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カテゴリー: 人間

旅人の表現術

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版 集英社文庫
著者の旅行体験記である『空白の五マイル』そして『極夜行』には、ため息を吐くのも忘れてしまうほどに圧倒されてしまいました。もちろん、その旅行から無事に生還して体験したことを文章化しているわけですが、その旅行では極限の窮地に置かれ、どうやってこの死地から脱出するのか、つい手に汗を握ってしまいます。
著者は初めから文章や本を書くことを前提に探検や冒険に出かけている。
はじめのころは、行動者としての自分、表現者としての自分が分裂し、自己矛盾をきたしているのではないかというジレンマにかなり悩まされた。しかし、今では、このジレンマに苦悩することは、ほとんどなくなった。それは探検家としての行動者的側面と、書き手としての表現者的側面が自分のなかで無理なく一つにまとまっていると感じることができるようになったからだ。
なーるほど、ですね。なんだか悟りの境地にある仙人みたいです。
冒険とは、死を自らの生の中に取り組むための作法である。
経験とは、想像力を働かせることができるようになることだ。自分だけの言葉で語ることのできる事柄を、自分の中に抱えこむということだ。冒険のあいだ、死にたいする想像力をもつことができる。
探検は冒険の一種だ。冒険というのは、個人的な行為だ。主体性があって、生命の危機にかかわる行為であれば、それは冒険だ。探検は、それに未知の部分が加わる。
探検はアウトプットを必要とする。冒険はアウトプットを最終的な目的としない。
本多勝一、開高健の作品もすごいと思って読みましたが、著者の探検記も、生と死の極限状態をギリギリのところまで究めようとしている壮絶さがあります。
この本は、そんな著者がいろんな人と対談しているので、さっと読めますし、ああ、そういうことだったのか…と、いろいろ教えてくれました。
(2020年2月刊。700円+税)

僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 常見 陽平 、 出版 自由国民社
43歳にして父となり、今は2歳児の子育てに専念してはいない、専業主夫業です。
朝5時に起きて、娘が起きてくる7時までの2時間だけが唯一、自分の自由になる時間。
まず風呂に入って、防水仕様のスマホで朝刊を確認する。紙ではないのですね。
朝7時になると、家族の朝ごはんをつくる。
朝7時から9時までの2時間は、妻と娘のために使う。
自分の思いどおりになる時間はほとんどなくなった。
子どもは大人の思いどおりには動いてくれないもの。
イクメンという言葉は嫌いだ。イクメンと呼ばれるのには強い抵抗がある。
子どもは、会社や社会全体で、助けあい補いあいながら育てていくべきもの。
今しか見ることのできない世界を見に行くというスタンスで、子育ての時間を楽しむようにしている。家事は仕事、労働だ。家事・育児・介護は「いのち」がかかっているので、サボることができない。
著者は1日7時間睡眠を死守しているとのこと。私も以前はそうでしたが、今は1日6時間です。ただし、昼か夕方に20分ほど横になるよう努めています。やはり40代、50代と同じようにはいきません。
大事なことは、優先順位とクオリティ。
朝、娘が熱を出すと、著者と妻の一日の仕事のスケジュールが一変してしまう。子育て中は、娘のご機嫌など、そもそも不確定な要素が多く、いつも追われているような生活になる。
子育ては、模索の毎日。子育ては現実。子育てしていると、知らないことばかりなのを自覚し、猛反省させられた。
本当にそのとおりです。弁護士生活46年になっても、世の中、知らないことばかりなのです。
男性にとっての子育ての大変さと楽しさがよく伝わってくる本でした。私も5歳と2歳の孫が半ば同居していますので、彼らを見ていると、なるほど、人間ってこういうものなのかと教えられます。
(2019年8月刊。1200円+税)

トキワ荘の時代

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  梶井 純 、 出版  ちくま文庫
 私が小学生のころ、『少年サンデー』が週刊誌として発売されました。1959年(昭和34年)のことです。しがない小売り酒屋の三男坊だった私は、そんなマンガ週刊誌なんて親に買ってもらえませんでした。でも、同じクラスに医者の息子がいて、彼から借りて読むことができたのです。
そのなかに「スポーツマン金太郎」というのがありました。作者は寺田ヒロオです。スポ根ものというより、ほのぼのタッチに近いというイメージが残っています。トキワ荘では「テラさん」として登場したのでした。
テラさんは、仲間たちから愛され、信頼される人柄でした。トキワ荘アパートがあったのは豊島区で、このころ木造賃貸アパートが東京一密集していたうちの一つだったのです。
トキワ荘アパートが建ったのは1953年(昭和28年)初めのこと。ここに手塚治虫が入居し、その年の暮れに寺田ヒロオも住むようになった。一部屋の家賃は月3千円。寺田ヒロオのマンガは、なんかふんわりした、笑いだとしても微笑するくらいのマンガ、それが一番好きな世界だった。
手塚治虫は、けっして見下した態度をみせず、誰に対しても励ましの言葉を忘れなかった。これは、才能というより、生来の気質だった。
寺田ヒロオは、他からは落ち着いているようにみえたが、本人に言わせると、動作ものろいうえ、うまく口もきけないので、無口になるしかなかったからだということになる。
安孫子は、かしこく、陽気さと筋道だった思考による積極的な対話を得意としていた。安孫子は、マルクス『資本論』も読んでいたとのこと。さすがです。
そして、若いマンガ家たちは、よく映画をみていたようです。赤塚不二夫も石森章太郎も映画キチガイだったとのこと。
トキワ荘にいた若いマンガ家たちにとって、寺田ヒロオは常におとなびたまなざしで仲間を見守る存在だった。寺田ヒロオへの信頼感は、無限にやさしい家父長に対するもののように、ほとんど絶対的なものだった。
赤塚不二夫は、従業員わずか6人の零細工場で働く中卒の工員だった。それで偉大なマンガ家になったのですから、すごいことですね。
1957年ころ、池袋の居酒屋で寺田や安孫子が飲んでいる写真があります。なんだか、ほのぼのしてくる雰囲気の写真です。
トキワ荘によって立つ若いマンガ家たちの息吹のなかで苦闘する寺田ヒロオの足どりを知り、なんだかほっとする思いでした。読後感のすがすがしい文庫本です。
(2020年2月刊。880円+税)

松本清張が『砂の器』を書くまで

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山本 幸正 、 出版 早稲田大学出版部
あまり本を読まない、小説を読まない人でも、日本人なら松本清張の名前を知らない人は、まずいないと思います。
松本清張は1960年ころが最盛期だったのでしょうか。平均で毎月11本もの作品を発表していたのです。驚くべき作家です。
この多作を支えていたのは、松本清張が口述筆記をしていたからで、専属の速記者がいまいした。そして、松本清張は、文語体で話していたのです。これまたすごいことです。
朝9時から仕事にかかり、夜の11時にはどんなことがあっても終わりにした。徹夜は絶対にしない。午後4時ころ、30分間は必ずお昼寝した。
1日に20枚から25枚の原稿を書く。1日10時間、1時間に2枚の割合だ。
週刊誌4本、月刊誌5本の連載をかかえていた。
松本清張は地方紙、ブロック紙、全国紙の夕刊そして朝刊というように一歩一歩ステップアップしていった。
『砂の器』は、その前の1960年5月から翌年4月まで新聞小説として読売新聞の夕刊に連載された。
そして、この『砂の器』は、ミリオン・セラーといっても436万部もの超ベストセラーだ。2位が『点と線』206万部、3位が『わるいやつら』228万部、そして4位は『ゼロの焦点』215万部となっている。
松本清張の作品は今なお、繰り返しテレビでリメイクされて放映されている。今もやってますね。なので、松本清張は、まぎれもなく現役の作家なのである。2019年3月、フジテレビは『新・砂の器』を放映した。死してなお、松本清張はますます健在である。
新聞小説は特殊な小説だ。400字詰め原稿用紙3枚半の原稿を毎日掲載し続ける。読者の興味をつなぐ工夫が必要とされる。新聞小説は、小説を読むことを第一には考えていない購読者を満足させなければならない。こった表現は避け、会話をできるだけ多くして、紙面を文字で覆い尽くさないように心がける。
新聞小説は、読者という他者を、否応なく書き手に意識させてしまう特殊なジャンルの小説なのだ。読者を退屈させないために、筋も境遇も人物も、みんな創作しようとする姿勢は、まさしく松本清張のものだ。
野村芳太郎監督の映画『砂の器』は、橋本忍と山田洋次が脚本を担当している。そして、『砂の器』は、この映画のあとは、すべて原作ではなく、この映画を規範としている。
映画の感動をもとに原作を読むと、「あまりのつまらなさに愕然とする」と酷評する評論家すら存在する。ええっ、そ、それは、いくらなんでも言い過ぎでしょう…。
本書は早稲田大学の博士論文を出版したものですから、やや学術論文としてくどい(難しい)ところもありますが、松本清張が『砂の器』を書くに至った前後を深く掘り下げたものとして、関心のある人には一読をおすすめします。
私はコロナ問題で仕事が暇になったので、喫茶店にこもって半日で読みあげました。
(2020年3月刊。4000円+税)

デジタルで読む脳、紙の本で読む脳

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  メアリアン・ウルフ 、 出版  インターシフト
 たった一文字でも音読するときは、視覚野にある特定のニューロングループのネットワーク全体を活性化し、そのネットワークは同じくらい特定の言語ベースの細胞グループのネットワーク全体に対応し、そのネットワークは特定の調音運動神経細胞グループのネットワーク全体に対応する。すべてがミリ秒の精密さ。基本的にこれら三つの原理の組み合わせが読字回路の基礎となる。この回路は、二つの脳半球、脳半球それぞれの四つの葉(前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉)。そして、脳の五つの層すべて(最上部の終脳とその下に隣接する間脳から、中間層の中脳、そして下位の後脳と髄脳まで)からの入力を取り入れる。
本を読むという行為には、意識を変える側面があり、それを通して、私たちは、希望をなくしてやけになったり、秘めた感情に恍惚とし身を焦がしたりし、それが何を意味するのか、感じられるようになる。
私たちは孤独でないことを知るために本を読む。過去20年間で若者たちの共感が40%低下し、この10年でも最も急激に低下している。この共感喪失の主な原因は、若者たちがオンライン世界を渡っていくには、どうしてもリアルタイムでじかに話す関係から注意をそがれてしまうことにある。現代テクノロジーのせいで、私たちは互いに距離を置くことになる。共感は、他者を掘り下げて理解することでもあり、異なる交代どうしのつながりが強まっている世界では欠かせないスキルなのだ。
活字の字を読むとき、運動皮質が活性化する。それは文字どおり、皮質の跳躍に近い。共感には、知識と感情の両方を必要とする。
現代の若者は、自分が何を知らないかを知ろうとしない。知識が発展するためには、私たちは絶えず背景知識を増やす必要がある。デジタル刺激がひっきりなしに続けば続くほど、ごく幼い子どもでさえ、機器を取り上げられたときに退屈と倦怠感を訴える。注意過多、恒常的注意力分散、注意力不足が起きる。
デジタル機器に取りかこまれているということは、注意散漫の世界に生きていることを意味する。同じストーリーであっても、活字本で読んだ学生のほうが画面で読んだ学生より筋を時系列順に正しく再現できるという実験結果がある。デジタルに慣れて、脳の新奇性中枢がピカピカの新しい刺激を処理すると報酬を与えられるようになり、いつのまにか中毒ループに入ってしまう。これは、持続的な努力と注意に対する報酬を得たい前頭前皮質にとってマイナスだ。私たちは長期的な報酬を求め、短期的なものをあきらめるよう、自分を訓練する必要がある。
読解力達成度のもっとも重要な予測因子のひとつは、親が子どもに読み聞かせをする量だ。子どもに毎日、読み聞かせをし、毎晩、物語を読むことを儀式化する。子どもに自分たちの文化への準備をさせ、生涯の教訓を教える物語だ。あらゆる文化に見られる普通の道徳律は、物語で始まる。私たち人間は物語を話す種(しゅ)なのである。
4年生の読解レベルと学校での落ちこぼれには相関関係がある。アメリカ州当局の刑務局は、将来的に必要になる刑務所のベッド数を、4年生の読解力の統計をもとに見積もっている。
流暢な読みをするには、言葉の働きだけでなく、言葉がどういう感情を生むかについても、知る必要がある。共感と視点取得は、感情と思考の複雑な識別の一部であり、その二つが合わさると、より深い理解が促される。バイリンガルの成人のほうが、モノリンガルの成人よりも、話し言葉の柔軟性をはるかにたくさん身につけていることが実験の結果、判明した。
やっぱり人間にとって、とくに子どもにとって必要なのはデジタル機器ではなく、昔ながらの親による本の読み聞かせなのだということが改めてよく分かりました。
(2020年2月刊。2200円+税)

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