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カテゴリー: ヨーロッパ

オスマン帝国

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 小笠原 弘幸 、 出版  中公新書
オスマン帝国は600年続いた。それは、日本でいうと鎌倉時代から大正時代までに相当する。
どひゃあ、す、すごーい。なんという長い帝国でしょうか。日本では鎌倉のあと室町そして戦国時代から江戸時代、明治、大正へ続くのです。
ひとつの王朝が実権を保ったままこれほど長く存続したのには、もうひとつハプスブルク帝国がある。広大さを誇るモンゴル帝国は、わずか150年ほどで消え去った。
そして、このオスマン帝国は現代トルコで「偉大なる我々トルコ人の過去」として再評価されている。
この本は、なぜ、これほど長命の帝国だったのか、その謎を解明しています。なるほど、そうだったのか・・・、知らないことだらけでした。
オスマン朝では、君主(カリフ)の生母のほとんどは奴隷だった。オスマン朝では、生母の貴賤が問われることはなかった。イスラム法では、母親の身分にかかわらず、認知さえされていれば、子がもつ権利は同等である。母が奴隷であることは、カリフたちの権威をなんら貶(おとし)めるものではなかった。奴隷だった母親は、非トルコ系の元キリスト教徒だった。
ムラト1世の時代に、常備歩兵であるイェニチェリ軍団が創設された。イェニチェリとは、新しい軍のこと。イェニチェリ軍団は、ムスリム自由人ではなく、元キリスト教徒の奴隷によって構成されていた。
イスラム法のもとでは、奴隷にも一定の権利が保障されていて、かつ、奴隷の解放は宗教的な善行として推奨されていた。
奴隷部隊は、精強であるのみならず、君主以外には地縁・血縁による後ろ盾をもたないことから、諜返の可能性は低かった。
奴隷を王子の母とするには、王朝にとって2つの大きな利点があった。そのひとつは、外戚の排除。というのも奴隷は基本的に親族から切り離された存在であり、その外戚が国政につけ入るスキがない。このように、オスマン帝国が、長命を保った理由の一つには奴隷が王の母として選ばれていたことによる。
もう一つは、男児の確保。奴隷をもちいることで、世継ぎを得る可能性が高まる。
チンギス・ハンの権威を利用しているティムール朝に対して、オスマン朝は、理念的には、より広いオグズ・ハンの後継者として主張することでチンギス・ハンとは異なる出生というのを主張した。
メフメト1世、ムラト2世はキリスト教徒臣民の少年を徴用する人材制度を始めた。デヴシルメと呼ぶ。キリスト教徒の農村から頭が良くて身体壮健な少年たちが選ばれた。とくに優秀な者は宮廷に入り、それに次ぐものは常備騎兵軍団に入り、残りはイェニチェリ軍団に入り、さらに残ったら、イェニチェリ軍団に組み込まれた。
イスラム法では、支配領内にいるキリスト教徒臣民を奴隷にするのは本来なら認められない。そこを、なんとかしようとして、取り込んでいる。
オスマン朝の王位継承をめぐっては血塗られた歴史がある。兄弟殺し。スルタン即位時にその兄弟を処刑する慣習があった。これがオスマン帝国が長く命脈を保つことのできた大きな理由だ。君主と同年代の王位継承候補を制限したのだ。王子が子をもうけると、現君主は、もはや子を生さず、若すぎる王位継承者をつくらないという慣習があった。
世界の秩序のためには、兄弟を処刑することは許されるというのが、法令集に堂々と記載された。そして、メフメト3世が即位したときには19人の王子が処刑され、人々の悲嘆をまねいた。そのため、それ以降は、王子たちはオートマチックに処刑されることはなくなった。
そして、殺されなかったスルタンの兄弟は、宮殿の奥深くに隔離され、そこで外界との接触を断って育てられた。これを鳥籠(とりかご)制度と呼ぶ。君主の「控え」が存在するようになったのだ。
戦国そして江戸時代との比較を考えながら、世の中は本当にさまざまなのだと実感されられました。
(2019年1月刊。900円+税)

プラハの子ども像

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 早乙女 勝元 、 出版  新日本出版社
先日、「ナチス第三の男」という映画をみました。ヒトラーの片腕とも言われたハイドリヒがチェコで暗殺される話です。題名は忘れましたが、同じテーマで別の映画もかなり前にみたことがあります。
ハイドリヒ暗殺のあと、ナチスは報復としてリディッツエ村に襲いかかり、罪なき村人を、男性と老女192人は全員射殺し、女性と子どもは追放して村を根こそぎ破壊し尽くしたのでした。1942年6月10日のことです。
203人の女性が強制収容所へ送られ、村の跡地に生還できたのは143人。連れ去られた15歳以下の105人の子どもは17人(男子7人、女子10人)しか戻らなかった。その亡くなった子どもたちの群像がリディツエ村跡地に建てられています。
よく出来た子ども像です。
「忘れないでよ、ぼくたちを!」
口ぐちにそう叫んで、追いすがってくる・・・。
そして、ハイドリヒを暗殺したグループ7人がこもっていた教会堂が密告者の手引きで6月18日に襲われます。360人のSS精鋭大隊とゲシュタポを含む1000人の武装部隊に包囲され、午前4時に始まり午前11時までの激しい銃撃戦のなか、7人全員が戦死ないし自決死したのでした。今も、この教会堂は水攻めされた地下室をふくめて保存されているそうです。
ハイドリヒを暗殺したとき、その仕返しを考えたら計画は中止すべきだと現地レジスタンス側は意見をあげたのですが、ロンドン側がハイドリヒ暗殺を強行させたといいます。ハイドリヒ暗殺の報復で5000人もの人々が殺害されたそうです。
それにしても、プラハの子ども像はよく出来ています。表情豊かで、個性が伸びのびとあらわされています。こんな子どもたちの将来を奪ってしまった戦争の野蛮さに改めて怒りが湧いてきました。
1995年のチェコ取材が本になっているのですが、この本自体はごく最近出版されています。リニューアル本のようです。
(2018年12月刊。1800円+税)

わたしが「軽さ」を取り戻すまで

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 カトリーヌ・ムリス 、 出版  花伝社
2015年1月7日、パリで起きたテロ事件。雑誌「シャルリ・エブド」の編集部が襲撃され、12人の同僚を失った女性の話です。マンガになっています。
この日、著者は幸運にも遅刻したのでした。もっとも、犯人たちは女性は殺さないと叫んでいたようですので、遅刻しなかったとしても助かったのかもしれません・・・。
しかし、同僚12人を一挙に亡くした生存者にとって、当然のことながら、その心の痛手はいかにも深いものがあります。
しかも、1週間後の1月13日には、さらにパリ同時多発テロ事件が起きました。このときの死者はなんと130人です。劇場が襲撃されたのでした。
トラウマから解離が起きる。巨大なストレスに襲われると、多大なアドレナリンとコルチゾールを発生させ、そのために死に至らせることがある。それで脳は反射的に自分を解離させる。
あなたの脳が解離して、感情、感覚、記憶の麻痺を引き起こした。自分の中が壊れていることの傍観者になっている気がする。まさに、それが解離なのだ。
「シャルリ・エブド」は、フランスの有名な風刺新聞社だ。犯人2人は兄弟で、別のところも襲撃して、警察の特殊部隊によって射殺された。
著者も報道マンガ家でしたが、事件のあと退社して、現在なお、完全に仕事復帰ができていないとのことです。
マンガによって、視覚的に著者の苦しみが切々と伝わってきます。
(2019年2月刊。1800円+税)

大いなる聖戦(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 H.P.ウィルモット 、 出版  図書刊行会
第二次世界大戦の通史ですが、「英雄・悪玉史観」は意図的に排除されています。
戦争ではなく、国家間の抗争といった文脈のなかで、国家権力と軍との関係に焦点をあてている本です。
現代の戦争は、社会集団・組織機構間で戦われるものだ。
ダグラス・マッカーサーは、アジア・太平洋戦争で勝利を収めてはいない。
1942年秋のエル・アラメインの戦いは、バーナード・モントゴメリーとエルヴィン・ロンメルとの一騎打ちではない。
ドイツ軍は軍事上の成功にもかかわらず、国家としては粉砕された。ドイツ軍の事実上の天凛が発揮されたのは戦闘においてであって、戦争においてではなかった。ドイツは、その同盟国日本と同じく、大国の中で戦争の本質を理解していなかった国家なのである。
ソ連は、政治・経済・軍事面では、むしろ敗戦国としての側面を有していた。
太平洋戦争で最大の海上作戦であるレイテ沖海戦が展開されたのは、戦争の帰趨が決したあとだった。
日本が満州を征服した要因として、二つあげられる。第一に、日本を急速かつ急激に襲った大恐慌。不況に直面するなかで、日本の経済問題を解決するカギは満州占領にあるという考えが日本全般で幅広く受け入れられた。第二に、中国の内政に干渉し続けてきたため、日本陸軍に上層部の認可も行政府の撃肘も受けずに行動する体質が根付いていたことによる。
ヒトラーが最高権力者の地位にのぼりつめることができた理由の一端も大恐慌に求められる。ヒトラーの強みは、ドイツの伝統・文化・政治理念に深く根ざしたある種の価値観・信念を体現した存在であったことにある。自由主義に根ざした民主政治を否定し、合意よりも強権、理性よりも意志、個人よりも民族・社会、謙虚さよりも力を重んじるというような、現実離れしたドイツの価値観の集合体を代弁する者こそがヒトラーだった。
1940年当時、イタリア社会にファシズムは確固とした根をおろしていなかった。イタリアのファシズムは思想的基盤をもたず、民衆へのアピールに欠けるものだった。
ムッソリーニが政権を掌握して20年近くたっていても、イタリアの一般大衆は、ドゥーチェ(ムッソリーニ)とファシズムのために命を的にして戦うような心情を有していなかった。
イタリアのファシズムは、単にムッソリーニの狡猾さと機会主義的姿勢を推し進めるための隠れ蓑にすぎなかった。
ヒトラーが発動したバルバロッサ作戦は目標の選定と作戦指導の両面で欠陥を有していた。なぜなら、その作戦の大半の期間中、ドイツ軍が主導権を握っていたににもかかわらず、ドイツの敗北に終わったからである。その作戦が進展していくにつれて、目標間の優先順位を決めかねるのが常態となっていたというのは、バルバロッサ作戦の大きな失策を示すものだ。
ヒトラーが気まぐれであり、部下の判断と能力を信用せず、合議制や決められた指揮系統を通じて決定を下すことがまったく出来なかったことが、結果として、既定方針に従って作戦を遂行する妨げとなった。戦いが進むにつれて、この首尾一貫しないヒトラーの態度によって、時間との闘いを強いられていたドイツ軍は貴重な時間を失っていった。
また、ドイツ軍の残虐性は、ドイツ軍にとって有害無益で、東部戦線でのドイツ側の敗北を決定づけた最大の要因と考えられる。1941年夏の段階では、ソ連社会の相当部分が、スターリンの暴虐な支配からの解放者としてドイツ軍を歓迎したが、ドイツ軍が捕虜と民間人を野蛮に扱うのを目の当たりにすると、ソ連国民は即座に現実を悟った。外部からの侵入者は、ソ連市民が手許に有していたわずかなもの、とくに希望までをも奪い去ってしまうということを。
ここに皮肉な状況が現出した。スターリンが、自身では自らの支配の正当性を確立できていないなかで、ヒトラーは、ソ連の民衆を彼らが命をかけて戦わざるを得なくなるような状態に追い込むことによって、スターリンの支配を正当化することになり、最終的にはソ連における共産党の支配が持続することを確かなものとした。
なかなか鋭く、説得的な歴史分析がなされていて、圧倒される思いで読みすすめました。
(2018年9月刊。4600円+税)

見えない違い

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジュリー・ダシェ 、 出版  花伝社
アスペルガーとは、どういうことなのか、マンガによって日々の生活のなかで何が起きるのかがよく目に見えるように示されています。
マルグリットの生活は規則正しい。朝の7時に小鳥たちの優しい歌声で目を覚ます。目覚ましのけたたましいアラームで目を覚ましたら、その日は一日中、ストレスに悩まされてしまうことになる。
朝食のメニューは、いつも同じ。搾りたてのレモンジュースとはちみつを塗ったグルテンフリーのパンを植物性ミルクに浸して食べる。
マルグリットは単なる意味のない世間話が苦手。
マルグリットはお世辞が苦手で、思ったことをズケズケ言ってしまう。
アスペルガー症候群は自閉症の一種で、相互作用やコミュニケーションに困難を生じたり、特定の事柄に強いこだわりを示すという特徴がある。
マルグリットの話し方は、オウム返しと呼ばれるもの。最後に聞いた言葉をほぼ自動的に繰り返しているうちに自分の考えをまとめている。
2月18日は、アスペルガー症候群国際デーだ。
自閉症は病気ではない。神経発達の一障害だ。自閉症の人がみな「レインマン」ではない。自閉症は連続体を形成していて、症状も人のあり方も実に多様なのだ。
自閉症の子どもの構成比は、男子4人に、女子1人で、男子が女子の4倍。
アスペルガー症候群の人は、自分なりの「表現の辞書」をつくり、それを少しずつ充実させていく。
アスペルガー症候群の人は、自分が興味のあるものに対して非常に強い愛着を示し、寝食を忘れてのめり込んだり、それについて何時間も話しがちだ。
自閉症の人たちは、ひとりで過ごし、興味があることに没頭することでリラックスする。
アスペルガー症候群の人たちは感覚過敏だ。型にはまった行動をとりがちで、ウソがつけず、しばしば不器用だ。儀式やルーチン(習慣的行動)に執着しがちで、思いがけない出来事が苦痛。
マンガつきで解説されるので、とても分かりやすくなっています。
(2018年10月刊。2200円+税)

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