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弁護士ドットコム

カテゴリー:司法

著者  元榮 太一郎 、 出版  日系BP社
 今や日の出の勢いとも言うべき弁護士ドットコムについて、創業者である弁護士が苦労話を語った本です。
月間の訪問者は660万人。登録する弁護士は7000人、これは日本の弁護士の5人に1人にあたる。サイトに寄せられる法律相談や問い合わせは月に1万500件。
モバイル有料会員は、毎月、純増1000人というペースで増え、1年で1万人を突破した。2014年には4万人をこえた。
 登録する弁護士は、2010年6月に200人、2011年6月に3000人、2012年4月に4000人をこえた。FAXのほか電話によるアプローチをはじめると、2013年5月に6000人、2014年8月に7000人となった。
 弁護士向けの有料サービスを2013年8月にスタートした。有料会員はサービス内容によって、月2万円、3万円、5万円のプランがある。有料会員は、1年しないうちに900人をこえた。
 2014年に入ってから、赤字が長く続いた弁護士ドットコムは、採算がとれるようになった。月商ベースで前年同月比2倍の売上高となった。
 弁護士ドットコムを運営する主体となっている法律事務所は、今や弁護士28人、事務所スタッフをふくめると120人という大所帯である。
 2014年12月、弁護士ドットコムは東京証券取引所マザーズ市場に上場した。
 著者は1975年生まれなので、現在40歳(まだかな?)。弁護士になってから3年間は、東京の四大事務所の一つ、アンダーソン・毛利法律事務所に在籍した。
 しかし、退職してベンチャー企業を目ざしたのです。やはり、若さですね。
 私の法律事務所でも、一人だけ弁護士ドットコムに加入しています。それなりの反応はあるようです。
 社会がインターネットを活用している社会環境のなかで、いち早くそれを弁護士業界に生かした点で、著者には先見の明があったというべきなのでしょうね。といっても、私自身はネットを依然として見るだけなのです・・・。
(2015年1月刊。1400円+税)

風雪のペン

カテゴリー:日本史(明治)

著者  吉橋 通夫 、 出版  新日本出版社
 秩父困民党の「暴徒」の娘として両親を亡くして孤児となった主人公・フキは7歳のとき、伯父から旅籠の飯炊きに売られた。13歳になったら飯盛女として客をとらされる身だ。先輩の女の子が死んだとき、旅芝居一座に隠まわれた旅籠を逃げ出すことができた。そして、人の親切から、東京の新聞社の女中として住み込んで働くようになった。
明治時代に幸徳秋水の「萬(よろず)」朝報」や「平民新聞」などがあるのは知っていましたが、他にも非戦論で頑張っていた新聞があったようです。
 フキは、その新聞で女中として働くうちに、校正を担当し、ついには女性向けの柔らかい記事を書くようになったのでした。
 そして、やがて日清戦争がはじまります。非戦論を唱える新聞社は存立が危なくなります。さらに、日露戦争になると、ますます政府による言論統制が強まります。
明治時代と現代日本では、もちろん大きく時代状況は異なります。それでも、権力者が情報を統制しようとする点では、まったく同じです。そして、国民を熱狂させて戦争へ駆り立てようとする点も、共通しています。今の安倍政権も同じ手法です。中国や北朝鮮、韓国の「脅威」をやたらとあおりたてて軍事拡張の必要性を強調しています。今度の軍事予算は5兆円を超えてしまいそうです。福祉を削って軍事予算は増大させています。そして、戦争を招こうとしています。怖いことです。やめてほしいです。そして、そのためにNHKをはじめとしてマスコミ統制をますます強めています。NHKの籾井会長のいつもながらの低劣な発言には唖然とさせられます。まるで表現の自由への配慮がありません。 
 主人公のフキは、ついに記事の書き手になり、編集責任者にまでなります。なにしろ、男性記者が招集されて兵隊として戦争に駆り立てられていくからです。
戦争へ、戦争へ・・・。勇ましいことを言うばかりの政治家がいて、それで儲かる軍需産業がいて、その下で無意味に殺される兵士がいます。また、多くの遺族が泣いています。そんな戦争の悲惨さを伝えるのが新聞ではないのか・・・。
新春の西日本新聞の中村哲医師のアフガニスタンでの奮戦記に、私は身体が震えるほどの思いをしました。戦車ではなく、ショベルカーこそが求められているのです。
 あまり本の紹介はできませんでしたが、明治時代にも、戦うジャーナリストがいたことを知らせてくれる、元気の出る小説でした。
(2014年12月刊。2300円+税)

私記・白鳥事件

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  大石 進 、 出版  日本評論社
 白鳥事件と言えば、弁護士にとって再審の門を大きく開いた最高裁判決として有名です。というか、再審についてすこしでも関心をもつ人なら知らないはずがありません。私にとっては、白鳥事件とは網走刑務所に入れられて無罪を訴えていた村上国治氏であり、松川事件と並ぶ日本の冤罪事件でした。 
 村上国治氏は、その生前、私も元気な姿を何回も遠くから見たことがあります。出獄後は日本国民救援会の副会長として活躍していました。人の良さそうなおじいちゃんでした。
 白鳥事件が起きたのは、1952年1月21日の夜7時40分ころ。札幌市中央区南六条西16丁目の路上で、自転車に乗って走行中の白鳥一雄警部(札幌市警の警備課長)が、同じく自転車に乗った男によって射殺された。
この白鳥警部を射殺した犯人は、日本共産党の中核自衛隊員であり、それを命じたのは、日本共産党札幌市委員会の責任者である村上国治だった。このとき、村上国治は若冠28歳である。
 白鳥事件は、権力のデッチアゲではない。冤罪事件ではないのである。日本共産党は、白鳥事件の主犯格の3人と、幇助犯をふくめて事件を深く知る周辺の7人の合計10人を中国に密出国させた。
 7人のほうは、197年から順次、日本に帰国してきた。主犯格の3人は中国にとどまったままだった。
実は、この本の著者も日本共産党の中核自衛隊に誘われて、入隊していたのでした。1954年の初夏のころです。群馬県の山村で巡回映画を上映してまわったというのです。
16ミリ映写機と映画フィルムをもって妙義山中に点在する部落をまわって毎夜、上映会を開き、子どもたちに喜ばれた。1955年、六全協のあと、晩夏に武器を廃棄した。
 このように中核自衛隊にかかわっていた著者が、白鳥事件に関心をもつようなったのは必然のことですね・・・。
 「白鳥事件を、三鷹事件や松川事件と同列に論ずるわけにはいかない。この事件を冤罪と思っている人は北大には一人もいない」。これは1955年の北大生の言葉だった。
 岡林辰雄弁護士の言葉。「村上国治の無罪、共謀共同正犯の不成立は主張できるかもしれないが、彼の部下の誰かが白鳥を射殺したという事実は消えない。村上には組織の責任者として思い政治的責任がある。もし、実行犯が逮捕されて、重刑を課され、村上が無罪とされたら、村上は生きていない」
 岡林は、村上を英雄としてではなく、罪人として認識していた。岡林は、「幌美峠で発見されたという銃弾は、まぎれもなく偽造証拠だが、あの場所で彼(白鳥)の指示のもと、党員による射撃演習が行われたことは疑いのない事実だ」、そう語った。
 このように、弁護士は、いつの時代でも、表と裏との、合法と非合法の接点にいることを運命づけられる。
 著者は、射殺の実行犯は佐藤博だと断定しています。そして、佐藤博も村上国治も軍隊経験者なのです。人を殺すことを使命とする組織にいて、その訓練を受けてきた人間でした。
 この時期にとられた軍事方針は、日本革命のためというより、外圧によるものだった。日本共産党の「武闘」は、ソ連と中国共産党、すなわち事実上のコシンテルンに対する「見せかけ」、ないしアリバイづくりに過ぎなかった。派手なだけで、朝鮮半島の戦局に対する影響皆無の火炎瓶投擲でお茶を濁していた。
おそらく、学生・失業者・民族組織に根をもたない朝鮮人、元国際分派などが消耗品として軍事に投入されたのだろう。
「手記」と銘うってあるように、著者の実体験をふまえて白鳥事件の真相に迫った本です。
 いかなる組織も自らの誤りを率直に認めることは至難のことです。しかも、自分がやったわけではない先輩たちの誤りを自己批判するなんて、考えただけでも気が遠くなります。
 それでも、歴史の闇は明らかにしなければならないのではないか。この本を読みながら、そのように私は思いました。いかがでしょうか・・・・。
 (2014年11月刊。2000円+税)

台湾現代史

カテゴリー:中国

著者  何 義麟  、 出版  平凡社
 事件は1947年2月末から3月中旬にかけて起こりました。日本の敗戦により日本の台湾統治が終了した後に、中国本土から国民党の蒋介石軍がわたってきたことによります。国民党が中国本土で共産党軍に敗退して大挙渡来し、台湾を支配しはじめたのです。
 ヤミ煙草の取り締まり中に起きた発砲事件をきっかけとする反国民党政府勢力による政治暴動が台湾全島に広がった。
 政府側は、はじめこそ交渉をすすめる姿勢だったが、大陸からの増援部隊が到着すると、台湾人に対する無差別虐殺をふくむ過酷な弾圧を行い、抵抗を完全に鎮圧した。
 2.28事件の犠牲者は1万8000人から2万8000人の間にのぼるとみられるが、10万人という説もある。しかし、問題の核心は犠牲者の多くが台湾人の有能な知的エリートであったこと。この事件によって台湾会社のエリート層が壊滅的な打撃を受けたばかりではなく、一般の台湾人の精神も、政治に対する恐怖心を深く刻みこまれた。
 そして、戦前からの台湾出身者である「本省人」と、戦後に中国本土から渡ってきた「外省人」との深刻な対立が生まれた。この2.28事件をめぐる台湾社会の対立は、いまもなお解消されていない。
 1945年の日本敗戦当時、台湾には40万人ほどの日本人がいた。日本統治の50年間で、台湾の人口は300万人が600万人へと倍増した。1949年ごろ、国民党が国共内戦に敗れたため、150万人の大陸住民が台湾に移住してきた。
 1946年末の台湾全体の失業者は30万人から40万人いた。戦後になって台湾に来た中国の軍隊は法律を守らず、さまざまな治安問題を引き起こし、台湾社会に大きな脅威を与えた。外省人が台湾の法治社会を破壊したというイメージがった。台湾人の外省人に対する反感の基本的な理由は、外省人の法治観念の欠如にあった。
 3月8日、基隆(ルーキン)で国府軍による武力掃討が始まった。戦艦が大砲で沿岸に撃ち込み、機関銃で町中の市民を掃射した。一週間続いた武力掃討の過程では、無差別の虐殺や誤殺が繰り広げられた。そして、より深刻な問題は、指名手配の有無を問わず、多くの医師や弁護士、参議会議員などの著名人が失踪したことである。彼らは秘密裏に処刑されたとみられる。
 国民党政府は、厳しい住民監視体制の下で、共産党スパイの取り締まりを行い、1949年から1960年までの10年間に100件の反乱グループを摘発し、2000人を処刑、8000人に無期から10年までの懲役刑を課した。このうち、本当に共産党員だったのは1割以下の900人以下で、残り9000人は冤罪だった。すなわち、「赤狩り」に名をかりた白色テロであった。 
共産党員と目された人々の氏名が銃殺刑の実施前に新聞に掲載され、駅前の掲示板などでも発表された。これは、国民党政府による「見せしめ」という手段を使った政治教育であった。
 1950年6月、元台湾省行政長官の陳儀までも、反逆罪で銃殺された。弾圧の元凶と目された陳儀の銃殺によって、台湾住民を懐柔しようという意図が見えていた。
 2.28事件については、今なお共産党の陰謀によるものであり、再検証する必要などないという当局の意向が働いている。
台湾社会の複雑な内情を知ることができる本です。
(2014年9月刊。2800円+税)

憲法と沖縄を問う

カテゴリー:司法

著者  仲山 忠克・井端 正幸ほか 、 出版  法律文化社
 戦後、沖縄は日本国の一部でありながら、アメリカに支配されていた。しかし、このアメリカの沖縄支配は、国際法に反する、違法な軍事占領もしくは事実上の支配にすぎなかったのではないか。
 アメリカの支配下にあるとはいえ、沖縄にアメリカ合衆国憲法が適用されたわけでもない。沖縄は、「憲法番外地」だった。
 私が大学2年生のとき(1968年)、沖縄でついに主席公選制が実現し、屋良朝苗(革新)主席が誕生しました。そのとき感激を今も覚えています。もちろん、私は、そのころ沖縄に行ったことなんて、ありません。
 米軍は、住民のいなくなった土地を囲い込み、また住民を排除して、現在もある広大な米軍基地をつくりあげた。しかし、戦闘行為が終了したあとの土地取り上げは、財産権の保護を定めたヘーグ陸戦法規(条約)に違反する。
 1972年5月、沖縄は日本に復帰し、日本国憲法の適用を受けるようになった。私が司法修習生になった年のことです。それまでは、沖縄に行くには同じ日本なのに、パスポートが必要でしたし、公然たる共産党員は行けませんでした。
 日本政府は、1978年からアメリカ軍に対する「思いやり予算」をはじめた。はじめは62億円だったのが、2008年には2083億円にまでふくらんでいる。
基地で働く労働者の賃金や基地にかかる光熱費その他を、私たち日本国民の税金でまかなっているのです。沖縄にいる海兵隊は、イラクなどへの殴り込み部隊であって、日本防衛のための軍隊ではありません。それなのに、経費丸がかえなんて、とんでもないことです。
 アメリカ軍は、日本の領土内で活動しているにもかかわらず、日本の「法への支配」を受けないで活動しています。いわば「無法地帯」があるのです。
 アメリカ軍への不公平な優遇措置を定めた日米地位協定について、日本政府は一度も見直しをせず、アメリカの言いなりです。これでは、日本は完全な独立国家とは言えません。
 よく「押しつけ」憲法だという人がいますが、この不公平な現実には目をつぶって、何も文句を言いません。不思議なことです。
 アメリカ軍は、軍隊としても軍人個人としても、何ら法的責任を追及されることがない。
沖縄の弁護士と学者が共同執筆した本です。学生向けの教科書として使われることを意識した本だということもあって、大変わかりやすい内容になっています。
編者の一人である仲山忠克弁護士より贈呈していただきました。正月休みの人間ドッグのときにホテルで読みふけった本の一つです。人間ドッグは、積んどくになった分厚い本を滞貨一掃する絶好の機会なのです。ちなみに、昨年(2014年)に読了した単行本は602冊でした。それだけ、あちこちに出かけて移動時間が多かったということです。健康と経済状態に恵まれて出来たことですので、ありがたいことだと思っています。
 仲山先生、遅くなりましたが、いい本を贈呈いただきまして、お礼を申し上げます。
(2010年7月刊。2000円+税)

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