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カテゴリー: 人間

『男はつらいよ』、もう一つのルーツ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 吉村 英夫 、 出版 大月書店
 50本もの映画シリーズ『男はつらいよ』のルーツに、実はフランス映画のマルセル・パニョルの戯曲『ファニー』があったという本です。著者は、山田洋次監督の映画すべてを研究している人です。私にとって、マルセル・パニョルは、映画『愛と宿命の泉』とか、南フランスを舞台とする映画(名前をド忘れしました)の原作者という存在なのですが…。
 山田洋次監督の次の言葉には共感を覚えます。
 「楽観主義が物事を動かしていくこともある。絶望するのは簡単。むしろ楽観するのは大変なこと。でも、楽観しなければ人間は生きていけない。なんとかなるさという思いがなければ困難な状況を変えていく努力もできない」
 映画『男はつらいよ』は、笑って泣いて楽しさを堪能する映画。
 私にとって、『男はつらいよ』は、大学生のときからずっと見続けてきた身近な映画です。ところが、若い人たちと話すと、実はみたことがないという人も少なくないのです。唖然とします。どうして、こんないい映画をみないのかな・・・と、寂しい思いがします。
 今や世界の映画史にも残る大監督というべき山田洋次監督にも、実は、気持ちが折れそうになる若い修行時代があったというのです。まあ、そういう時期もあったのでしょうね、とても想像できませんが…。
 山田洋次は、民衆の生活を誠実に暖かく描く、民衆派でありたいとする心情(信条)だ。
 『男はつらいよ』で描かれる放浪と定着とは、盾の裏表であり、合わせて一つの関係。定着することを基本とすることと、何かを求めて放浪することという相反する力、あるいは両者をともに求める気持ちは、人間の中に内在する本能なのだろう。両者には互いに自分にはないものがあって、それぞれに優位的、同時に劣位的側面をもつがゆえに、両者は憧れあう関係にあることができるのではないか。
 山田洋次は次のようにも言っている。
 「悲しいことを笑いながら語るのは、とても困難なこと。でも、この住み辛い世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある」
 いやあ、世の中の真実、そして社会の奥深くにうごめいている生きようとする人々の力、そんな気持ちを引き出して映像にするなんて、実にすばらしいことだと私は思います。
 最後に、フランス人のクロード・ルブランという人が、フランス語で「山田洋次から見た日本」という本を刊行したそうです。フランス語を長く勉強している私ですが、原書ではなく、日本語で読みたいです。また、現在、パリにある「日本文化会館」では『男はつらいよ』全50作が来年(2023年)まで1年半かけ上映中とのこと。いやあ、これまた、すごいことですよね…。
(2022年10月刊。税込2860円)

ぼくらは人間修行中

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 二宮 敦人 、 出版 新潮社
 子育ての悩みも一瞬忘れてしまいそうになる本です。赤ちゃん、そして幼児のときの子どもたちの生態がよくとらえられ、それが見事に文章化されています。
 子どもってのは、もぞこい。もぞこいは東北の方言。哀れだ、無残だ、不憫(ふびん)だという意味。親の愛は慈悲の愛。
 私の近辺では、むそがるとか、むぞかね、って言います。これは可愛いだと思います。
 子どもはたいしたもの。あれだけ高熱だったのに、けろりと治った。すると、うれしそうに走り回り、キャッキャッと笑っている。そして、大人が相手にしてくれないとみると、居間や台所を荒らしはじめる。水をこぼしたり、調味料の瓶を放り出したり、コンセントをいじったり…。
 ホント、子どもって、いっときもじっとしていません。だから目が離せないのです。マンションの上層階のベランダからの転落死亡事故が相次いでいますけど、ベランダに出て、イスを運んできて、その上に乗って、身を乗り出して外を眺めようとしたのでしょうね、きっと…。 
 転んで痛がったときは、本気で号泣する。しかしご飯だからといってテレビを消されたときには、口だけで、泣いてみせる。それっぽい声だけど、涙は出ていないし、明らかに勢いが弱い。いわゆる「ウソ泣き」だ。ウソ泣きしながら、ときどき薄目を開けて、親の反応をうかがう。効果がないとみるや、無理やりテンションを上げて泣き、やがて本気泣きへの移行に成功することもある。テンションが上がりきらないときには、途中でぴたりと泣き止んでしまう。そして、「さっきの見たかった。お父さん、しないでほしかった」と寂しそうに言う。
 子どもって、本当に天性の役者なんですよね…。
 初めてのコトバはパパかママか…。実は、「やーんだ!」でした。「嫌だ」なんです。
 自分のおならでびっくりして、あたりをきょろきょろ見回す。お風呂場でおしっこをしながら、「なんか出てきたんだが、何コレ」と不審げに股間をつまみ、親の顔色をうかがう。
 よくぞ観察記を文章化したものです。面白かったです。
(2022年7月刊。税込1595円)

客席のわたしたちを圧倒する

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 岩波書店
 私のもっとも敬愛する作家である井上ひさしのエッセイを発掘した本です。映画、テレビ、マンガそして野球といったジャンルに分けられています。私は映画とマンガは好きなほうですが、テレビはほとんど見ませんし、野球にいたっては全然関心がありませんので、そこは読み飛ばしました。
 私にとって一番だったのは、なんといっても洋画マイベスト10と日本映画ベスト100です。そのコメントがすばらしいのです。
 あとがきに妻ユリさんが自宅でDVDを一緒にみていたことが紹介されていますが、井上ひさしは本当に映画が好きだったようです。私も同じで、映画紹介コーナーのチェックは怠りませんし、できたら月1本は映画をみたいと考えています(なかなか実現できませんが…)。
 人々の楽しみごとには、いつもかたよった見方、考え方の存在が許される。そして、そのことが現在(いま)の隆盛を招いているのだ。人々がかたよらなくなったら、おしまいだ。かたよっているとは、個性的と決して同義ではない。もっと無邪気で自由なもの。なーるほど、そうなんですね。かたよっていて、いいんですね。堂々とかたよっていきましょう。
 井上ひさしは、しばらくオーストラリアに住んでいたことがあります。そのとき、大学で、日本映画をふくめてたっぷり映画をみていたようです。三船敏郎と仲代達矢の出演する映画『用心棒』が上映されるときの観客の反応が面白いのです。決闘場面を、それだけを何回も学生たちが映写するよう求め、3回も4回も繰り返してみるという情景です。いやあ、これには驚きました。同じように『生きる』や『七人の侍』なども、何回も何回もオーストラリアの学生たちが繰り返し見ているというのです。たしかに、それだけの価値のある映画だと思いますが…。
 黒澤明はこう言った。
 「まず技術をもって職人として生き、次に職人を超えて芸術家になれ」
 井上ひさしは、これを次のように言い換えた。
 「まず面白さに徹せよ。徹することができたとき、その作品は一個の芸術になっている」
 この『七人の侍』と『生きる』は井上ひさしの評では、1位と3位になっています。『用心棒』は19位ですが、『砂の器』が55位という低さには不思議な気がします。番外の101位に登場する黒澤明の『素晴らしき日曜日』という昭和22年制作の映画をみてみたいと私は思いました。
 井上ひさしは戯曲を書くとき、紙人形を机の上に並べて、毎日、ああでもない、こうでもないと動かしていたそうです。栄養剤の空箱でつくった三角錐に出演俳優の顔写真を貼りつけ、紙人形にして、役名を書き込むのです。やがて、紙人形に生命のようなものが宿り出して、勝手に動きはじめるその動きを細大漏らさず記録して、筋立て(プロット)をつくる。
 私も長編小説(と言えるか分かりませんが、7巻本です)を書きすすめるときには、紙人形こそつくりませんでしたが、詳しい登場人物のプロフィルを目の前に置いて書きすすめていきました。やがて、登場人物が勝手に話しはじめるような錯覚に陥ったのは、本当のことです。
 井上ひさしは、なるべく腹を立てないことをモットーにしていると書いています。実際には、腹の立つことばかりの世の中なので、心の平穏を意識的に保つようにしていたということでしょうね。これまた私も同じです。
 最後に、野球をラジオで実況中継するアナウンサーがすごいという話は、本当にそのとおりでした。私も子どもが小学生のころ、野球場のナイター試合を1回だけ見に行ったことがあります。私自身も子どものころ、ラジオで野球の実況中継は聞いていました。アナウンサーが試合を分解し、それをひとつひとつ言葉で再構築して、聴き手に送ってくる。アナウンサーの脳味噌の上で展開していくゲームを聞いているのだ。まったくそのとおりです。それで十分に試合展開が手にとるように想像できました。
 やっぱり、井上ひさしはコトバの天才です。
(2022年6月刊。税込2200円)

萩尾望都がいる

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 長山 靖生 、 出版 光文社新書
 萩尾望都は、先日、秋の叙勲を受けました。日弁連副会長をつとめた人と同じランクでした。私は国が勝手にランクづけするのはおかしいし、トップに位置づけられている日本の超大企業の社長連中がどれだけ日本社会に貢献したのか、大いに疑問なのです。でも、萩尾望都に関しては、マンガを通じて、大勢の子どもたちをふくめて大人まで、夢と希望と思索を与えてくれた功績は大だと考えています。
 本人だけでなく、父親も大牟田生まれだというのは初めて知りました。三池炭鉱の事務職員だったそうです。バイオリンを学んでいて、プロを目指したこともあるということも知りませんでした。
 母親との葛藤を描いた「イグアナの娘」は、何とも壮絶な母と娘の緊張関係をよくぞあらわしています。実は、私の母は萩尾望都の母親と女学校(福岡女専)の友だちだったので、母親は我が家によく来ていましたので、私は面識があります。なので、写真で見る萩尾望都の顔が母親そっくりなのを実感します。
 萩尾望都は天才だと私は考えていますが、この本によると、2歳のころから幼児離れした絵を描いていたとのこと。なるほど、そうだったのかと思いました。小学3年生からは絵画教室に通って、油絵も学んだとのこと。そして、福岡の服飾デザイン学校にも通っています。天才といっても、それなりに修練したのですね。
 「11人いる!」は、1975年の作品なので、SFブームの前、その先駆けだったのとこと。すごいですよね、この作品は…。
 萩尾望都は、物語の枠組みを、かなり緻密に構築してから描き始めるというタイプ。そうでないとありえないような伏線が冒頭近くから巧みに仕組まれていることが多い。うむむ、これまたすごいことです…。なかなかできることではありません。
 書き始めると、登場人物がひとりでに動き出していくのです。それをどうやってつじつまを合わせるのかに苦労するというのが、私のような凡人モノカキの課題というか、実情です。伏線どころではありません。ましてや冒頭近くに伏線をひそませておくなんて…。
 萩尾マンガにはムダがない。すべての絵、すべてのコトバがテーマにそっていて、意味をもち、ドラマは論理的に構成されている。読んで飽きることがない。繰り返し引き寄せられる。絵に込められた情報が圧倒的に多いからだ。なーるほど、そういうことなんですか…。
 竹宮恵子との確執は両者の本を読みましたが、やはりなんといっても萩尾望都のマンガのほうが上を行っていて、それに気がついた先達(せんだち)の竹宮恵子が嫉妬したということなんでしょうね。芸術家同士の火花が散ってしまったということなんだと思います。でもまあ、こんな裏話はともかく、出来あがって読者に提供された作品を素直に読んで面白いと感じたいと私は考えています。萩尾望都のマンガをまた読んでみたくなりました。
(2022年7月刊。税込1078円)
 日曜日の朝、フランス語検定試験(準1級)を受けました。昨年は自己採点では合格点をとっていたのに、不合格だったのです。とても残念でした。
 今年は雪辱しようと、1ヶ月以上前から朝晩、フランス語を勉強しました。朝はNHKフランス語のラジオ講座の書き取り、夜は30年間の過去問に繰り返し挑戦します。ともかく年齢(とし)とともに単語の忘却度が昴進しています。いつも新鮮なのに困ってしまいます。
 さて、結果は…。120点満点で71点でした。6割が合格ラインなので、ひょっとしたら合格しているかもしれません。
 ペーパーテストの次は口頭試問です。ぜひ受けたいのですが…。
 

猿蟹合戦の源流、桃太郎の真実

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 斧原 孝守 、 出版 三弥井書店
 東アジアから読み解く五大昔話、というサブタイトルのついた、とてもとても面白い本です。まるで期待もせずに読み始めたのですが、なんとなんと、あまりに面白くて、電車の乗り過ごしに気をつけたほどでした(実際には終点まで行くので、心配無用なのですが…)。
 サルカニ合戦、桃太郎、舌切り雀(スズメ)、かちかち山、花咲か爺という、日本人なら誰でも知っている(はずの)昔話について、そこに登場するキャラクターや物語の構成、話の背景を東アジアの諸民族に伝わる類話と比較し、異同を明らかにして誕生の源を検討していきます。うひゃあ、こんなに似た話が世界各地にあるんですね。たまげました。
 サルカニ合戦に登場するカニは、実はハサミの毛が深いモクズガニ。モクズガニが水中にいるとき、そのふさふさした毛は、まるでサルの毛のようだという。その類似性から話が出来ている。そう言われて、彼らの写真を見ると、まさしくそうなんです…。
 舌切り雀は、もともと継母に舌を切られて殺され、鳥と化した継娘が異界に飛び去り、実父たる爺が異界に娘を訪ねていく話だったのではないか…。ふむふむ、そうなんですか。
 サルカニ合戦で、助っ人の面々の果たす機能は、かみつく、刺す、破裂する、滑らせる、圧迫するなど。これは海外でも同じパターンが認められる。中国には、助っ人の敵討ちが、待ち受け型もあれば、旅立ち型もある。
 中国西南部に住む人口20万人ほどの少数民増であるムーラオ族には、こんな昔話がある。
 ウサギが桃を食べ、その種を埋めると芽が出て桃の木になる。やがて、桃の実がなったので、ウサギはサルに桃の実をとってほしいと頼む。ところが、サルは自分ばかりが桃の実を食べる。それを聞いた亀がサルをやっつけてやろうという。また、ミツバチ、そしてリスとセンザンコウも同じようにサルをやっつけてやると言う。ウサギは信じられない。ところが、サルがやって来ると、亀の背中を踏んで、よろめき、リスとセンザンコウの掘った穴にはまる。サルが穴から出ようとすると、センザンコウがかみつき、樹の上のリスは松ぼっくりをサルに投げつける。そして、ミツバチがサルの尻を刺し、センザンコウがサルの長い尾をかみきってしまう。ついにサルは逃げ出してしまう。
 なるほど、これはサルカニ合戦とまったく同じようなストーリー展開ですよね。
 桃太郎のキビ団子の話については、助っ人に何らかの食物を与えることが、今の私たちの想像する以上に重要な意味をもっていたようだ。
 桃太郎の話には、役に立つ助っ人だけでなく、実は役に立たない「お供」がいることもある。なぜ、役に立たない「お供」をわざわざ登場させたのか…。
 舌切り雀(スズメ)に似たようなものとして腰折れ雀の話がある。雀が善良な者には富を与え、危害を加えた欲張りな者には罰を与えるという点で、この二者は共通している。東アジアから中央アジアにかけて広く伝わっている。なぜ、スズメなのか。中国やミャンマーでは、同じような話がスズメではなく、カラスになっている。ロシアのアムール河ぞいに住むツングース系の漁撈民ナーナイにも同じような話が伝わっている。そして、アイヌにも…。
 カチカチ山では、タヌキが爺に婆汁を食べさせる。アメリカ大陸中央部に住む平原インディアンに属するアラパホ族の伝承するストーリーがまったくよく似ている。それは、子どもを調理して母親に食べさせるところだ。中国南部の山中で牧畜をしている人口2万人ほどの少数民族であるユーグ族にも、子どもの肉を母親に食べさせるという「婆汁」の発想がある。
 桃太郎の話は、結局、サルカニ合戦の一種にすぎない。うむむ、なーるほど、そうかもしれないと思えるようになりました。少数民族の昔話を採集して、それらを比較し検討するというのは大変に苦労の多い作業だと思います。それをしっかりやっていただいているおかげで、本書のような深い意義のある本に出会えました。ありがとうございます。
 日中間に不穏な空気まで漂うなかではあり、平和的共存が大切なことも実感させてくれました。ご一読を強くおすすめします。
 
(2022年6月刊。税込3080円)

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