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山伏と僕

カテゴリー:人間

著者   坂本 大三郎 、 出版   リトルモア  
 東北は山形県の山中で山伏になったという体験記です。
 九州にも英彦山(ひこさん)には山伏がいるようですね。
舞台は山形の羽黒山(はぐろさん)です。近くに月山(がっさん)や湯殿山もあります。
 山伏といっても、ふだんは普通の生活をして、修行のときだけ山にこもって山伏になるのです。
山伏は自分の葬式をあげ、自分を死者と考えて山に入る。
 山に入れば、みんな同じ仲間。どうして山伏になったのかという質問は昔はタブーになっていた。
山伏をしたから人間が皆謙虚になるということでもないようです。逆に修行に耐えたことで偉いと過信し、俗世間で騙す人もいるとのことです。人間の業(ごう)の深さを思い知りますね。
 修行中、ケータイの使用は禁止。テレビも見られない。パソコンなんて論外。
返事は、「はい」ではなく、「承(う)けたもう」のみ。
山伏の白装束は自分たちが死者となったことを、頭にかぶる白い宝冠は、胎児が母体のなかでかぶっている胞衣(えな。胎盤)を意味している。山伏の白装束が死者を意味しているって、初めて知りました。
 修行中に断食する。これは際限なく物を欲しがり、どんなに物を集めても満たされない「餓鬼」の状態を味わう行である。
護摩とは、サンスクリット語で焼くことを意味するホーマの音訳である。
 なーるほど、そうだったんですか・・・。
修行のなかで、勤行するときには、般若心経を唱える。何十回、何百回と般若心経を唱える。真暗闇の山中を歩いていくというのは恐ろしい限りです。著者の勇気に敬意を表したくなりました。
(2012年7月刊。1300円+税)

落花は枝に還らずとも (上) (下)

カテゴリー:日本史(明治)

著者   中村 彰彦 、 出版   中公文庫 
 会津藩士、秋月悌次郎の一生を追った本です。会津藩が幕末の京都でどんな動きをしていたのか、白虎隊に象徴される戊辰戦争の実情、そして明治になってからの会津藩士の歩みなど、興味深く読みすすめていきました。
ところが、会津藩士の中核として活躍した秋月悌次郎が、なんと明治になってから熊本で高校教師になっていたのを知って、腰が抜けそうになりました。
 熊本の高校生たちに風格ある漢文教師として慕われていたというのです。幕末といっても、そんなに遠い世界のことではなかったんだなと、このエピソードを知って改めて認識を改めたことでした。
 そして、この秋月悌次郎が熊本の五高で教えていたときの同僚の教授に末広厳太郎がいたというのです。民法学の大家であり、東大セルツメントの創始者でもある末広厳太郎が登場してくるとは夢にも思いませんでした。
 明治33年1月、77歳で息をひきとった秋月悌次郎は、若き日には「日本一の学生」といわれ、松平容保の京都守護職就任に際しては会津藩公用方として活躍した。会津藩の開城降伏式を宰領した。熊本で教育者になってからは、ラフカディオ・ハーンに「神のような人」とまで言われた。
 2005年に、この本で新田次郎文学賞を受賞したとのことですが、私と同世代の著者の調査力と筆力には、ただただ圧倒されるばかりです。
(2008年1月刊。762円+税)

ともにがんばりましょう

カテゴリー:社会

著者   塩田 武士 、 出版   講談社 
 戦後日本社会で、今ほど労働組合の影が薄いときはないのではないでしょうか・・・。
 戦後、総評は絶大な力をもっていました。労働者の生活と権利を守る砦として労働組合が確固として存在として存在していました。これに対して、同盟というのは、会社の労務担当がつくったものという認識が一般的であり、スト破りというイメージがつきまとっていたと思います。総評と同盟が一体化して連合となってから、労働組合と会社とは平和共存というイメージでとらえられるようになり、闘争というフンイキが消えてしまいました。フランスでは、今でもストライキもデモ行進もあたりまえの光景です。なにしろ警察官や裁判官にまで組合があり、デモ行進するのですから・・・
 ストライキがあり、集会やデモ行進が普通にあっていました。私が大学生のころ、40年前は順法闘争というのもあって、東京の国電(山手線など)は、時間遅延があたりまえでした。みんな困っていましたが、ストライキだから仕方がないというあきらめもありました。
 そして、1週間も続いたスト権ストが最後の仇花(あだばな)のように、ストライキはなくなり、今や死語と化してしまったようです。ところが、この本は、労働組合とは何をするものなのか、会社との団交はどうすすめられていくのかについて、教科書のような展開です。
 ええーっ、労働組合が今日では小説の題材(テーマ)となるほど珍しいものになってしまったんだなと思ったことです。
 でも、書かれている内容は、しごくあたりまえのことばかりです。黙っていたら経営の論理がまかり通ってしまい、労働者の権利なんて、まるで無視されてしまう。労働組合は今でも大いに役立つ存在なのだということを、しっかり実感させてくれます。
 多くの労働者の矛盾する要求をいかにまとめあげていくか。経営者側の論理を団交のなかで、いかにして論破するのか。見事なストーリー展開で思わずガンバレと拍手を送りたくなります。
 著者が神戸新聞社に勤めていたときの体験をもとにした小説だと思いました。
 労働組合をよみがえらせたいと考えている人に、とくに一読をおすすめします。
(2012年7月刊。1500円+税)

山田洋次と寅さんの世界

カテゴリー:社会

著者   吉村 英夫 、 出版   大月書店 
 かつて、お盆と正月には家族そろって寅さん映画をみていました。年に2回の楽しみでした。よくも年に2回、マンネリズムとの批判をものともせず、つくれるものだと山田洋次監督に驚嘆していました。映画第一作の前のテレビ作品はみていませんが、第一作は大学の学園祭(五月祭)のときにみました。大教室に学生があふれ、みんなで大笑いしたことを覚えています。ゲバルトに明け暮れていた学園に平和が戻ったことを実感させてくれる貴重なひとときでした。
 生きづらい世の中である。住みにくいご時世である。だが、悲観論だけでは、何も生まれない。そうなんです。だからこそ、喜劇をみて笑い飛ばしたいのです。
 山田洋次は、テレビドラマの演出をしない。小さい画面に多人数を映すのは難しく、アップを多用しなければならない。そして、アップの人物の表情や気分しか観客は理解できない。だから、私はテレビを見ません。やっぱり映画館の大スクリーンでみたいのです。
 山田洋次は、怒る寅、なだめる博、悲しげなさくらを観客は自由に選択して見てほしいのだ。映画こそが生き甲斐の映画バカ。それが山田洋次である。
山田には、すべてが映画の題材にみえる。どうドラマにするかと考える。
山田は素材ゼロからオリジナルを創造するタイプではない。小説や新聞の三面記事から想像を広げていく型の作家である。
 物腰柔らかく謙虚な山田洋次は、同時にしたたかで一筋縄ではいかない。老獪とも言えそうなほどの老練さ、そういう幅と奥行きも持っている。
 寅さんシリーズが長大なものとなって内容的にも興行的にも成功したのは、松竹の大船撮影所のシステムが機能していたから。スタッフが専属で、毎回、同じ山田組で仕事ができて、出演者もほぼレギュラーだから、山田洋次は、キャメラの高羽哲夫をはじめ、息のあったチームをつくりあげることができた。このスタッフが山田洋次を支えた。社員スタッフが定年になってからも山田組に馳せ参じるシステムは、21世紀には大手の映画会社でも不可能になった。
 寅さん映画の観客動員総数は8000万人。第8作以降、常にトップ10位までに入っていた。観客の内在的要求にこたえ、マンネリズム批判までも普遍性に昇華させてシリーズのハイレベルを持ち続けた山田洋次・渥美清コンビの創造力と想像力、そして努力は測りしれない。
山田組はひとつの家族のようにして映画を作りあげていった。質の良さを直感した人たちが、テレビの前から家を出て、暗黙の劇場にまで足を運んだ。
 寅さん映画は正月映画として27年間連続続けた。
 齢80を迎えてなおも青年の魂と、ろうたけた知力を持つこの希有の映画作家は、さらに無縁社会の克服が国家百年の宿願であることを語り続けるだろう。酷薄な社会に立ち向かう力は、個の確立を前提とした家族ないし共同体的なものにならざるをえない。
 寅さん映画を、また映画館の大きなスクリーンでみてみたいと思いました。近く、「新東京物語」が上映されるようです。今から、楽しみにしています。
 寅さん映画ファンにはたまらない本です。
(2012年9月刊。1800円+税)
 月曜日、日比谷公園に行きました。ツワブキの黄色い花がたくさん咲いているなと思っていると、銀杏の木も見事な黄金色です。さらに、園内で菊花展が開かれていました。それはなんとも言えない姿形の素晴らしさに息を呑むばかりでした。丹精込めて育てている姿が目に浮かんできます。

日本の国境問題

カテゴリー:社会

著者   孫崎 享 、 出版   ちくま新書 
 尖閣不況が日本にやってきました。私のマチにあるリゾートホテルは中国系資本が経営しています。大量の中国人客が日本人客が日本に来ることをあてこんで、それまで韓国系資本だったのを買収したのです。ところが、尖閣列島で中国とのトラブルが表面化して以降、中国客がパッタリ来なくなりました。閑古鳥の鳴くホテルでは、リストラが始まり、身売り話が出ています。
ところが、右寄り週刊誌では、「日中もし戦ったら、どちらが勝つか」などという馬鹿げた特集を大々的に組んでいます。編集者が正気だとは思えません。自分の雑誌が売れたら日本がどうなってもかまわないという無責任さには、呆れるというより腹が立つばかりです。
 著者は、国境紛争は長い目で考える必要がある。むしろ紛争を一時的にタナ上げするのも解決法の一つ、何十年もかかって、ようやく解決できたらいいと息長く考えるべきものだ。つまり、平和的な話し合いこそ大切だと強調しています。まったく同感です。
そして、尖閣諸島が日本の領土だという根拠は、実は乏しいのだと著者は主張しています。
 琉球が日本領でない時期に、尖閣諸島が日本領だったとは言えない。尖閣諸島が日本領になるのは、日本が琉球王国を強制的に廃止して、琉球藩を置いた1872年以降のこと。
 領土問題は国際紛争である。日本が正しいと思っているだけでは紛争は解決しない。領土問題は、単に「領土」の帰属をどうするかという司法的問題にとどまらない。領土問題は、二国間関係の大きな流れを反映し、ときに冷静化し、ときに対立が全面に出る。 中国人にとって、尖閣諸島は台湾の一部だ。リスクが自分の身に降りかかる恐れがあるとき、人は簡単に過激なナショナリズムに走らない。いたずらにナショナリズムを煽れば自分たちが死ぬ。
歴史的にみれば、多くの国で国境紛争を緊張させることによって国内的基盤を強化しようとする人物は現れる。そして、不幸なときには戦争になる。
 国境問題で合意に達するには容易なことではない。中国とソ連のあいだの国境紛争(珍宝島)では、事件発生後、解決するまで22年もかかっている。
 領土問題で重要なのは、一時的な解決ではない。両国の納得する状況をつくることである。それが出来ないうちは、領土問題が紛争に発展しない仕組み、合意をつくることである。
 アルザス・ロレーヌの国境紛争でドイツは奪われたものを奪いかえす道を選択しなかった。ドイツは国家目的を変更し、自国領土の維持を量重要視するという古典的な生き方から、自己の影響力をいかに拡大するかに切り替えた。失った領土は求めない、その代わりヨーロッパの一員となって、その指導的立場を勝ちとることを国家目標とした。
 中国と言っても一枚岩ではない。中国にも、一方で軍事力で奪取しようというグループがいる。他方、紛争を避けたいというグループもいる。日本は中国の後者のグループといかにして互いに理解しあい、協力関係を強化するかが重要だ。
 アーミテージは、尖閣問題で日本人の感情をあおろうとしている。日本が対中国に強硬政策をとるようにしむけているのだ。尖閣諸島という問題を利用して、日米軍事同盟を強化しようとしているわけだ。日中の武力紛争に巻きこまれようとすると、アメリカは必ず身を引く。日本のためにアメリカが行動することはありえない。
 平和的手段は、一見すると頼りない。しかし、有効に機能されれば、もっとも効果的な手段となる。武力紛争にもちこまないという意識をもちつつ、それぞれの分野で協力を推進することが平和維持の担保になる。
そうですよね。大変示唆に富んだ内容でした。
(2012年10月刊。760円+税)
 日曜日、恒例のフランス語検定試験(準一級)を受けました。この2週間はその受験勉強に大変でした。車中読書はやめて、「傾向と対策」そしてフランス語単語集を読みふけり、カンを取り戻すのに必死でした。
 試験当日も朝早く起きて、一生けん命にフランス語に浸りました。午後3時ころに始まった試験が夕方5時半に終わったときには、ぐったり疲れてしまいました。
 自己採点で81点(120点満点)。まだ7割をとるのは難しい実力です。それでも、やれやれでした。

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