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カテゴリー: 人間

蜥蜴(とかげ)の尻っぽ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 野上 照代 、 出版 文芸春秋
山田洋次監督の映画『母(かあ)べえ』の原作者が映画との関わりを縦横無尽に語っている興味深い内容の本です。
著者の父・野上巌は、山口高校(旧制)から東京帝大独文科に入り、共産主義思想に傾倒。日大予科教授になったものの、思想的によろしくないというのでクビになり、高円寺で古本屋を開業した。そして、警察に何度も逮捕された。小林多喜二が築地警察署で虐殺された(昭和8(1933)年)ころのこと。やがて、父は転向声明に署名したので、保釈で拘置所から出てきた。そこは映画と事実が異なっている。そのあとは、ドイツ大使館で翻訳嘱託として雇われた。
映画づくりにずっと関わってきた著者の話は、やはり映画づくりの現場に関するものが一番面白いです。映画『たそがれ清兵衛』の撮影現場を著者は間近でみていて、それを文章化しています。決闘の相手になった余吾善右衛門を演じた前衛舞踏家の田中泯について、著者はこう描いている。
山田組の現場は、黒澤(明)組の喧々(けんけん)囂々(ごうごう)に比べたら静かなもの。
山田洋次監督の脚本は、いつもその土地の方言に忠実なことが魅力のひとつだ。このときも原作者である藤沢周平の郷里、山形県庄内地方の方言が味わいを深くしている。
田中泯さんは大変。アグラのときには足を見せる。膝も叩かなければいけない。「熱が出ただろう」で指さすのも忘れてはいけない。それから、体をキャメラのほうへ向ける必要がある。映画俳優の仕事は本当に難しい。キャメラに写る、何センチ単位の位置、動作のスピード、台詞(セリフ)の明瞭さなど、制約が厳しい。これらをコナしながら、もっとも大事な感情移入という状態にならなければいけない。
山田監督は忍耐の人。じっと耐える。怒鳴ったところで、うまくいくわけではない。
山田監督は、俳優の芝居を大事にするからだろう。脚本どおりの順番に撮っていく。いわゆる「中抜き」はしないし、できない。
山田監督は、田中泯に対して、余吾の心境を伝え、なんとか感情移入して余吾になり切るよう、声を出し続ける。
「『16歳』、哀しみをこめてね。大きくふくらむ蕾(つぼみ)の時に…。そこへ『やせ細って』をいれましょうか。そのイメージを描いて下さい。美しい娘がガイコツみたいになったイメージを思い浮かべながらね…。骨と皮ばかりになった娘を抱きあげたら、ガチャガチャって、音がしそうだった…、ね」
山田監督は、キャメラが回り出すギリギリまで俳優に魔法をかけ続ける。まるで、ピノキオに命を吹き込むように。
「いいですか、本番。…哀しい物語なんだからね。哀しい、哀しい話なんだから…。16歳、に感慨をこめて…。ヨーイ、…やせ細った娘を抱いたともの感覚というのか…。本番、ヨーイ、スタートッ!」
まるで相撲の仕切りのよう。時間いっぱい待ったなし、まで粘る。
「ワンカット、ワンカット、祈るような気持ちですよ、何とかうまくいってくれってね…」
これが『男はつらいよ』を46本も撮った大ベテラン監督のコトバ。
監督生活41年、この作品が77本目になる。プロ中のプロ。その山田監督が、まるで1本目の新人監督のようにひたむきに真剣に、ワンカットの中に命を吹きこんでいる姿に感動した。
いやあ、これは、その場にいなくて、読んでいるだけの私でも、心が激しく揺さぶられるものでした。これほどの真剣さが、人生には求められているのですね…。
著者は、天才とは記憶だと断言した黒澤明監督のコトバを紹介しています。
「読んだ本、見たこと、会った人たちの記憶を、どれだけ蓄積するか、必要に応じてそこから引き出す才能をもつ人が天才なのだ」
なーるほど、そういうものなんでしょうね…。映画好きの私には、とても面白い本でした。
(2007年12月刊。税込1980円)

がんは裏切る細胞である

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 アシーナ・アクティピス 、 出版 みすず書房
がんについての本です。私たちはがんと共生するしかないようです。
私たちが生きている以上に、がんというプロセスを止めることはできない。
がんとは進化そのもの。進化が形を得た存在、それががん。
この惑星(地球)に多細胞生物(人間もその一つ)が存続する限り、がんが消えてなくなることはない。
私たちががんにかかるのは、体内で生きのびて短時間で増殖する細胞のほうが子孫細胞を多く残せるから。
がん細胞は、悪質なルームメイト集団以外の何物でもない。
私たちは知らず知らずのうちに、がんと賃貸借契約を結んでいる。
がんについて、湿潤性と転移性こそががんを決定づける特徴だ。
本来なら多細胞生物の性質であるはずの細胞間の協力が裏切られる。
細胞は、隣接する細胞のふるまいを監視している。近くのどれかの細胞から「気にくわない」とされたら、自死のプロセスを開始できる。周辺監視システムがあるおかげで、がん細胞予備軍から全身を守っている。
細胞は何かを入れて何かを出すだけの単純な機械ではない。実際は、複雑な情報処理装置だ。
個々の細胞は、近所の細胞や免疫系とも連携し、絶えず情報を共有しながら、がん予備軍の細胞をうまく抑え込んでいる。
細胞は1ミリ秒とも休むことなく、情報を処理し、かつ情報に反応している。
私たち(ヒト)は、がんと共に生まれ、がんと共に生き、がんと共に死ぬ。胎内から墓場まで、がんは私たちの生命の一部だ。
「正常そうな」細胞全体の4分の1あまりに、がんにつながりかねない遺伝子変異が発生している。がんを抑制しようとすると、早期老化のようなコストが生まれる。
私たちががんにかかりやすいのは、成長、組織の維持、傷の治癒、感染症の予防といった機能にがんが結びついているから…。そのほか、生殖能力にもかかわっている。
がんを生じさせるのは、遺伝子の変異だけではない。細胞のふるまいを制御する遺伝子産物のアンバランスにもよる。
私たちは、前がん性の腫瘍と一緒に何十年と暮らし、普通は何の支障もない。つまり、私たちは、がんと共に人生を終えているのだ。
がん細胞は、個別に動くより、クラスターになったほうが、はるかに容易に転移できる。
がんは、私たちの一部であり、予測不能で適応力の高い相手だ。
がんと長期にわたって、戦略的につきあっていく覚悟を決めれば、得るものは大きい。
がんを一掃できるという望みを持つのは、間違っている。要するに、がんは病気というより、「多細胞生物に特有の性質」であるということ。生命は多細胞の形態に移行したときからずっと、つきあってきた。
がんを完全に封じ込めてしまうと、生物は不利益をこうむりかねない。
がんという病気は、ずっと、だましだましであれ、つきあっていくしかないようです。撲滅なんかできないとのご詫宣には大変おどろきました。がんとは共生するしかないとのことです。
(2021年12月刊。税込3520円)

いま、幸せかい?

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 滝口 悠生 、 出版 文春新書
私はテレビ版の「男はつらいよ」こそみていませんが、映画のほうは第一作からずっと映画館でみています。一番最初は大学祭のとき、法学部の大教室でみた記憶です。東京にいたときは有楽町の映画館でも、下町(大井町)の映画館でもみました。有楽町では、周囲がなんとなくお高くとまっていて心の底から笑えませんでした。下町では、周囲の人々と心おきなく爆笑の連続でした。
福岡に戻ってからは、正月は子どもたちも連れて家族みんなで楽しんでいました。なので、渥美清が亡くなったと聞いて、一家中ショックでした。
この本の著者は映画の全巻を何回もみているうえ、台本全部も読んだそうです。なかでも心に沁みるエッセンスを紹介してくれていますから、寅さんをたっぷり楽しむことができました。
それにつけても、山田洋次監督のすごさを改めて思い知りました。
2018年夏のシリーズ第50作「男はつらいよ、お帰り、寅さん」は死せる寅さんをまざまざとよみがえらせてくれた映画でした。まったく、そこに寅さんがいて、「よおっ、おいちゃん、おばちゃん、元気してたかい?」と声をかけてきそうな雰囲気の映画になっていて、感激しました。
私の自慢の一つは、この「おばちゃん」とNHKテレビで弁護士として「共演」したことがあるということです。まだ、私が30代のころのこと。インチキ先物取引に騙されないように呼びかける番組でしたが、「おばちゃん」は、そこでショート・コントを演じたのです。
寅さんは愛すべき善良さがあるが、同時に、救いようなに駄目さと常に表裏一体のものだった。笑いのなかに悲しみがあり、哀しみのなかに笑いがある。いつも二つの背反する感情がある。
 恋愛は「男はつらいよ」の重要なテーマだ。寅さんが旅先で女性に恋をして、そして失恋するというストーリーが、シンプルかつ普遍的であり、何度でも反復可能なものだった。誰かが誰かに恋をする、そのエネルギーが寅さんの映画の原動力である。
私の知人の女性が寅さん映画は、あまりにじれったくなるから好きじゃないと言い切ったことがあります。うむむ、そうも言えるんだね、そう私は思いました。でも…、ときに複雑で、ときに驚くほど単純明快な恋愛哲学は、恋愛は結局のところ思いどおりにはならないもの、という哀しい真理を示している。ふむふむ、なるほど、そうなんですよね…。
たくさんのマドンナのなかで、浅丘ルリ子が演じるリリーは、特別篇をふくめると計5作に登場していて、特別な存在になっている。これには私もまったく異論がありません。リリーさんほど、出てきただけでパッと華やかさを感じる女優は、そうそういませんよね…。
失恋のマンネリズムと言われることもあるが、実のところ寅さんの女性への心情は複雑多様だ。
「寅さん、もしかしたら独身じゃない?」
「首すじのあたりがね、どこか涼しげなの。生活の垢がついていないって、言うのかしら…」
映像でみたときには、さりげなく聞こえていた言葉が、台本の文章を読むと、心に留まって印象深く残る。そういうものなんですよね…。
「寅さんは、あの…、人生にはもっと楽しいことがあるんじゃないかなって、思わせてくれる人なんですよ」
そうなんです。だから私も寅さん映画を楽しみにし、映画館へ足を運んでいました。
「人間は何のために生きていくのかな?」
「ほら、ああ、生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間、生きてんじゃねえのか」
いやあ、また映画をみたくなりました。それも小さな下町の映画館で…。
(2019年12月刊。税込880円)

ニワトリの卵と息子の思春期

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 繁延 あづさ 、 出版 婦人之友社
思春期の息子もまた同じ年頃の娘と同じく多感で反抗的で、とても扱いが難しいものです。著者の息子(中学生)は、何回も家出したことがあるとのこと。すごい勇気がありますね。中学生だとネットカフェには入れてもらえないので公園で夜を明かしたという話が紹介されています。ちょっと信じられません。
その息子から、著者は「ゲーム機を買う代わりに、ニワトリを飼わせて」と要求され、ついにニワトリを5羽も飼うことになったのでした。しかも、その目的が産んだ卵を売ってお金を得ようというのです。お金もうけと言えば、子ども向けのNISAにも親の許可を得て手を出しているとのこと。いやはや、なんとも、すごい、すごいすぎる…。
私が小学生のころ、わが家でもニワトリを飼っていました。ニワトリのエサになる草をそこらの空地から採ってくるのも私の仕事の一つでした。ときには貝殻をこまかく砕いたものも与えます。卵の殻の原料になるのです。
父がニワトリをつぶす(殺す)のも、そばでじっと見ていました。腹を割くと、なかに卵が小さいのから大きくなって殻をまとうまで、ベルトコンベア式に並んでいるのを見て、なるほど卵の殻はあとからくっつけるというのではないことを理解したことを今でも覚えています。
問題は飼ったニワトリをつぶして(殺して)食べられるか、です。以前、若い女性が豚を2匹も飼って育てたうえで、食べて美味しかったという本を紹介しました。また、小学生が学校で豚を飼って、それを食べるかどうか、大激論になったという本もあります。
この本の中学生は、ニワトリには名前をつけませんでした。ペットではなく、いずれ殺して食べるからだというのです。さっきの豚にはたしか名前がついていたように思いますが…。ともかく徹底した合理主義者の息子さんです。
ニワトリは台所で生まれる野菜クズを喜んで食べるが、ニンジンの皮には見向きもしないとのこと。ええっ、不思議ですよね…。ニワトリはナメクジだって大好物。これまた、ええっ、という感じです。さらに、ニワトリは暑さに弱い。
飼っていたニワトリをつぶして料理する。レバーとハツは焼き鳥に、モモは照り焼きに、ガラはおでんに。脚はラーメンスープにすると、濃厚な出し汁が出てきた。肉はかむほどに出てくる旨(うま)味があった。
この本を読みながら、なんだか、この著者を取り巻く状況は前に読んだことあるよな…、と思ったら、あったあった、ありました。『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)でした。2020年11月に読んでいるので、そのころ、このコーナーでも紹介したはずです。長崎の山中でイノシシなどを殺して、食べる過程が写真とともに紹介されている衝撃的な本でした。
今度のニワトリを飼う話には、思春期の息子との対話というか葛藤がかなりさらけ出されているのが興味深いです。しかも、当の息子さんの事前検閲ずみで文章が公表されたというのもすごい。こんな飛んでる親子関係もあるんですね、世の中には。目からウロコの本でもありました。
(2021年11月刊。税込1595円)

東北の山と渓

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ事務所
東京(正しくは神奈川県)の弁護士が東北の山歩きをした写真と紀行文が楽しい冊子にまとまっています。
私は阿蘇・久住なら登ったことはありますが、本格的な登山をしたことはありません。山をのぼりきったところに広がっているお花畑の写真を見ると、さぞかし気持ちがいいだろうと想像はしますが、そこに至るまでの難行苦行を考えたら、とてもとても山登りなんかしようとは思いません。この冊子にも、苦労した山歩きが少し紹介されています。
稜線に出ようとするところで、烈風が待ち構えていた。山が咆哮(ほうこう)し、波状的に押し寄せる風に押し返されて前に進めない。足を前に出そうとして片足立ちになると、足下からあおられてふらつき、後ろずさりをさせられるほどの風圧だった。雨粒が真横から身体を打ち、砂粒も飛んできた。
奥鬼怒沼の避難小屋に一人で泊っていると、激しい雷雨となった。すぐ目の前を稲妻が暴れまわり、湿原全体を青白く浮かびあがらせる。その不気味さ、雷鳴がすぐ耳元で咆哮し、振動した空気が身体に響き、全身に鳥肌が立った。
いやはや、山の天気は変わりやすいし、烈風が吹きすさめば低体温症になってしまいそうです。せっかく山小屋にたどり着いたかと思うと、カギがかかっていて、哀れ、なかに入れなかったこともあるとのこと。
この冊子の写真は、ほとんど青空の下のお花畑です。それはそうでしょう。雷鳴の下で脅えているとき、カメラなんか構える余裕なんてないでしょう。そして、絵になる構図も考えられません。
著者は単独行、気のあった弁護士仲間との山登りのどちらもやるようです。不思議なことに奥様のすばらしい山野草のスケッチがいくつも添えられています。たまには奥様と二人で山行きするということなのでしょうか…。ともかく安全には気をつけて、これからも山登りを楽しんでください。
著者より贈呈を受けました。ありがとうございます。
(2022年2月刊。非売品)

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