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宇宙就職案内

カテゴリー:宇宙

著者  林 公代 、 出版   ちくまプリマー新書  
 夏の夜は、寝る前にベランダに出て望遠鏡で月面を見るのが楽しみです。それが出来るのは2ヵ月もありません。満月になった月世界をじっと見つめていると、ウサギこそ跳びはねたりはしていませんが、きっとここには生物が隠れてすんでいる。そんな気がしてなりません。ベランダに出て夜の冷気で火照った身体を冷やし、ゴザシーツに身体を横たえると、すうっと安らかに眠ることができます。さすがに窓全開ということはしません。風をひいたら困りますから。若いころに、ベランダで毛布にくるまって寝たこともありましたが、外は夜は意外に冷えこむものですから、年齢(とし)とった今は、そんな無茶は決してしません。
 現代の天文学者は、夜はちゃんと眠っている。うへーっ、そうなんですか。夜中じゅうずっと、空をのぞいているものとばかり思っていました。
 実は、ほとんどの天文学者は望遠鏡にさわらせてもらえない。望遠鏡を操作するのはオペレーターと呼ばれる専門の技術者で、コンピューターによって操作している。天文学者は観測よりも、観測データと向きあっている時間のほうが長い。
 日本で、天文学を職業としている人は700人ほど。
 天文学者は1日を24時間ではなく、30時間制をとっている。
 観測屋は天候に左右されるから根気と気の長さが大切だ。
 宇宙飛行士の危険の確率は1%。往復の宇宙船で100回に1回は事故が起こる確率がある。ええっー、これって、すごく高い危険率ですよね。なにしろ事故が起きたらほとんど即死でしょうからね・・・。
 宇宙船では、水が最高のぜいたく品だ。1人3.5リットルの水を消費する。この水をロケットで運搬すると、コップ1杯の水が30万円になる。そこで、尿から飲料水をつくっている。昨日のコーヒーが今日のコーヒーになり、また明日のコーヒーが作られる。味は、地上で飲む水とそれほど変わりはない。
 昔、朝起きたときの最初の尿を飲むと健康にいいというのが流行していました。私の同期の弁護士も実践していたようです。でも、何となく抵抗がありますよね。といっても、宇宙では仕方のないことですね。雪山で遭難したときなど、自分の尿を飲んで助かったという話はよき見聞きしますので、それよりまだはるかにましでしょうね。
 宇宙飛行士の一日の生活はスケジュールがぎっしりで、ものすごく忙しいとのことです。15分刻みで作業が組まれているそうですから、大変です。途中で作業放置して、ごろっと横になって休むこともできないのでしょうか・・・。なにしろ、四六時中、地上の健康管理チームに見張られているようですから、相当タフな神経じゃないともちませんね。
これまで宇宙にとびだした人類は500人。そのうち7人が一般人の旅行客。20億円という旅行代金を支払って宇宙に行った。大富豪だ。そして、日本人13人をふくめて世界で500人が予約待ちをしている。すごいですね。世界には、物好きで生命知らず、そしてお金の使い道に困っている富豪がこんなにたくさんいるわけです。
 日本の宇宙産業の市場規模は2009年まで8兆円に近い。
 宇宙って、遠いようで、案外、近いところもあるなって思いました。
(2012年5月刊。780円+税)
10月の気候・稚内
稚内に行ってきました。稚内空港で飛行機から降りて外に出ると、冷やっとしました。37度の福岡から昼間でも23度という世界にやって来たのです。
 さすがは日本最北端。日差しは強いものの、夕方になると膚寒さを感じ、九州の10月でしょう。
稚内で驚いた三つのこと
 第一に、商店街を歩いていると、シャッターの閉まっている店が多いのは全国共通ですが、ナントキリル文字があちこちに。ロシア人向けなんです。たしかに、チラホラ見かけます。
 第二に、街角(まちかど)に運命鑑定の男性を三人も見かけました。女の子たちが足を停め熱心に聞いていました。道行く若者に呼びかける積極性も見せます。まるで、東京・銀座です。
 第三に、住宅地の真ん中に空地にエゾシカが2頭、立っていました。稚内は海に面していると同時に、すぐ山が迫っているのです。

ローズ・ベルタン

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ミシェル・サポリ 、 出版   白水社  
 舞台はフランス大革命の前夜のフランスです。かの有名なマリー・アントワネットに仕え、モード大臣とも呼ばれた女性が主人公です。
 ローズ・ベルタンは奇抜なファッションで、当時の上流階級の女性を夢中にさせました。そして、宮廷が衣装に費やす費用は膨大なものとなったのです。といっても、モード大臣の下では大勢の庶民が働いていたのです。それはフランス国内だけでなく、イギリスの片田舎にまで及んでいました。冨はいくらか循環していたのです。
 フランスの片田舎に生まれて花の都パリに上ってきた貧しい女の子がお針子さんからブティックの店員そして王女の衣装係にまでなって、ついには全ヨーロッパの王室を相手として商売していたのです。その並外れた想像力(デザイン)はたいしたものですよね。
 王妃アントワネットに対して、母のマリア・テレジアは次のように忠告した。
「身だしなみには常に気をつけるように。あなたの年齢で身だしなみに関心がないなどというのは、もってのほかです。自分の立場をわきまえるように。フランスの王族方が長い間陥っている愚かな習慣に、あなたも染まってしまうようなことには、絶対になってほしくないのです。体型にも、体裁にも、決して怠慢な態度をとらないように。ヴェルサイユをリードするのは、あなたなのです」
 ローズ・ベルタンは、15年間、ほとんど毎日、王妃アントワネットと二人きりで顔をあわせた。国王のそばに商人が出入りするのは、宮殿の規則で厳しく禁じられていた。ところが、ベルタンは王妃の寝室に足を踏み入れていたようだ。
 1778年、ベルタンは宮廷で「モード大臣」の称号を得た。ベルタンは、間接的に現実の権力を手にした。アントワネットが王妃だった時代の女性の肖像画を見ると、ほとんどすべて、お気に入りのモード商ベルタンの衣装をまとっている。ベルタンの店は、「ムガール帝国」という名前だった。華々しいショーウィンドウによって道行く人々の目を楽しませ、購買意欲をかきたてた。店の正面には大きな字で「妃殿下御用達」と揚げていた。
 仕立て屋とモード商の違いは、石土と建築家との違いのようなもの。ベルタンは針をもったわけではなく、ひたすらアイデアを生み出した。
 ベルタンは、1776年9月に協同組合ができたとき、序列の頂点に立った。そこで、絶大な権力を行使し、絶対的な影響力をもって、政府に対しても商人たるブルジョワジーの一代表者となった。
モード商の仕事は製造業ではなく、職人たちが生産した商品をさらに輝かせること。ベルタンは固定給で終身雇用の社員を30人も雇っていた(1779年)。そして、取引先の業者は120(最大734)もいた。
フランスの大革命が始まるとさすがのローズ・ベルタンも没落してしまいますが、最後までマリー・アントワネットに差し入れしていたようです。偉いものですね。
 知られざるフランス大革命直前のパリのモード社会を知ることができました。
(2012年2月刊。2200円+税)

結いの島のフリムン

カテゴリー:司法

著者   春日 しん 、 出版   講談社
 保護司、三浦一広物語というサブタイトルがついた本です。非行少年・少女をあたたかく見守り、更生につとめている保護司の活動を紹介しています。南の島の奄美大島では、人々がのんびりのどかに暮らしていると思っていましたが、現実は大違いのようです。
 かつて、奄美大島の産業界で隆盛を誇った大島紬(つむぎ)も、現代人の着物離れから著しく衰退し、特産の黒砂糖の産業も思わしくない。島を訪れる人の数が減ると、島で働く人の仕事が減り、仕事がなくなると家庭のなかに不和が広がって夫婦が別れ、子どもとひとり親の母子、父子の家庭が増えた。奄美では、ひとり親家庭が全体の4割をこえている。
奄美大島は、本州など四島を除くと佐渡島に次いで面積5位の大きさをもち、人口7万人の美しい島だ。
保護司の三浦一広は、奄美市役所福祉政策課・少年支援係に勤務している。NPO法人奄美青少年支援センター「ゆずり葉の郷」の中心人物でもあり。また、奄美合気道拳法連盟の統帥範代である。その教育方針は、許し、認め、ほめ、励まし、感謝する。すごいですね。私など、なかなかできませんね。励まし、感謝するというのは年齢(とし)相応にできるようになりました。でも、許し、認め、ほめというところがまだまだです。他人(ひと)のあらがすぐ目につき、それを批判(非難)し、けちをつけたくなります。
 大きな声による説教の効果は3ヵ月しか続かなかった。信頼してほめた言葉は、説得しなくても心の底から子どもを変えた。なーるほど、そうなんでしょうね。やっぱり、誰だって、自分を認めてくれる人になら心を開きますよね。
 非行少年たちの心を変え、親も感謝し、本人も喜ぶ循環型の治安維持活動。これが、2004年、日本初の試みとして奄美に発足した少年警護隊だ。その成果として、2年間で、奄美の犯罪件数は675件から313件へと半減した。少年非行も96件から32件へと、3分の1に激減した。
三浦一広は1年365日、1日24時間、問題をかかえるこどもとその家族のために、夜眠る間もケータイを離せず、2時間過ぎに受信をチェックする。必要とあれば、夜中の何時でも、現場にとびだしていく。ええーっ、こんなことって常人にはできませんよね。体は大丈夫でしょうか、心配です。
奄美大島には、消費者相談で全国的に有名な禧久孝一氏もおられます。狭い島だと思いますが、二人も全国的知名度をもつ地方公務員がいるなんて、なんと幸せな島でしょうか。
 今後とも、健康にだけは留意していただき、ご活躍を祈念します。
(2012年3月刊。2800円+税)

社会の真実の見つけかた

カテゴリー:アメリカ

著者   堤 未果、 出版   岩波ジュニア新書  
 日本がアメリカのような国になってはいけないと改めて強く思わせる本でした。アメリカン・ドリームなんて、年収1億円とか金融資産が1億円以上の人だけに縁がある世界なんですよね。多くのアメリカ人、そして大多数の日本人は地に足のつかない夢をみて、いつまでもアメリカに幻想をいだいているように見えます。私はとっくにアメリカを見限りました。だから、私はフランス語を勉強しています。
 アメリカには、日本のような皆保険制度はない。65歳以上の高齢者と低所得層だけが公的保障を受け、その他の国民はみな自己責任で民間の医療保険に入らなければならない。加入しても、患者と医師とのあいだに医療保険会社という中間業者が入るため、生命よりも利益が最優先されるしくみだ。
医師や病院は保険加入者を自分たちの病院に患者として回してもらう代わりに、医療保険会社から人件費削減や診療時間短縮をして利益を上げるように、いろいろ指示される。
患者が診療を受けられるのは医療保険会社のリストの載っている医師のみで、高い保険料を払っても、いざ治療を受けたあとで保険金を請求すると、保険会社に支払いを渋られ、払い切れずに破産するケースがとても多い。アメリカの自己破産の理由ナンバーワンは医療費である。
落ちこぼれゼロ法(2002年)は、生徒の成績が悪ければ教師は降格やクビで、学校への助成金は削減する。その後も、成績が上がらなければ、助成金を全部カットして学校自体を廃校にする。
学資ローンは4年生大学では平均3万ドル、修士なら12万ドル、医学部なら15万ドルの借金となる。卒業と同時に、若者の肩にのしかかる。家を手放せば借金が消える住宅ローンとは違い、学資ローンには消費者保護法がきかない。
 2008年、帰還兵の3割がPTSDや脳損傷に苦しんでいる。30万人が重度のうつ病である。帰還兵の自殺者がイラク・アフガニスタンでの戦死者数を上回っている事実が公表された。
 アメリカの肥満児を生み出す原因は、貧困、親の栄養知識のなさ、そして運動不足である。
教師の2人に1人は5年以内に辞める。かつて、教師は、女性にとってあこがれの職業ナンバーワンだった。今は違う。落ちこぼれゼロ法、そして、親の理不尽な要求が教師を辞めさせている。子どもは、親と学校、そして地域社会という三つの手によって育てられてきた。この三つのどれが欠けても、子どもは不安定になる。しかし、今のアメリカでは、この三つとも崩れかけている。親と教師、地域社会がばらばらに分断されている環境で、一番不幸になるのは子どもたちだ。
 いま、大阪の橋下「教育改革」がアメリカのまねをしようとしています。でも、アメリカでは失敗したとされているのです。教師を「敵」とするような「教育改革」によって子どもたちが本当に幸せになれるはずがありませんよ。
 それにしても、NHKをふくめて日本のオール・マスコミが橋下、維新の会をあんなに天まで高く持ち上げるのは、あまりに異常です。もういいかげんやめてほしいと切に思います。小泉「改革」の失敗を繰り返したくありません。
(2012年4月刊。820円+税)
 脱原発の声をあげながら首相官邸のまわりを取り巻く市民が増えています。私も近くだったら、ぜひ参加したいです。
 初めは数百人から始まったのが、今では10万人、20万人という規模になりました。鳩山さん(元首相)も参加したようです。
 でも、マスコミの扱いが小さいですよね。とくにNHKなんて無視そのものです。マスコミは、財界と同じで脱原発に流れが怖いのでしょうね。日本経団連の会長が脱原発なんてとんでもないと公言しています。まるで、お金の亡者ですね。お金より生命ですよね。

第一次世界大戦(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   ジャン・ジャック・ベッケール、 出版    岩波新書 
 今ではフランスとドイツが戦争するなんてとても考えられません。でも、わずか100年前は、両国民はお互いに敵とみて殺せ、殺せと叫んでいたのですよね。不思議な気がします。
 第一次大戦の根本的な特徴は、それが兵器の戦争になったこと。大砲が主役となった。フランスの戦死者の7%が砲弾によるものだった。フランス軍には、360万の負傷と280万人の負傷者が記録されている。これは、かなりの負傷者が2度以上、負傷していることを意味する。そして、フランスの負傷者の14%は顔面を負傷している。
毒ガスをつかいはじめたのは、1915年4月、ドイツ軍だった。しかし、多くのドイツ軍上級将校は、むしろ、それに抵抗しており、すすんで使用しようとしたのではない。
 1918年におけるドイツ軍の準備砲撃で使用された砲弾の4分の3がガス弾だった。フランス軍が始めてガス砲弾を使用したのは1915年9月からで、ドイツ軍が使ってわずか5ヵ月後だった。
 ドイツは大砲の砲弾に4万8000トンの化学物質を使用したのに対して、フランスは半分の2万3000トンだった。毒ガス被害者の数は限りなく大きかった。フランスの死傷者は13万人、ドイツは10万7000人だった。
 フランス軍とドイツ軍は塹壕で相対峙した。ときにわずか数メートル、一般に数百メートル離れていた。フランスの塹壕は完成度がもっとも低かった。最低の衛生条件。気候への隷属。冬の寒さ、季節の雨。泥は強迫観念となった。
 1916年のヴェルダンの戦闘は、フランスとドイツの間の恐るべき、空前絶後の殺戮の象徴になった。ヴェルダンでのドイツ軍の準備砲撃は「肉ひき器」と呼ばれたが、その砲火の雨にもかかわらず、敵を壊滅させるのに成功しなかった。
 1916年2月から12月までも続いたヴェルダンの戦闘において、フランス軍は戦死者16万人をふくむ40万人の兵士が犠牲となった。ドイツ軍は戦死者14万人をふくむ33万人が犠牲となった。全体として、1916年に130万人の兵士が死傷した。100万の戦死。
ドイツ軍から、1917年と1918年に10万人の脱走兵があった。これはドイツ兵全体の1320万人に比べると、驚くほど少ない。ドイツの軍事裁判官は48件しか死刑宣告しなかった。
 フランス軍では、反乱した兵士に対する554人の死刑判決のうち、執行されたのは49人のみ。反乱者の大部分は戦争に対して抗議したのではなく、しばしば無為に戦死させられるやり方に対して抗議していた。
 1918年、終戦による講和会議の展開と条約の条文はドイツ軍に憤慨を引き起こした。フランス人は喜んでよさそうだが、実際には違っていた。フランス人の態度は複雑だった。フランスの国会で条約は1919年10月、372対53票で批准された。反対票のうち49票は社会党だった。
 戦争が終わったとき、フランスとフランス社会は間違いなく貧しくなっていた。貧窮の主要な犠牲者は、中産階級だった。
フランスは戦勝国でありながら、勝利を祝うことはまれだった。
ドイツは、戦争で若者の相当な部分を犠牲にした。200万人の死者、400万人の負傷者である。戦争はドイツ領ほとんど及ばなかったため、日常生活から遠く、切り離されたものだった。よく理解されていないままの戦争だったから、勝者が求めた賠償金の金額に対するドイツ人の抗議は激しかった。戦後、700万の兵士がドイツへ復員した。ドイツでは、ワイマール共和国が存在した全期間を通じて不当な敗北の心の責任者という、左翼に対する非難は人々の心につきまとっていた。
 1919年1月にベルリンで起きたスパルタクス国の反乱の鎮圧は、この増悪にみちた暴力を反映している。社会民主党政権と共産党との関係は裂け目が常に刻印されていた。
 1933年のヒトラーの政権得票まで、左翼政党のあいだに討たれた裂け目を乗りこえることはできなかった。ワイマール共和国が受けた襲撃に対して共同戦争を作ることはできなった。そして、労働者が離れていった。
 なぜ、ヒトラーがドイツで選挙によって政権を握ったのか、少し分かったように思いました。
(2012年3月刊。3200円+税)
 アメリカの映画館のなかでバットマン映画の上映中に銃を乱射する男がいて、何人もの人が亡くなりました。
 これで銃規制が強まるかと思うと、かえって銃が一般市民に飛ぶように売れているとのことです。その発想は、映画館のなかで銃をぶっ放す男がいたら、そいつをすぐにうち殺せばいいんだというものです。でも、映画館内で撃ちあいになればなれば、さrに被害者は拡大するのは必至ですよね。
 アメリカって、つくづく野蛮な国だと思いました。

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