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とめられなかった戦争

カテゴリー:日本史

著者   加藤 陽子 、 出版   NHK出版
 とても知的興奮をかきたてる、刺激的な本でした。なるほど、そういうことだったのかと何度も再認識しました。
 1944年6月のマリアナ沖海戦と7月のサイパン地上戦に日本が敗れ、サイパン島を失ったのは決定的なターニングポイントだった。敗戦の1年前のサイパン失陥の時点で戦争は終わらせるべきだった。この機会を逸したことで、日本はより悲惨な戦いを強いられ、敗北を重ね、被害を一挙に増大させていくことになった。
 1942年8月に始まるガダルカナル島の戦いは、日本軍が攻撃から守勢へと、立場を変えた戦局の転換点だった。マリアナ諸島は、製糖業の拠点であると同時に、軍事拠点でもあった。ここは日本の絶対国防圏内にあり、日米ともに戦略上最重要と認める焦点だった。日本軍にとって死守すべきところなのである。
 この「絶対確保すべき要域」にアメリカ軍の侵攻を許したことは重大であるのに、このサイパン失陥が政府、大本営で問題視された形跡はない。
 サイパン失陥によって、アメリカ軍による本土空襲は日程に上った。B29というアメリカ軍の大型爆撃機は日本本土を空襲して帰ってくるのにちょうど間にあう位置にある。アメリカ軍は、B29による日本本土空襲を当面の最重要戦略に位置づけていた。だからこそ、最強の機動部隊と7万人の兵力をつぎ込んでサイパン・マリアナ諸島を攻略するや、サイパン・テニアン・グアムで航空基地群を建設・整備しはじめた。
 日本も、サイパンの戦略的重要性が分かっていたから、4万人の将兵を送ってサイパンの守備を固めた。堅固なサイパンは守り抜けると確信していたのに失陥したため、9日後に東条英機首相は退陣に追い込まれた。日本はマリアナ沖海戦で決定的な戦力である機動部隊を失ってしまった。そのため、日本海軍は、以後、合理的な作戦を立案できなくなってしまった。
 サイパン失陥のあと、多くの日本人が終戦までに亡くなっていた。東京大空襲で10万人、原爆で広島14万人、長崎50万人もの民間人がサイパン以後の空襲で亡くなった。日中戦争から敗戦までの軍人・軍属の死者230万人、その6割の140万人は、広い意味の餓死だった。
 1941年7月、日本軍が南部仏印に進駐すると、アメリカは日本の予想に反して石油の対日全面禁輸を実行した。なぜか?
 それはソ連を応援するためだった。ドイツとの戦争を始めたばかりのソ連が連合国側から脱落しては、元も子もない。アメリカの軍需産業は動き出したばかりで、まだモノがなかった。翌42年春になればなんとか輸出情勢が整うので、それまではソ連にもちこたえてもらわなければならない。そこで、ソ連が当面の敵ドイツに加えて背後から日本の攻撃を受けることがないように、日本を強く牽制し、注意をアメリカにひきつけた。つまり、ソ連の背後の脅威を除くためにとった措置だった。
 日米開戦の最大の推進力となった陸海軍の将校、とりわけ参謀本部、軍令部の中堅幕僚たちは、当時は40歳代で、いずれも少年のときに日露戦争を体験している。少年時代に刻みつけられた華々しい勝利の記憶が、開戦それも早期開戦を渇望しただろう。
日本が緒戦に大勝すれば勝機はあると思っていたのは、財政的に準備していたことが大きい。日中戦争が始まってから、臨時軍事費を特別会計で組み、膨大な軍事費を確保していた。その3割を日中戦争遂行のためにあて、残る7割は来るべき太平洋戦争の準備にあてていた。4年間で、256億円、今のお金に換算すると20兆円をこす。これだけ軍備につぎ込んで準備していれば、まだアメリカの準備がととのわないうち緒戦に大勝すれば、そのまま戦争に勝てると考えても不思議ではない。
 満州事変は、日本も中国も、宣戦布告はせず、戦争とはみなされない方法ともに選んだ。それが共通のメリットだった。また、アメリカにとっても、日中の関係にアメリカ国民が巻き込まれないですむというメリットがあった。そんな三者の暗黙の了解のもとに日中戦争は展開していった。
中国人の胡適は、中国は豊かな軍事力を持つ日本を自力では倒せない、日本の軍事力に勝てるのはアメリカの海軍力とソ連の陸軍力の二つしかない。だから、この二国を巻き込まない限り中国は日本に勝てない。そのためには、中国との戦争を正面から引き受けて、2~3年間、負け続けることが必要だ、そう言い放った。
なんと鋭い冷静な言葉でしょうか・・・。
 昭和天皇でさえ、自らの意志によって、暴発した軍事行動をとめられないというパターンができていた。これは別に昭和天皇伝記で紹介したとおりですね。
 よく調べてあるし、その論評の確かさには舌を巻いてしまいます。わずか130頁ほどの薄い本ですが、ぎっしり中味の詰まった重厚な本でした。
(2011年7月刊。950円+税)

最後の子どもたち

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   グードルン・パウゼヴァング 、 出版   小学館
 平穏な毎日を過ごしているなかで、突然、原爆が落ちたら、社会と生活はどうなるのか。そのことを実に事細かに分からせてくれる貴重な小説です。
 3.11のフクシマのあと、私たち日本人の少なくない人々が原発事故の恐ろしさに目をふさいでいるように感じます。今でも「電力不足」を本気で心配している人がいますが、それって、本当に心配しなくてはいけないことなのでしょうか。お互い、多少の不便を耐えしのんでも、次々世代にわたって安全に生きられることを優先して考えるべきではないでしょうか。
 ある日突然、原爆が近くの村に投下され、その付近一帯は消滅してしまった。こんな情景から物語はスタートします。福島第一原発で事故が起きたのとまるで同じです。
 しかし、人々は事態の本当の恐ろしさを信じようとしません。それまでどおりの日常生活を過ごしたいのです。
 病院はすぐに満杯になります。食べるものもなくなっていきます。弱い子どもたちが次々に死んでいくなかで、孤児となった子どもを収容する施設もつくられます。でも、誰がどうやって面倒をみるというのでしょうか。
 原爆症のために亡くなる人が続出します。白血病、腸の出血そして吐血。みな放射能による病気です。
 死んだものを埋める、葬る。これが生き残った者の主な仕事になってしまった。その朝、葬る側にいるのは、もうたくさんだと思った。むしろ、やっと安らぎを得た死者がうらやましかった。
 核戦争が起きる前の数年間、人類をほろぼす準備がすすんでいくのを、大人たちは何もせずに、おとなしく見ているだけだった。大人たちは、そんなことを言ってもしょうがないと、あきらめていた。また、核兵器があるからこそ平和のバランスが保てるんだと飽きもせずに、大人たちは主張していた。心地良さと快適な暮らしだけを求めて、危険が忍び寄るのに気がつきながら、それを直視しようとしなかった。
 子どもは大人に対して、あなたは平和を守るために何かしたのですかと問いかけた。大人たちは、黙って首を横に振るだけだった。
 こんなふうにならないように、今こそ声を大にしてあまりにも危険な原発なんかなくせと叫ぶ必要があるのではないでしょうか。
 この本は今から30年も前にドイツ(当時の西ドイツ)で出版された本です。反核運動を大いに励ましたそうです。いま読み通して(わたしは初めて読みましたが)、フクシマの恐ろしさを伝えるのに絶好の本だと思いました。
(1984年5月刊。780円+税)

子どもと保育が消えてゆく

カテゴリー:社会

著者  川口 創  、 出版   かもがわ出版   
 名古屋で活躍している、子育て真最中の弁護士が日本の保育はこれでいいのかと、実体験をもとに鋭く問題提起しているブックレットです。
 わずか60頁ほどの薄いブックレットですが、日本の明日を背負う子どもたちを取り巻く、お寒い保育行政の現実を知ると、背筋がゾクゾクしてしまいます。
 コンクリートより人を、と叫んで誕生した民主政権でしたが、権力を握ったら、自公政権と同じく、コンクリート優先、福祉切り捨て政治を強行しています。悲しい現実です。
 いま政府がすすめている「幼保一体化」の看板の下で実施されるのは、保育所の解体のみ。「こども園」には、待機児童がもっとも深刻な3歳未満児の受け入れ義務を課さない。 それでは、3歳未満児は、どうなるのでしょうか・・・・?
 私の子どもたちがまだ幼いころは、全国各地で「ポストの数ほど保育所を」という合言葉のもとに保育所づくりの運動が広がっていました。
 1970年代には、年に800ヶ所を増設し、9万人の入所児増を実現した。保育所は2万3千ヶ所、在籍児200万人だった。ちころが、その後は自助努力が強調されるなかで保育所は減少していき、2000年には、2万2千ヶ所にまで減らされた。そして、2000年から2008年までの8年間に、全国で1772ヶ所の公立保育園が消えた(13.9%減)。
 厚労省によると、2011年4月の待機児童数は全国で2万5千人を超えている。
 日本の保育を、アメリカと同じように市場化し、「ビジネス・チャンス」にしようという狙いがある。
 女性が経済的に自立できるようにするためにも、公立保育所の拡充こそ必要です。安易に民間委託し、「ビジネス・チャンス」なんかとすべきではありません。
子どもたちにとっても、集団保育はとても有意義です。3歳児までは親の手もとでずっと面倒をみるべきだというのは、現実の日本社会の実情にもあわない主張です。私の3人の子どもたちはみな保育園に出し、そこでのびのび育ちました。社会人になった今でも、保育園当時の仲間とは親しく交流しています。親としても、たいへん喜ばしいことです。子どもにとって親の愛情とともに、友人と親しく交わることができるというのはなにより大切な財産です。
 「幼保一体化」でビジネス・チャンスをつくり出すだなんて、いったい政府は何を考えているのでしょうか。子育てを金もうけの機会にするというのはとんでもない間違いです。
 子育て、がんばってくださいね。大変でしょうが、楽しく充実した日々なのです。としをとって、あとで振り返ってみると、それを実感します。
(2011年10月刊。2800円+税)

夢をかなえる読書術

カテゴリー:司法

著者   間川 清 、 出版   フォレスト出版
 本を読むと売り上げが伸びるという、まさかを語る弁護士の本です。
 私よりも30歳も若い埼玉の弁護士ですが、なんと弁護士13人、事務職員11人という法律事務所のボスだというのです。信じられません。よほど経営の才覚(マネジメント能力)があるのでしょうね。
 本を読むと売り上げが伸びるかどうかはともかくとして、「夢」をかなえてくれるというのは、そう信じたい気分をふくめて同感です。
 ライバルが本を読まないのは、とてもチャンスなのだ。読んだ人は、それだけで読んでいない多くの人に差をつけることができる。
 読書嫌いの人を見て、なぜ本を読まないのかと気に病む必要はない。それよりどんどん本を読んで、最大の成功を手に入れ、周りの人を置き去りにしたらよい。
 人は本を読まない現実があり、本を読んだ人は成功する事実がある。これは、歴史が証明している。
私が「成功した」といえるかどうかはともかくとして、たくさんの本を読んで、日々充実した生活を送っていると確信を持って言うことは出来ます。
 人は本を読まない。そして、読んだとしても、その内容を実行に移さない。
 年収の高い人ほど、書籍や雑誌の購入費が高い。本や雑誌を読む人ほど、年収が高い。本を読む量とその人の年収は比例する関係にある。
 はてさて、これは本当でしょうか・・・。あまり信用できませんよ。
 本は全ページをめくって、一応は目を通して読んだことにして、自分を納得させる。自分にとって本当に役に立つことが書いていれば、1秒見るだけでも目にとまるので、情報の取りこぼしがなくなる。
 これは、私も実行しているやり方です。脳が自動的に読み分けてくれるのです。
人間の脳は、自分にとって重要なこと、探し求めていることについて、自動的に意識を集中させ、うまくその情報を収集することができるという優れた機能をもっている。
 脳の性能は、自分が思っているより、はるかに素晴らしいので、自分にとって明確化された重要な情報をシャットアウトすることのほうが難しい。本は読みとばしていいということに気がつくと、読書量が一気に増える。
 ここに書かれていることはまさしく、そのとおりです。読みとばしていても、自然に目の動きがゆっくりになるところが出てくるのです。
 著者は1日1冊の本を読むということです。私は年間500冊、そして、1日1冊の書評をかくのを10年以上にわたって続けています。それが楽しいからです。これは自己表現であり、充実した一瞬だからです。
(2012年3月刊。1400円+税)

蕩尽する中世

カテゴリー:日本史(中世)

著者  本郷  恵子   、 出版   新潮新書 
 芥川龍之介の『芋粥』の話は有名です。
 芋粥は、山芋を甘葛(あまずら)の汁で煮たお汁粉のようなもの。当時の侍にとっては、めったに食べられないご馳走だった。接待した藤原利仁(としひと)は国司を歴任した平安時代の武人である。
 受領(ずりょう)は、諸国の現地を支配する責任者であり、受領は地方の富を思うままにする、富裕を体現する存在であった。受領は自らの責任で任国を支配し、経営し、朝廷への納入物を核比するとともに、さらに多くを徴収して富を蓄えようとした。その強欲ぶりは『今昔物語集』にも紹介されている。
 院政とは、父から息子へという男系による直系相続を、父が壮年のうちに確定しようとする要請から生まれた政治方式である。院政の出現によって、母系に拠る摂関政治から男系原理への転換がはかられた。同時に貴族社会内部の結びつきも女性的なものから男性的な性格に移行することになった。
 院政の嚆矢となった白河院の時代は、荘園と受領、文書主義と情緒的結びつき、女系原理と男系原理が並立し、時代の変わり目がかつてない活況を生み出した。
 後白河院について、当代きっての才人にして有能な政治家であった信西は、「古今東西でこれほど愚かな王は見たことがない」と評した。後白河院は、臣下の優劣や忠と不忠の見分けがつかないばかりでなく、宮中の身分秩序を無視して、いわば雑芸に携わる者と身近に接しようとした。
 中世社会に一貫しているのは、荘園整理令に始まる文書主義で、これはたぶんに机上の帳尻あわせという性格をもつ。だが、大量に生産される文書は、支配権の存在が曖昧になり、武力や暴力が重みを増すなかで、社会を統合し、秩序を演出するための大きな力となった。
 実体をそなえた秩序を達成する新しい力があらわれて、文書主義が役割を終える段階がすなわち中世の終焉であろう。
 何でも文書(書面)にして記録として残しておきたいというのは、それこそ日本古来の習慣だったようですね。
 平氏政権の本質は、武力に傑出した全国規模の受領、すなわち、受領の最終形態というべきものだったのではないか。平氏は一国単位ではなく、全国を経営の対象としており、その方針を支持する各地の武士団や有力者を参加に集めた。平氏の軍事組織も、一種の利益共同体と考えるのが適当であり、平氏権力の低下とともに人々が離散するのも不思議ではない。
 室町幕府において、荘園支配をめぐっては、貴族や寺社等の旧来の本所勢力と武士との争いが頻発しており、足利直義のもとでの裁判は、しばしば武士に不利な判決を下している。証拠文書を検討し、領有の法的正当性を問うのだから、武力で侵略を行う武士が敗訴するのは当然ともいえる。室町幕府は秩序を回復するために、幕府を支えて戦う武士たちを冷遇するという、矛盾した裁定を行っていた。
平安から鎌倉・室町時代の人々の動きについて、ちょっと違った視点から通覧することのできる面白い本でした。
(2012年1月刊。1300円+税)

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