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カテゴリー: 社会

ひきこもりの著者と生きる

カテゴリー:社会

著者:安達俊子・尚男、出版社:高文研
 すごいですね、私にはとてもこんなことはできません。すごい、すごーい、なんとかして続けてほしいです。でも、本当に身体を大切にしてくださいね。何年も自宅に引きこもりの生活をしていた青年たちを受け入れる施設(ビバハウス)なのです。この本を読むと、その大変さが、ひしひしと伝わってきます。
 ビバハウスで生活する若者たちは、春はつらいと言います。なぜか?
 自然界が生気に満ちあふれている春が、自分たちにとっては一番つらい時期なんだ。
 では、一体、どんな若者たちなのでしょう?
 進学高校で陰湿ないじめにあい、2年の3学期で退学した。極度の対人恐怖症となって、7年間、自宅にひきこもっていた。
 風俗バーのマネージャーをやっていた。ストレスに耐えられなくなり自殺しようとした。 統合失調症として治療を受けている。
 10年ものあいだ自宅に引きこもっていた若者もやって来た。いやあ、大変な若者たちです。
 ビバハウスは、若者たちがいつまでも留まるところではない。ひと時、疲れた心と身体を休め、充電を図り、それぞれが目ざす道へと進む準備をする場所。それに要する時間は、さまざま。自分の目標が達成できたら、卒業できる。ビバハウスに滞在して3日間とか 1ヶ月で自分を取り戻した人もいる。だから、ビバハウスは出入りが激しい。
 日本語のひきこもりは、直訳英語の Social Withdrawal とは表現できない。きわめて日本社会に固有の現象である。
 ビバハウスでも、両親の離婚にかかわる若者たちを受け入れてきた。どの若者にも共通しているのは、仲の良い両親のもとで幸せな家庭の子どもとして育ちたかったというごく当たり前の願いだ。繊細で優しい彼らの多くは、親たちの不和の原因は、自分がほかの家庭の子どものように良い子ではなく、学校に行けなかったり、親の言うとおりにきちんと勉強ができないからではないかと不安を感じて育っている。両親に仲良くなってもらおうと、彼らの多くは自分の力以上にがんばって、ほとんどつぶれかかっているにもかかわらず、なお親への期待をもち続ける。その期待が現実に裏切られたときの彼らの心の闇の深さを真剣に大人は受け止める必要がある。
 うーん、これってすごく重たい指摘ですね。
 長く引きこもっている若者が、人と接触することに慣れてくると、話したくてしようがなくなる。そして、いろんなことを知りたがる。ちょうど、3、4歳児が、親に、「これ、なに?」「あれ、何?」と訊くのと同じ。
 長くひきこもっていると、筋肉が衰えてしまっている。椅子から立ち上がることもできない。
 散歩していると、周囲にいる人々の視線が目に刺さる。初めて列車に乗ったとき、まわりの視線を感じて、怖くて生きた心地がしなかったという。
 小樽水族館へみんなで見学に行ったとき、館内での見学のあと、イルカのショーをみてから、若者たちの表情が一変した。固く、何も言わない。帰りの車中は、お通夜のようになった。なぜか?
 同世代の大勢の幸せそうなカップルや子ども連れの若い夫婦に広い会場で出会い、ショックを受け、本当につらかった。輝いているあの人たちと比べ、現在の自分の惨めさをいやというほど味わわされた。あそこから逃げ出したかった。自分は、今いったい何をやっているのだろう、そう思うだけで自己嫌悪に落ち込んだ。
 日本全国に数十万人はいるだろうと言われている引きこもりの若者たちに、その立ち直りのきっかけを与えようとして奮闘努力中の施設の現状がよく分かります。あのヤンキー先生(なぜか、今では自民党の国会議員です・・・)を教えていた先生でもあります。すごい、すごいと思いながら読みすすめました。個人の善意と体力だけにまかせていいとは、とても思えません。ともかく、お体を大切にして、続けてくださいね。
(2008年1月刊。1600円+税)

自衛隊の国際貢献は憲法9条で

カテゴリー:社会

著者:伊勢?賢治、出版社:かもがわ出版
 現在の日本国憲法の前文と第9条は、一句一文たりとも変えてはならない。
 これが著者の結論として言いたいことです。なにしろ世界の戦争現場に臨場してきた日本人のいうことですので、説得力があり、迫力があります。
 いやあ、日本人の男にも、こんなにたくましい男性がいたのですね。ほれぼれ、します。
 著者は戦火のおさまらない東チモール(インドネシア軍と戦いました)に派遣された国連平和維持軍を統括し、アフリカのシエラレオネでは国連平和維持活動の武装解除部長として何万人もの武装勢力と対峙し、アフガニスタンでも日本政府の代表として同じく武装解除に取り組んだのです。その体験をふまえて、護憲的改憲論から、すっきりした護憲の立場に変わったというのです。では、一体、どうして変わったのか。素直に耳を傾けてみようではありませんか。
 著者は、改憲派も護憲派も現場を知らなければいけないと強調しています。そのうえで、日本国憲法9条を生かしてこそ、日本は外交できるというのです。その言葉には圧倒的な重みがあります。
 普通、国家の武力装置というと、軍か警察をさす。そして、軍と警察の役割分担は明確で、軍は領土・領海・領空を守る。つまり、外敵に対して国を守る。いわば、国境の問題を担当する。一方、警察は日常の暮らしを守る。警察は、毎日、市民の隣にいるけれど、軍はいない。軍は国家有事のためにある。ところが、途上国では、この2つの区分けが難しい。この2つの役割分担があいまいな複数の武力装置が存在することには危険性もある。
 著者は、1988年から4年間、シエラレオネにいて、NGOで福祉や開発の仕事をしました。内戦が広まっていった時代のことです。
 シエラレオネは、世界でも最良質のダイヤモンドの産地であり、チタンの原料の産出国でもあるから、本来は豊かな国であっていいはず。ところが、世界最貧国のままだった。その原因は腐敗にある。国の富は、外国企業やそれに結びついた一部の政治家と官僚によって国外へ持ち出されていく。そして、現場で虐殺を指揮した指揮官400人全員が免責された。しかも、トップは副大統領になり、ダイヤを所管する天然資源大臣を兼任した。
 ひゃー、すごいことですね。これって・・・。
 アフガニスタンでの武装解除は2005年に完了した。もと北部同盟側の軍閥勢力6万人以上が武装解除された。ところが、現在のアフガニスタン情勢はどんどん悪化している。武装解除は完了したが、治安改革の分野では武装解除が生んだ力の空白が埋められずに、タリバンが復活し、治安情勢が極端に悪化している。
 著者はアフガニスタンでの経験から、日本は憲法9条を堅持することが大切だと確信するようになったのです。
 アフガニスタン人にとっての日本のイメージは、世界屈指の経済的な超大国で、戦争はやらない唯一の国というもの。もちろん、アフガニスタンの軍閥が憲法9条なんて知るはずもない。しかし、憲法9条のつくり出した戦後日本の体臭がある。9条のもとで暮らしてきた我々日本人に好戦性のないことは、戦国の世をずっと生き抜いてきた彼らは敏感に感じる。そういう匂いが日本人にはある。これは、日本が国際紛争に関与し、外向的にそれを解決するうえで、他国にはもちえない財産だ。そんな日本の特性のおかげで、よその国には絶対にできなかったことをアフガニスタンでできた。これは美しい話ではなく、誤解なのだ。そこに、悲しさがある。 
 日本は、アフガニスタンの武装解除のため、100億円を拠出した。つまり、アフガニスタンの軍閥が武装解除されたのは、日本のお金があったればこそのことなのである。
 日本は、憲法9条があったからこそ、軍事的な貢献は難しいということで、お金を出すことに集中した。お金を出してきたことは、日本が恥じるようなことではない。
 先進国の中で日本だけがもっている特質は、中立もしくは、人畜無害な経済大国というイメージである。したがって、日本にとってもっとも重要な判断基準は、憲法9条にもとづく外交という特徴が維持・活用できるのかどうかということになる。海外へ自衛隊を派遣することによって、それが台なしになるなら、それは日本の国益にならない。
 傾聴に値する貴重な本です。150頁たらずの本ですから、重たい内容にもかかわらずさらっと読めます。ぜひ、手にとって読んでみてください。
(2008年3月刊。1400円+税)

仲間を信じて

カテゴリー:社会

著者:小林明吉、出版社:つむぎ出版
 面白くて、とても勉強になる本です。読んでいるうちに、思わず背筋を伸ばして襟を正し、粛然とさせられます。でも、決してお固い本ではありません。
 大阪そして奈良で労働運動一筋に生きてきた著者を弁護士たちが何十回もインタビューし、苦労して一つの物語にまとめた本です。ですから、まるで落語の原作本を読んでいる軽快さもあります。
 著者は今年、満77歳の喜寿を迎え、今なお労働分野の第一線で活動しています。同じ年に生まれた、私の敬愛する大阪の石川元也弁護士から贈呈された本です。一気に読みあげてしまいました。
 労働組合運動の活性化を志すすべての人に、そして労働事件に関わる多くの弁護士に読んでほしいという石川弁護士の求めにこたえて、私はとりあえず5冊を注文しました。本が届いたら、身近な弁護士と労働運動の第一線でがんばっている人に届けて読んでもらうつもりです。
 著者は初め、大阪でタクシーの運転手として働きました。当時、ゲンコツというシステムがあったとのこと。水揚げの一部を会社に納めず、自分のものにしていたのです。
 制服の右ポケットは会社への納金用、左ポケットはゲンコツ用。会社に納金するよりもゲンコツの方が倍くらい多いこともあった。雨が降ったり、風が吹いたりすると、もっと多かった。いやあ、ひどい話ですね。まるで信じられない牧歌的な時代があったのですね。
 タクシーの世界は奥が深い。客と知りあって出世した人も多い。信用が大切で、ついに証券屋になった運転手もいる。当時のタクシー運転手は、よく稼げた。しかも、それも調子のいいときだけ。事故にあったりしたら、もうどうしようもない。そこで労働組合をつくらなアカンという話になった。20代の著者もその中心人物の一人になった。
 組合を結成した。1960年ころは、1年半のうちに22回も、全国統一行動に参加していた。苦しくてヒマだったから。毎日が退屈で仕方なかった。だから、今日は統一行動だというと、みんな目が輝いた。デモ行進で、往復8キロ歩いても平気だった。
 著者は1967年3月、警察に逮捕されます。ちょうど、私が大学に入る年のことです。会社の労務係をケガさせたというのです。石川弁護士らの奮闘で一審は完全無罪となります。この裁判闘争のとき、裁判所前に長さ25メートルもの横断幕をかかげたというのです。無罪判決を求める運動のすごさですね。6年間の裁判闘争でした。今も福岡地裁の前に横断幕をときどき見かけますが、そんなに大きいのは見たことがありません。
 著者は全自交大阪地連組織争議対策部長として、丸善タクシー事件に関わります。社長が夜逃げしたため、残された従業員が自主管理したのです。そのとき社会保険について、労働者負担分はちゃんと納付したものの、企業負担分は、保留しておいたのです。それが、なんと数千万円にもたまり、結局、争議の解決金として組合側がもらえたというのです。すごい発想です。
 オリオンタクシー事件のときは、会社が倒産したと聞いたニッサンはまだ従業員がつかっているのに、車を差押さえて執行のシールを車に貼っていった。トヨタはそんなことはしない。執行官から、車に貼ったシールをはがすと犯罪になると警告された。さあ、どうするか。運転手たちは車を一生懸命に洗ってピカピカにみがいたのです。ホースで水をかけてモップで洗っているうちに、なぜかシールは自然にはがれていく・・・。うむむ、おぬし、やるな、という感じです。
 著者は、大阪から奈良へ活動の舞台を移します。奈良のタクシー会社に労働組合をつくるために大阪から派遣されたのです。大阪の組合がずっと著者の給料を出したというのですから、えらいものです。いま、東京でフリーターの若者を労働組合に加入してもらおうという動きがあります(首都圏青年ユニオン)。それに弁護士もカンパしていますが、同じような発想です。
 労働基準法違反のひどい会社に対して正当な要求をつきつけたところ、会社は労基法は守る。その代わりに残業は一切させないと対応してきました。残業できなかったら、労働者にとって一大事です。でも、これくらいでヘコむようでは組合活動なんてできない。労基署に要請行動すると、署長は「組合に要求を突きつけられて残業させないのは違法だ」と明快な回答。そして、会社に対して是正指導した。ひゃあ、これってすごいことです。当時はホネのある労基署幹部がいたのですね。
 納金ストをしたという話が出てきます。初めて聞く言葉です。つまり、会社に納金せず、組合が料金を保管するのです。下手すると業務上横領という刑事事件になりかねない行為です。だから、組合はきっちり現金を管理しなければいけない。売上は組合の名前で銀行に預け、売上日計表をつくって会社に通知しておく。な、なーるほど、ですね・・・。
 労働組合の団結にも、強・弱と、上・中・下がある。 組合ができるときは、緊張と興奮が続き、感情が高ぶり、感情的団結がうまれる。社長はけしからん。賃金が低い。労働時間が長い。このような興奮状態から生まれる団結水準。しかし、いつまでも感情的であってはいけない。組合も時間の経過にともなって成長していく。勉強を積み上げてだんだんに意識が向上していく。つまり、努力次第で、意識的団結へと成長する。ところが、意識的団結に高まっても、何かの事情で勉強回数を減らしたり、止めたり、リードする幹部がいなくなると、その団結が揺らぎ出す。
 したがって、労働組合が目ざすべき団結は、思想的団結である。幹部は目的意識的に一般組合員との人間関係を大切にしなければならない。そして、幹部は人間としても信頼されなければならない。礼儀・恩義に無頓着、金銭にルーズ、サラ金の常連というのでは困る。労働態度(働き方)も大切。職場の模範である必要がある。
 孫子の兵法に学べ。著者はこのように言います。有利、有理、有節。有利とは、その要求と闘いに利益があるかどうか。有理とは、理屈と根拠が正当か。有節とは、要求が正当でも、社会的に支持されるものかどうか。
 私が弁護士になって2年目のときでした。日本のほとんどの交通機関で1週間ストライキが続きました。スト権ストです。当時、横浜方面に住んでいた私は、いつもより何時間もかけて苦労して出社しました。それ以来、日本ではストライキが死語同然になってしまいました。最近やっとマックの店長は労働者かということで労働基準法が脚光をあびるようになりましたが、まだ労組法は死んだも同然です。やはり日本でも労働者が大切にされる国づくりを目ざすべきだとつくづく思います。
 石川先生、すばらしい本をご紹介いただいてありがとうございました。元気をもらいました。
(2008年3月刊。1600円+税)

物語が生きる力を育てる

カテゴリー:社会

著者:脇 明子、出版社:岩波書店
 私と同世代の女性の書いた本ですが、すごいなあ、なるほどそうだなあと、同感の思いを抱きつつ読みすすめていきました。
 子どもがちゃんと育つために必要なのは、一にも二にも実体験だ。言葉という道具を身につけて、それでコミュニケーションを行うというものではない。まわりの人たちを相手に、音声や表情や動作のキャッチボールをたっぷり行うことこそが、生きるために不可欠な対人関係を育て、言葉をつかう力を育てる。
 赤ちゃんに必要なのは、全身をつかって可能な限り世界を探索し、それを通じて五感を発達させ、運動能力を高めていくこと。
 幼児には、喜んで耳を傾けてくれる人、この人に伝えたいと思える人が近くにいることが必要だ。子どもの発達にとって不可欠な二つのこと、すなわち身体をつかって世界を探索することと、まわりの人たちとコミュニケーションをとることは、密接にかかわりあっており、その両方が保証されてはじめて人間的知性が身についてくる。
 問題は、これほどまでに大切な実体験が、いま子どもたちから奪い去られつつあること。その元凶は、何よりもまず、近年大発展をとげた電子メディアにある。テレビ、ビデオ、DVD、ゲーム、インターネット、ケータイが子どもの成長発達を脅かしている。
 ところで、子どもの成長には、実体験が何より大切だが、物語による仮想体験にも、場合によっては、実体験では不足するものを補う大きな力がある。
 人間には、「物語」をもっているというユニークさがある。五感で世界をとらえただけでは、物語は生まれてこない。物語が生まれるのは、語感でとらえた事実と事実とのあいだに、目で見ることも耳で聞くこともできないつながりが感じられたとき。そのつながりは、語感でとらえた世界に実在するわけではなく、いわば人間の脳のなかにだけある。
 ヨーロッパの昔話の主人公は一般に若く、日本では、じいさんばあさんの話が主流だ。
 日本の昔話に目立つのは、花咲かじい、こぶ取りじいのように、2人のじいさんを対比させる。ヨーロッパでは、3人姉妹や3人兄弟だらけ。まず長男が失敗し、次男も失敗し、最後に末っ子が成功する。ところが、日本の昔話では、まず最初のじいさんが幸運に恵まれ、それをまねた2人目のじいさんが失敗して終わる。序列がまるで逆だ。
 うへえ、そんな違いがあるのですか・・・。
 子どもは残酷性に強い。幼児期の子どもは、まずは動物として生きる力を身につけようとしていると考えられる。私たちは、人間として育つと同時に、動物としてもしっかり育たねばならず、動物の部分を切り捨てようとすると、基礎工事を手抜きした建物のように不安定になる恐れがある。
 赤ちゃんとテレビのあいだには親密な交流は生じない。人間なら、赤ちゃんが笑えば自分もうれしくなって笑顔を返し、声をかけたり身体をゆすったりして、うれしさをさらに増やそうとする。そうされると赤ちゃんは、自分の感情を肯定されていると感じ、養育者との情緒的なつながりを強めると同時に、自信をもって感情を動かせるようになっていく。
 ところが、テレビが相手だと、赤ちゃんの感情に同調してくれないし、身体的な働きかけもしてくれない。それでは、赤ちゃんはあやふやな感情しかもてないし、他者の感情を推しはかる力をうまく身につかない。
 不快感情の体験にかぎっては、物語で味わうほうがいい部分もある。子どもにいろんな不快感情をわざわざ体験させるわけにはいかないけれど、物語なら、多様な体験ができるから。
 筋だけを追う読書では、情景や心情を想像してみるヒマなどないから、想像力が育たない。思考力も記憶力も育たない。想像力を働かさなければ、感情体験や五感体験はできない。ましてや、心の居場所など、見つかるはずもない。
 これは速読術への批判です。私も本を読むのは早いわけですが、なるべく、情感を味わうようにはしています。それで、どれだけ思考力が身についたのかと問われると心もとないのですが・・・。
 早くも、1本だけですが、ジャーマンアイリスが咲きました。ビロードのようなフサフサをつけた、気品のあるライトブルーの花です。ジャーマンアイリスを植えかえようかと思っていたのですが、しないうちにぐんぐん葉が伸びて、ついに花が咲いてしまったので、なりゆきにまかせることにしました。あちこちに株分けしていますので、それらに再会するのも楽しみです。福岡の弁護士会館の裏口あたりにもあります。
 チューリップは7〜8割方は咲きました。毎朝、雨戸を開けるのが楽しみです。チューリップの赤や黄色そしてピンクなど、色とりどり、また形もさまざまの花を眺めていると心がすーっと軽くなります。
(2008年1月刊。1600円+税)

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京」(上下)

カテゴリー:社会

著者:楡 周平、出版社:講談社
 今から40年前の1968年に起きた東大闘争とは一体、何だったのか。そのとき活動家だった学生は今、何をしているのかを鋭く問いかけた小説です。当事者の一人でもある私の問題意識にぴったりあう舞台設定なので、大変興味深く、一気に読了しました。東大闘争の経緯については不正確なところが多々ありますが、さすがプロの書き手ですので、ぐいぐい魅きつけていくものがありました。最後まで、次はどういう展開になるのだろうかと、手に汗をにぎりながら読みすすめていきました。
 「当時は、本当に私たちの力でこの国を変えられると思っていた」
 「ああ、あの時代は、本気でそう思っていた」
 「だけど、何も変わりはしなかった。それが、私たちが行った運動は、すべて間違いだったってことの証明ってわけ。当時の仲間たちのほとんどは、あの頃のことなどおくびにも出さずに、安穏とした生活をむさぼっている」
 「プロの活動家なんて、もはや絶滅人種だ。デモに出かける人も、日頃は、思想信条を明らかにせず、一介の公務員として国家体制に寄生して糧(かて)を得ている。どこかの中小企業の労働者として、資本主義社会の恩恵に与っているのがせいぜい。私は、両手に手錠がはめられた時に、初めて目が醒める思いがした。権力に歯向かうことの愚かさ。屈辱と、全てを失うのではないかという恐怖を感じた」
 これは、それから30年後の元活動家同士の会話として語られています。たしかに私も、自分たちが大人になったときには世の中は根本的に変わっていると思いこんでいました。しかし、大きく変わったのは世の中というより、自分たちのほうでした。といっても、当時していたことが「全て間違いだった」などと私が思っているわけではありません。資本主義の片隅で、その恩恵を弁護士として受けていることは否定しませんが・・・。
 先日、高校の同級生だった医師と話していたとき、「あんたは、まだ弱者のためと思って(活動)しているのか?」と問いかけられました。私は、即座に、「そうだよ」と返事しました。弁護士になって35年になります。ずい分、安穏とした生活を過ごしていると自分でも思いますが、学生時代に抱いた理想、つまり弱い人のために役に立つ人間になろうということを主観的には忘れたことはありません(客観的に、どれだけのことができたか、しているかと問われると心苦しいのですが・・・)。
 体制を変えるためのもっとも早い方法は、権力の中に入り込み、その頂点に立つことだ。
 久しぶりにこのような文句に出会いました。そうなんです。学生のころ、よく聞いたセリフなのです。とりわけ、私のいたセツルメントでは、とりわけ法律相談部のセツラーのなかに、そのように言う学生セツラーが何人もいました。セツルメント活動を真面目にやっていた人のなかから、高級官僚や裁判官になった人は何人もいます。そしてセツルメント活動は、このセリフとのあいだの葛藤から成り立っている面があると言うと、いささか言い過ぎになるかもしれませんが、それほど重たく魅力的なセリフでした。だけど、多くの場合、結局のところ、このセリフにかこつけて権力に取りこまれて理想を喪っていくことになりました。もちろん、すべての人にあてはまるということではありませんが・・・。
 あのころ、セクトに属していた女性活動家に課せられた任務は熟知している。一般学生をセクトに誘うために、幾多の男たちと体を重ねた。
 うへーっ、まさかと、私は思いました。そんなセクトがあるなんて、当時、少なくとも私は聞いたことがありません。私の交際範囲の狭さからかもしれませんが・・・。もっとも、私の交友関係の大半を占めていた民青は、歌って踊って恋をしてという路線をとっていると批判されていましたし、私自身も女子学生が半数ほどを占めるセツルメントにいましたが、そんな「任務」なんて聞いたことはありませんし、あろうはずもないと私は考えています。
 アメリカのヒッピー学生のあいだでは乱交が常態化していたという本を読んだことがありますが、日本では、あったとしてもごくごく一部の話だと私は思います。もし、あっていたとするなら、ぜひ、どこの大学であっていたのか教えてほしいと思います。
 もちろん、男女学生が同棲生活をするというのは多数ありました。私自身は、残念なことに、そこまで至ることができませんでした。この本で最大の違和感があるのは、この「ドグマ」を前提としてストーリーが展開していることです。
 東大闘争とは言っても、実際のところ当の東大の学生活動家はそれほど多くはなかった。輝かしい将来を約束されている東大の学生にしてみれば、現体制が続くことが自分たちの安泰につながると考えこそすれ、その崩壊を望んだりはしないからだ。だから、東大生をオルグすることができれば、スリーパーとして権力の中に送り込むことだってできる。
 いやあ、これって完全な間違いだと思います。もちろん、その定義にもよりますけれど、あのころの東大のセクト・メンバーは、全共闘にしろ民青にしろ、どちらも数百人単位をこえていたと思います。なにしろ、東大の学内集会とデモにそれぞれ少なくとも500人以上は集まっていたのですから。私は、当時、駒場の学生(2年生)でしたが、6千人の学生のうち双方の活動家の合計は少なくとも1000人ほどいたというのが私の実感です(組織メンバーになっているか、強烈なシンパかはともかくとして・・・)。
 この本を読んで、東大闘争の事実経過を詳しく正確に知りたいと思った人には、『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)を一読されることを強くおすすめします。
(2008年2月刊。1700円+税)

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