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帝国を魅せる剣闘士

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   本村 凌二 、 出版   山川出版社
 冒頭に、ある剣闘士の手記が載せられています。闘技場に駆り出され、死ぬまでたたかうしかない剣闘士の心情がそくそくと伝わってきます。大観衆が狂ったように怒声をあびせ、甲高いラッパの響きが耳をつんざく。やがて、「殺せ、殺せ」の大合唱になっていく。それで、剣闘士は、敗者の喉を切りさくのだった・・・。
ローマの闘技場(コロッセウム)は5万人もの大観衆を収容する。そこでは血なまぐさい殺しあいが果てしなく続いていた。
 私はローマの闘技場は見ていませんが、フランスにある円形闘技場の遺跡はあちこちで見ました。初めは野外の円形劇場だと誤解していました。そこでは歌と芝居も上演されていたのかもしれませんが、それより闘技場として殺しの舞台だったことは間違いありません。
 ローマ人よりも前に、カプア人が剣闘士競技を葬儀につきものの行事として挙行していた。
剣闘士は、市場に立つ奴隷であり、血を売る自由人であった。前2世紀には、既に専業化した剣闘士が登場していた。
 剣闘士の競技は600年も続いた。ローマの民衆は剣闘士競技にすさまじく熱狂し、元老院も剣闘士競技を公の見世物として公認した。
 なによりも民衆の関心を集めたのは、戦車競争と剣闘士競技であった。大掛かりな舞台装置には、戦争捕虜が連れ出され、壮絶な大量処刑の流血の見世物がくり広げられた。ローマの公職選挙と結びつき、また実力者の勢威を際立たせる手段として、剣闘士競技は頻繁に開催されていた。
100組の対戦で、19人が喉を切られて殺された。5組の対戦があれば、1人が喉を切られた。10人の剣闘士が闘技場の舞台に出ると、1人が殺されたことになる。
興行主の側からすると、喉切りは剣闘士という資産を損失することだった。それにもかかわらず、彼らは競って多くの死体を民衆に提供した。なぜなら、殺される場面が多ければ多いほど興行主の気前の良さが民衆に伝わるからだ。等級が高く、資産価値のある剣闘士は、めったなことでは殺されなかった。
 剣闘士は年に3回か4回ほど対戦し、5~6年にわたって活動していた。およそ20戦未満で、命を失うか生き残れるかの瀬戸際に立つ。生き残って木剣拝受者になれる剣闘士は、20人に1人くらいの割合だった。
 剣闘士は卑しい身分だったが、命がけの競技なので人気者でもあった。
 ローマ時代のコロッセウム(円形闘技場)をフランスでいくつか見学したものとして、そこであっていた剣闘士の競技の実際を知りたいと思っていました。実に残酷な競技ですよね。何万人もの民衆が熱狂しながら見物していたなんて、信じられません。
(2011年10月刊。2800円+税)

曹操墓の真相

カテゴリー:中国

著者  河南省文物考古研究所  、 出版  国書刊行会 
 『三国志』に有名な曹操のお墓が発見・発掘されたというニュースは、日本でも大きな驚きをもって報じられました。2009年のことです。
 曹操は216年に漢の献帝により魏王に封ぜられ、220年春の死後、魏武王の諡(いな)を得た。曹操は赤壁の戦いでも有名ですよね。映画『レッドクリフ』は、そのイメージをよく再現していました。
『三国演義』では曹操は奸臣(かんしん)として描かれている。旧劇の舞台でもおなじく奸臣とされたため、曹操のイメージは固定している。ところが、毛沢東は曹操を高く評価して名誉回復に努めた。曹操の詩を好み、その気魄が雄大で情緒豊か、宇宙を呑吐する様を好んだ。毛沢東は、「曹操は素晴らしい政治家、軍事家であり、また素晴らしい詩人でもある」と評価した。
曹操は古くからの部下を封賞して抜擢すると同時に、新たに優秀な人材を招聘し、寛容の心で来たる者を大切にした。功績がある者を封賞し有能の士を登用し、広く人材を集めることを通して有効に国家の管理システムを支配し、軍隊を掌握し、自身のブレーンを築き上げた。
 曹操は、中国を統一する大志を抱いていた。そして、天下を兼併するには、軍糧を手にすることが必須であることに思い至った。そのため、屯田制を始めた。屯田制が拡充されると、穀物の生産量は大いに増加し、倉庫は充実した。
 赤壁の敗戦のとき、曹操は54歳、曹操による中国統一事業における悲壮な敗北となった。
この本は曹操墓が発掘されるに至った状況を写真入で詳しく紹介し、曹操の墓だと判断した理由を明らかにしています。盗掘にもあっていたのですが、手がかりはいくつも残されていたのです。
かつて、明の十三陵を訪問したとき、中国には未発掘の陵や遺跡がまだたくさんあること、後世のため発掘には慎重であることを知って感動したことがあります。下手に発掘して貴重な遺跡を台なしにすることがないようし配慮しているわけですが、なるほどその決断は正しいと思いました。たしかに貴重な遺跡を十分な保存技術のないまま掘りあげるべきではありません。
 写真を眺めているだけでも楽しく、『三国志』や『水滸伝』を読んでわくわくしたことを思い出しました。中国のスケールの大きさを実感させられる本です。
(2011年9月刊。2300円+税)

原発事故と私たちの権利

カテゴリー:社会

著者   日本弁護士連合会 、 出版   明石書店
 東電福島第一原発事故が起きて、その収束の目途もついていないのに、早くも経済界そして民主党政権は原発を再稼働し、さらには海外へ輸出しようとしています。自分たちの目先の利益のためには、他の人がどうなっても知らない、次以降の世代なんて関係ないという無責任さには呆れ、かつ心の底から怒りを覚えます。人間としての良心を悪魔に売り渡してしまったとしか思えません。
 溶けた燃料棒はいったいどうやって回収し、どこに保管するというのでしょうか。そして、それができるのですか。回収できたときには東電の本社ビルあるいは会長宅か社長宅の地下室にでも据え置いてほしいものです。
 日弁連は、昨年(2011年)7月15日、原子力発電と核燃料サイクルからの撤退を求める意見書を発表した。10年以内のできるだけ早い時期にすべての原発を廃止することが、その柱である。
 きわめて当然な意見書だと私は思います。ところが、残念ながら世の中はそのようには動いていません。なぜでしょうか?
この本は弁護士が書いたものですので、当然ながら、これまでの原発をめぐる裁判についても語られています。
 人口密集地であり最大の電力消費地である東京・大阪・愛知県には原発がない。これは、原発が危険なものであるから人口密集地には建設せず、過疎地に建設し、送電ロスの負担を甘受しながらも大口の電力消費地に送電しているのが実態である。
 これまでの原発をめぐる裁判で原告(住民側)が勝訴したのは2件のみであり、その2件も、上級審では逆転敗訴となった。
 過去の原発勝訴において、裁判官は司法による救済を求める人々を救済してこなかった。過去の原発訴訟における裁判官のこのような消極的な姿勢が福島第一原発事故の背景にある。裁判官が人権擁護の役割を果たさなかった結果、司法救済の道が断たれた反面、「原子力村」の専横がますます野放しの状態となり、人災とも言える福島第一原発事故を発生させてしまった。
 ところが、原発訴訟のなかで、裁判官は原告敗訴の判決を書きながらも、同時に異例のコメントも付していた。そこでは、原発の問題点に触れていた。これは裁判官の良心の発露とみることもできるし、裁判官の責任逃れということもできる。では、なぜ、裁判官たちは、原発の危険性を認識しながら、住民の請求を棄却し続けたのか?
 「原子力発電所が、その意味において人類の『負の遺産』の部分をもつこと自体は否定しえない」
 「原子力発電は絶対に安全かと問われたとき、これを肯定するだけの能力をもたない。原子力発電所がどれだけ安全確保対策を充実させたとしても、事故の可能性を完全に否定することはできない。ひとたび重要な事故が起こったときには、多量の放射性物質が環境へ放出され、取り返しのつかない結果を招くという抽象的な危険は常に存在している。国民のあいだで、原発の安全性に対する不安が払拭されているとは言えない」
 「原子炉事故等による深刻な災害が引き起こされる確率がいかに小さいといえども、重大かつ致命的な人為ミスが重なるなどして、ひとたび災害が起こったとき、直接的かつ重大な被害を受けるのは、原子炉施設の周辺住民である」
 日本の裁判官の世界は、最高裁を頂点とする司法統制が幅をきかせており、国策を否定するような判決には裁判官が書くのをためらわざるをえない実態がある。
 原告住民側勝訴の判決を書いた元裁判官(現在は弁護士)は、「一部の人たちが強く反対していても、国民の大多数が原発を受け入れていれば、その段階で『危険だから止めろ』という判決を書くのには、かなりの勇気がいる」と述べました。まことに、そのとおりでしょう。ですから、私は佐賀の玄海原発差止訴訟についての原告を募るときには、他人事(ひとごと)ではなく、自分のこととして受けとめてくださいなと訴えています。
この裁判に原告として加入するのに費用として5000円を求めていますが5000円は高いという声があります。しかし、どうでしょうか。自分たちの生活圏を確保するためのものと考えれば、5000円なんて断然安いのです。多くの福島県民のように故郷を追い出されて仮設住宅に住み続けるしかないようになりたくはないですよね。何事もモノは考えようなのです。
 日弁連の公害・環境委員会には、私もかつては所属していました。著者となった弁護士の皆さんのますますのご発展とご活躍を心より祈念します。
(2012年2月刊。2500円+税)

モノづくりの経営思想

カテゴリー:社会

著者   木下 幹彌 、 出版   東洋経済新報社
 日本は加工貿易国、貿易立国でしか、国家として生きる術はない。日本は資源・資材のない無資源国で1億人以上の人間が生きていくには、どうしても海外から調達した物資を加工し、それを輸出して稼ぐより、日本国民すべてが食べていくことはできない。
 国を守るためには愚直ながらも、モノづくりを日本国内で続けていくことが重要だ。この点は私もまったく同感です。日本国内でのモノづくりを大切にすること、そのためのマンパワー、人づくりそして人材の確保がなにより大切だと思います。それは目先の株主配当より何倍も優先されるべきものと考えます。同時に、日本国内の需要もまた重視すべきです。消費冷えをもたらす消費税率アップは、それに明らかに逆行します。日本は内需とモノづくりで繁栄してきたし、それしか今後も生きのびることは出来ないと思うのです。
 ほとんどの企業の営業は、仕事の80%はクレーム処理と納期管理に追われている。
 ふむふむ、これは知りませんでした。クレーム対応と納期管理は企業にとって、それほど重要・不可欠なのですね。
 この本は、NPS思想を普及しようというものです。それは、小さな設備、少ない人数、少ない仕掛け、そして不良品なしでリードタイムの短い製造技術を確立することを目ざします。
 外注は割高である。外注には2種類ある。手足となってくれる外注、つまり協力企業。そして、必要なときだけ仕事を頼む、松葉杖的な役割の外注。
 技術の社内伝承という点からみると、外注は結局のところ割に合わない。
 なーるほど、社内で技術を高め、そして伝承していくべきなんですね・・・。
 アメリカのGMの失敗は、企業規模を追及した寄せ集めでは、いかに巨大であっても、事業としては永続できないことを証明した。これまた、なるほど、ですね。
 競合企業や隣接業種の大手企業との合従連衡は、苦労と費用ばかり大きく、本当の意味で企業のプラスになるような果実はなかなか得られない。
 大手の銀行がいくつも合併していますが、なかで働く人々は今どんな気持ちなんでしょうか・・・。
在庫は罪子(ざいこ)。必要以上の在庫は、経営の圧迫要因である。資金繰りを悪くするし、倉庫代や人件費をふくらます。
 人間は体力と気力の両方によって生きる力を与えられている。割り切って、自分は運が良いのだと言い聞かせて今を生きるのが大切だ。その結果が後から見てどうであったかをいま気にしてばかりいると、なんの道も開けない。
 実は、私も、自分は運が良いと言いきかせて、不都合なことも自分有利に解釈して生きてきました。
上司は部下を安易にほめてはいけない。ほめてしまえば、その時点で進歩が止まってしまう。
 ええーっ、ほめて育てよ、ではないのですか・・・。たしかに、これにも一理はありますよね。
 日本の政治、経済のリーダーの愛読書が、そろいもそろって司馬遼太郎か塩野七生の本だというには閉口させられる。その本を読み、それだけを良書と感じているような人たちばかり集まれば、思考、知識、理論が似通ってしまい、現状を打破するような抜本的な発想、つまり、シンの戦略は生まれない。「坂の上」をもう一度といった調子で、現代日本に坂本龍馬のような志士、カエサルのような政治指導者、マキャベツのような戦略家といった人物の出現を期待するのは、あまりにも非現実的であり、リーダーとして無責任である。
 私は、なるほどと膝を打ちました。そうなんです。「英雄」待望論が橋下などというまやかしの人物に幻想を抱くもとになるのです。
 この本の言いたいことを理解したとは思えませんが、なかなか含蓄のある話が満載ではありました。
(2012年1月刊。1800円+税)

概論アメリカの法曹倫理

カテゴリー:司法

著者   ロナルド・D・ロタンダ 、 出版   彩流社
 沖縄の当山尚幸弁護士(元九弁連理事長)が翻訳した本です。すごいですね、340頁もの本を訳して出版したとは。大いに感嘆しながら、そして内容としても難しい論点をやさしく解説してあることに驚倒しながら読みすすめていきました。
いま、私は弁護士会の中で弁護士倫理にかかわる手続に関与していますが、そこで取り上げられているケースには、かなり微妙なところが少なくないことがあって、本書はその意味でも役に立ちました。
依頼者は、いつでも弁護士を解任できるし、弁護士はたとえ解任理由が釈然としなくても手を引かなければならない。
そうなんですよね。解任されたとき、良かったと思うこともあれば、なぜなのか納得できない思いが残ることもあります。
弁護士は、より短い時間で効率的に仕事を処理すべきである。より効率よく仕事をする弁護士は、たいていより高い時間給を請求する。これは許されるが、時間の架空計上をすることは許されない。
報酬の妥当性を判断するときに重要なことは、依頼者を欺いていないか、信頼関係を悪用していないか、あるいは報酬の内訳その他の関連事項の説明が誠実でなかったかどうか、などである。
 完全成功報酬契約は、弁護士の利益のみのためにあるのではなく、それを望む依頼者の利益のためにあるべきものである。
 ホットポテト法則というのがあることを知りました。要するに利害相反の事件は受けられないということです。私の法律事務所も、いまでは弁護士が6人もいますので、「敵」側の関係者が相談に来ることを見逃してしまうことがあります(事前チェックを励行しているのでが・・・)。そのときには、潔く双方から手を引けという法則です。せっかくの事件を受任できなくなって「損」した気分になることもありますが、あとで疑われるよりはましだと自分に言いきかせています。
弁護士は依頼者に対し、生活費を貸しつけたり、保証人になったりして、訴訟を「援助」してはならない。ただ、弁護士が裁判費用や訴訟費用を立て替え、その返還を訴訟の成功にかからしめることを禁じてはいない。
 もしも依頼者が偽証しようとするときには、弁護士は拱手傍観してはならない。弁護士は、その偽証を明示する必要がある。
 依頼者が偽証の供述をしていることが分かったときは、弁護士は詐欺的行為を防止する合理的手段を講じなければならない。まず弁護士は依頼者に証言の訂正を忠告すべきである。それが奏功しないときには、裁判官に偽証を知らしめるなどの他の措置を講ずる必要がある。
 依頼者が偽証したことを知ったとき、弁護士は辞任することがありうる。しかし辞任の事実を公表すること自体が依頼者の秘密を害するときには、どうするか。依頼者は弁護士に辞任を公表しないで忍び足で静かに去ってほしいと願う。しかし、弁護士はそれでは足りない。ここらあたりになると、大変微妙なところだと思います。
弁護人の守秘義務など、日本とアメリカは法制度としての違いは大きいのですが、共通しているところも多々あると思いながら読みすすめていきました。当山弁護士の「あとがき」によると、3年がかりの翻訳とのこと。まことにお疲れさまでした。大変勉強になりました。
(2012年2月刊。2800円+税)

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