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インドの台所

カテゴリー:インド

(霧山昴)
著者 小林 直樹 、 出版 作品社
 インド各地の民家に入れてもらって、その台所を視察し、ついでに家庭料理をふるまってもらうという迫力あふれた体験記です。
 ちょっと私には真似できません。それが出来るのは、ともかく30年来、インドに通いつめているからでしょう。インド各地のコトバもかなり出来るようです。でなければ、台所に入っても会話が成り立ちませんよね。
多くのパンジャーブ人は、今でも薪火でつくった料理をありがたがる傾向が強い。インド人一般が加工食品へ不信感をもっている。コルカタという大都会にある高級住宅街でも、ガスの調理より薪火のほうが健康的だし、素材にガスの臭いが移らないから料理も美味しく仕上がるから…。
 スロークッキングされた料理は、単に味が良くなるだけでなく、健康に良いと信じているインド人は少なくない。逆に、ガスで手早く調理した食べ物は身体に良くないと発想する。同じ理由で、冷蔵庫も多用しない。肉や野菜などの生鮮食品は常温のものをなるべく冷蔵保存せずに使い切ろうとする。「冷たいものは身体に良くない」という考えから、瓶ビールも常温で売られていた。
 レストランの厨房で働いているのは全員が男性。ところが、男性は、家庭内で調理した経験がないのがほとんど。調理経験ゼロの状態で店に入る。
 インド料理の作り手は、その店のレシピがこなせれば、国籍は不問。インド国内の厨房で働いているネパール人は多い。
 南インドのケーララではキリスト教徒だけでなく、ヒンドゥー教徒も牛肉をよく食べている。北インドのヒンドゥー教徒に聞かせたら驚くような話だ。ケーララでも、昼ごはんが一日の食事の中心。
 保守的なインドでは、自宅内で初対面の客のもてなしにいきなり酒を出すことはあまりない。妻が客にお酌をする習慣もない。インドでは、酒は背徳性の高い存在。
 ところが、ネパールは違う。カトマンズでは、どの食堂に入ってもビールが飲める。酒に対する寛容度が違う。
 インド料理の本場では、本物のバナナの葉の上に料理を載せて並べる。ところがバナナの葉を模した紙皿が高級的で使われている。というのも、紙皿のほうが日常性を感じさせないから…という。ちょっとよく分かりませんよね。
 そして、バナナの葉をテーブルにどう置くのかも決まっている。バナナの葉の先端部分が頭で、葉柄が右の横向きが正しいとされている。ところが、実際には、店によって、テーブルにてんでんバラバラに置かれている。
それにしても、バナナの葉の上に熱々のライスなどが載せられて湯気とともにモワッと顔面に漂ってくる芳香が食欲をくすぐる大切な要素の一つだという説明には驚かされました。そんなこと、考えたこともありませんでした。
 行く目的の家がないときには、乗ったタクシーの運転手と話して、その自宅に連れていってもらうこともあるというのです。すごい行動力ですね。圧倒されました。
 写真がまた素晴らしい本です。
(2024年8月刊。2700円+税)

モンゴル帝国

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 楊 海英 、 出版 講談社 現代新書
 チンギス・ハーンの創設したモンゴル帝国で、カギを握っていたのは、実は女性だったという視点に貫かれた新書です。最後まで興味深く読み通しました。
 モンゴルの女性は、遠征や大ハーンを選出する政治集会やクリルタイや宮廷行事に参加していただけでなく、多くの場合、むしろ主催者だった。遊牧社会の経済を牛耳り、日常的に運営していたのは女性。男性は戦士であり、家庭の日常的な経済運営には関わらない。経済と子育て、一家の独立自強を支えているのは女性。
 モンゴルの男たちは、みなマザコン。モンゴルなど、ユーラシアの遊牧民は娘を溺愛する。
 チンギス・ハーン家と有力な貴族家との婚姻関係は双方向だった。モンゴル帝国が成立したあと、チンギス・ハーン家の娘たちは、草原の慣習法を背負いながらイスラム世界に嫁ぎ、かの地で子どもを育て、政治と軍事活動に加わった。
女性は、独自の天幕(ゲル)式宮殿おルド(宮帳)を持っていた。オルドには、多くの家臣と将軍が陣取り、複数の千戸軍団を指揮し、応範囲にわたって経済活動を展開した。猟は男性の遊びであり、軍事訓練でもある。
 モンゴルの男性は、7歳くらいから猟に加わる。天幕の前で馬糞を燃やして人間の匂いを消し、馬の腹帯をしっかりと締めてから出発する。
 族外婚の制度を実施する遊牧民は、なるべく遠くから嫁をもらう習慣を古代から現代に至るまで維持する。無理矢理の略奪婚でも、数日後には同じように正式の手続きを進めていかなければいけない。今日でも、結婚式は、略奪婚時代のしきたりに従って挙げられる。略奪婚は儀式と化して残っている。
チンギス・ハーンの本名であるテムージンとは、「鉄のように強い男」という意味。
モンゴルの女性は、ウバジャルタイという野生の果物の汁を顔に塗って、赤く見せていた。
 遊牧民の世界では、部下の功績に対して公平に賞与を与え、戦利品を平等に分配することがなによりも重要なこと。
 遊牧民の天幕は太陽の方向に門が開くように設営される。家の主人は天幕の北側に南面してすわる。主人の右側は男性のエリアで、左は女性の世界。主人の左に陣取る夫人たちも南に向かってすわる。侍女たちは北に向かって食事を用意したりして働く。
 現代に至るまで、モンゴルの男性は、旅するときに自分専用の椀と食事用のナイフ類を持参する。
 ユーラシアの遊牧民社会において、人間は父方から骨を、母方から肉を受け継ぐとされている。貴族は「白い骨」、庶民は「黒い骨」だと分類される。
チンギス・ハーンの遺体は故郷にもち帰られ、オノン河の西にそびえ立つブルハン山の頂上、万年雪をいただく峰々のなかに埋葬された。ええっ、大草原の地下深くに埋められ、地上部分は見事に整地されて誰にも分からないようにされたと聞いていましたが…。
 高麗の出身者は、モンゴル人の大元ウルスの宮廷において多数派を占めるようにまでなった。ユーラシアの遊牧民社会のオルド(宮帳)に宦官はいなかった。そして、高麗出身の宦官と宮女が主力となった。
 著者はモンゴル人として生まれ、日本に帰化しています。中国人(漢人)がモンゴル人を大量に虐殺した過程をたどった本の著者でもあります。
(2024年7月刊。1300円+税)

「カサブランカ」、偶然が生んだ名画

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 瀬川 裕司 、 出版 平凡社
 映画「カサブランカ」は、史上屈指の人気作品の一つ。
 酒場で、ナチスの将校たちがナチ賛美の歌をうたって気勢をあげるのを、くやしそうに下をうつ向いて指をかんでいた男たちが、誰かがフランスの愛国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌うと、その場にいたナチス将校以外の全員が立ち上がって歌い出し、ついにナチス将校を圧倒するという感動的な場面は忘れようがありません。
著者は18歳のときに初めて観たあと、なんと1年間で10回以上も観たとのこと。ええっ、どうしてそんなことが可能だったのでしょうか、それほどロングラン上映されていたのですかね…。
 この本は映画「カサブランカ」が出来あがるまでが、これでもかこれでもかと言わんばかりに、きわめて詳細にその経過をたどっています。
 まず、脚本です。その原作を誰が書いたのか、そして、それにもとづいた脚本は誰が書いたのか…。原作を書いたのは、バーネットとアリスンという男女。そして脚本は、何人もの手が加わっている。アメリカ映画って、すごい人数が関わってつくられるということを知りました。
 まずは、マッケンジーとクライン。そして、エプスティーン兄弟。次いで、ハワード・コッチ。それからケイシー・ロビンスン。これら脚本家全員が、映画が完成して高く評価されたあと、あの高く評価された部分は自分のアイデアだと主張したというのです。それぞれ、すごいプライドです。
 そして、1942年5月から撮影開始。ところが、脚本はまだ完成していなかった。それでも、ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマンは初日から撮影に参加した。
 この夏、ワーナー映画のスタジオでは、ほかに6本の映画の撮影が進行していた。「カサブランカ」は、そのなかで高額の資金が投入された作品ではなかった。製作費103万ドルだったが、別に264万ドルとか150万ドルというのもあった。
 「カサブランカ」が全国公開されたのは1943年。そして翌1944年にアカデミー賞作品賞を受賞した。
 リック役のハンフリー・ボガードはギャングや悪徳弁護士など悪役専門の俳優だったそうです。ところが、戦争が始まってからは、ナチを倒すタフな男の役を演じるようになりました。戦後は、ハリウッドの赤狩りに反対する委員会のメンバーとして活動しています。
 そして、イルザ役のイングリッド・バーグマンは、「カサブランカ」を代表作とは認めないと高言していたとのこと。ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」こそ代表作だとしたのです。
 それにしても、この映画に関わった主要メンバーの多くがユダヤ系というのには改めて驚かされます。ハリウッドに多いのは「アカ」と「ユダヤ」だという「非難」はあたっているのですね…。もちろん、こんな「非難」は間違っています。能力ある人は、誰であろうときちんと評価すべきなのです。
 よくもまあ、ここまで調べ上げたものだと驚嘆しながら読了しました。
(2024年5月刊。3400円+税)

学校では教えてくれない生活保護

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 雨宮 処凛 、 出版 河出書房新社
 名古屋で開かれた日弁連の人権擁護大会のシンポジウムに参加したときに購入した本です。著者が目の前でサインしてくれました。
 「生活保護を受けるくらいなら、死んだほうがまし」
 「生活保護を受けるなんて、人間終わり」
 こんな声を私もよく聞きます。最後のセーフティーネットなのに、それを利用したがらない人のなんと多いことでしょう…。
 借金をかかえて二進も三進もいかなくなっている人には、私もためらいなく自己破産をおすすめしています。そして、働けない状況なら、とりあえず生活保護を申請したらいいとアドバイスします。
生活保護を受けたほうがいいのに受けているのは、2~3割だけ。それくらいの捕捉率。ところが、スウェーデンは8割、フランスは9割。圧倒的に日本は低い、低すぎる。
 生活保護の利用者が増えないなかで、増えたのは自殺者。とくに女性に増えた。日本全国で年間の自殺者は2万1千人。1日あたり57人が自ら命を絶っている計算だ。異常に多い。これは本当にひどい状況です。すぐに手をうつべきです。
 生活保護受給者を担当するケースワーカーは、都市部では1人が80世帯を担当するのが標準。これが自治体の窓口における悪名高い水際作戦の背景になっている。
 現代日本の片隅に、「オニギリ1個。腹一杯食べたい」と日記に書きつけた人がいる。
 片山さつき議員など、自民党の国会議員が生活保護受給者を繰返し、バッシングしている。「タダ飯暮らし」を許さないという。その人の置かれた状況を知ろうともせずに…。ひどい。
 「いのちのとりで裁判」は、本当に大切な裁判です。国は争うのをやめてほしいです。全国29都道府県で原告1000人以上という大裁判。すでに勝訴判決が相次いでいる。
 持ち家があっても生活保護は受給できる。
 車も絶対に保有できないわけではない。
ペットと一緒に生活するのも、各種制約はあっても出来る。
生活保護受給者であっても大学に行きたい人は行かせるべきです。だって、そこで貧困の連鎖が止まるようにしたらいいのです。
 韓国は、生活保護を基礎生活保障に変えました。そこに学ぶ必要があります。そして、韓国では、単給。この単給化で貧困率が下がっている。2015年の受給世帯は100万世帯。そして2020年には、140万世帯超となった。
 日本の生活保護システムは非常に古いまま。日本では、コロナ禍の下で国の特例貸付となった。国が国民に借金させた。これって、ホントに支援なのか…??
 ドイツでも生活保護バッシングをする議員はいた。ところが、ドイツ連邦裁判所は現在の規定は無効だとする最高裁判決を出した。ドイツでは、よほどのことが発生したとしても、たとえば1年間は審査しない。
 日本にいる外国人は276万人。国保に加入できない外国人は100万人超、働くことを禁じられている仮放免の人は6千人。2021年6月時点で、実習生は19ヶ国・地域から、35万人が来日している。ベトナム人が一番多くて6千人近くいる。
大変勉強になる本でした。
(2024年4月刊。1562円)

私が出会った少年について

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 チョン・ジョンホ 、 出版 現代人文社
 著者は韓国の少年部判事をしていました。現在は釜山地方院部長判事です。
 著者は2010年2月から2018年2月までの8年間に1万2000人の少年と出会った。
少年の非行は、少年の罪ではなく、社会の罪。
 これは弁護士生活50年の私の実感でもあります。親と社会から見捨てられたと感じながら生きていたら、誰だって大人や社会に対して復讐したいと思うのは必然ではないでしょうか。
 温かく見守ろうとする心持ちのない大人が本当に多いと思います。自分さえよければと金もうけに走る大人のなんと多いことでしょう。軍事産業で働く大人、原発再稼動を目ざす大人、リニア新幹線づくりに狂奔する大人、そして大阪で「万博」をまだやろうとしている大人、カジノでもうけようとしている大人、こんな醜い大人たちばかりを見ていたら、子どもたちが絶望しないほうが不思議でしょ。
なんで、いつまでたっても戦争してるの…?人の命より金もうけが大事だと考えている人たちが政治を動かしているからでしょ。
少年非行は、都市化と経済成長の陰ではびこる毒キノコのような存在。丸8年間の少年部判事のとき、つけられたニックネーム(あだ名)は「ホトン判事」、「サイダー判事」「万事少年」など、いくつもある。
 法廷にやってくる少年たちは、「芋が胸につかえたように、もどかしくて」ならなかった。こんなたとえ方が韓国にはあるのですね…。
 少年非行には、心の拠(よ)りどころも、落ち着いて休める場所もない場合がほとんど。
 保護処分になった非行少年の再犯率は非常に高く、しかも増加傾向にある。保護観察処分を受けた青少年の9割が1年以内に再犯する。
著者は、少年にひざまずかせ、親に向かって、「お母さん、お父さん、ごめんなさい。二度とあんなことはしません」、「お母さん、お父さん、愛しています」と10回ずつ言わせる。この反覆効果は想像以上だそうです。
 著者は、子どもたちをファミリーレストランに連れて行って、ごちそうすることもあるようです。
 厳しい環境に育った子どもたちが大半なので、両親と手をつないでファミリーレストランに外食に行くという、ごくごく普通の日常さえ経験したことがなかったのだ。いやあ、本当に涙が出てきますよね。それほど厳しい子ども時代を過ごしてきたわけです。親から叩かれ、また無視され、温かいご飯も食べさせてもらえなかった子どもたちに何を要求するのですか…。
 ところが、すべては「自己責任」。努力が足りなかったと一刀両断に切り捨ててしまう大人のなんと多いことでしょう。そのくせ、そんな大人こそ、権威にへつらって、強い者にはペコペコ首をすり切れるほど上下させているのです。すべてはお金と自己保身のために…。
 韓国でも、少年犯罪は2009年以降は減少傾向にあります。犯罪全体における犯罪少年の割合は、2009年に5.8%だったのか、2016年には3.6%に減少した。釜山家庭法院でも、2013年と2017年の少年保護事件数を比較すると、40%ほどに減っている。
この本を読んで初めて知ったのですが、フランスにはスイユ(Seuil)という非行少年のための歩き旅プログラムがあるとのこと。私は長くフランス語を勉強していますから、すぐに辞書を引きました。Seuilとは、戸口、入り口、始まりという意味です。
 フランスでは、非行少年が成人のメンターと2人で3ヶ月間、1600キロメートルを歩く旅を完遂するというものがあるそうです。完遂すると、判事や職員などの関係者が盛大なパーティーを開いて祝う。この歩き旅を終えた青少年の再犯率は15%。一般の再犯率85%を大きく下回った。いやあ、これにはびっくりたまげました。こんな3ヶ月間もの長い旅を受け入れる社会はすごいですよ。日本でも、ぜひ考えてほしいですよね。
そこで、著者は早速とりいれたのです。ただし、3ヶ月ではなく、8泊9日間です。済州島のオルレキルを2人で歩くのです。これまで31人の子どもが歩いたそうです。すごいですね。ぜひぜひ、日本でもやってほしいです。
少年非行は日本でも明らかに減少しています。かつての暴走族なんて、まるで絶滅危惧種ですよね。青少年の活力が欠如してしまったのではないかとさえ心配されているのが現状です。
どうして非行少年を厳罰に処分したらいいなんて考えがでてくるのか、私には不思議でなりません。生活保護受給者がパチンコ店に行ってはいけないなんていうのと同じ偏見です。
真面目に考え、行動している人は韓国にも、日本と同じようにいることを知って、少しばかり安心もしました。あなたに一読を強くおすすめします。
(2024年2月刊。2300円+税)

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