弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年3月24日

「地中の星」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 門井 慶喜 、 出版 新潮社

 私の亡父・茂は17歳のとき、大川市から単身上京して、逓信省で臨時雇員として働きはじめました。1927(昭和2)年3月のことです。
 同じ年の12月末、東京で初めての地下鉄が営業を開始しました。浅野と上野を結ぶ路線です。2キロあまりを5分間ほど走りました。運賃は10銭です。当時、コーヒー1杯が10銭でした。イギリス・ロンドンの地下鉄のほうが断然早いのですが、ロンドンは蒸気機関車でしたから排煙に悩まされていたそうです。日本は初めから電気で動きました。
 この本は、渋沢栄一などの援助を受けながら、東京の地下に電車を走らせることに命をかけた早川徳次(のりつぐ)と技術者たちの苦闘の日々を生き生きと描いています。
12月29日には開業式ではなく、開通披露式がとり行われました。
 改札には、自動改札機があり、10銭硬貨を投入する。これまた日本初のこと。線路は複線で、車両は1両だけ。
 翌12月30日に一般向けの営業を開始すると、初めての地下鉄に乗りたい人々が殺到し、大変な行列をつくった。午前中だけで4万人の市民が乗車した。
 そして、それは年が明けて新年になっても続き、むしろ日曜祝祭日のほうが地下鉄は混みあった。もちろん、このころ亡父も地下鉄に乗ったと思います。18歳の好奇心あふれる青年が乗らなかったはずはありません。
 やがて地下鉄の線路は延伸し、神田駅が出来た。すると、省線(今の山手線)との接続が乗客にとって便利になる。それは利用者の増加につながった。そして、次は三越デパートと直結し、「三越前」駅が誕生した。
 東京市の人口200万人のうちの半分近い98万人が3日間の地下鉄祭で乗車した。
 次は、関連して、地下鉄ではなく地上を走る市電の女性車掌の話です。東京の路面電車は今も細々と残っていますが、かつては縦横無尽に走っていました。そして、その電車には車掌がいて、車内で切符を売っていました。すると、混雑したときには間違いがあり、また、たまに車掌の着服事件が起きたりして、女性車掌が導入されたのです。しかし、女性車掌だと、更衣室の整備が必要だったり、夜間には働かすことができないということで、いったん廃止されました。
 ところが、男性がどんどん兵士として出征していったので、再び1934年に女性車掌が復活したのです。
 しかし、これには男性車掌側から反発もありました。男性車掌の賃金が1円7銭であるのに対して女性車掌の賃金は90銭でしかなかったからです。こんな低賃金で働く女性が増えると男性の仕事が奪われるという意見です。それをストライキの理由とした争議まであったのでした。
 昭和のはじめの日本の状況は調べるほど、面白い世界です。
(2021年8月刊。1800円+税)

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