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カテゴリー: ヨーロッパ

ボランティアとファシズム

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 池田 浩士 、 出版  人文書院
ええっ、ボランティアとファシズムと何の関係があるんだよ・・・。本のタイトルを見て、センスを疑いました。ところが、この本を読んで、すっかり納得がいきました。400頁近い大作の前半は、戦前の東京帝大セツルメントについて詳細に紹介しています。私も戦後の学生セツルメントに関わっていましたし、川崎市古市場に住んで(レジデントと呼んでいました。要するに、下宿したのです)、セツラーとして若者サークルに関わって活動していました。つい先日、大学を卒業してもう50年も会っていない「カッチャン」から突然電話があり、びっくりしました。先輩セツラーに尋ねて私の連絡先を知ったのだそうです。若者サークルに参加していた青森出身のリンゴさんとは昨年も会って懇親を深めてきました。
日本でセツルメント活動が始まったのは1923年に発生した関東大震災のとき、東京帝大生たちが被災者救援のボランティア活動を始めたことがきっかけでした。法学部の末弘厳太郎教授や穂積重遠教授が学生たちの活動を励まし、支援しています。どちらも今でも高名な民法の大家です。
東大には既に「新人会」というマルクス主義の影響を受けた思想団体がありました。学生たちは、活動の主人公は自分たちではないという基本理念を共有していたので、被災者たちに自治組織をつくるよう働きかけた。当事者自身の自治と主体性を尊重したのだ。この根本理念は帝大セツルにも受け継がれた。
1923年12月14日、東京帝大に学生50人が集まって、第1回総会が開かれた。法律相談部や児童部、医療部など6部に分かれて活動を始めたのです。
帝大セツルは、慈善事業ではなく、また「救援」を名とする特定の定数や主義思想の「伝道」でもない。学生の自発的な活動は、他者に何か恵みを与えることではなく、自分自身に課題を与えることだった。
帝大セツルの初代の代表者は末弘厳太郎、後任の代表者は穂積重遠だった。
帝大セツルの卒業生を紹介します。武田麟太郎、福本和夫(共産党の福本イズムの提唱者)、林房雄(転向作家)、志賀義雄、村田為五郎(NHK解説委員)、森恭三(朝日新聞論説主幹)、扇谷正造(評論家)、正木千冬(鎌倉市長)、服部之総(日本史)、清水幾太郎(転向学者)、戒能通孝(民法)、山花秀雄と足鹿覚(いずれもセツルの労働学校の卒業生)。
帝大セツルは昭和13年(1938年)1月末に名称を変更して解散し、14年間におよぶ活動に終止符を打った。ただし、セツルメント解散は、ボランティア運動の歴史の終わりではなかった。戦時体制の下、これまでとは異質な段階へ移行した。それが満蒙開拓団だった。官製ボランティア活動が始まり、あとで悲劇的結末を迎えた。
官製ボランティアという共通点で、ヒトラー・ナチスのボランティア活動が紹介されます。
自発性と主体性を組織化し、任意制度から義務制度へと変える道をすばやく歩んだのが、ヒトラー・ドイツだった。
ドイツの企業にとって、自発的労働奉仕の失業者を受けいれたら、人件費を格段に安くおさえられて好都合だった。安価な労働力は、国家の財政負担を軽減させ、とりわけ企業に莫大な利益をもたらした。
ナチ党は、政権発足時に、10数万人のボランティア青年たちを獲得した。
ヒトラーは、本当に失業をなくした。現役兵以外の兵役適齢者が相次いで召集される状況下で、ドイツの労働力は底をつき、マイナスに転じた。そこを労働奉仕制度が埋めた。今や失業対策事業ではなく、その反対に不足している労働力を補うための手段となった。
ボランティアの2面性というものをしっかり認識することができました。
戦前の帝大セツルについては、加賀乙彦の大河小説『雲の都』の第1部『広場』に生き生きと描かれています。そして、戦後の川崎・古市場の学生セツルの活動については東大闘争と同時並行的に描いた『清冽の炎』(花伝社)第1~5巻が詳しいので、あわせて紹介します。
(2019年5月刊。4500円+税)
盆休みに天神の映画館でイギリス映画『ピータールー』をみました。マンチェスターの悲劇というサブタイトルがついています。イギリスのウェリントン将軍がウォータールーでナポレオン軍に完勝した直後のイギリスで起きた事件です。
当時のイギリスの国王はジョージ四世で、フランス革命から20年しかたっていないので、フランス革命のような事態がイギリスで起きることを恐れていました。
マンチェスターの紡績工場で働く労働者は食うや食わず、仕事や見つからない状況にありました。そして、議会は地主と企業家たちが独占しています。1人1票、毎年改選をスローガンとしてかかげてマンチェスターの市民6万人がピーターズ広場に集まり、平和な集会を進行させていたのです。そこへ支配層の意向を受けた「義勇軍」と国王の正規軍が襲いかかりました。公式発表で死者18人、負傷者650人以上といわれる大惨事となりました。
この事件が直接のきっかけとなったのではありませんが、選挙法が改正され、庶民の生活も少しは改善されたようです。
私のまったく知らなかったイギリスでの出来事でした。よくぞ映画にしたものです。日本でも、このように大泉が広く深く盛りあがりつつあることを実感しています。
そのときの支配・権力側のえげつない対応が予測されるような迫真の映画でした。
それにしても、このように血と汗で勝ちとられた普通選挙を現代日本では6割近い人が行使しないのですから、その現実に思わずため息をついてしまいます。

敗北者たち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ローベルト・ゲルヴァルト 、 出版  みすず書房
第一次世界大戦と、それが終わったあとのヨーロッパの状況を詳しく紹介しています。
第一次世界大戦では1000万人近くが死亡し、2000万人以上が負傷した。そして、そのあとに暴力的な激変が続いた。その凄惨な殺戮(さつりく)の様子が読んでいて気分が悪くなるほど語られていて、人間の狂気はこんなにまで落ちるものかとおぞましく、絶望感すら覚えます。京都のアニメーション会社での大量殺人事件を一気に拡大した感があります。
ロシア革命に至るとき、ケレンスキーは、軍の最高司令官であるコルニーロフ将軍から革命を「守る」ために、ギリシェヴィキの助けを借りた。ボリシェヴィキの指導者たちを監獄から解放し、武器と弾薬を与えた。このとき、ちょうど組織づくりの天才であるトロツキーが亡命先のアメリカから帰還したこともボリシェヴィキに有利に働いた。レーニンは土地の国有化とあわせて、戦争からの撤退を公約として、国民の好評を博した。
第一次大戦においてドイツ軍は初期こそ華々しく勝利したものの、援軍がなく、無理に無理を重ね、病気と攻勢による大損失で弱体化してしまった。形勢がドイツの不利に転じたことが明白になると、兵士の士気も民間人の戦意も、急激に低下した。
ロシア内戦は、300万人以上の命を奪うという規模と激しさだった。
食糧供給の危機を打開するため、レーニンは銃をつきつけた食糧徴発を断行した。名の知れたクラーク、富裕者を少なくとも100人は絞首刑にせよ(必ず吊るせ、民衆に見えるように)というのがレーニンの指令だった。
いかに内戦時であったとしても、これはいけませんよね。
もっとも、レーニンの赤軍兵が敗退したときには、公開での絞首刑があり、捕虜になった赤軍兵士は生きたまま焼かれた。このような状況も一方ではあったのでした・・・。
1919年7月16日、捕えられていたツァーリの一家は地下室で全員が殺害された。レーニンの指令による。
ロシア内戦で赤軍が勝利したのは、ボリシェヴィキの悪のほうが白軍という悪よりもましだというのがロシア国民の大方の見方となったことによる。
ローザ・ルクセンブルグは、1871年に棄教したユダヤ人材木商の末娘として生まれた。
ミュンヘンは、ヴァイマル・ドイツのどこよりも強固にナショナリスティックで、反ボリシェヴィキ的な都市だった。そして、このバイエルンの首都はナチズム誕生の地となった。
ムッソリーニは、第一次大戦前は、名うての社会主義者だったが、急進的ナショナリストに転向した。ムッソリーニは戦線で負傷したのではなく、梅毒にかかっていた。
ヒトラーは、しがない税関役人の息子であり、バイエルン軍の伝令兵として西部戦線に従軍し、上等兵(伍長は誤り)として退役した。ヒトラーは社会主義に関心をもったことがあったが、すぐに極右に「転向」した。
ヴェルサイユ条約によってドイツ陸軍は最大で10万人、そのうえ戦車や軍用機、潜水艦の保有は禁止された。また、海軍は、1万5000人に削減され、大型軍艦の新建設も禁止された。丸腰にされたも同然である。
ドイツ軍は、第二次大戦のとき、惨憺たる敗戦を迎えるまで、無益な戦闘を続け、そのため戦争の最期の3ヶ月間で150万人もの兵士が戦死した。
日本が満州によって中国を支配することになったとき、それについてヨーロッパ各国が激しく抗議することがなかったことから、イタリアのムッソリーニは、日本と同じことを真似するようにした。
第二次世界大戦の始まった状況を見るときに忘れてはいけないのが、その前の第一次世界大戦の状況だということがよく分かり、私には、とても興味深い記述でした。
400頁もある、ぎっしり詰まった本格的な歴史書です。
(2019年2月刊。5200円+税)

ネオナチの少女

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ハイディ・べネケン・シュタイン 、 出版  筑摩書房
18歳までナチと過ごした若きドイツ人女性が過去をふり返った本です。
ドイツでヒトラーを信奉してひそかに活動している人々がいるのは私も知っていましたが、その実態を自分の体験にもとづき赤裸々に暴露しています。
著者の父、祖父母、親の友人、みなナチでした。ナチの親のもとでナチ・イデオロギーを刷り込まれ、ひそかに軍事的な訓練まで受けています。
著者が幼いころ、ナチの父親は、マックからコーラに至るまで、アメリカの商品はすべて禁止した。ナチの父親は、すべてにおいて厳格で、誰もが従わなければいけない。父親にとって大切なのは常に結果、つまり勝ち負けだった。
父は税関職員で、ナチの団体のリーダーの一人だった。
その父親とは15歳のとき絶縁を決意した。父親は18歳の誕生日まで養育費を支払ったが、あとは、お互いに没交渉となった。
母親は、ナチの父親から去った。
父親にとって、ユダヤ人虐殺のホロコーストはでっち上げられたものでしかなかった。ホロコーストを否定するため、絶えず陰謀や思想操作をもち出した。まるでアベ首相のようですね・・・。
ナチの団体の親は、高学歴、高収入の狂信的な大人の集まりだった。貧しい人や庶民はおらず、大学教授や歯科医だった。
著者はアメリカ人とユダヤ人が嫌いだった。アメリカ人とユダヤ人はグルだ。アメリカ人は石油を我が物にしようと戦争を仕組んでおきながら、世界の警察という顔をして、帝国主義的な目的を追求している。
著者は強いと思っていたけれど、弱かった。勇敢だと思っていたけれど、意気地なしだった。成熟していると思っていたけれど、未熟だった。自由だと感じていたけれど、囚われていた。正しいと思っていたけれど、間違っていた。
いま私の娘の住んでいるミュンヘンに生まれ育ち、ナチから脱却した今は保育士として働いている27歳の女性による本です。
親の影響の大きさ、恐ろしさをひしひしと感じさせられました。
(2019年2月刊。2300円+税)

地下道の少女

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 アンデシュ・ルースルンドほか 、 出版  ハヤカワ文庫
スウェーデンの首都、ストックホルムに起きた話です。
寒々とした光景が展開します。町の中心部にある広場の地下トンネルに住みついている人間が50人ほどもいるという状況を前提として進行していきます。それはホームレスの人々です。そのなかには未成年の少女もいました。
さまざまな年齢の女性たち11人が広場下の地下トンネルで共同生活していた。
ルーマニア人の子どもが43人もストックホルムの中心部でバスを降ろされたこと、本人たちはスコットランドに来たと思っていたこと、それらは本当の出来事。それを小説にしたのが本書。
そして、生きのびるために、自分の体を売るスウェーデン人の少女や女性が増えていることも真実だと著者は強調しています。
2018年のストックホルム市の調査によると、ホームレスが2500人近くいて、その3分の1は女性。女性の割合は増加傾向にある。ホームレスの55%が薬物依存症で、45%の人には精神障害がある。
ストックホルムにストリート・チルドレンがいるなんていうのも驚きでしたし、東欧からの移民流入のもたらす問題にも目を開かされました。
異色のミステリー小説として読みふけったので、紹介します。
(2019年2月刊。1160円+税)

沈黙する教室

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ディートリッヒ・ガルスカ 、 出版  アルファベータブックス
冷戦下の東ドイツの高校で起きた「事件」です。その高校の進学クラス全員が反革命分子とみなされて退学処分になってしまいます。
高校生たちは何をしたというのか、なぜクラス全員が退学処分になったのか、そして、高校に行けなくなった若者たちはどうしたのか、彼らは40年後の同窓会で何を語りあったのか・・・。先日、天神の映画館でみた映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の原作本です。
ときは1956年(昭和31年)11月1日に起きました。ハンガリー「動乱」が起きたことをラジオ放送(RIAS。アメリカ占領地区放送)で知った高校生たちが、連帯の意思表示として授業中に5分間の黙祷を捧げたのです。「事件」は、たったそれだけのことでした。ところが、それが反革命の行動として国民教育省大臣が高校に乗り込んでくるほどの「大事件」になったのです。
高校生たちがしたことは、歴史の授業の時間に、午前10時から10時5分までの5分間だけ、何も言わない、何も答えない、何も聞かない、それを黙祷として実行した。ただ、それだけのこと。黙祷はもう1回やられたが、それは、授業中ではなかった。
映画では、西側のラジオは、森(沼)のはずれにあるいかにも変人のおじさん宅に集まってこっそり聞いていたことになっていますが、この本によると実際には、各家庭で日常的に西側のラジオ放送が聴かれていたようです。
東ドイツの国家権力は、ハンガリー動乱について高校生たちが連帯の意思表示として黙祷したことを許すわけにはいきませんでした。ところが、高校の校長ほか、高校生たちを追いつめるのはよくないという考えの人たちも少なくなかったようです。それでも結局、この高校生たちは全員が大学受験資格を喪うことになり、その大半は西ベルリンへ逃亡するのです。
1956年当時はまだベルリンの壁も出来ていなくて、年に15万人も西側へ逃亡する人がいました。高校生たちも、その大半が西側へ逃亡した(できた)のです。
事件の前は、誰も権力に立ち向かう力や勇気をもちあわせていなかった。しかし、黙祷がこれを変えた。突然、強くなった。あの永遠に続くようにも思われた黙祷を捧げているあいだ、クラスの全員が堪え切って行動が成功しますように・・・とずっと祈っていた。
このクラス20人のうち15人が西側へ脱出した。そして、東ドイツは、5年か10年しかもたないと思われていたが、なんと、その後33年も続いた。
映画で心を揺さぶられるシーンは、誰が主導したのか、首謀者なのか、クラス全員が最後までがんばって黙秘し続けているところです。仲間を裏切らない、裏切りたくないという高校生たちの揺れ動く心境が、当局の圧力との対比でよく描かれていました。
映画をみて、この本を読んで、当時の人々の置かれた苦しい状況をよくよく理解することができました。
(2019年6月刊。2500円+税)
6月に受けたフランス語検定試験(1級)の結果を知らせるハガキを受けとりました。もちろん不合格だったのですが、なんと得点は55点(150点満点)しかなく、4割に届いていませんでした(合格点は93点)。実は自己採点では63点だったのです。仏作文が予想以上にひどかったということになります。それでもめげず、くじけず毎朝のNHK、車中のCD、毎週の日仏会館通いを続けています。ボケ防止に語学は何よりです。

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