弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2023年10月31日

原発は大丈夫と言う人々


(霧山昴)
著者 樋口 英明 、 出版 旬報社

 南海トラフ巨大地震が来たら原発(原子力発電所)が大丈夫なわけはありません。
 著者は、原発が他の一般的な技術施設とはまったく異なることを繰り返し強調しています。
一般の施設なら、何かトラブルが起きたとしたら、そこで運転を止めてしまえば、いずれ安全な方向に向かって落ち着いてしまう。しかし、原発では絶対に放っておいてはいけない。常に人が原発を管理して、水と電気を送り続けなければならない。停電してもメルトダウン、配管が切れて断水してもメルトダウンになってしまう。メルトダウンになったら、莫大な放射能が拡散し、やがて日本に住むところがなくなってしまいます。もはや手の打ちようがありません。
原発の技術は、根本的に他の技術とは異なっている。3.11福島原発事故のとき、1号機から3号機までで、広島型原爆の170倍もの「死の圧」が大気中にまき散らされた。
原発を推進している勢力は、「硬い岩盤の上に原発は建っている」と主張し、大々的に宣伝している。しかし、これは明らかなウソ。日本全国にある50基以上の原子炉のうち半分の原発はたしかに岩盤の上に建っている。ところが、残る半数は岩盤の上には建っていない。つまり、弱い地盤の上に原発はあるのです。
四国にある伊方(いがた)原発について、四国電力は「南海トラフ地震が発生したとしても、そのとき181ガルをこえる地震は来ないから安心して下さい」と強調している。
ところが、伊方原発の基準値振動である650ガルをこえる振動を記録した地震は30回以上も起きているのが現実。
日本の原発は、そもそも耐震性がきわめて低い。その原発が老朽化したら、さらに危険性が増してしまう。
日本は日本海の沿岸に50基以上の原発を並べている。たとえ原子炉に敵弾が命中しなくても、配電や配管がやられたら、手の打ちようがない。日本の防衛省は、テロリストが日本の原発を攻撃することはないと考えているようだが、客観的にみて、ありえないストーリー展開になっている。日本は、戦争開始を宣言したら、その時点で原発をやられてしまい、日本の敗戦は確定してしまう。
著者は元裁判官。熊本地裁玉名支部にいたこともあります。福井地裁の裁判長のとき、原発の安全性に疑問を抱き、操業差止の決定を下しました。
165頁という手頃な本ですから、ぜひ一度、あなたも手にとって読んでみてください。
(2023年9月刊。1300円+税)

2023年10月28日

北岳・山小屋物語


(霧山昴)
著者  樋口 明雄 、 出版  ヤマケイ文庫

 残念なことに私は本格的な登山をしたことがありません。日本アルプスを縦走したという話を聞くと、大変だったろうなと同情をこめて感嘆の声をあげるばかりです。
 本州の山と言えば、奥鬼怒(きぬ)の三斗小屋温泉に登り、そこで4泊5日、煙草屋旅館で合宿したことは今も忘れることができません。私の大学生活の最大のハイライトです。そして翌年の6月に尾瀬沼を歩きました。それ以来、尾瀬沼に行ったことはありません。最近、三斗小屋温泉から登山した人(60代)が強風のため低体温症になって死亡したというニュースに接しました。山は怖いですよね。
 九州では、阿蘇を縦走しましたが、完走したのかは定かではありません。
 南アルプスの北岳(きただけ)には、いくつも山小屋があるようです。著者はそれらの山小屋の管理人を訪ね、山小屋事情を明らかにしています。
 まずは、白根御池(しらねおいけ)小屋です。管理人は吾妻潤一郎。この山小屋がオープンしているのは、6月から11月まで。山小屋で働くアルバイトの確保が難しくなっている。応募する若者が少ない。面接したとき「通り一遍な答え」しかしない(できない)若者は現場では、まず使えない。
 ありふれたフォーマットの言葉でしか自分を表現できない若者は、仕事でもフォーマット通りにしか働かない。つまり、応用が利かない。
 応募してくる若者とは電話で話すだけで、その口調と話しぶりで、だいたいのスキルが分かる。多くの若者はプロ意識をもとうとしない。遊び感覚の延長線上にあるから、率先して働いたり、手伝ったりしない。働くことから何かを学んだり、経験として自分の血肉にしようという意識がなく、ただそこで時間を過ごすという意識だけ...。
 料理がちゃんと出来る若者は、だいたい何をやらせても上手。他で器用な子も、すぐに料理を覚える。料理は、視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚という五感のすべてを駆使して行われる。材料を選別し、何をどう組み合わせ、どうやって作るかという想像力を働かせ、さらに包丁を使って切ったり、混ぜあわせたり、こねたりなど、手先と指先の細やかな働きを必要とし、火を使って茹(ゆ)でる、炒(いた)める、そして盛りつけるというプロセスにおいて、脳は休むことなくフル稼働する。
 私は残念ながら料理できません。ひたすら食べる側です。
山小屋で働き始めた若者は、最初のころは基本を守るし、行動も慎重なので、あまり失敗ではない。ところが、慣れてきたことにミスが目立つようになる。
 予約しているのに来ない客は個人に多い。団体客は旅行会社を通しているから、キャンセルが少ない。
 山小屋の仕事でも体力の温存は重要。むやみに夜更かしすると体調を崩して風邪をひいたりする。ひとりでもスタッフが抜けると、山小屋にとっては貴重な力を喪って、痛い。
 山小屋のスタッフで一番に起きは午前3時半。朝食の炊飯を担当する人が地下のプロパンを開けて、スイッチを入れる。食堂を開けるのは午前4時半ころ。早寝早起きが登山の基本。お昼の弁当を予約している人は、朝食時にフロントで受け取り、次々に出発していく。午前5時半には客の全員が出発し、山小屋ではスタッフが掃除を始める。
 いやはや、すごいんですね...。そして、山小屋の管理人は遭難事故の連絡が入ったら、救助に向かう義務があるのです。これは大変ですよね。
 山小屋のスタッフにとって、眠ることも仕事のうち。睡眠不足は自分に不利になるばかり。そして、入浴時間は、きっかり30分。まあ、私も風呂を毎日に欠かせませんが、30分で出ています...。
遭難救出に行くときは最低2名が必要で、できたらもう1名の連絡係を連れていく。
山では水分補給が足りず、脱水症になる人が多い。体重1キロにつき、1時間で5ミリリットルの水分が必要。体重60キロなら、1時間に300ミリリットルの水分を補給する必要がある。
山小屋のトイレの屎尿(しにょう)はバキュームポンプを差し込んで吸い出し、タンクに密閉してヘリコプターでふもとまで搬送して処理する。うむむ、これは大変な仕事ですね...。
山梨県警の管内では、2022年の1年間に遭難事故として155件の発生があり、19人が死亡した。いやあ、これって多いですよね...。
 登山客が増えると、いい人もいるけれど、悪い人も目立ってくる。万引きする人だっている。トイレを汚して平気で出発する人もいる。まあ、登山客が全員、善人ということは、やはりありえないことでしょうね。
 そして、山小屋は世代交代の時期を迎えている。まあ、そうでしょうね。下界でも、みんな後継者の確保に苦労しているんですからね。
 スマホに頼りきりの登山者が、バッテリー切れでスマホが使えなくなって遭難寸前ということも起きているとのこと。スマホに頼れないときのバックアップが山でも必要だということです。
 山小屋で働く人々の苦労が少し分かった気がしました。
(2023年8月刊。1210円+税)

2023年10月12日

ギャンブル依存


(霧山昴)
著者  染谷 一 、 出版  平凡社新書

維新の党を支持する人が少なくないのに私は驚いています。「身を切る改革」というのは、自分の身は安全にしておいて他人の身を切るものでしかありません。その象徴が最近発覚した市会議員でありながら国会議員秘書を1年半も兼職していたことです。2000万円もの税金を手にしていたようです。許せません。さらに、大阪万博と夢州のIR(カジノ)です。万博を発案し企画を推進したのは橋下・松井の二人でしたよね。今では、どの国もパビリオンをまともにつくらず、建設工事はうなぎのぼりに増えるばかりです。吉村知事は大阪万博でなく、日本万博に名前を変え、国が税金で負担してやるべきだと言い出しました。うまくいったら維新の手柄、失敗したら国の責任。あまりにも無責任だし、卑怯です。IRカジノのほうはアメリカの業者に逃げられたのに、まだしがみついています。スロットマシーンを大量に並べて日本人の庶民から大金を巻き上げようというのです。
でも、すでに日本はギャンブル大国です。そしてギャンブル依存症で困窮した家庭は無数であるのです。それを加速させようとしているのが維新なのです。やめてください。
ギャンブル依存は、アメリカ精神医学会がアルコールや薬物などによる「物質関連障害および嗜癖(しへき)性障害群」と同様に分類している症病。
ギャンブルを続けることで過剰な刺激を受けた脳内の神経路である「報酬系」に異常が生じている病気だ。アルコール依存症は109万人。インターネット依存は421万人。これに対してギャンブル依存は536万人(2014年)。
2018年10月、ギャンブル等依存症対策基本法が施行された。日本国内のギャンブル依存の原因はパチンコ、パチスロが大半を占める。
日本は世界一のギャンブル依存大国。
ギャンブル依存(障害)の有病者の割合は、アメリカ0.42%、イギリス0.5%、マカオ1.8%に対して、日本は3.6%と突出して多い。さらに、ゲーム機の設置台数はアメリカ86万台、イギリス45万台、ドイツ27万台に対して、日本は457万台と桁違いに多い。
今はやっているのがオンラインカジノ。日本では店舗型は違法なので、無店舗型、そして主催者は海外業者。すると、日本の刑法には触れないことになる。
 日本ではパチンコ店が駅近くか郊外にあるのはあたりまえなので、人々が慣らされている。これが日本人にギャンブル依存症の人が多い最大の理由。罪の意識がなく堂々と出入りできる場所に通ううちに病気になってしまう。これを維新が莫大な税金を投入して大々的にやろうとしているのです。そんなこと、あなたは許せますか...。私は絶対に許せません。
橋下徹は政治家をやめて今や無責任に論議するばかり。議論家になりました。本当にひどい男です。大阪万博も夢州IR(カジノ)も今すぐ中止すべきだと思います。
(2023年7月刊。920円+税)

2023年10月 9日

すてきな地球の果て


(霧山昴)
著者 田辺 優貴子 、 出版 ポプラ社

 夏は北極、冬は南極、そして春と秋は東京で生活するという植物生理生態学者のレポートです。写真もたっぷりあって、うらやましい限りです。植物の生理生態を研究するには野外調査が必要だというのは分かりますが、北極にも南極にも行ったなんて、すごすぎます。
 南極には、2007年、2009年、2011年と3回も行ったのです。著者は、身内が遺伝性の難病をかかえていることから、「好きなことをして生きていく」と決断し、実行しています。
自分の足で、見たこともない場所に行って、匂い、音、温度、湿度、色、風の流れ、季節の移り変わり、その全部を自分の身体で知りたい、体得したいということです。旅するって、そういうことですよね。
 私は、離婚して傷心の依頼者に対して、遠くへ旅行することをいつも勧めています。北海道、それも利尻島なんていいですよね。私もまだ行っていませんので、ぜひ行ってみたいです。
 青森出身の著者は大学を京都で過ごし、ペルーに出かけた。そして、大学を休学してアラスカに出かけた。アラスカでオーロラを体験。
 そして、大学院のとき、京都を出発し、自転車で青森に向かった。ときは5月。2004年5月のこと。京都を出発して15日目、ついに秋田と青森の県境に至った。その日は、海岸沿いで寝ることにした。コンロを出し、スーパーで買ったウィンナーをコッヘルで焼き、おにぎりと一緒に食べた。
目の前の日本海が荒々しく並の音をとどろかせている。海からの強い風が顔にまっすぐ吹きつける。空には雲ひとつない。太陽が水平線にどんどん近づいていき、波で削られたゴツゴツの奇岩群が真っ赤に染まっていた。その赤い大きな岩々になんども荒波がぶつかっては、砕けたしぶきを水平線に沈む夕陽がオレンジ色に染め上げた。それを見て、なんだか涙がこみ上げ、あふれそうになった。
 バックパッカーとして世界を旅した女性のこまやかな観察が文章によくあらわれていると思いました。うらやましいというか、自分には、とてもこんな勇気はないなと思いつつ、ひたすら没入しました。
(2013年8月刊。1500円+税)

2023年10月 3日

維新政治の内幕


(霧山昴)
著者 小西 禎一 、 出版 花伝社

 なんで「ホラ吹き」連中の政党がこんなに受けているのか、不思議でなりません。コロナ禍「対策」と称して高言した「イソジン・吉村」そして「雨合羽・松井」が真面目に謝罪したとは聞いていません。大阪府と市を一体化させるという「都構想」だって、「二重行政の解消」と称して、現実にはコロナ禍のなかでの保健所の縮小・廃止でした。しかも2回も住民投票で否決されたというのに、まだあきらめていないなんて、往生際が悪すぎます。
 諸悪の根源は橋下徹にあります。最近、「憲法の壁」とか言って憲法を敵視する発言をして、顰蹙を買いましたが、橋下の眼というか、頭の中には基本的人権の擁護とか弱者保護という政治家がもつべき理念はカケラもないようです。こんな人物をマスコミが関西方面にかぎらずいつまでももてはやすなんて、日本のマスコミも堕落してしまったと嘆くばかりです。
 この本の著者は長く大阪府の副知事をつとめた人です。6代もの府知事の下で働き、ついには維新候補と対決して府知事選挙にも出馬したのでした。惜しくも当選には至りませんでしたが...。
 いま、維新は大阪では自民党と対抗して張りあっていますが、維新のルーツは自民党そのもの。なので、維新の馬場代表が「第2自民党」と自称したのはホンネを言ってしまっただけのこと。
 維新が大阪で選挙に強いのは、政党幼成金などの資金を大阪に集中させ、「どぶ板」やビッグデータを駆使した選挙戦術、府知事・市長として圧倒的なメディア露出量、そして芸能界との強いつながりによる。
 維新のポピュリズムは、行政改革の名の下に、市場原理にそって公的事業の民営化や規制緩和を進める新自由主義的なポピュリズムだ。
 維新の「都構想」挫折後のビッグ目玉は、大阪万博と夢州のIR(カジノ)です。ところが、今ではこの二つとも赤信号が灯っています。大阪万博では大阪府民の負担はない(少ない)はずでしたが、今やそれどころではありません。国にすがって国の税金を大量に投入して失敗の現実化を回避しようと必死です。でも、結局は失敗し、大々的な借金を残すこと必至です。もうひとつのカジノだって、もしオープンしても中国の金持ちが呼び込めるのか大いに疑問ですし、結局、日本の零細な年寄りがスロットマシーンにすがる程度のものでしょう。
 橋下徹は、テレビ界出身のタレントとして、拍手喝采(かっさい)がいつまでも続かないことを身に沁みて感じている人間。
 橋下徹は民間企業と地方自治体を単純に比べる発想に終始するけれど、そもそも行政は民間の営利企業と違って利益を上げることを目的とはしていない。
 橋下徹の政治手法の本質は、次々に「大騒動」をつくり出し、世間の注目を集め、自己の賞味期限を維持していくことにある。
 橋下徹は、「特別顧問」「特別参与」という制度をフル活用した。特別顧問12人、特別参与は12人。この特別顧問たちが、あたかも職員の上司であるかのように職員に命令したり「知事に言うぞ」と恐喝まがいのことをやった。そして、これらの特別顧問参与に支払われた給与は何回も引き上げられてきた。維新は身内には甘い。
 維新の言う「成長」は、万博そしてIR(カジノ)であり、カンフル注射的に大阪を元気にするだけのことで、市民生活の向上を意味するものではなかった。
 最後まで、大変興味深い本でした。
(2023年6月刊。1800円+税)

2023年9月29日

決別。総連と民団の相克77年


(霧山昴)
著者 竹中 明洋 、 出版 小学館

 総連も民団も、今や日本社会ではあまり目立たない存在になってしまいましたよね。
 私が弁護士になった50年前のころ、総連の役員は肩で風を切る勢いがありました。それは郷里の福岡に戻ってきてからも同じです。小さなパチンコ店が駅前だけでなく、あちこちにあり、繁盛していましたし、焼肉店や材木店にも「在日」の経営者はたくさんいて、私の依頼者にもなってもらいました。職業としては、医師や弁護士そして金融業をしている人も少なくありませんでした。
 大学生のころ、朝鮮大学校の学生との交流会に参加したことがあります。そのころ、のほほんとした学生生活を送っていた私には、朝鮮人として自覚しながら日本でいかに生きていくかを模索しているという話を聞いて、ぶったまげた記憶があります。
 かつて在留外国人の大半が韓国籍や朝鮮籍だった時代、総連と民団は日本において絶大な影響力をもっていた。二つの組織の対立が生み出すダイナミズムは戦後日本社会のひとつの軸をなすほどだった。
 2021年3月、国籍別の在留外国人数において、中国に続いて2位だった韓国はベトナムに抜かれて3位となった。順位の変化は「在日」の地盤沈下を意味している。
 総連とは在日本朝鮮人総連合会で、民団とは在日本大韓民国民団のこと。
 1960年代初期、日本社会には「三そう」というコトバがあった。総評(日本労働組合総評議会。今の「連合」の前身だが、そのイメージはまったく異なる)と創価学会そして総連だ。
 総連は「在日」の人々を北朝鮮へ帰還させる運動を大々的にすすめた。9万3000人もの「在日」の人々が北朝鮮へ渡った。「地上の楽園」のはずが、現実には悲惨な生活を余儀なくされた。
 金正恩と妹の金与正の生母(母親)は高英子(ヨンジャ)、大阪にいた高京澤の次女である。しかし、最高指導者(金正恩)の母親が「在日」だったことは北朝鮮ではタブーになっている。
松本清張に『北の詩人』という小説があります。主人公の詩人・林和(リムファ)は南朝鮮労働党の主要メンバーだったが、1947年に北朝鮮に入り、朝鮮戦争後に朴憲永らとともにアメリカのスパイだったとして処刑された。この本の著者は、松本清張に材料を提供して書かせた勢力がいたのではないかとしています。私が今も尊敬する松本清張にしても、北朝鮮の思惑にからめとられてしまったようなので、残念です。
金大中事件が起きたのは1973(昭和48)年8月のこと。東京のホテルグランドパレス22階の部屋を出たところを拉致され、船で韓国へ連行された。犯人はKCIA。私が弁護士になる前の年のことです。日本中を騒然とさせました。
そして、翌1974(昭和44)年8月、「在日」の文世光による朴正煕大統領襲撃事件が起き、朴夫人が死亡した。文世光が使った拳銃は、大阪の交番から盗まれたものだった。文世光は裁判で有罪となり、1974年12月、死刑が執行された。果たして、北朝鮮そして総連が文世光に朴大統領暗殺を指令したのか、どんなメリットがあるというのか...。むしろ、事件はKCIAのデッチ上げではないのかという疑問があるようです。世の中は疑問だらけですね...。
 日本人青年の拉致事件の大半は、1970年代の後半に集中している。1974年の文世光事件のあと、日本では総連の取り締まりが強化された。そこで、韓国へ潜入するには、より完璧な日本人になりすますしかない。そのため、日本人化教育が必要であり、教師役となる日本人が必要となった。
 また、韓国のKCIA側でも、朝鮮大学校に潜入して学生になった人がいたり、朝鮮総連の幹部になって、北朝鮮に行って対南工作の教育まで受けた人がいたという。
 「在日」のなかでも超有名人はなんといっても力道山(百田光浩、金信洛)と美空ひばりですよね。この本では、力道山の争奪戦の模様が明らかにされています。
 朝鮮大学校の実情、そして朝銀の破綻など、興味深いのオンパレードです。
 たとえ日本の国籍をとっても、自分はあくまで韓国人だ、朝鮮人だという感覚はフツーなのではないでしょうか。アメリカ国籍をもつ日本人はやはり日本人なんです。そこに、まったく違和感はありません。また、納税したら選挙権をもつのは当然だと思います。義務があるのに権利がないなんて、おかしいですよ。大変勉強になる、刺激的な本でした。
(2022年9月刊。1800円+税)

2023年9月28日

岐路に立つ資本主義


(霧山昴)
著者 戸田 志郎 、 自費出版

 A4サイズ224頁の堂々たる研究書です。豊富なデータをもとにした解説と論述なので、とても説得力があります。実のところ、A4サイズにぎっしりと字が詰まっていますので、難しければ読むのを途中で止めようと思っていて、ほとんど期待せずに読みはじめたのでした。ところが、どうしてどうして、第1章のアメリカ資本主義の分析から始まるのですが、実に興味深い分析に満ち充ちているのです。
 たとえば、オバマ大統領は、目玉政策の国民皆保険制の実現を、アメリカ国際的医薬資本・ビッグファーマ、巨大医療保険、巨大病院チェーンの反対圧力の下で放棄せざるをえなかった。なぜか...。アメリカの医療費の高さは世界的にみて突出している。医薬資本、医療保険、病院チェーンの世界最大規模の政治資本金支出は巨大ITのGAFAを上回っている。
 近年、地域医療に貢献してきた総合病院は年間100件のペースで買収され、今や全米各地で巨大資本による買収・統廃合が進み、農村部では次々に病院が消えてなくなり、アメリカの内陸部には「病院砂漠」が広がっている。
 こんなことを聞くと、マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』を思い出します。アメリカにもメディケアやメディエイドという仕組みはありますが、結局のところお金がない人はあとまわしにされ、「自己責任」と医療保険が大手を振るっています。アメリカでは国民皆保険の実現を唱えるだけで「アカ」(共産党)呼ばわりされるのです。その論法からすると、アメリカ人にとって、イギリスもフランスも「アカ」の国になってしまいます。
 アメリカのGDPに占める製造業の割合は1953年の28.1%から、2019年には10.9%にまで低下した。そして、民間就業者のなかの製造業就業者の割合は、1953年に32.1%だったのが、2019年には、わずか8.6%のみになった。
 製造業の衰退は不安定雇用の拡大と所得格差の拡大の原因になっている。そんななかでの希望は、アメリカでは労働組合が団結力を復権させつつあること。2021年に200件をこえる労働組合がストライキに突入した。アメリカにおける労組の加入率は11%と戦後最低だけど、労働組合に肯定的なアメリカ国民は68%と、1965年以降では最高水準となった。しかも、10代から20代では78%に達する。
 先日、新宿の百貨店(デパート)がストライキに突入しました。日本でストライキがニュースとなって報道されたのは久しぶりのことです。ところがこのストライキに上部団体の「ゼンセン」も連合も、会長をはじめとする執行部は誰も現場に出かけて応援すらしていません。実に情けないことです。こんなことでは労組連合体の存在意義がありませんよね。
 次は、ドイツ、日本そしてロシアが分析の対象になっていますが、ここでは先を急いで中国をみてみます。私も中国には何度も行ったことがあります。北京、上海、重慶そして大連などの主要都市を歩くと、とてもここが「共産主義の国」とは思えません。
 著者も「そもそも中国は社会主義なのか、資本主義なのか」を考えています。その答えは、「政治は社会主義、所有制度は混合、その特性は資本主義」です。そして、中国の資本主義は「地域分散型複合型資本主義」と呼ぶのがふさわしい。国家の関与が強い混合経済体制であり、国家資本主義と呼ぶにはいろいろな所有形態が併存しているし、大衆資本主義と呼ぶには国有企業の影響力が強すぎる。
 中国は2021年の世界GDP比は18%で、アメリカの24%に次ぐ。今や中国は世界最大の輸出国。中国の総人口は2019年に14億人をこえた。やがて2位のインド13億人に抜かれると予測されているようですが...。人口増は、長寿化による。平均寿命は1981年に男66.3歳、女69.3歳だったのが、2015年には男73.5歳、女79.4歳と大きく伸びている。
中国でなぜ共産党の一党支配体制が続いているのか...。
 ①共産党が膨大な資源を投入して治安維持につとめている。②共産党は人々の不平不満を力で押さえつけたばかりでなく、それ以外にもさまざまな政治的努力を積み重ね、新規エリート層の政治取り込み、一部民衆の利益に配慮した政策形成メカニズムの整備、改善を進めてきた。③支配の安全弁として何より重要な貢献したのは経済の高度成長。④共産党がイデオロギーと連帯について、絶えず見直をし、勤労者の党から全人民の党へ自己変革を遂げてきた。
 中国にはシャドーバンキングと呼ばれる金融システムがある。このシャドーバンキングは融資全体の3割近くを占めている。15兆元から20兆元という巨大な金融システム。
 中国では、スマホの普及により、QRコードの決済が主力商品となっている。ユーザー数は10億人、稼働ユーザーは7億人をこえている。2020年6月までの1年間の決済全額は、実に118兆元になる。中国では、今やちょっとした買物までスマホ、QRコードによるようですね...。
 中国の国有企業はピーク時には11万社あったが、今は2000社を切るまでに激減した。
 中国では、都市住民と農村住民は戸籍が異なっている。この農村戸籍と非農業戸籍を廃止して統一するという計画が進行中。そして中国人は国による社会保障を受け入れ、96.3%が加入している。
ここでは、ドイツ・ロシアそして日本の分析は割愛します。この内容をもっと一般向けにイラストを入れたり、かみくだいて読みやすくしたら、それなりに売れる本になると思います。
 著者は国民金融公庫で長くつとめていましたので、企業経営分析を得意とされたと推察します。贈呈していただき本当にありがとうございました。
(2023年6月刊。非売品)

2023年9月27日

日本語の発音はどう変わってきたか


(霧山昴)
著者 釘貫 亨 、 出版 中公新書

庭をヒラヒラと舞い飛ぶチョウチョ(ウ)を、昔は「てふてふ」と書いていた、というのは有名な話です(きっと今どきの若い人は知らないのでしょうね...)。
平等、如来(にょらい)、男女(なんにょ)、これら仏教用語は呉音(ごおん)。仏教を中心に、5~6世紀の中国六朝時代の漢字音のこと。8世紀の唐代長安音は漢音(かんおん)。   
漢音は、内裏(だいり)、図書(としょ)、経典(けいてん)、古文(こぶん)など。日本を「にほん」「にっぽん」と読むのは「日」を呉音で読んでいる。漢音では「日」は「ジツ」。ここから「ジパング」が出てくる。
奈良時代のハ行音はパ、ピ、プ、ペ、ポに近かった。古代日本語にhの音は存在しなかった。平安時代はじめの「ハ」の音は「パ」より「ファ」に近い音だった。戦国時代にやってきた宣教師によるキリシタン資料では、鳩はファト、光はフィカリと表示されている。
平安朝の桓武天皇は、呉音ではなく漢音を学ぶよう命じたが、失敗した。呉音は、仏教と日常生活に染みついていたから。
東京語が成立したのは明治30(1897)年ころ。江戸末期までは混乱していた江戸東京方言がようやく東京語に集約した。
漢字、ひらがな、カタカナそしてローマ字と、日本の文章には4種類の文字が混在している。これほど複雑な文字体系は世界に類をみない。このような世界一複雑な日本語の文字体系は平安時代に始まった。
9世紀半ば以降、日本の知識人は、漢字漢文、ひらがな、カタカナを自由に使いこなしてきた。
藤原定家は、和歌を書くのに総仮名を漢字かなまじりに変えた。歌意の理解のしやすさを重要視した。
この本によると、五十音(あいうえお)は純日本製だと思っていると、実はインド製だそうです。円仁がインド人僧(宝月三蔵)が口伝を受けて日本にもち帰ったというのです。
英語で「円」をyenと表記するのは、日本人が「y音」を自覚しないまま、「え」を「yen」と発音しているからだというのにも驚きました。日本語にまつわる面白い話が満載の新書です。
(2023年7月刊。840円+税)

2023年9月25日

チャリンコ日本一周記


(霧山昴)
著者 川西 文 、 出版 連合出版

 23歳の神奈川県の女性が自転車に乗って日本一周の旅に出る。それだけでもすごいことなのに、なんと2年半もかけて日本を一周したというのですから、圧倒されます。もちろん、一ヶ所に何ヶ月もいて、働いたりもしているのです。
 気になるお金(費用)は、40万円を貯め、かかった費用は100万円。つまり、旅の途中で60万円も稼いだのでした。ただ、100万円のうち20万円は自宅その他に送ったプレゼント代なので、実際につかったのは80万円。そして、これには、ニセコで半年のあいだ働いた稼いだ分は、すべてスキー代や欲食費に充てたので、含めていない。いやはや、これもすごい。
 詳細な旅日記になっていますが、これは、本人(著者)が自宅へ書いて送った記録をもとに再現しています。出発のとき猛反対していた両親も、旅の途中から送られて来る旅の様子を書いたものをずっと楽しみに読んでいたそうです。それは、安心ですよね。帰宅したあと、著者は半年かけて本書を書きあげたとのことです。
 この旅は、1992年5月に始まり1994年12月に終わっています。ですから、もう30年以上も前のことです。当時23歳ですから、今は55歳でしょうか。元気に今も活躍しておられることでしょう(どこで、何をしてますか?)。
それにしても、23歳という独身女性が一人で自転車に乗って、怖い目に遭わなかったのでしょうか...。ところが、変なおじさんから危ない目に遭おうとしたことはあったようですが、全国至るところで声をかけられて、基本的に安全・安心な旅を続けることができたのでした。もちろん、落雷や台風、そして海中であわや遭難という大自然の脅威にも接していますが、そこも運の良さで乗り越えたようです。今でも同じことをしたら、各地に受け入れてくれる家庭はあるのでしょうか...。
 「私は女で良かったと思う。女だからと、ずい分得(トク)している気がする。珍しがられ、大変だろうと親切にされることが多かった。夜、寝るときに、男の人よりちょっと余計に緊張はしたけど...」
 旅の最終盤で、著者は26歳になりました。
 「25歳を過ぎて、もう売れ残って捨てられる年齢になってしまった。でも、私は、青春を大いに楽しんでいるのだ。これだけは胸を張って威張れる」
 どんなところに寝泊まりしていたのか...。もちろん、テントを張ってのことも多いのですが、安い民宿(素泊まり2500円とか...)やユースホステル。今では、ユースホステルって見かけませんよね。私も大学生のころ、1回だけユースホステルに泊った気がします...。それがどこだったか覚えていませんし、単なる思い込みかもしれません。
 そして、北海道には、二輪の旅行者には、無料宿泊所まであったのでした(今も、あるのでしょうか?)。
 このころは、チャリタン(チャリンコ旅行者)、原チャリダー(原動機付自転車での旅行者)、そして徒歩さらには鉄道に乗って全国一周している若者があふれていましたよね。北海道では「カニ族」が有名でした。今でも、たまに自転車で旅行している様子の若者は見かけますが、減りました...。
 著者が自宅に戻ってきたとき待っていたのは「日本一周自転車一人旅、GOAL、おめでとう」の横断幕でした。すばらしい。読んでいて、元気の出てくる旅行記でした。
(1995年9月刊。2000円)

2023年9月17日

かっかどるどるどぅ


(霧山昴)
著者 若竹 千佐子 、 出版 河出書房新社

 18歳のとき上京して、大学構内にある寮(駒場寮)に入りました。6人部屋です。九州・福岡出身が2人、関西出身が3人、そして1人が東北出身でした。関西出身の3人はまったく臆することなく関西弁で話します。私ともう一人の福岡出身は、おずおずと標準語を話そうとします。私が困ったのは、家庭教師に行った先での会話です。田園調布に邸宅を構える幹部級の銀行員の子ども(男の子)でした。子どもへの教え方は知りませんし、九州弁を出さないようにしようと思うと、言葉がうまく出てこないのです。ここは、たちまちクビになりました。でも、ほっとしました。あまりに窮屈でしたから...。次に行ったのは、荏原(えばら)中延の商店街の近くです。ここでは毎回、美味しい夕食をいただき、それが楽しみでした。いえ、豪華というより、いかにも家庭料理でした。教える相手は中学校の男の子でしたが、気楽に話せて、少なくとも2学期ほどは続いたと思います(週1回で月6千円でしたか...)。
 寮で東北出身の彼は東北弁を話すのは九州弁の私たちと同じほどは気にしていました。どんどん親しくなって、打ち解けてくると、地の東北弁で話しはじめるのです。まったく嫌味のない人柄でしたので、NTTに就職したあと、子会社の社長にまで出世したと聞きましたが、なるほど...と思いました。
さてさて、前置きが長くなりました。この本では、この東北弁が大活躍しています。
 この本に登場する女性の一人は、自分を振り返って、こう言う。
 「若いころのあたし、なんで、あんなもの知らずだったんだろ...。なあんにも考えてなかったね、あきれるくらいにさ。ただ周りに調子を合わせて言っていた。あたしなんて、どこをどうちょん切ったって、平凡。美人というわけでなく、といってブスというほどじゃない。金持ちの家に生まれたってわけでなく、貧乏というほどでなく。学校の成績だって、真ん中をうろうろ。どこにでもいる、その他大勢...」
 いやあ、世の中は、こんなんで埋め尽くされているんですよね、きっと...。
夕暮れどき、バス停のベンチで缶コーヒーを飲んでたら、自分より少しだけ若い男が話しかけてきた。そして、二人で安宿に入った。話がしたいって、ただ活かしたいって繰り返した。もう1ヶ月以上誰とも話してないんですよって...。生きてるのかな、オレ、もう、逃げたい。
 あの言葉があふれた自然と。かっかどるどるどぅ。つま先から頭のてっぺんまで、どおって言葉が雲流のように流れた。冷たくて、あったかいの、いっしょくたんに。
 つながっている、ひとりじゃないんだ、かっかどるどるどぅ。
 テレビにロシアが侵攻したウクライナの子どもがうつっているのを見て、こう言った。
 「あのわらしこは親にはぐれだんだべが、死なれでしまったべが。これから、何如(なんじょ)になるのだべ」
 もう東北弁を隠そうとしなかった。故郷の辛い記憶を呼び覚ます言葉をずっと封印してきた。友だちかはしばしに見せる東北の訛(なまり)が故郷の言葉を呼び起こしたのかもしれない。一度使うと、堰(せき)を切ったように懐かしい言葉があふれ出た。この言葉が好きだと思った。あったかいと思った。東北弁で話せば、やっと故郷と折り合いがついたような気もした。そして、こうも言った。
 「民主主義ってのはさ、多数決だのなんだの言うども、おらが思うにさ、一番大事(でえじ)なことは、自分が大事ってことなんだ。自分が大事だから、他人(ひと)も大事ってことなんだ。自分も他人もみんな大事な存在なんだずごとを、あの男(プーチン)は分かっていね。自分はばり偉(えれ)ど思ってる。自分にみんなペコペコ従うべきだと思ってる。自分は王様、他人は虫けらなんだ。そうまでして他人を支配してんだべか」
 著者は岩手大学の学生のころ、セツルメント活動にいそしんでいたとのこと。私のほうがひとまわり年長なのですが、私も大学生のとき3年あまりセツルメント活動をしていました(川崎市幸区古市場で青年サークル)ので、ともかく手にとって読みはじめました。申し訳ありませんが、芥川賞をとり、68万部も売れたという『おらおらでひとりいぐも』のほうはまだ読んでいません。岩手で活動している大学同期の石田吉夫弁護士からこの本を贈呈してもらいました。ありがとうございます。
(2023年5月刊。1650円)

前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー