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シオニズム

(霧山昴) 

著者 鶴見 太郎 、 出版 岩波新書

イスラエルのガザ攻撃など、イスラエルの横暴は目に余ります。 ネタニヤフ首相はパレスチナ人を根絶やしにするといって、かつてのナチスのユダヤ人絶滅の暴挙を思い起こさぜるをえません。

かつて、世界のユダヤ人の半数がロシア帝国に生活していた。 シオニズムは、19世紀終盤のロシア帝国領で生まれた。 

イスラエルの建国は、当初のシオニストからすると、期待以上の成果だった。 

イディッシュ語は、現在ではニューヨークのユダヤ人街など、ごく一部でしか使われない。 イディッシュとは、「ユダヤの」という意味。 

ヘブライ語は、アラビア語やアラム語と同じ、セム語族の言語であり、アラビア語と同じく右から左に書く。 

長いユダヤ史のなかで、ユダヤ人は特殊性こそが自分たちの売りであると考えていた。 宗教的には、ユダヤ人が神からの戒律を厳密に守ることが異教徒を含めた世界の救済につながるという立ち位置を自任していた。 これは他者を切り捨ててもいいという意味ではないということ。 そして、社会経済的には、他の人々があまり従事しない職種を生業にしてきた。 

ユダヤ教では、土曜日、正確には金曜日の夜から土曜日の日没までを安息日とし、労働が禁止される。 

1948年の時点で、6万5千人(当時のユダヤ人の7.5%)がキブツに暮らしていた。 2018年には17万1千人にまで増えているが、人口比率としては2%にまで低下している。

血縁的な縛りのないユダヤ人にとって、ユダヤ教は唯一の具体的な民族的基盤である。

西欧シオニストは資金力も技術力もあった。東欧シオニストにとって利用価値は高く、そのためシオニスト運動が大きく分裂するまでには至らなかった。

パレスチナにやってきた東欧ユダヤ人は、理論上は世界のユダヤ人の一体性を前提としていたはずだが、実際には、より「東方」のユダヤ人を同胞とは考えていなかった。

1918年ごろ、ユダヤ人の大量虐殺(ポグロム)を引き起こしたのはウクライナ民族主義者、そして白軍だった。赤軍は「もっともまし」な勢力として、ユダヤ人を多く受け入れた。ユダヤ人はブンド、そしてメンシェヴィキに多かった。ボルシェヴィキにはそれほど、ユダヤ人はいなかった。

ソ連はイスラエル独立宣言のころまでは、イスラエル建国にかなり好意的だった。ソ連は、中東におけるイギリス帝国の影響力を弱めようと画策しており、アラブ諸国はイギリスの手先だとソ連は考えていた。そこでパレスチナが分割されることでイギリスの面子がつぶれると考えた。冷戦が本格化すると、ソ連はイスラエルに次第に敵対的になった。

1948年9月に、イスラエルの代表としてゴルダ・メイルがモスクワを訪問したとき、多くのユダヤ人が歓迎のために参集した。それを知ったスターリンが怒った。

フランスは、イスラエルに秘密裏に武器を送った。

アメリカに住むユダヤ人は1881年に30万人だったのが、1926年には400万人に達した。そして、ユダヤ人同士の相互扶助に助けられて急速に階級上昇し、やがて中産階級となった。

イスラエルに渡ったホロコーストの生存者は、当初、沈黙を余儀なくされた。イスラエル社会は、その記憶に着目しようとしなかった。むしろ忌むべき記憶とみなし、ホロコースト生存者への差別的な対応をすることが多かった。ホロコーストに殺されたユダヤ人は、シオニストの呼びかけに耳を貸さず、旧態依然にとどまったため、自ら苦境を招いた者だとみられた。要するに、ホロコーストの被害にあったのは自業自得なのだ。いやあ、これには驚きました。同じユダヤ人であっても、これほど見方が異なったのですね……。まさか、今でも、こんなことを信じている人なんていないでしょうが……。

1961年に始まったアイヒマン裁判がイスラエルの社会を一変させた。それぞれに抵抗していたユダヤ人の存在に光が当てられるとともに、ホロコーストの犠牲者がみな無抵抗だったとする言説は後退していった。

キリスト教は、伝統的にユダヤ人に対して、「生かさず、殺さず」という態度をとってきた。ユダヤ教では、信仰よりも実践が重要であり、この点でイスラームに近い。

ともかく、一刻も早くイスラエル軍はガザ地区から撤退し、ガザ復興に取り組んでほしいものです。知らなかったことも多く、大変勉強になりました。

(2026年1月刊。1120円+税)

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