(霧山昴)
著者 木村 多加史 、 出版 NHK出版
古代の天皇(大王)は、即位するとき、それぞれの「宮(みや)」を構えた。平城京や平安京は、数代、数十代の天皇が居を構え、人々が集住する「都」だった。一時的な「宮」から恒久的な「都」へと発展した。宮都(きゅうと)。
著者は、現地に立って国景を見て考える、景観考古学者。
飛鳥には、謎めいた石造物が数多く散らばっている。なかでも、猿石、亀石、そして二面石(にめんせき)は、とびきり異彩を放つ石。残念なことに、私はこの三つとも現地で現物をみていません。
亀石は、高さ2メートル、幅2.77メートル、奥行き4.53メートルもある、大きな立体的な石。亀の顔はユーモラスであり、威嚇する雰囲気は、まったく感じない。
石舞台古墳は、私も現地に行き、その大きさを実感しました。1辺50メートルの方墳。墳丘の上半分がなく、巨大な横穴式石室の天井石が完全に露出している。それにしても、大きいです。
高取の猿石は、高さ84センチ、幅93センチ、奥行68センチ。猿というより チンパンジーに似た顔つき。
二面石は、高さ124センチ、幅127センチ、奥行50センチ。正面からみて、右が「善相」、左が「悪相」。
飛鳥には「ゴールデンコース」なるものがある。今度、そこを歩いてみましょう。
推古天皇の在世は35年間も続いたが、その20年目(612年)に、百済から2人の文化人が渡ってきた。一人はミキマロ、もう一人はミマシ。ミキマロは、中国の南朝から百済に渡ったペルシア人ではないかと想像されている。
大切なものを、あえて砕く呪術や信仰があった。縄文時代の土偶にも通じるもの。
飛鳥には、さまざまな技術をもった渡来人が多く定住していた。
中国には、王の支配地は正方形だという世界観があった。
飛鳥時代の寺院・宮殿は、南北軸に沿う方針で設計されている。真北は、インディアンサークル法で定めていた。これは、古代インドの経典「シュルパスートラ」に記載されている。
古代の奈良盆地には、東から「上ツ道」、「中ツ道」、「下ツ道」という三筋の南北道路が通っていた。そして、この三道と直交する東西道路の「横大路」が走っていた。国家が建設し、国家が使う道なので、「官道」と呼んだ。
飛鳥宮跡を見おろす丘の上に、ぽつんと残る「酒船石(さかふねいし)」は、臓器をかたどったような浅い、たたき溝が彫られ、何らかの暗号のようにも見える。これを、松本清張の「火の路」では、ゾロアスター教の神酒「ハオマ」を製造する台だとされている。また、手塚治虫の「三つ目がとおる」では、人を思いのまま操ることのできる 悪魔的な薬を調合する台として描かれている。
このガイドブックのような本を読んで、いよいよ飛鳥の地を歩いてみたくなりました。
(2026年7月刊。1980円)


