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カテゴリー: 人間

トキワ荘マンガミュージアム

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 コロナ・ブックス 、 出版 平凡社
団塊世代の私にとって、小学生のころ、「少年サンデー」と「少年マガジン」がはじまりました。小学校の正門前の医者の息子が同じクラスでしたので、彼の家に立ち寄って読ませてもらっていました。わが家では買ってもらえなかったのです。経済的な問題と、マンガなんて…という教育的な観点の両方が理由だったように思います。
この本によると、創刊時は、マンガのページは全体の3分の1ほどしかなくて、読み物主体の雑誌だったそうです。これには驚きました。それがマンガ主体の雑誌になったのは、このトキワ荘のマンガ家たちが活躍するようになってからだそうです。
では、トキワ荘グループとは、誰なのか…。
いやはや驚きますね。日本のマンガの初期の代表者のオンパレードなんです。
手塚治虫、青田ヒロオ、藤子不二雄(ⒶとⒷ)、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、そして女性では水野英子など…。いやあ、驚いてしまいます。もちろん、みんな若い。10代から20代で、みんな独身ばかり…。そして、周辺に、つのだじろう、つげ義春、ちばてつやもいます。
トキワ荘は、トイレも台所も共用。そして風呂はなく、近くの銭湯へ連れだっていく。
お金が入れば、みんなこぞって近くの映画館へ出かける。休日には野球チームをつくって試合することもあった。ラーメンを食べるのが、ごちそうという生活。徹夜仕事なんてあたりまえ。人手不足はお互いに助けあって埋める。
トキワ荘には電話がなく、近くに公衆電話ボックスがあった。出版社からは電報が届いた。
私も楽しみに読んでいた「おそ松くん」、「オバケのQ太郎」は、いずれも赤塚、藤子がトキワ荘から出たあとに大ヒットしたもの。
マンガを描くのにアシスタント制はなかった。ひとりで描いていた。
ところが、手塚治虫がストーリーを考え、ネームをきり、下書きを描き、人物は自分でペン入れするが、ベタやアミ、背景や小道具などはアシスタントがするシステムを発明した。これでマンガを量産できるようになったのです。
石ノ森章太郎は、マンガの天才だったようです。なるほど、と思いました。
トキワ荘の住人だった一人(山内ジョージ)は、他人と同じことをやっていては、この世界では生き残れないことをトキワ荘で学んだ、と語っています。いやあ、本当にそうなんだろうと門外漢の私も思います。なので、この人はマンガではナンバーワンになれそうもないから、イラストの世界でオンリーワンを目ざしているとのこと。賢明ですね…。
本物のトキワ荘は解体されて消滅しましたが、跡地の近くに「トキワ荘」が再現されてミュージアムになっています。私もぜひぜひ行ってみたいと思います。コロナ禍によって、もう東京には1年半以上も行っていません。もう少し状況が落ち着いて上京したら、行ってみたいところの一つです。
(2021年5月刊。税込2200円)

読む、打つ、書く

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 三中 信宏 、 出版 東京大学出版会
いつまでも、そこに本があると思うな。これは著者の座右の銘だ。
たしかにそうなんです。「読者という一期一会」という見出しがついていますが、一瞬の迷いで、目の前にある本を買わなかったとしたら、あとでとても残念な思いをすることがあります。なぜなら、新刊本が店頭に並ぶのは、いわば一瞬でしかないからです。なので、私は、カバンの重たさとだけ相談して、まずは買うようにしています。そして、新聞の書評などを読んで面白そうだと思ったら、ともかく注文します。逆にいうと、全集の類には手を出しません。
著者の掲げる、研究者としての心得5ヶ条。①根拠のない自信をもつ、②限りなく楽観的である、③好奇心アンテナが広い、④孤独な天動説主義者、⑤偶然を受け入れる構えをもつ。
私には、②、③、⑤は異議ありませんが、①と④は自信がありません。
著者は複数言語への目配りを怠らないように気をつけているとのこと。私も、恥ずかしながらフランス語だけは続けています(英語はダメなのですが…)。
薄切りにされた断片的情報だけに目を奪われると、それらをつなぎ合わせる体系的知識を求める動機づけが希薄になる。
著者の読書は1時間で100~150頁というのが基本ペース。ともかく、一定の速度でページをめくる。この定速は低速ではない。そして、著者は、①本に書き込む(マルジナリア)、②メモ書き、③付箋紙を貼りつける。私も①と③は必須です。②は、たまにするだけです。
著者は目次をしっかり読むとのこと。私は、それはしていません。
著者は、文献リスト、事項索引、人名索引を必ずつけるようにしている。これは自分のため。私は、そこまで出来ていません。
著者の読書は紙の本を基本とする。私は、紙の本しか読みません。電子書籍なんて、まっぴらご免こうむります。
日本では、「理系の本」を書評する人が圧倒的に少ない。それで、東大農学部出身という理系の著者は活躍が求められるわけです。
息を吸うそばから吐くように、本を読めば書評を打つ。
私の場合、書評を書く目的は2つあります。一つは、安心して忘れることができるようにするため。もう一つは、他人の文体を取り入れて自分の文章修行にするため。
世の中には、いろんな面白い本があることを世の中に知ってもらうのが書評家(者)のつとめ。まったく同感です。
著者にとっての書評とは、書くのも読むのも「自分ファースト」。著者にとって、書評は、自分のためにあるものなので、気になる本や面白い本は、とりあえず書評を書く。
私も同じです。年間500冊(コロナ禍で外出しない今年は400冊にたどり着けるのか、心配しています…)の単行本を読み、そのうちの365冊をこのコーナーで紹介するというのを、もう20年近く続けてきました。それは、なにより自分のための作業なので、続けてこれたのです。
本に囲まれているかぎり、心安らかな日々を過ごせる。これは著者のコトバですが、私もまったく同じ気分です。本を買っても、すぐに読む必要はない。あれば、そのうち読むチャンスが来る。
1冊の本をまるごと書くことによって、最大の利益を得るのは著者にほかならない。まったく、そのとおりです。
1冊の本を書くことで、いま現在の時空平面を超えて、過去から未来への軸にそった視座を示すことができる。
本をたくさん書くためには、①時間を確保する、②計画を厳守する、③弁解無用。この3つをスローガンとして、実行しなくてはいけない。うむむ、そうなんですか…。
文章を書くときには、完璧でなくても、とにかく書きすすめることが大切。たくさん書くためには、拙速主義を第一とする。毎日、少しずつでも書き続けたら、まちがいなく幸せになれる。これは、私も実践しています。
本を1冊書きあげるには、知力、忍耐力、そして決断力が必要。まずは、とにかく四の五の言わずに書きまくれ。これまた、ぴったり私の胸にきました。
ちょうど私より10歳だけ年下の著者の指摘には同感・共感するばかりでした。
(2021年6月刊。税込3080円)

かこさとしの手作り紙芝居と私

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 長野 ヒデ子 、 出版 石風社
かこさとしは、私より20年も年長ですが、川崎セツルメントの大先輩です(したがって、残念ながら、まったく面識はありません)。
東大工学部を1948年(私の生まれた年です)に卒業して化学会社(昭和電工だったと思います)に入社し、工学博士もとった技術者なのですが、なぜか川崎セツルメントに入って、子ども会で活動するようになります。大学生時代はセツルメントではなく、演劇研究会に入っていたそうです。
セツルメント子ども会では、子どもたちに自作の紙芝居を演じて、大人気を買います。
1949年につくった紙芝居は『わっしょい、わっしょい、ぶんぶんぶん』。この紙芝居はなんと、掛図式になっていて、長い棒の両端をセツラーが舞台でかついで、それを加古さんがめくりながら語るというもの。これで子どもたちに受けないわけがありません。
そして、この絵の中に、『からすのパンやさん』のカラスたちも登場していたのです。
かこさとしの絵は、いわゆる「ヘタウマ」というのでしょうか。登場する人物は、どれも整った美しさというより、そこらによくいる、おっさんとガキたちという親しみあふれる表情をしています。
加古里子は男性です(本名は中島哲)。2018年5月2日に、92歳で亡くなりました。
私が子どもたちに読んできかせた話の一番のお気に入りは、なんといっても、『どろぼうがっこう』です。そこに登場する校長先生は「熊坂長範」という福井生まれの大泥棒がモデル(かこさとしも福井出身)。もし、この『どろぼうがっこう』を我が子に読んできかせていないというのでしたら、今すぐ注文して読んでみてください。そして、子どもに読み聞かせしてみてください。からすのパン屋さんシリーズもいいですよ。
そして、『かわ』という、科学絵本もいいです。実に正確に事実を語りながら、子どもの心情と視点と、好奇心を失わせず、とても理解しやすいように、楽しく、わかりやすく、語り、描いている。本当に、そのとおりです。安心して子どもたちに絵を示しながら、読み聞かせすることができます。
70頁ほどの小冊子ですが、私にとっては、なつかしいセツルメントと、かこさとしの絵本のすばらしさを紹介してくれる本なので、すぐに手に入れて読み終えました。ありがとうございました。
(2021年9月刊。税込880円)

「数学をする」って、どういうこと?

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(霧山昴)
著者 小山 信也 、 出版 技術評論社
東大の理学部数学科を卒業した数学者による中学生・高校生向けの「やさしい」数学の本です。といっても、実は、最後まで、さっぱり分かりませんでした。分かったことは、うひゃあ、こんなことを数学者は議論しているのか…、という、テーマの設定くらいです。
末尾に、数学専攻の大学では、卒論がないそうです。大学4年生に、新しい数学の定理の発見とか証明をするのは難しいからだそうです。教授が学生に手とり足とり教えて書いたような学生の論文なんて価値がない。数学の世界ではオリジナルなアイデアが必須であり、大学生のうちは無理に論文を書くより、じっくりと基礎を固めたほうが、あとになって大きく花開くと期待されている。短期間に無理に成果をあげることも推奨されない。なーるほど、ですね。
若いうちから、研究者個人の着想が重視される世界で、それが数学の世界だ。
そんな数学者の世界が著者にとっては、すごく居心地のいいところのようです。
では、数学とは、どんな学問なのか…。数学は、人が無意識に抱いている数や図形に対する感覚を、論理的に、正しく考えなおす学問である。たとえば、鏡(かがみ)。左右が反対になるのに、上下が反対にならないのは、なぜなのか…。著者は、言葉の定義をはっきりさせると解決するといいます。
「反対になる」というのは、ベクトルが逆向きになること。鏡で反対になるのは「前後」。左と右の定義が問題。左と右とは、上と前という2つの向きが決められたとき、それを使って相対的に定義される。鏡によって「前後」が逆になったことに連動して「左右」も自動的に反対になった。「上下」の定義は、「前後」と独立であるため、「前後」が反対になった影響は受けない。
うむむ…、なんだか分かったような…。こんな気持ちは分かりますよね…。
学校は基礎を学ぶところだから、あらかじめ正解が準備されていて、そのとおりに解く練習を積む。でも、これは数学という学問のごく一部。数学でもっとも重要なことは、定理を発見して証明すること。証明された事実を定理といい、証明される前の命題を予想という。証明できていない命題は、証明されてはじめて定理と呼ばれる。その前は、予想という。すぐれた数学者とは、難しい問題を解ける人ではなく、よい問題を産み出せる人をいう。
数学は人類の無限への挑戦である。数学の定理を証明するとき、人は無限を相手にしなければならない。数学の歴史は、先入観とのたたかいの歴史だと言ってよい。無限に繰り返されるからといって、合計が無限大になるのではない。
時間を0に近づけた極限値をとったものを「瞬間の速さ」という。これは瞬間の速さは0ではないということ。
数学では予想が重要。数学で重要なのは。計算結果よりも、そこに至る過程の考え方。つまり、数学は、人の感性が重要な学問なのだ。自由な発想があれば、可能性は無限に開けている。数学でもっとも大切なことは、「できる」と思って取り組むこと。
数学の定理も、人間関係のなかで生まれる。数学も人間の営みだ。
私が驚いたのは、無限大にも大小があるという話。無限の大きさに種類があるということが、リーマン予想の研究の基本にある。素数は無数に存在する。これがユークリッドの定理。
数学者は、真実は前からそこに存在していたが、人間が理解できていなかっただけだと感じている。そして人間の努力でそれが見えるようになったので、発明ではなく、発見という感覚を有している。
この本には、もちろん数学の本ですからたくさんの数式が並んでいます。私にはさっぱり理解できない世界です。それでも、数学者の世界の一端を少しのぞいてみた気分になる本です。私も、高校3年生までは理系のクラスにいて微分・積分も勉強していました(数Ⅲの世界)が、今では、残念ながらはるか遠い彼方の世界になってしまいました。
(2021年5月刊。税込2200円)

妻を帽子とまちがえた男

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 オリヴァー・サックス 、 出版 早川書房
人間とは、いかなる存在なのか、この本を読んで改めて考えさせられました。
大統領の演説を聞いていた失語症患者の病棟で、どっと笑い声が起きた…。失語症の患者は知能が高く、自然に話しかけられたら言われたことの大半は理解している。
失語症患者は言葉を理解できないので、言葉でだまされることはない。しかし、理解できることは確実に把握する。言葉の表情をつかむのだ。言葉の表情を感じとる。なので、嘘をついても見やぶってしまう。人間の声のあらゆる表情、すなわち調子、リズム、拍子、音楽性、微妙な抑揚、音調の変化、イントネーションを聞き分ける。なので、大統領の演説がけばけばしく、グロテスクで、饒舌(じょうぜつ)やいかさま、不誠実なことを見抜き、大統領の演説を笑った。
同じく、音感失認症の女性も大統領の演説に感動できなかった。説得力がない。文章がだめ。言葉づかいも不適当だし、頭がおかしいか、何か隠しごとがある…。
「健常者」は、心のどこかに騙されたいという気持ちがあるため、見事にだまされたが、失語症や音感失認症の人にはそれがなく、笑ってしまったり、感動させることができなかった。
いやあ、アベやスガの話を聞いてもらいたいですね。そして、その反応を知りたいものです。
固有感覚というものがあるそうです。初めて知りました。
からだの感覚は、三つのもので成り立っている。視覚、平衡器官そして固有感覚。通常は、この三つすべては協調して機能している。固有感覚というのは、からだのなかの目みたいなもので、からだが自分を見つめる道具。固有感覚を喪失すると、からだは感じられる実体ではなくなり、本人にとっては「失われて」しまう。たとえば、からだを動かすときには、まずからだの各部分をしっかりと見つめて、どうなっているのか目でたしかめなければならなかった。
この本は1985年に出版されたものです。それでも決して内容が古くなってしまった、今では通用しないというものではありません。いわば良き古典ですね…。
(2019年7月刊。税込968円)

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