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2021年5月 の投稿

城郭考古学の冒険

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 千田 嘉博 、 出版 幻冬舎新書
かつて日本列島には3万もの城があった。北海道にはアイヌの人々が築いたチャシがあり、沖縄には琉球王国のグスクがあった。江戸時代に、城は集約され300城ほどとなり、巨大化した。京都府だけでも1200もの城があった。
「天守閣」というのは近代以降の呼び方であって、正しくは「天守」あるいは「天主」である。「閣」はつけない。
江戸時代に建てた本物の天守が残るのは全国に12だけ。熊本の天守も残念ながら違いますよね…。
織田信長の安土城跡には2回行きました。山城です。天守跡に立ち、なんだか信長になったかのような気分をほんの少しだけ味わうことができました。なるほど、いかにも信長が君臨するにふさわしい城郭構造になっています。
著者は吉野ケ里遺跡の柵と塀の復元は完全に間違っていると厳しく指摘しています。「すき間のない板塀」はありえないというのです。なるほど、と思いました。
姫路城は天守や櫓(やぐら)を白漆喰(しっくい)で覆っているが、これは当時の最高の防災対策だった。
肥前名護屋城跡にも私は2回行きました。すぐ近くに立派な博物館もあり、秀吉の朝鮮出兵の無謀さを実感することもできます。近くに呼子(よぶこ)の美味しいイカ料理店もあり、ぜひまた行きたいところです。
信長の岐阜城にも行ったことがありますが、ここは典型的な山城です。ふもとにも信長の御殿があり、宣教師のルイズ・フロイスはふもとの御殿で信長と面会したあと、翌日、山城の御殿でも信長と面会したと書いています。
山城の御殿は、信長と家族が日常的に居住した常御殿としての機能を中心とし、人格的な関係を醸成した会所的建物を持っている。
安土城内に天正8年まで信忠や信雄の屋敷がなかったことは、安土城は信長と、信長に仕えた家臣たちの城であって、織田政権全体をまとめる城として、もともと意図していなかったろう…。
安土城は、あくまで信長の城であり、信忠は岐阜城、信雄の田丸城といって、織田政権にとっての要(かなめ)の城だった。
安土城の内覧は、圧倒的な上位者としての権威を見せつける意図があった。
豊臣政権の本拠は、実は大城城ではなく、聚楽第または伏見城だった。大城城は豊臣家の「私」の城だった。
日本の城についての詳しい知見を深めることができました。
(2021年3月刊。税込1034円)

湯どうふ牡丹雪

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山本 一力 、 出版 角川書店
久しぶりに山本一力ワールドを楽しみました。俗世間の垢にまみれて、ちょっとギスギスした気分のときには、このワールドにどっぷり浸ると、心の澱(おり)がすっと抜けていき、全身に新鮮な血が流れてくる気がしてきます。血生臭い殺人事件が起きることもありません。詐欺事件が起きそうで、どうなることやらと、ハラハラしていると、途中から予期せぬ展開となり、しまいにはほっと心休まる結末となって…。そして、そこに至るまでに江戸情緒をたっぷり味わうことのできるのが、山本一力ワールドの心地良さです。
江戸時代にもメガネ屋という職業が本当にあったのでしょうか…。創業120年を迎える老舗(しにせ)眼鏡屋(メガネ屋)のあるじは、知恵と人情で問題に挑む、お江戸の名探偵。こんなオビの文句なのですが…。
江戸は小網町のうなぎ屋も登場して、江戸情緒をかき立てます。
店の自慢のタレに含まれたミリン、しょう油、うなぎ脂そして酒が備長炭で焼かれると、旨味(うまみ)をたっぷり含んだ、あの煙となる。
薬種(やくしゅ)問屋では、3種の丸薬を売って名高い。乙丸は、男の精力増強剤、丙丸は武家や老舗商家の内室・内儀が顧客。丁丸は小児の夜泣き・疳(かん)の虫・夜尿症の症状改善に効く。これは、漢方薬の薬局として今もありますよね…。
「明日は味方」が家訓の一つ。これは、今日をひたむきに生きていけば、迎える明日が味方についてくれるということ。なあるほど、そうなんですよね。
江戸町内で人気のあった瓦版(かわらばん)の記者を「耳鼻達(じびたつ)」と呼んでいた。
ストーリー展開が意表をついていて、その展開に心がこもっていますので、最後まで、安心して読み続けることができます。期待から裏切られることがないって、すばらしいことですよね…。
(2021年2月刊。税込1980円)

こねこのタケシ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 阿見 みどり、わたなべ あきお 、 出版 銀の鈴社
南極に日本の子猫が渡って生活していた実話が絵本になっています。
1958年(昭和33年)の正月を南極で迎えた第一次越冬隊11人とともに子猫のタケシがいたのでした。
そして、もちろん、あの犬ぞり用のカラフト犬15頭もいました。放置され、翌年、奇跡的にも生きているのが判明したタロ・ジロをふくめた15頭です。
昭和基地で零下30度の寒さにも慣れたタケシの写真があります。カラフト犬とも仲良くなり、一緒に食事もしていました。
そのほか、越冬隊はカナリヤも連れていっていたようです。
そして、第二次越冬隊に引き継ぐはずだったのに、悪天候のため「宗谷」が接近できず、第一次越冬隊はカラフト犬たちを鎖につないで放置したまま「宋谷」に撤収して日本に帰国したのでした。
タケシは幸い隊員に連れて帰ってもらいました。日本に戻って1週間ほどして姿を消してしまったそうです。そんな子猫のタケシの南極での生活が絵本になっています。
タケシは昭和基地に閉じ込められた越冬隊員の心をなごませるペットの役目を立派に果たしたのでした。
それにしてもタロ・ジロもすごいですよね。自力で南極の冬を過ごしたのですから…。
(2019年8月刊。税込1650円)

密約の戦後史

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 新原 昭治 、 出版 創元社
いやあ、世の中には知らないこと、知らされていないことがこんなにもあるのかと、ついつい背筋が寒くなりました。
著者は福岡市内で出生し、日本敗戦を知らされたのは、中学2年生のとき、福岡市郊外の山あいでの塹壕(ざんごう)掘りに駆り出されていたときのことでした。当然のことながら、そのときまでは生粋の軍国少年。戦後は九大で心理学を学び、卒業して長崎のラジオ放送局に入って放送記者になります。そして、長崎で被曝の実態を調べ始めたのでした。ところが、原爆被害については、アメリカ軍の厳重な情報統制下にあって、自由に報道することがゆるされていなかったのです。
当時の記者は、「そんなことを書いたら、沖縄送りになりますよ」とアメリカ軍人から脅されていた。不穏分子と見なされると、沖縄にCIAの秘密基地があって、そこに監禁されていた。GHQが開いた記者会見で、アメリカの将軍はこう言った。
「原爆放射能の後遺障害はありえない。すでに、広島・長崎では、原爆症で死ぬべきものは死んでしまった。9月現在、原爆放射能のために苦しんでいるものは皆無だ」
これって、3.11のあとの安倍前首相の「アンダーコントロール」発言と本質的にまったく同じ。現実を見ないで、被害はなかったものにしようというもの。3.11のあと、たくさんの人々が10年たっても故郷に戻れずに今日に至っていますし、爆発したフクイチ(福島第一原発)の修復作業は放射能デブリの処理を含めて、あと何十年、いや何百年も、きっとかかってしまうでしょう。それほどの難事業なのです。それにしてもアメリカ軍の高級幹部がGHQの承認のもとで、こんな嘘を高言していたとは驚きでした。
アメリカ軍は朝鮮戦争のとき、核兵器を使おうとした。私は、マッカーサー将軍が独断専行しようとしたとばかり思っていましたが、本書によると、違うようです。
実のところ、トルーマン大統領は北朝鮮に核兵器をつかう(投下する)つもりだった。ところが、マッカーサー将軍が、先走って核攻撃をしようとするので、大統領がマッカーサー将軍を罷免した。
1950年8月5日、10機のB29爆撃機がアメリカ本土の空軍基地を飛びたった直後、うち1機が爆発して同機に乗っていた作戦全体の指揮官が亡くなり、重大な核兵器事故を起こした。結局、朝鮮戦争でアメリカ軍は劣勢挽回のために核兵器を使わなかった。それは核兵器の安全性の問題とイギリスなどから猛烈な抗議の申し入れがあったことによる。
そして、朝鮮戦争の後半段階で、アメリカ空軍は、核模擬爆弾投下作戦を繰り返した。
朝鮮戦争のとき、朝鮮での原爆投下作戦はひそかに準備がすすめられた。東京の横田基地と沖縄の嘉手納基地の二つ。アメリカ軍は厚木基地に、1953年、核攻撃任務だけをもつAJ-1サベッジ爆撃機部隊を配備した。
1953年10月には、アメリカ軍の横須賀基地に核爆弾を積んだ空母オリスカニ」が寄港した。同じく、アメリカ空軍は小牧基地に戦術核爆弾であるMK7(重量700キロ)を持ち込んだ。
イントロダクション(導入、移入)とは、固定的・本格的な配備のこと。貯蔵などによる長期の配置状態を言う。エントリー(飛来、立ち入り)とは違うもの。そして、トランジット(通過)とは、核兵器を積んだ艦船や軍用機が一時的に外国に寄港したり、離発着すること。格密約は、日本への核兵器の「トランジット」の自由を保証している。
この日本へのアメリカの核持ち込みを保証している密約は、二本立て。つまり、文書化されたものと、口頭だけのものと、二つある。日本政府は、核持ち込み反対の国民世論に従ったふりをしながら、アメリカ政府と核密約を結んで、日本国民をだましてきた。
アメリカのベトナム侵略戦争のとき、ニクソン大統領は核兵器を使う気だったが、キッシンジャー補佐官が反対したという話が出てきます。1972年4月と5月と、2回あったようです。
沖縄において、いつでも原子砲を使えるようにするための訓練がおこなわれていたのでした。さらに、アメリカ陸軍は、南ベトナムに1000人以上もの核兵器整備要員を常駐させていた。核兵器そのものは沖縄の米軍基地に置いていた。
東北地方のアメリカ軍の三沢基地にあった戦闘機部隊は核爆弾投下訓練をくりかえした。過酷な訓練のため、2年足らずのうちに11人ものパイロットが死亡している。
日本政府は、アメリカ軍による核兵器の持ち込みを許し、黙ってやってくれさえすればいいという態度をとってきたし、今もとっている。そして、日本国民には、核の持ち込みは事前協議の対象になると嘘をついて、国民をだましてきたし、だましている。
まことに腹ただしい話です。どうして、これほどまでに日本の政府当局者と官僚がアメリカに対して卑屈になってしまうのか不思議でなりません。自律した日本人としての誇りが彼らにはまったくないのですね…。
残念な日本の現実を知ることのできる本として、一読を強くおすすめします。とても分かりやすい文章で、内容自体はすらすら読めました。もちろん腹を立てながらですけど…。
(2021年2月刊。税込1650円)

司法はこれでいいのか

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 23期弁護士ネットワーク 、 出版 現代書館
1971年4月5日午前10時40分、23期司法修習生の修了式が司法研修所の大講堂で始まった。守田直所長の開会の式辞が始まろうとしたとき、阪口徳雄クラス委員会委員長が自席で起立挙手して発言を求めた。そして檀上の守田所長に近づき、演壇のマイクを手にもって、「任官不採用者に10分だけ話をさせてあげてほしい」と言った。守田所長は黙って降壇し、自席に戻る。すると司会の中島事務局長が「終了式を終了しまーす」と宣言。開始宣言から終了宣言まで、わずか1分15秒間のこと。
ところが、この阪口委員長に対して、その夜8時半すぎ、司法修習生を罷免するという書面が交付された。罷免理由について、最高裁の矢口洪一・人事局長は国会において、「制止をきかず約10分間混乱させ、式を続行不能にした」と説明した。500人もの司法修習生の目前で起きたことがまったく事実がねじ曲げられたのだ。
司法研修所の教官たち(50人ほど)は、式のあと長時間の会議での議論を経て無記名投票したが、「罷免」という結論ではなかった。にもかかわらず、矢口人事局長の誤った報告をもとに「罷免」の結論がまもなく出され、本人に伝えられた。
驚くべき展開というほかありません。この4月5日の罷免は、その直前の3月に熊本地裁の宮本康昭判事補が青法協会員であることを理由として(当局は認めていませんが…)、再任拒否があったことに直結しています。いえ、それだけではなく、裁判官の採用拒否がずっと続いていたこととも関連しています。
任官拒否は23期から7人、その前の22期で3人、24期3人、25期2人、26期2人、27期4人、28期3人、29期3人、30期2人、31期5人、少しとんで34期2人、35期5人、39期3人、総数53人にものぼった。
私は、この53人の人たちが裁判官になっていたら、その後の日本の裁判所は今とはまったく雰囲気が違うのではないかと確信しています。要するに、自由にモノが言える雰囲気です。
23期で裁判官となり、定年直前に福岡高裁の裁判長(部総括)をつとめた森野俊彦弁護士の体験記が出色です。
森野さんは、裁判官時代、裁判官会議でしばしば発言した。他の裁判官が沈黙しているのを見て、「このような重大問題で何もしゃべらず黙っているのはおかしい」と一席ぶった。すると、翌日、裁判長から「きのう会議で熱弁をふるったそうだね」と揶揄されたとのこと。
そして高裁長官たちから、「おまえはまだお尻が青い…」と言われた(青法協の青のことです)。それでも森野さんはめげずにがんばったわけですが、たいていの人はやはり心が折れてしまいますよね。実際、23期の裁判官でこの本に登場しているのは森野さん一人です。ことほどさように今に尾を引いているのです。
この本を読んで救われるのは、罷免された阪口修習生が2年遅れで罷免を取り消されて弁護士となり、大阪で今も元気に大活躍していることも書かれていることです。
私が司法研修所に入所したのは、23期の修了式のあった翌年でした。守田所長に草場良八事務局長でした。私もクラス委員の一人として研修所側との交渉の場に出席したことがありますが、草場事務局長の、いかにも官僚然として横柄な態度が強く印象に残っています。そのとき私は何も発言していないと思いますが、草場事務局長からすると、今どきの修習生は先輩に対する口にきき方も知らない、生意気な連中ばかりだと内心きっと思っていただろうとも思います。まったくそのとおりです。私は23歳、怖いもの知らずの年頃ですし、東大闘争をふくめた学園闘争を多かれ少なかれ経験していましたので、多少のことには動じないだけの度胸もありましたので…。
この本には、その後の23期の弁護士たちの縦横無尽の大活躍ぶりが語られています。まさしく、「花も嵐もある23期生」です。タイトルにある、司法はこれでよいのかという問いかけに対しては、これでよいはずはないと私は答えます。
(2021年4月刊。税込2200円)

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