弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年3月 9日

ともぐい

生物


(霧山昴)
著者 河﨑 秋子 、 出版 新潮社

 ときは明治のころ。ところは北海道の東部。山に犬1頭だけを連れて、愛用の村田銃をひっさげて入っていく猟師の話です。
 出だしの猟は鹿。一発で仕止めると、すぐに鹿の腹を裂き始める。開かれた腹の中には、むき出しの鹿の内臓がつやつやと横たわっている。腸は汗で粘ついた白粉(おしろい)のような白さを晒(さら)している。その白さが肝臓の鮮やかな赤紫色を引き立たせていた。
 赤紫色した肝臓に手を伸ばし、持ち上げると、ずしりと重い。これが綺麗でないと健康な個体とはいえない。胆管の若い汁がつかないように丁寧に切り取ると、朝の日光を反射してつやつやと輝いている。肝臓の端を親指の幅1本分くらいの大きさに切り取る。切った断面がしっかりと形を保ち、内臓に巣食う虫の痕跡がないことを確認して、勢いよく口の中に放り込む。
 鹿の温もりがほのかに残っている。歯を立てると、さくりと心地よい音がしそうなほどに張りがある。そして、甘い。血と肉の旨味を凝縮したような濃厚な味わいがかみしめるごとに口腔に広がり、滋味が鼻から抜けていく。肉ももちろん美味いが、仕留めたばかりの鹿の肝臓は格別なものだ。
 猟師(熊爪)は地面に両膝をついた状態で村田銃を構えた。銃口の先で、赤毛(ヒグマ)が猛烈な勢いで近づく。冷静に、呼吸を止めることなく、銃口を赤毛へと向ける。頭ではない。あれだけ成長した熊ならば、分厚い頭蓋骨が弾をはじく。狙うべきは、地面をかく両前脚の付け根の間。その奥にある心臓だ。万が一、心臓を貫けなくても、肺が損傷すれば勢いは削れる。距離にして、熊の体三つ分、十分に引き付けてから猟師は引き金を引いた。一瞬、赤毛の体が止まって見える。
 赤毛は横に跳んでいた。悪いことに猟師の左側、狙いづらい方へと跳んで、渾身の一発を避けている。遅かった。赤毛は後脚で立ち上がり、前脚を大きく振る。
 猟師はかろうじて銃身を盾として爪の直撃を避けたが、とてつもない衝撃に文字どおりぶっ飛ばされた。
 そして、また、もう一歩、赤毛が近づいてくる。猟師の全身の毛が逆立ち、まぶたは見開かれたままで、眼球の表面が乾く。村田銃の引き金にかけた指の感覚がない。
 緊張から呼吸が止まっている。あと5歩ほどまで赤毛が迫ったとき、引き金を引いた。
 銃口からの距離、当たった場所、熊の反応。経験から、猟師は赤毛の心臓をとらえたと確信した。
 赤毛は立ち上がったまま、左の前脚を上げた。そして前脚を空振りさせて自らの体に巻き付かせ、その勢いのまま横向きに倒れた。
いやあ、すごいものです。北海道の別海町生まれの著者による描写ではありますが、まさしく熊(ヒグマ)撃ちの実際をド迫力をもって再現しています(しているのだと思います)。
 直木賞を受賞した作品ですが、その発表前から読みたいと思っていた本でした。人間関係のところは、いささかひっかかりましたが、狩りの場合はすごい描写です。
(2024年1月刊。1750円+税)

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