催の総決起集会の参加者2500人うち法学部は250人。そして、法学部生で団実委登録メンバーは330人(泊まり込み120人)。すごい人数です。
11月22日に民青側も全共闘側も、それぞれ1万人をこえる学生を全国から東大に総結集した。この11.22を機に学生の全共闘離れが急速に進行した。全共闘が「東大解体、全学封鎖」を打ち出したことに対する東大生の反発があった。
雑誌『世界』の意識調査によると、アンチ全共闘は、1968年7月に32.3%、11月には51.5%、1969年1月には49.7%となった。
法学部の学生大会にも、たとえば12月4日(1968年)には開会の午後2時の時点で400人以上が参加した。このとき、全共闘の提案は87対323対34で否決されているから、444人が採決時にいたことが分かる。そして12月25日の法学部の学生大会は午後5時より始まって、午後9時の採決時には定員数300人の2.7倍、821人もいたのです。ここで無期限ストライキの解除が決まりました。このとき、431対333対37で可決された。
このように、東大闘争には多くの東大生が関わり、きちんと議論をして、ついに確認書を獲得し、一人の処分も出さず終結したのでした。
確認書の意義は大きい。だからこそ、政府・自民党は東大入試を中止したのだと著者は強調しています。まったく同感です。
この本は全国の大学図書館に寄贈されるとのことですが、全国の図書館にも購入して備えつけてほしい内容です。島泰三の『安田講堂』(中公新書)のような、事実に反する本ばかりが世に出まわるのが、私はもどかしくて仕方ありません。
(2020年12月刊。6000円+税)

ぼくは縄文大工

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 雨宮 国広 、 出版 平凡社新書
太古の丸木舟で3万年前の航海を再現して、無事にたどり着いた話はニュースで知っていました。著者は、その丸木舟を石斧(せきふ)で掘り出してつくりあげたのです。
普通の大工と宮大工の経験を積んだうえで、縄文小屋の復元に取り組み、自らもその縄文小屋で生活するようになったのでした。そして、縄文時代の丸木舟をつくる話が舞い込み、苦労の末に完成させ、学者チームが黒潮に抗して台湾から日本を目ざして成功したのです。これは、歴史考証の手がかりにもなっています。
縄文時代の出土した部材にほぞがあるのが見つかった。ほぞとは、木材を組み合わせるために削った突起のこと。つまり、縄文小屋はほぞをつかって木材を組み合わせてつくられていた。釘がなくても家は建てられるのですね。
一番長持ちする木材は栗の木。
黒曜石は石斧には不向きで、天然のガラスで、とてもよく切れるナイフとして使える。猪や鹿の解体には抜群の切れ味。
縄文小屋づくりで一番大変なのは縄づくり。稲ワラはまだないので、自然に自生するカラムシやフジのツルから繊維を取り出す。いやあ、これは大変そうです。縄をなって2000メートルの長さにしたそうですが、それでも縄文小屋づくりの全部をまかなうことはできなかったのでした。
そして、丸太をどうやって切り出したか。石斧です。
打製石斧と磨製石斧がある。さらに、縦斧と横斧を使い分ける。
石斧は、生身の人間と同じように疲労を感じる道具だ。なので、壊れる前に休憩をとり、疲労をため込ませないことが必要。
いやはや、縄文式生活を実際にしている奇特な人が日本にはいるのですね。
表紙に、鹿皮を着て、石斧をもって快心の笑みを浮かべている著者の写真があります。ヒゲが伸ばし放題なのは、刈リコミバサミが縄文時代にはないからだそうです。いったい家族はどうしてるのだろうか…と、不思議に思ったことでした。
(2020年9月刊。860円+税)

団塊ボーイの東京

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 矢野 寛治 、 出版 弦書房
団塊ボーイって誰のことだろうと思って本を手にとると、私とまったく同世代の人でした。
私も福岡から1967年に東京に行って生活をはじめました。決定的に違うのは、著者は朝夕2食付き(月1万円)の下宿生活をしていたのですが、私は寮費月1千円の6人部屋の寮生活をはじめたということです。1年生が5人で、1人だけ2年生でした。みんなで真面目に岩波新書の読書会をやったりしていました。そして、5月からは学生セツルメント活動に没入していましたので、語学のクラスでは垢抜けたシティボーイたちに気遅れはしましたが、寮では田舎者ばかりだし、セツラーは大学も学科もさまざまな人がいて、しかも生きのいい女子学生がわんさかいましたので、寂しいなんて感じるヒマもないほど、毎日忙しく身体を動かしていました。
東京が両手を広げて自分を待っていてくれている、と思っていた。すぐにガールフレンドができて、楽しい日々が展開するものと思っていた。
この点は、私もまったく同じでした。
世の中は甘くない。ただ、井の頭公園の池面の水を眺めているだけの日々だった。
ここが私と違うところです。
著者は実家から毎月3万円が送金されてきたとのこと。そして、その見返りに、毎週、実家に手紙を書いた。これが約束(条件)だった。そして、息子の異変を手紙で察知すると、大分から直ちに両親は上京してきた。
私には、それはありませんでした。東大闘争に突入して以降、親は息子のことを心配していたと思いますが、私が年に1回帰省するくらいで、親が上京してきたことは一度もありません。私が司法修習生のころ結婚するとき、その前に上京してきて、はとバスで東京遊覧したくらいです。
著者の親のおみやげは、いつも自然薯だったとのこと。大分の名物なのでしょうね。
著者は麻雀に入れこみ、かなり強いようです。それでも、ヤクザ者との麻雀ではまき上げられてしまっています。
東京で生活すると、とんでもない上流階級の身分の連中に身近に接することがある。
なるほど、それは私にもありました。なにしろ、大学に自家用車でやってくる学生がいたのです。それも大学入学祝いに買ってもらった…、なんていう学生がいたのです。私のほうは、寮にこもり切りで生活すると、最低月1万3千円で生活できることを実践的に証明していました。
著者はコピーライターとして活躍してこられたようですね。そう言えば、中洲次郎というペンネームには見覚えがあります。50年以上も前の東京での日々が描き出されていて、身につまされるところが多々ありました。挿絵がよくよく雰囲気をかもし出しています。
(2020年5月刊。1800円+税)

歴史戦と思想戦

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版 集英社新書
いま、広く読まれるべき本だと思いました。残念ながら…。
読みはじめる前は、なんだか大ゲサなタイトルだな、と思っていました。ところが、サンケイ新聞は2014年から「歴史戦」と名付けた「戦い」をすすめてきたというのです。驚きました。
戦後70年たって、日本は本来の歴史を取り戻す「歴史戦」にうって出るべきだとサンケイ新聞編集委員が叫んでいるというのです。いったい日本の「本来の歴史」とは何を指しているのか…。
著者は、それは戦前の大日本帝国を指していて、そこに戻ろうということだと明快に指摘しています。つまり、とんでもない呼びかけなのです。
そして、「歴史戦」を呼びかけるとき、それは歴史研究の分野に日本対韓国の「戦い」という国家間の対立、すなわち政治を持ち込んでいるのです。
桜井よし子は、「主敵は中国、戦場はアメリカ」と本に書いている。つまり、日本の「敵」は中国と韓国だというのです。なんという偏狭さでしょうか、時代錯誤もいいところで、とても正気とは思えません。
ところで、この本には、サンケイ新聞社長だった鹿内(しかない)信隆が、戦前に日本陸軍の将校として、経理学校で慰安所の運営規則が教えられていたこと、つまり軍が慰安所の運営に関わっていたことをサンケイ出版の本で明らかにしていることを紹介しています。まさしく慰安婦は陸軍のよる性奴隷だったのです。
南京虐殺について、「歴史戦」を主張する人は、「人数の問題」にすり替える論法をつかって、虐殺自体がなかったとする。これは、「誤った二分法」と呼ばれる詭弁(きべん)論法のパターン。受け手を錯覚させる心理誘導のテクニックだ。要するに、ごく一部の人の「見てない」という体験をもとに、全体の大虐殺はなかったとしてしまうのです。その論法が不合理なことは明らかです。30万人でなく、たとえ3万人であっても、大虐殺であったことには変わりありません。
シンガポールでも日本軍は現地の市民を5万人も虐殺したとされています。ここでは「歴史戦」を主張する人たちは、虐殺が「なかった」とまでは言わず、言葉を濁してはぐらかすか、はじめから無視するだけ。あまりに無責任です。
「歴史戦」を主張する人にとって、勝ち負けを競う論争ゲームであって、将来の人々に対して何の知的成果ももたらさない。これでは困ります。きちんと祖父や父が何をしたのか子や孫に伝えるべきです。
自虐史観というときの「自」とは、大日本帝国の臣民としか考えられない。なーるほど、そういうことだったんですね。時代錯誤もはなはだしく、とてもついていけません。
著者は、この本の最後に「歴史戦」の人々に対して、戦前・戦中の「大日本帝国」の名誉を回復することではなく、戦後の「日本国」の名誉や国際的信用を高めるような方向への路線を転換し、基本的な戦略を練り直したらどうか、と熱く呼びかけています。まったくそのとおりです。というわけで、ご一読をおすすめします。
(2019年11月刊。920円+税)

ぼくは挑戦人

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ちゃん へん 、 出版 集英社
日本で生まれた育った在日コリアンの著者はジャグリングを用いた芸をするプロのパフォーマー。日本だけでなく、世界中をかけめぐって芸を披露しているとのこと。
在日コリアンということで、小学校から中学校まで教室で陰湿ないじめを受けていた。子どもって、親のヘイトスピーチを真に受け、行動にあらわすのですよね…。読んでて、辛くなりました。
ところが、母親が我が子がいじめにあっていることを知って小学校に乗り込んで、いじめっ子に向かって言った言葉が圧巻です。
「素敵な夢もってる子はな、いじめなんてせえへんのや。お前らのやってることは、ただの弱いもんいじめや。強さと自慢したかったら、ルールのある世界で勝負せえ」
そして、子どもである著者にはこう言ったのでした。
「朝鮮人とか母子家庭とかで今まで散々ナメられてきたけど、わしは絶対負けへんで。一緒にがんばろな」
そして、家に帰ったら、ひいばあちゃんもこう言って励ました。
「いじめられたくなかったら、他人(ひと)より努力せな、あかん。いつか自分が頑張られるもんに出会ったら、それを一生懸命がんばって一番になりなさい。一番になったら、いじめられるどころか、お前を守ってくれる人がたくさん集まってくるんや。だから、そういう人生を歩みなさい」
この言葉を著者は実践していったのでした。偉いです。
中学3年生のとき、アメリカに単身渡って、パフォーマー・コンテストでヨーヨーの演技をして優勝した。いやはや、すごいですね。
高校3年生のときには、夏休みだけで300万円を稼いだ。なんともはや…、すごい、すごーい。
大道芸W杯のヤジウマ人気投票1位という肩書をもらっていた。
休日は10時間、平日でも毎日7時間から8時間は練習。それくらいすると、身体が覚えてしまうのでしょうね…。
著者は恐る恐る韓国に行きました。うまくいったようです。そのあと、なんと北朝鮮にも入って、平壌にも行っている。公演も2回していて、なんと金正恩本人から話しかけられたとのこと。
なるほど、タイトルどおり挑戦人です。自分の人生を自分の努力で切り拓いている様子が生き生きと伝わってきて、たくさんの元気をもらいました。ぜひ、ユーチューブで芸をみてみましょう。
(2020年8月刊。1800円+税)

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