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カテゴリー: 社会

王者の挑戦

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 戸部田 誠 、 出版 集英社
 「少年ジャンプ+」の10年戦記というサブタイトルの本です。
 「ジャンプ」は1988(昭和63年)に500万部を突破し、1994年に、なんと653万部を記録した。信じられない発部数です。
 「少年ジャンプ」の創刊は1968(昭和43)年のこと。私が大学2年生のときです。
 1959(昭和34)年に「週刊少年マガジン」(講談社)と「週刊少年サンデー」(小学館)が創刊されました。私が小学5年生(11歳)のときです。小売酒屋の息子である私は親から買ってもらえず(おこづかいなるものはもらっていませんでした)、小学校の正門前に医院を構える医者の息子(同じクラスでした)が購読しているのをまわし読みさせてもらっていました。大学生のときは駒場寮という寮生600人という巨大な寮で生活していましたので、買う必要はなく、回ってくるマンガ雑誌によみふけっていました。とりわけ「あしたのジョー」が大人気でした。また、「ガロ」というマンガ雑誌も愛好家には、もてはやされていました。白土三平の「カムイ外伝」や「忍者武芸帖」などです。
 現在は電子コミックスの時代。出版不況が叫ばれるなか、コミックス(マンガ)は、電子と紙媒体とあわせると、「週刊少年ジャンプ」653万部時代並みの売り上げがある。今では、マンガが世界中で同時に読まれる時代。欧米やアジアだけでなく、南米や中東でも読まれている。
 「MANGA plus」は、2019年に1月にスタートした国外向けのオンラインマンガプラットフォーム。今では、「ジャンプ」「ジャンプ+」のマンガが、日本と同じタイミングで配信されている。英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、タイ語、インドネシア語、ロシア語、ベトナム語の9言語で配信。ダウンロード数3500頁に迫り、アクティブユーザーは650万人。日本と同時配信にこだわった。当初は、北米、インドネシア、タイ、フランスの読者が多かったけれど、最近はブラジル、インドが勢いよく増えている。
 ネット上の海賊版サイトが存在し、悩まされている。しかし、これも競合だと考えたらよい。海賊版は読みやすいし、速い。なぜ速いかというと、データ保護の必要がなく、保護しないから…。うむむ、なーるほどですよね…。
 「抜け道」は確かにある。しかし、厳格にするためシステムを煩雑にすると、ユーザーの使い勝手を悪くしてしまう。
 2019年4月、「初回全話無料」ということでスタートしたのが良かった。全話完全無料にしてしまうと、いつでも何度でも読み返せてしまうため、物として所有するという価値以外でコミックスを買う意味がなくなってしまう。
ユーザーにとって、面白いか、使いやすいか、がすべてだ。
 2014年、紙のコミックス(マンガ)は2256億円の売上で電子コミックスは887億円。ところが、2017年には、紙が1666億円に対して電子は1747億円と逆転した。そして2022年には、電子は677億円になった。出版不況のなかでも、電子の登場によってコミックス市場は大きく拡大した。
 「少年ジャンプ+」は2014年9月にスタート。1年で100万ダウンロードを目標としてスタートしたのに、創刊してわすか20日間で達成した。紙の「ジャンプ」は厳選した20作品ほどしか掲載できないのに対して、電子の「ジャンプ+」は、無限、いくら連載してもいい。
ネット社会の無限の広がり、可能性、そして恐ろしさを伝えてくれる本でもありました。
 法曹の社会でのAIの活用も、同じような状況になるのでしょうね…。私は、とてもついていけそうにありません。トホホ…。
(2025年6月刊。1980円)
 参政党の候補者が恐ろしいことを叫んでいます。「日本も核武装すべきだ。これがもっとも安上がりで、最も安全を強化する」と言ったのです。核戦争になったら、日本も、この地球全体が破滅してしまいます。「安上がり」だなんて、とんでもありません。
 ノーベル平和賞を日本の被団協(被爆者の団体です。核兵器をなくそうと頑張っておられます)が受賞したのは、核兵器は人類と共存できないことを真剣に訴えていることが評価されたからです。
 参政党への一票は、日本と地球を破滅することにつながります。

中谷クンの面影

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 中野 慶 、 出版 かもがわ出版
 読み進めていくうちに不思議な、フワリフワリと漂うような感触に陥ってしまいました。
主人公は一家の主婦であり、夫がいて、娘と孫がいる。孫は可愛い。娘は母親に頼りつつも、母親べったりではないどころか、ときに冷ややか。むしろ父である夫と共同戦線を張ったりする。孫は3歳なのでひたすら可愛いが、何をするか分からないので、一瞬たりとも目が離せない。
 主人公は66歳。東京で生まれ、武蔵野に住み続け、中学教師も定年まで勤めあげた。孫の世話に明け暮れているある日、幼ななじみの中谷クンがボリビアに移住したというニュースが飛び込んできた。中学の同窓会の案内状が来ている。参加申し込みの締め切りが迫っている。どうしようか、決断できない。
 私も中学の同窓会に出たことが一度だけあります、もう20年以上も前のことです。中学校の同窓会は出ようという気になりましたが、高校の同窓会には出る気がせず、ずっとずっと出席しませんでした。なにしろ、保守反動の市政を牛耳っている連中が大きな顔をしているのを日頃うとましく感じているので、とてもつきあいたくなんかありません。といいつつ、2年ほど前、ごく親しい人から自分も出るので一緒に出ようと誘われて昼間の会合に出席しました。高校のときは、生徒会の活動を2年ほどしていました(会長を総代と呼び、休憩時間にタスキをかけて学校中を選挙運動してまわったのです。無事に当選しました)ので、その同窓会には、誘われていそいそと参加しました。でも、誘ってくれた尊敬すべき先輩が亡くなったので、こちらは、もう次はないと思います。
 この本の主人公は、中学の同窓会は大好きだったとしています。活躍ぶりをぐいぐい誇示する人にも反発は感じない。女性たちも打ち解けている。今は、仕事などよりも、健康法と病歴に話題が集中する。ところが、今回は、なぜか主人公は億劫(おっくう)なのです。
 そして、同窓生の一人が中谷クンなのです。ボリビアに移住したという。その中谷クンから20年前に、小説をもらったまま呼んでいなかった。それを探し出して久しぶりに読んでいくのです。
 中谷クンの本の主人公の男の子(中学生)はアトピー性皮膚炎に悩んでいる。そして、夏休みに母親と一緒に広島へ行き、被爆者から話を聞いた。被爆者は、ケロイドのあとがかゆくて大変だったと訴える。
しかし、すべての被爆者がかゆみを感じていたわけではない、火傷(やけど)の程度にもよる。かゆくて辛かったのに、なぜ被爆者は、それを話そうとしなかったのか。アトピー性皮膚炎で苦しんでいる男の子は、問いを投げかける。
 被爆者がケロイドの箇所にかゆみを感じたのは、被爆して数ヶ月もあとのこと。だから、原爆にあった日を語るとき、かゆみのことは登場しない。結局、中谷クンの本は、現代の中学生が、かゆみという皮膚の感覚を通じて被爆者に出会う物語だ。
創造する人は、酷評を受忍すべき。無視されるよりは、ありがたいから。
 でも、私は、けちょんけちょんにけなされるくらいなら、黙って無視してほしい。心が折れそうになったら、困るから…。
中谷クンは、被爆の惨状を克明に描いて子どもに突きつけようとはしなかった。そうなんですよね、難しいところですね。原爆による死体の惨状をえんえんと描写する、その映像を流すことは、かえって、目をそらしてしまうかもしれません。あまりにも現実が恐ろしすぎるからです…。ナチスの絶滅収容所の惨状を描いた映像や写真をあまり見ないのは、そんな「配慮」があるからかもしれません。
この本の最後は、ノーベル平和賞受賞式の夜です。私も、ノルウェーのオスロ市庁舎の大広間を見学したことがあります。ここで、被団協の代表委員の田中さんが堂々とスピーチしたのです。本当にすばらしいスピーチでした。そして、ノルウェーのノーベル賞選考委員会の委員長のスピーチも心打つものでした。
選考委員会のヨルゲン・ヴァトネ・フリードネス会長は、受賞スピーチの中で次のように述べ、賛辞を送った。
「あなた方は被害者であることに甘んじませんでした。あなた方はむしろ自らを生存者として定義しました。大国が核武装へと世界を導くなか、あなた方は立ち上がり、かけがえのない証人として自身の体験を世界と分かちあう選択をしたのです。暗闇の中で光をみつけ、将来への道を模索する、それは希望を与える行為です。個人的な体験談、啓発活動、核兵器の拡散と使用に対する切実な警告、あなた方は数々の活動を通じて、数十年間にもわたり世界中で反核運動を生み出し、その結束を固めることに貢献してこられました。私たちが筆舌に尽くしがたいものを語り、考えられないことを考え、核兵器によって起こされる想像を絶する痛みや苦しみを、自分のものとして実感する手助けをしてくださっています。あなた方は決して諦めませんでした。あなた方は抵抗し続ける力の象徴です。あなた方は世界が必要としている光なのです」
(2025年7月刊。1870円)
 参議院の選挙のなかで、参政党が「終末期医療の全額負担化」を公約としています。それを読んで、私は心が凍る思いでした。病気にかかったら、さっさと死ねといわんばかりの冷酷さです。
 自民・公明の政府は医療予算をバッサリ削って、全国どこの病院も赤字をかかえて困っています。軍事費のほうはトランプの言いなりに際限なく増やしていますが、こちらのほうこそバッサリ削るべきです。
 冷酷・無惨な参政党が国会で議席を占めるなんて許せません。

ウィーブが日本を救う

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ノア・スミス 、 出版 日経BP
 日本の停滞は2008年に始まった。2008年こそ転換点だ。日本の実質賃金は1996年から、ずっと下がりっぱなし。超大企業の内部留保金はずっとずっと増えているのですから、賃金は増やせるはずなのです。政府も連合も、いったい何をしているんですか…。
 この本は、日本には発展途上国としての強みと利点があるとしています。かつて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だと言って、浮かれている一部の日本人がいましたが、今や日本を一流国だと考えている日本人がどれだけいるでしょうか…。
 日本国内の市場は縮小している。だって、実質賃金が下がれば、購買意欲が減退するのは必至です。そして、日本の生産性は低水準。だって、非正規社員をどんどん増やしていけば、企業の生産性が高まるはずもないでしょう。
 ウィーブ(weeb)というコトバを私は知りませんでした。Weeaboo(ウィーアブー)を短縮したコトバです。日本文化に首ったけの非日本人を指す。かつては、過剰に日本に執心している人たちを指す侮蔑語だったが、今では侮蔑語としては使われていない(そうです)。かつてOTAKU(オタク)と呼ばれていたのが、ウィーブと呼ばれるようになった(とのことです)。
 日本政府に欠けている政策が2つある。その一は、より良い福祉国家への政策。日本の社会福祉支出は中程度の水準でしかない。そうですよね。生活保護の給付を政府(厚労者)が合理的根拠なく切り下げたことに対して、あの最高裁も是正を命じたほどです。そして、自民・公明・維新・そして国民民主は医療制度の切り捨てを公約にしています。ひどすぎます。国民皆保険をやめて、アメリカのように金持ちだけが助かる保険会社本位のシステムにしたいようです。
著者は、もう一つとして貧困緩和をあげています。いやあ、鋭い指摘です。まったく同感です。誰もが安心して生活できるような社会にするためには生活保護の拡充が必要だと思います。生活が苦しいときに保護を受けるのは、市民として当然の権利なのです。参政党やら国民民主が外国人は生活保護を受けてはいけないようなことを公約に掲げていますが、排外主義ですし、根本的に間違っています。
この本は、日本は治安はいいし、食べものはおいしいし、みんなが移り住みたくなる国だとベタほめしていますが、その反面、日本の生活水準は低すぎる、日本人は今、静かに隠れた貧困に苦しんでいると、きちんとした指摘もしています。見るところは見ているのです。日本の相対的貧困率は、ヨーロッパよりも高い。
 購買力平価での日本の1人あたりGDPは、アメリカの64%、フランスの87%、韓国の92%と、先進国では下の方に位置している。それでも、日本では薬物乱用、10代の妊娠、犯罪は極めて少ない。生活水準が年々低下し続け、労働時間がのび続けているように、静かに犠牲が払われている。
 日本は、それほど幸せでも、気楽でもない国に感じられる。まったく、そのとおりです。
東京をふくむ首都圏には16万軒のレストランがある。パリには1万3千軒、ニューヨーク都市圏には2万5千軒。いやあ、そんなに多くの飲食店があるのですか…、知りませんでした。
 雑居ビルは、いかにも雑念としていて、日本特有の状況ですが、著者は、すごく好意的です。まあ、ともかく日本だと、ほとんどの店で安心して飲み食いできますよね(たまに、ボッタクリの店があり、気をつけないといけないことはありますが…)。
 日本の良さを生かしつつ、さらに貧困対策、そして福祉政策を充実させたいものです。それにしても、すぐに賃金の大幅アップが必要です。大企業の内部留保の巨大さには信じられない思いです。共産党が消費税をすぐ5%に下げること、その財源として、この内部留保金に目をつけているのに大賛成です。赤字国債なんかに頼ってはいけません。
(2025年3月刊。2860円)
参政党は日本人の納めた税金は日本のために使えと主張しています。でも、日本に住んで税金を納めているのは日本人だけではありません。多くの外国人が働いて、税金を負担しています。
 外国人の犯罪が多いということはありませんし、外国人が生活保護をたくさん受けているので、日本人が困っているという事実もありません。生活が苦しくなったら、日本人だろうと外国人だろうと生活保護を受けて生活できるようにするのは当然のことです。
 参政党の主張は、前提からして大きな間違いです。

桐生市事件

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小林 美穂子・小松田 健一 、 出版 地平社
 こんな不名誉なことで、オラが街の名前が全国に知れ渡るなんて、ちょっと恥ずかしい限りですよね。いえ、私とは何の関わりもありません。
 群馬県桐生市の生活保護行政は常軌を逸しています。だって、生活保護を受けている人に、月7万円をそのまま渡さず、毎日1000円だけ手渡すというんです。保護課の職員って、そんなにヒマなんでしょうか…(ヒマなはずはありません)。保護受給者の更生を指導・監督するためというんですが、これではあまりに人格を無視しています。 
 保護受給者の母子世帯は2011年度に27世帯だったのが、2021年度は、わずか2世帯。これまた信じられません。桐生市の保護利用者は2011年度の1163人が、2022年度は半分の547人。 生活保護率は全国的に増加傾向にあるのに、桐生市では下降の一途をたどっている。今どき、そんなはずはありませんよね。
 桐生市の保護課には就労支援相談員がいて、うち4人は警察官OB。しかも、その元警察官について、市は「マル暴経験者」を希望しているとのこと。いやはや、なんということでしょう。
 この警察官OBが新規の面談に同席し、家庭訪問にも同行するというのです。怖い話です。これでは、まるで保護受給者は元組員ばかりだといわんばかりではありませんか…。桐生市の予断と偏見はきわだっています。
 桐生市では、生活保護を申請しても認められるのは半分以下でしかない。また、保護の却下・取下げ率が他市に比べてズバぬけて多い。辞退廃止数は年に12件、全体66件の18%を占める。他市では3%ほどなのに…。
 ところで、桐生市といったら、昔は繊維産業で栄えていました。その後は、パチンコ台メーカーの「平和」や「西陣」でも有名です。でも、パチンコも、以前ほどではなくなりました。年金支給日しか店内のにぎわいはなく、若者がパチンコをしなくなりました。ネットなどのゲームがありますから、無理もありません。
 桐生市の保護課の職員は大変だったんじゃないかと想像します。ともかく保護受給者を減らすというのを至上命令としていたのでしょう。これは、市長や福祉部長・課長の体質によるのですよね、きっと。北九州市でも同じようなことがありました。「おにぎり食べたい」と餓死した人が出た事件です。厚労省本省から北九州市に乗り込んできた幹部が陣頭指揮をとって水際作戦を敢行していたと聞きました。
 こんな福祉の現場で働いていたら、ストレスがたまって大変でしょう。だって目の前にいる人の生活や人権を守るのではなく、切り捨てようというのですから、仕事に喜びを感じられるわけがありません。あとは、「サド的な喜び」を感じるのかもしれませんが、それは人間性の喪失と紙一重でしょう。
これだけ騒がれたのですから、桐生市の生活保護行政が抜本的に改善されていることをひたすら願います。
 生活が苦しくなったとき、生活保護を受けるのは憲法で認められた権利なのです。堂々と胸を張って申請しましょう。そして、市も速やかに受理して支給開始してほしいと思います。
(2025年5月刊。1980円)
 参政党の新憲法構想案の「国民」にも、本当に驚かされます。国民は、父または母が日本人であること、日本語を母国語とすること、日本を大切にする心を有することを要件として法律で定めるというのです。
 いやはや信じられません。「日本を大切にする心」を持っているかどうか、いったい誰が、そうやって判定するというのでしょうか。秋葉原事件のような無差別殺傷事件を起こした人は、今の金持ちだけが優遇されるような日本社会に恨みを持っていたのだと思います。残念ながら、きっと少なくないことでしょう。
 そんな人をも優しく包摂して、犯罪に走らないようにすることが求められていると思いますが、参政党は、そんな人は国外に追放してしまえとでもいうのでしょうか。怖すぎる発想です。

未来をはじめる

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宇野 重規 、 出版 東京大学出版会
 東大の政治思想史の教授である著者が東京の女子高生(中学生含む)を相手に5回にわたって政治学を講義したものが再現されています。なので、そもそも難しい政治学の理論が難しいまま展開されることもなく、とても分かりやすい本になっています。
政治思想史が専門ですから、当然にマルクスも社会主義も登場します。
 現在の若者(大学生を含む)には、マルクス主義とか社会主義というと、すぐに「良くないもの」という否定的なイメージがもたれている。しかし、人々の間の不平等を何とかしたい、むしろ不平等はますます拡大しているのが現実ではないか、と著者は指摘します。どうやったら社会における不平等は是正されるかを考えている人が社会主義なのだから、あまりに一面的な社会主義の理解は、この機会に考え直したほうがよいと著者は提案しています。まったく同感です。
つい最近の新聞に、世界の歳富裕層1%は2015年からの10年間に4895兆円(33兆9千億ドル)の富を得たという国際NGOオックスファムの報告書が紹介されていました。
最富裕層1%は、下位95%の人々が持つ富の合計よりも多くの富を保有している。最富裕層が10年間に得た富は、世界の貧困を22回も解消できる規模になっているそうです。トマ・ピケティによると、現在の不平等の水準は、20世紀初頭ほどの水準にまで逆戻りしている。いやはや、資本主義の行き詰まりもまた明らかですね。それをトランプのようなやり方で解消・脱出できるはずもありません。
 日本人のなかに公務員は多すぎる、もっと減らせと声高に言いつのる人が少なくありません。でも、実際には、国際比較でみると、日本は公務員がとても少ない。福祉や教育の現場では、公務員がどんどん減らされて困っているのが現実です。それは司法の分野でも同じです。
 逆に、増えすぎているのは大軍拡予算です。自衛隊員のほうはずっと前から定員を充足していません。
著者は、教育や医療といった基本的なニーズは社会がある程度サポートすべきだとしています。大賛成です。年寄りと若者の対立をあおりたてる政党がありますが、政治の役割を理解していない、根本的に考えが間違っています。高齢者の福祉予算を若者に負担させるべきだというのは、出発的から間違っているのです。世代間でバランスをとる必要なんてありません。
 アメリカでは救急車を気安く呼ぶことは許されない。お金をとられるから。すべて営利企業である保険会社を利用せざるをえない仕組みです。日本の国民皆保険は守るべきなのです。ヨーロッパは日本よりもっと進んでいます。イギリス人は日本に来て、病院の窓口でお金を支払わされるのに驚くのです。
 ジャン・ジャック・ルソーが登場します。弁護士である私からすると、ルソーって、「人間不平等起源論」、「社会契約論」「エミール」といった政治思想の歴史に今も名を残す偉大な思想家なのですが、著者に言わせると、困った人、迷惑な人でもあるというのです。思わずひっくり返るほど驚きました。ルソーのことを何も知りませんでした。恥ずかしい限りです。
 ルソーは女性関係もにぎやかで、たくさんの子どもをつくったものの、みんな孤児に送り込み、自分は一人も育てあげてはいない。ただ、ルソー自身が可哀想な人で、母親は早く死に、父親もどこかへ消えていなくなり、早くから天涯孤独で生活したというのです。
 選挙の意義についても語られています。アメリカでは、アル・ゴアもヒラリー・クリントンも得票数では勝っていたのに大統領にはなれなかった。フランスではルペンが当選する可能性があったけれど、2回制の決戦投票システムだから極右のルペンは当選できなかった。
日本の小選挙区制では民意が本当に反映させているのか疑問だ。それにしても、若者の投票率の低さは問題。あきらめてはいけない。
著者の提起した問題をしっかり受けとめ、しっかり議論に参加している女子高生たちの姿を知ると、日本の若者も捨てたものじゃないと、希望も見えてくる本になっています。こんな大人と若者との対話が、もっともっと今の日本には必要だと思わせる本でもありました。
(2018年12月刊。1760円)

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