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カテゴリー: 日本史(江戸)

高瀬庄左衛門御留書

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 砂原 浩太朗、 出版 講談社
いやあ読ませる時代小説です。久々にいい時代小説を読んだという余韻に浸っていると立川談四楼が本のオビに書いていますが、まったく同感です。
司法修習生のときには山本周五郎を読みふけりました。弁護士になってからは藤沢周平です。そして、最近では葉室麟でした。
ちなみに、「士農工商」という言葉が学校の教科書から消えていることを、つい先日、知りました。武士の下に農民、工業従事者そして商人という階層があると教えられてきましたが、武士が支配階級であることは間違いないとしても、農・工・商には上下の格差はないというのです。なるほど、なるほど、です。もともと、この言葉は中国に起源があり、そこでは、フラットな「たくさんの人々」という意味で、使われているのであって、階層間の格差の意味はないというものだというのです。
しかも、士については、商売人が成り上がることもあったし、できたことが、いくつもの実例で示されています。そして、士をやめて商を始めた人もいたわけです。
時代小説ですから、当然のように班内部の抗争を背景としています。ただ、小さな藩だからなのか、それほどの極悪人は登場しません。
主人公は郡方(こおりがた)づとめの藩士。妻は病死した。一人息子は、父親の職業を引き継ぐのだが、あまりうれしそうでもない。郡方は領内の村々をまわって歩く。
野山を歩き風に吹かれると、おのれのなかに溜まった澱(おり)がかき消える。どろどろとしたものが、空や地に流れて、溶けていく…。この心地良さは他に代えがたいものがある…。
登場人物が、実は複雑にからみあっていて、それぞれの役割を果たしながら、謎が解明されていく趣向はたいしたものです。今後ますますの活躍を祈念しています。
(2021年3月刊。税込1870円)

椿井文書

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 馬部 隆弘 、 出版 中公新書
『東日流(つがる)外三郡誌』は偽書と確定していると思いますが、古代の東北に未知の文明があったとするものですから、ロマンをかきたてるものではありました。
『武功夜話』も偽書だと断言する本(洋泉社新書)を読むと、そうだよね、偽書だろうねと思うのですが、今でも偽書だと思わず平気で引用したり、いや全部が嘘ではないとする人がいたりして当惑させられます。
この椿井(つばい)文書(もんじょ)は、椿井政隆(1770~1837年)が依頼者の求めに応じて偽作した文書の総称。中世の年号が記された文書を近世に移したという体裁をとることが多いので、だまされやすい。
なるほど、コピー機がないわけですから、人の手で写しをとるしかないときに、元の文書はどこに行ったか知らないけれど、これがその写しだと言われると、紙質の新しさなんて問題にならないわけです。椿井文書は近畿一円に出まわっていて、今でも村おこしに活用されているとのこと。恐ろしいことですね…。
村と村とが対立・抗争している状況で、その有力な解決策の根拠として椿井文書が登場する。必要に迫られ、求めに応じてつくられた偽文書だった。
椿井政隆は、意識的に未来年号を使用したと考えられる。つまり「平成33年1月」というような、ありえない年号を表記したのです。これは、偽文書だと訴えられたとき、戯れでつくったものと言い逃れができるような伏線だと考えられる。さすがに考えていますね…。
国絵図にしても、描写に描写を重ねたとすることで、紙や絵の具が新しいことを怪しまれないように工夫した。
信じたい人々に、その信ずる材料をせっせと供給していたというわけです。
トランプ大統領がインチキ選挙があったと叫ぶと、「そうだ、そうだ」と応える人がいるのと、本質的に変わらない現象ですね…。
(2020年4月刊。900円+税)

むさぼらなかった男・渋沢栄一

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 中村 彰彦 、 出版 文芸春秋
渋沢栄一を主人公とするNHK大河ドラマが始まることは知っていました(もっとも私はドラマをみることはありません)が、新しい1万円札の顔にもなるのですね。こちらは自覚がありませんでした。
渋沢栄一は三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎とは長く反目しあっていたとのこと。この本によると、岩崎弥太郎は、専制主義的な独占論を主張していたといいます。さもありなん、です。日本の財界って、昔も今も、自分たちのことだけ、金もうけ本位で、国民全体のことを考えようという発想がハナからありませんね。本当に残念です。教育にしても、すぐに役立つ、つまりダメになれば使い捨てる、目先の「人材」育成しか考えていないくせに、大声をあげて道徳教育を強調するのですから、ほとほと嫌になります。そんな財界の権化ともいうべき岩崎弥太郎と反目しあったというのですから、私はそれだけでも渋沢栄一の肩をもちたくなります。
江戸時代の末期、まだ幕府があったころにフランスに渡って、パリで開かれた万博(万国博覧会)を見学し、渋沢栄一はすっかり認識を新たにしたのだそうです。これまた、さもありなん、です。
渋沢栄一は、パリにいたとき、ロシア皇帝アレクサンドル2世、フランスのナポレオン3世、プロシャの皇太子らと一緒に競馬をみたとのこと。1867年6月のことです。
渋沢栄一は、もちろん船でフランスに向かったのですが、横浜を出てマルセイユ港に着くまで48日かかっています。船中でフランス語を勉強したようです。そしてフランスには1年8ヶ月も滞在して、大いに勉強したのでした。
幕末のころ、長州藩は大量の洋式銃を購入できたわけですが、それはアメリカの南北戦争が終わった(1865年)ことによるというのを改めて認識しました。南北戦争が終わって不要となった武器・弾薬類が大量にもち込まれたのです。
イギリス人商人のトーマス・グラバー(長崎の有名な「グラバー邸」の主)から、長州藩はゲベール銃3000挺、ミニエー銃4000挺を購入しました。坂本龍馬の亀山社中が紹介して、長州藩の井上(馨)と伊藤(博文)が交渉にあたりました。この大量の洋式銃の威力はすさまじく幕府軍の兵士たちをなぎ倒してしまい、長州勢の完勝、幕府軍の惨敗となったのです。
渋沢栄一は、埼玉県深谷市の農家の生まれです。農業を営むかたわら養蚕業そして藍(あい)を製造していました。つまり商才を父親から譲り受けたのです。そして、その才能を見込まれて農民から武士に取り立てられたのでした。幕末のころ、農民の子が武士になった例はたくさんありました。新選組の近藤勇や土方歳三、芹沢鴨などもそうです。
明治になって渋沢栄一は政府の要職に就き、さらには辞職して第一国立銀行に入ります。もちろん、そこで大活躍したわけですが、なんと渋沢栄一の肖像の入った額面5円の銀行券が発行されていたそうです。新1万円券の渋沢栄一の登場は「2度目のおつとめ」になるのでした。
財界人が自分と自分の会社の金もうけしか考えず、国の政治をそのために金力で動かそうとするなんて、サイテーですよね。そんなサイテーの財界人が今の日本に(昔もそうだったでしょうが…)、あまりに多すぎて、ほとほと嫌になります。まあ、それでも、ここであきらめてはいけないと思っているのです…。
(2021年1月刊。1600円+税)

女だてら

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 諸田 玲子 、 出版 角川書店
江戸後期に活躍した女性漢詩人、原采蘋(さいひん)の半生を小説にして紹介しています。舞台は筑前国秋月藩。儒学者の原古処(はら・こしょ) の娘が主人公。
秋月黒田家は、本家の黒田家とのあいだでお家騒動の渦中にある。
原古処は、藩校稽古館(けいこかん)の教授、そして、古処山堂という私塾を開いた。秋月藩主の覚えもめでたかった。ところが、文化8年、秋月黒田藩で大騒動が勃発し、原古処は教授職から罷免されてしまった。その後、原古処は娘を連れて江戸参府の旅に出た。
そして、父・古処の死後、娘は男になりすまして、再び旅に出る。本藩の専横に苦しめられている秋月黒田家に、本藩には意のままにできない藩主後継者を迎えて家の存続を図り、真の独立を成し遂げる。これが真の目的…。
学問に身を投じ、おのれの名を世に知らしめるためには、諸国を旅して見聞を広め、人脈を築いておかねばならない。そうなんですよね…。
女性の一人旅なんて、危険だからしているはずがないと思っている人は多いわけですが、実は、江戸時代、女性が旅をすること、そしてたまには一人旅も少なくなかったのです。
主人公が江戸に向かうとき、秋月藩の許可は得られず、久留米藩子の養女になって、江戸参府を目ざした。
采蘋の恋人として登場する駿河国の田中藩士の石上玖左衛門も実在の人物だということです。
女流漢詩人が男装して活躍する、大活劇、そしてミステリー小説といった雰囲気のある本です。まさしく「女だてら」の世界です。秋月黒田藩と結びつけて小説が展開していく様子は、なんとも想像力のたくましさに驚嘆させられます。
秋月郷土館には、キリシタンを「壊滅」させた原城の戦いを描いた絵巻物の実物があります。圧巻です。まだ見ていなかったら、ぜひ行って見てきてください。
(2020年9月刊。1800円+税)

武士に「もの言う」百姓たち

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 渡辺 尚志 、 出版 草思社
 江戸時代の百姓をもの言わぬ悲惨な民とみるのは、実態からほど遠い。実際の百姓たちは、自らの利益を守るために積極的に訴訟を起こし、武士に対しても堂々と自己主張していた。
 この本は、信濃国(しなののくに。長野県)の松代(まつしろ)藩真田(さなだ)家の領内で起きた訴訟を詳しく紹介し、百姓たちが長いあいだ訴訟の場でたくましくたたかっていたことを見事に明らかにしています。
 内済(和解)によって丸くおさめるという裁判の大原則を拒否し、あくまで藩による明確な裁許を求める「自己主張する強情者」が増加していたこと、藩当局としても事実と法理にもとづく判決によって当時者を納得させようとしていたことが詳しく紹介されていて、とても興味深い内容です。
百姓たちは、訴訟テクニックを身につけ、ときにしたたかで狡猾(こうかつ)でもあった。
 この本のなかに江戸時代の田中丘隅(きゅうぐ)という農政家の著書『民間の省要(せいよう)』が紹介されていますが、驚くべき指摘です。
 「百姓の公事は、武士の軍戦と同じである。その恨みは、おさまることがない。武士は戦においてその恨みを晴らすが、百姓は戦はできないので、法廷に出て命がけで争う」
 つまり、百姓にとっての訴訟は、武士の戦に匹敵するほどの必死の争いだったという。
たしかに百姓は裁判に勝つために、武士に向かって、ありったけの自己主張をする。それを裁く武士の側も、原告と被告の双方を納得させられる妥当な判決を下さなければ、支配者としての権威を保てない。
 江戸時代の人々に訴訟する権利は認められていなかった。紛争の解決を領主に要求する権利はなく、領主が訴訟を受理するのは義務でなく、お慈悲だった。
しかし、これは建前であって、現実は百姓たちは武士たちが辟易(へきえき)するほど多数の訴訟を起こした。百姓たちは、「お上(かみ)の手を煩(わずら)わす」ことを恐れはばってばかりではなかった。
 「公事方(くじかた)御定書(おさだめがき)」は、一般には公表されない秘密の法典で、それを見ることのできたのは、幕府の要職者や一部の裁判担当役人に限られていた。しかし、これも建前上のことで、実際には公事宿が幕府役人から借りて写しとり、それをさらに町役人が写しとったりして広く民間にも内容は知られていた。
 現代日本人の多くは、できたら裁判に関わりたくないと考えているが、江戸時代の百姓たちは違っていた。不満や要求があれば、どんどん訴訟を起こした。江戸時代は「健訴社会」だった。というのも、裁判を起こしても、すべてを失うような結果にはならないだろう。仲裁者が双方が納得できる落としどころをうまくみつけてくれるだろうという安心感に後押しされて、百姓たちは比較的容易に訴訟に踏み切る決断をなしえた。訴訟に踏み切るためのハードルは、むしろ現代より低かったと考えられる。
 藩にとっては、領内の村々が平穏無事であることが、藩の善政が行き渡っている何よりの証拠だった。なので、判決において、当事者たちが遺恨を残さないようにするための配慮がなされた。
 江戸時代の実情を改めて考えさせられました。
   (2012年12月刊、1800円+税)

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