法律相談センター検索 弁護士検索

原発事故の被害と補償

カテゴリー:社会

著者   大島 堅一、除本 理史 、 出版   大月書店
 2011年3月11日の巨大地震によって福島第一原子力発電所は壊滅的な打撃を受け、広い範囲に放射能を放出し、今なお多くの福島県民が避難を余儀なくされたまま、故郷に戻れないでいます。
 わずか170頁ほどの薄い本ですが、福島第一原発で起きた深刻な放射能放出、汚染の状況を明らかにしたうえで、その「補償」問題についての視点を確認し、問題点を指摘しています。コンパクトで、読みやすくまとめた本として、一読をおすすめします。
 福島第一原発事故の特徴は3つある。第一は、世界で初めて、地震や津波で起きた大事故であること。第2は、事故を起こした原発が一つではなく複数だったこと。第3は、事故の一定の収束に非常に長い期間を要していること。
 東日本に比べると西日本への放射能降下量は非常に少ないが、それでも福岡で17万ベクレル/㎢となっている。前年は「不検出」だったのに・・・。
 大気への放射性物質の放出は、事故直後の数日間がもっとも量が多く、毎時2000兆ベクトルだった。
 大気だけでなく、海洋への放射性物質の流出も重大である。原発内の汚染水に含まれる放射能は80京ベクレルと推定されている(2011年7月時点)。海洋に流れ出た汚染水に含まれる放射能は、4700兆ベクレルを超えている。
 現在の避難対象区域の設定によると、一般市民も原発で働く労働者並みの被曝を受ける危険性がある。子どもの放射性感受性が成人より3~5倍も高いことを考えれば、心配な事態である。
福島県内にとどまって生活している人々のなかには、もうこれ以上心配したくない、不安をあおられないでほしいと願う人も多いようです。
 「そんなに心配だったら、ここにいなければいい。ここにいるからには当局を信頼し、いろいろ質問すべきではない」という声が出て、それに満場の拍手が湧きあがったといいます。とても心配な現象です。
 補償にあたっての指針は、「半年たったら避難先に慣れて、生活のめども立っているだろうから精神的被害は軽減されるはずだ」という。しかし、生活と失業の基盤を根こそぎ奪っておきながら、半年たてば苦しみも半分になるかのような東電の主張は、もってのほかです。
そのうえ、東電は補償金を払う前に「合意書」に署名させようとした。補償を受けとって以降は、「一切の異議、追加の請求はしません」となっている。
電力会社が、「原子力村」を構成する諸主体とむすびつき、原子力政策に影響をもつやり方には、次の5つがある。第1は、電力会社が直接、政治に対して影響力を行使する。国会・地方議会に電力会社出身社を経営側、労働側それぞれから送り込んでいる。
 第2は、官僚との関係性を強めること。
 第3は、電力会社関係者が政策決定に直接関与するやり方である。
 第4は各種メディアを通じて原子力賛成の世論を形成すること。
 第5は、学者を使って、原子力発電に推進に学問的に権威づけをする。
 ここに、一般マスコミが脱原発をはっきり言わない、言えない根本原因があると思います。
 ぜひ、あなたもご一読ください。
(2012年2月刊。1600円+税)

橋下「維新の会」の手口を読み解く

カテゴリー:社会

著者   小森 陽一 、 出版   新日本出版社
 橋下徹的扇動手法には5つの手口がある。うむむ、どんな・・・・?
 第一の手法は、悪役・悪玉・敵役を意図的に捏造して、そこに攻撃を手中させること。小泉政権も、「悪玉づくり」の名手だった。「悪いのは、教師と公務員だ!」と単純明快な「悪玉づくり」を大きな声でいってくれる人がいると、それだけで落ち込んでいたのが救われた気持ちになる人も多い。そして、これには「あなたは悪くない」というメッセージをふくんでいる。
 第二は、多くの有権者の抑えに抑えているうらみや怒りに働きかけ、それを晴らすかのような幻想を与えること。実際には、むしろ出口なしの状況によりいっそう追い込んでいくことになるのだが・・・・。
 第三に、有権者に責任の所在を明らかにし、政策を生み出すような思考を行わせないこと。
 第四に、思考停止の強制。少し考えれば絶対に矛盾視することを、別に大きな声で言っておいて、世論の方向がどちらへ向くのかを見定めて、どちらでも選べるようにしておくという、有権者を侮辱したやり方である。このとき有権者に少し考える余裕すら与えず、「白か黒か」の二者択一を迫る。
 第五に、紋切り型の連鎖へのはめ込む悪玉連鎖をつくって、橋下自身は善玉として安泰になる。
 なーるほど、そうやって今、多くの人が騙されているんですね。
 「人材の育成」という基本理念を持ち込むと、教育についての考え方が歪んでしまう。
 そして、点数化された学力競争をすればするほど、点数さえ落ち込んでいく・・・・。教育における点数競争は、子どもたちに、何かと大人から学ぶという意欲そのものをなくさせている。
 マネジメントとは、人間が最初は野生だった動物を人間の思いどおりに家畜化する、あるいは家畜を人間の思うとおりになるよう訓練、調教するという意味合いをふくんだ言葉なのである。そうだったんですか。だったら、学校にマネジメントなんかふさわしくありませんよね。
 職務命令や分断支配によって校長の意図が強制される学校では、教師や子どもは実は家畜のように扱われるという事の本質が大阪の条例にあらわれている。
 橋下を支持している人に向かって、「あなたは愚かだ」と言っては連帯できない。橋下の主張の矛盾をていねいに解きほぐしながら、支持者と連帯できるようなしなやかな言葉のやりとりが大切である。「あなたがそう思うのは、よく分かる」ことをまず伝える。その人の思い、言い分をよく聞く。そして、橋下が何をしようとしているのかを論理的に明確にし、それで私たちは本当に得(トク)をするのか、具体的に語りあう。
 橋下を支持する人々の置かれた状態に注意を払い、その願いをよく聞き、寄りそいながら、橋下流の「改革」で本当に幸せになれるのか、よくよく話し込む。
 憎しみをあおるような言葉に気持ちを任せるのではなく、本当に生活を良くするためにはどうしたらよいか、一緒に考えることが大切だ。言葉を言葉で疑い、ウソをひっくり返していく。
 わずか85頁という薄い小冊子ですが、大切な指摘、今すぐ実践したくなるような珠玉の論文でした。ぜひぜひ、あなたもご一読ください。
(2012年5月刊。571円+税)

テングザル

カテゴリー:生物

著者   松田 一希 、 出版   東海大学出版会
 ボルネオのジャングルに分け入ってテングザルをじっと観察した成果が本になっています。大変な苦労があったことが生々しく伝わってくる本でもあります。
熱帯のジャングルのなかには、蚊、ヒル、ダニといった人間にとって疎ましい虫が多い。耳元で四六時中とびまわる大量の蚊にいらいらさせられ、身体中をダニにかまれて一晩中かゆみに苦しんだりする。 うひゃあ、ご、ごめん蒙りたいです。
テングザルの個体を識別する必要がある。そのうち尻尾の形にはいろいろのパターンがあることがわかってきた。どこを見たら個体識別ができるが、初めはとても骨の折れる作業だ。
 テングザルの産まれたばかりのアカンボウは、顔の肌の色が真っ黒だ。産まれてから1年半から2年くらいで、顔から黒色が消えて、子どもと分類される。区別の難しいのは、コドモとワカモノである。
テングザルは水かきの発達した四肢をもっている。それで体重20キログラムもある巨大なオスが高い木の上から勢いよく川に飛び込む。そして、川では犬かきのフォームで静かにスイスイと泳いで対岸へ渡る。テングザルは、対岸までの距離が6メートルにも満たない場所を選んで、川渡りする。テングザルは、水中の捕食者である。ワニによる攻撃を受けにくい場所を選んで川渡りしている。テングザルが止まり場所として好む場所も、対岸までの距離が短い地点だ。
 テングザルは、森の中で過ごす時間の大半を「休息」に費やしている。このときは、木の枝の上でじっとしている。24時間のうち21時間もの時間を休息に費やしていた。
 その理由は、「特殊な胃の構造」にある。コロブス科であるテングザルは、胃のなかでの分解・消化に多大の時間を要するため、その間じっと動かずに休息しておかなければならない。
 テングザルは、日中のわずか0.5%しか毛づくろい行動に時間を費やさない。テングザルは、188の植物種を採食した。テングザルは若葉のほか、果実そして花を採食した。ところが、テングザルが好んで食べた果実は、売れていない未熟なものだった。なぜか?
 もし糖度の高い、熟れた果実をテングザルが食べると、胃のなかのバクテリアの活動が急激に高まり、多量のガスを発生させて胃を膨張させる。そして、ついには、他の内臓器官もこの膨張した胃が圧迫して、テングザルを死に至らしめる。つまり、テングザルにとっては、熟れた果実はあまりありがたい食べ物ではない。うむむ、そういうことってあるんですね。美味しさが命とりになるなんて・・・。
 テングザルは平日の移動距離は最大1.7キロ、最短は220メートル。これも、テングザルが夕方までには必ず川岸に戻って眠らなくてはいけないからという理由だ。
 テングザルの胃の構造は草食に特化しており、全体として葉を多く食べる傾向にある。
 テングザルの生態をわかりやすく紹介した本として推薦します。それにしても学者って大変ですよね。
(2012年2月刊。2000円+税)

おれは清麿

カテゴリー:日本史(江戸)

著者   山本 兼一 、 出版   祥伝社
 幕末の刀鍛冶の一生を描いた小説です。刀剣をつくりあげていく過程の描写の迫力には圧倒されました。
焼き入れた鉄の色は赤から黄に移っていく。濃い紫、小豆(あずき)色、熟(う)れた照柿(てりがき)の色、夕陽、山吹、満月そして朝日。色によって熱さが違い、やる仕事が違う。
 うへーっ、さすがは職人の芸です。こまかいです。こまかすぎます。
ここで鉄(かね)を沸かしちゃならん。赤めるだけ。あとの鍛錬のときも、湧かしすぎると鉄が白けて馬鹿になってしまう。焼き入れをしても刃が冴えず、ぼけて眠くなる。
下手な鍛冶は、炭をたくさん無駄につかって、鈍刀(なまくら)しか鍛えられない。上手な鍛冶は、少しの炭で効率よく鉄を赤め、沸かし、冴えた鉄で秀抜な刀を鍛える。
上古のころ、まっすぐだった日本の刀は、平安のころから反(そ)りのある優美な太刀姿となった。鎌倉のころから次第に力強く豪壮な姿となり、さらに戦乱の激しい南北朝となれば、より勇ましい長大な姿となる。ここまでが古刀(ことう)である。戦国の世が終わり、関ヶ原や大阪の陣のあった慶長のころからの刀は、新刀(しんとう)と呼ばれる。古刀とは、姿がずいぶん違う。
 腰で反っている古刀に対して、新刀は先のほうで細くなり、反っているものが多い。甲冑(かっちゅう)を着て闘った戦国乱世のころと違って、着物を着た戦いでは突き技の有効性が高いからだろう。
刀を見るときの奥義。刀を選ぶときは、まず、肌(はだ)多きもの好むべからず。肌とは、鉄(かね)を折り返して鍛えたときの模様が刀の地の表面にあらわれたものをいう。
 沸(にえ)多きものを好むべからず。沸は、焼き入れのときにできるごくごく微細な鉄の粒子。
刃文(はもん)深きもの好むべからず。焼きの入った刃の幅が広く深いということは、とりもなおさず焼きが入りすぎていて折れやすいということ。
 反り深きもの好むべからず、反りなきものを好むべからず。長きを好むべからず。短きを好むべからず。いずれも、ほどほどがよいということ。
 刃鉄(はがね)、心鉄(しんがね)、皮鉄(かわがね)につかう三種の鋼をそれぞれ積み沸かして、折り返し鍛錬する。それを本三枚で造り込む。軟らかい心鉄とやや硬めの刃鉄を硬い皮鉄ではさみ、鍛着させる。それを細長く素延(すの)べする。皮鉄を折り返し鍛錬するとき、質のよい鋼を挟み込んでおく。そうすれば、金筋(きんすじ)がうまく刃中や刃の縁にあらわれる。下手な鍛冶なら失敗してしまう。
 すごい描写に言葉も出ません。
(2012年3月刊。1600円+税)

佐土原城

カテゴリー:日本史(戦国)

著者   末永 和孝 、 出版   鉱脈社
 この3月は宮崎出張が重なりました。この本は、宮崎空港で買い求めたものです。
 佐土原城には行ったことがないのですが、宮崎は戦国時代、南の島津家と北の大友家とが激しくせりあったところと聞いていましたので、佐土原城の歴史を知りたいと思っていたのでした。
 佐土原城の歴史を語る本に、曾我兄弟の仇討ちの話が出てきたのに驚きました。
佐土原城主だった伊東氏の祖先は藤原不比等の子孫であり、藤原姓を名乗った。
 工藤祐経(すけつね)は、跡目(あとめ)相続をめぐって殺した子どもたちから富士野の巻狩のときに曽我兄弟から討たれてしまった(1193年のこと)。この工藤祐経は、京都にあって管弦や諸芸にすぐれ、公家の文化に通じていたので、源頼朝から側近として重用・厚遇されていた。工藤祐経が武将として認められ、幕府の有力御家人へと成長したのは、平家討伐のために西国へ攻めくだったときだった。
 農後国の佐伯で平家追討に功があった工藤祐経は、鎌倉に帰郷してから文武で秀でた武将として、源頼朝に仕えた。工藤祐経の死後、その子、祐時(すけとき)が、源頼朝を烏帽子(えぼし)親として元服した。やがて伊東姓を名乗り、伊東祐時と称した。祐時も源氏三代の将軍に仕えた。
 伊東祐時の四男・祐明は日向国那珂軍田嶋庄に地頭として下向した。島津氏は、島津忠久が1185年に島津荘の下司職(げすしき。地頭職)に任ぜられたことに始まる。忠久は、平家の政権下で平家の強い影響下にあった南九州に、源頼朝の信任あつい関東御家人として任命された。
 日向国に下向した伊東本家がまず手をつけたのは、本家より先に日向国に下向し、すでに本家と疎遠になっていた支族を束ね、伊東氏の権勢を高めることだった。
 伊東氏は、島津氏の勢力が日向国で強まることを恐れ、常に幕府とつながっていた。
 1578年、大友宗麟は、3万5千の兵を率いて日向に出兵し、延岡市に本陣を置いた。大友軍の総勢は5万、島津義久は弟の家久を佐土原城に置き、日向国諸将の総大将とした。
 島津氏の戦法は、釣り野伏せ(つりのぶせ)、穿抜法(うがちぬけのほう)、繰り詰め(くりつめ)である。うがちぬけのほうは、真一文字に敵に突入して切り抜ける戦法。これは、関ヶ原のたたかいのときに活用されました。敗戦必至のなかで打ち死に覚悟で家康本陣に切り込んで生きのびたのです。
 くりつめは、鉄砲を間断なく射撃する戦法。島津軍は、鉄砲を足軽に持たせず、すべて武将が持っていた。鉄砲を一番撃ち、二番撃ち、三番撃ちに分け、間断なく打ち続ける戦法である。
 戦国が江戸に生き、そして現代にも通じる話って、たくさんありますよね。
(2011年7月刊。1600円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.