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羽生善治・闘う頭脳

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  羽生 善治 、 出版  文春ムック
 私は囲碁も将棋もやりませんし、出来ません。それでも、名人の話は聞いてみたいと思って読んでみました。さすが名人の語りには学ばされます。
スケジュール調整は半年先まで進めている。しかし、将棋の戦術的な面は、日進月歩、ほんの2週間くらいで更新されて進化していくので、数ヶ月先の大局をいま考えても仕方のないこと。
ええっ、そ、そうなんですか・・・。日進月歩とは、恐れ入りました。
 30年間、ずっと棋士を続けてきた理由は、将棋の全容を少しでも解明したいから。
 将棋の局面の可能性は、10の220乗通りもある。そのうち、この目で見ることができるのは、0.1%もない。
 将棋の戦術の「賞味期限」は、かなり短くなっている。昔のように独自の研究成果を秘密兵器として、ここ一番の大局にぶつけてやろうというやり方は、今では不可能に近い。
 「今日は長くなりそうだな」くらいの心持ちで、先のことを考えずに自然にたたかっていると、時間のたつのを忘れていて、気がつくと夜中になっていたということがある。時間を忘れるくらい、集中できていること。
先のことを思い悩まない、深く考えすぎないということが、将棋の場合、集中力を高めるために、とくに大切だ。
 勝負にミスはつきもの。そう覚悟して、ミスを少なくするように努力していくしかない。
局面を「読む力」は、若いころのほうがあった。しかし、「読まない力」「大局観」は経験を経るごとについてきている気がする。
 勝負を決めているのは、実は、知識でも頭の回転でもなく、最後は「負けたくない」と思う気合いや、努力しても勝ちに恵まれないときにも持ちこたえる根性といった、泥臭い能力が大きい。
 一回の大局で、水を2リットルくらい飲む。
 日本の将棋の今のルールは、江戸幕府ができたころに確定した。
 「持ち駒の再利用」というのは、世界のどこにも例をみない、日本の大発明。
 今のコンピュータ将棋は、人間の指す将棋とは明らかに異質。棋譜を見たら、人間が指しているのか、コンピュータが指しているのか、すぐに分かる。それは、将棋という一つの題材に対するアプローチの仕方がまったく違うから。
 すごいですね、さすがは名人ですね、コンピュータ将棋がどうかすぐに分かるだなんて・・・。
(2015年3月刊。1000円+税)
 お盆休み、久しぶりに大雨が降りました。庭の手入れができます。コチコチに固まっていた土を掘り起こします。午後、まだ陽は高く、熱中症にならないように用心しながら、なるべく深く掘り上げ、そこにコンポストの枯草や生ゴミ(EM菌をふりかけているので臭いはしません)を埋め込むのです。
 いつにもなく、ヒヨドリがすぐ身近にやってきて、うるさく鳴いています。目の前の枝に止まったヒヨドリは口にエサの虫をくわえています。スモークツリーの木をヒヨドリが2羽しきりに、甲高く鳴きかわしながら、ぐるぐる2羽ともまわっています。今ごろが交尾の時季なのかな。求愛ディスプレイなのだろうか。
 枯れ草投入をしばし中断し、椅子に腰かけて眺めていました。それでも、2羽のヒヨドリはうるさく鳴き、せわしく木の枝を縫うようにして飛びかっています。求愛ダンスには長すぎるな・・・。
 しびれを切らして穴掘り、枯れ草埋めを再開します。
 娘が庭に顔を出して、スモークツリーの木の上のほうにヒヨドリの巣があるのを発見しました。初めてのことです。たしかに、葉にかくれるようにして巣がありました。
 巣があるのに、ヒヨドリが騒いでいる。まさか・・・。

吾輩は猫画家である

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  南條 竹則 、 出版  集英社新書
 夏目漱石の「吾輩は猫である」は、この猫マンガを見て着想を得たと指摘されています。なーるほど、なるほど、と納得できました。
 イギリスのルイス・ウェインという猫画家について、その描いた猫の絵とともに紹介されている本です。
 夏目漱石がロンドンに留学したのは、1900年から1902年にかけてのこと。当時、イギリスではルイス・ウェインが人気絶頂で、その人間的でユーモラスな猫たちは、本や雑誌そして絵葉書にあふれかえっていた。
 猫たちが、人間そのものの動作をしていて、ついくすっと笑ってしまいそうになる楽しい絵のオンパレードです。
 絵は独立独歩を好むように見えながらも、その実、社会的な動物でもある。屋根の上だの原っぱだのに集まって、人知れず集会をしている。猫の夜の集会を撮った写真をのせた本を、このコーナーでも前に紹介しましたが、なんだか不気味な集まりです。
 ルイス・ウェインは、たくさんの猫の絵を描いたものの、絵を売るごとにその版権まで売り渡したため、膨大に増刷された絵葉書から、ほとんど収入を得ることができなかった。まったく利に疎かったのです。おかげで、老後は最貧の生活を余儀なくされていました。それを知った人々がカンパを募って、なんとか救われたようですが・・・。
 猫派の人にとっては、たまらない猫の絵尽くしの本です。
(2015年6月刊。1200円+税)

化け札

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  吉川 永青 、 出版  講談社
 真田昌幸を描いた小説です。面白く、一気に読み通しました。
 境目の者、敵との最前線にある者は向背勝手、つまり危うくなったら寝返りも致し方なしとみなされる。武士だけではない。百姓も自らの身を守るため、双方の勢力に年貢を半分ずつ納めることが認められていた。戦乱の世ならではの習いである。
 岩櫃や沼田は真田昌幸が武田勝頼から引き継いだ地である。その武田を見限って北条に擦り寄り、織田軍が兵を向けたと知るや、そちらになびいた。織田信玄が横死すると上杉に付き、上杉の苦境を知って北条に帰順する。そして、真田は徳川に鞍替えした。実に5度目の寝返りだ。
武田を見限って、北条、上杉、そして徳川、果ては豊臣に付き、付いては離れ、騙し化かしてきた。それでも兵や政は武田流を貫いている。
 軍においては無駄口をきかず、戦においては敵の出鼻をくじき、勢いありと見れば一気に叩く。
歌留多札には幽霊が描かれているものがある。化け札、鬼札、幽霊札、いろいろの呼び方がある。ほかの全ての札に変えて使える。相手を化かす札である。
 「ならば、この真田昌幸、化け札になってやる」
 巷間にそしられることを承知で、真田家のため、民百姓のために武田を見限るのだ。誰に分かってもらえずとも構わない。だが、本領の安堵のみ、生き残りのみに汲々とするのみでは終わらせない。
 北条が、織田が恐れる真田は、そこまで安くない。真田一族が、北条、上杉、武田、徳川、そして織田、秀吉という大勢力のなかでしぶとく生きのびていく様を見事に描いていて、読ませる本です。
(2015年5月刊。1850円+税)

正楽三代

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  新倉 典生 、 出版  インプレス
 寄席・紙切り百年というサブ・タイトルのついた本です。高座にかしこまって座っていながら、身体をゆっさゆっさ揺らしつつ、紙を動かしてはさみで器用に切っていく。紙切りは、本当に芸術だと見とれていました。
 この本は、初代、二代そして三代正楽の生きざまを刻明に追っています。
 高座で切り抜いたものを、その場で客に見せ、見せた瞬間に客をうならせるものでなければ、寄席芸にはならない。
 絵心はないほうがいい。紙切りは、見てすぐ分かるのがいい。一目見て分かるように切る。それが寄席の紙切り。
 短い時間で、いかに客を感嘆させる一枚を切り抜くか、いわば時間との勝負でもある。熟練の域に達したら、ひとつ切り抜くのに2~3分。客に見せた瞬間はもちろん、あとでじっくり鑑賞するのにも耐えてくれる作品に昇華させるのが理想的なのだ。
 上手く切ることよりも、客を喜ばせること、これは寄席芸の鉄則。寄席の紙切りは、高座に上がってから降りるまでが芸である。切った作品の良し悪しもさることながら、切っている姿も、また切った作品を客に見せる瞬間を演出するのも芸のうち。
 ちょっと身体を揺らすと、紙も揺れて、途中経過が分からなくなる。途中経過を見せないほうが、出来あがりを見たとき。客の感動は大きくなる。身体を揺らすと、躍動感が出る。
ふつうの人が紙を切るときは、ハサミの股の部分で切る。紙切りはもっと刃の先のほうで切る。ハサミのネジをゆるめて、刃の動きを自由にして、切るときの支点を刃先に近づけていく。紙との接点も刃先に近い。そして、その支点を微妙に変えながら、ハサミではなく、紙を動かすことで切っていく。いや、切れていく。
 初代の正楽は、ハサミを使うときに出来るタコが出来たが、しばらくして、すっかり消えてなくなった。ハサミを使うのに、力がいらなくなったからだろう。
線を引いてから切る癖をつけると、一人前の紙切り師にはなれない。
 世間が知っている世の中の物事を常に仕入れ、デザインを考え続け、高座で優雅に身体を揺らしながら、いとも簡単に注文にこたえる。しかし、その裏には、病気療養中でも、1日に30~40枚は切って勉強(練習)を欠かさなかった。そして、高座で失敗しないように、若いとき酒は飲まなかった。
 芸人の厳しさが、ひしひしと伝わってくる本でした。
(2015年4月刊。2100円+税)

なぜ書きつづけてきたか・・・

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  金 石範・金 時鐘 、 出版  平凡社ライブラリー
 済州島三・四事件について、その当事者でもある二人の文学者による真摯な対談集です。読みごたえがあります。
 1946年、北朝鮮では金日成が主導権を握った。そして、信託統治に賛成するのか反対するのか、意見が分かれた。これは、金日成と朴憲永との主導権争いでもあった。信託統治というのは、北朝鮮のさまざまな勢力のいわば民主的な妥協のもとで成り立つ「臨時政府」の樹立を目ざすわけなので、もしこの「臨時政府」が成立したとすれば、金日成は、その臨時政府の指導者のなかの単なる一人になってしまう。実際にも、当時のソ連は、金日成を朝鮮延滞の指導者というより、軍事指導者のあたりが適当だと考えていた。
 左派勢力のなかで、賛宅か反託かは、金日成と朴憲永の指導権争いの意味を持っていた。済州島の島内は、はっきり反託に固まっていた。アメリカとソ連という二代超大国が角突きあわせるなかで、アメリカ軍と民衆が限られた地域で衝突したのは済州島しかない。
「北」の改革がもう少しゆっくりした変革だったら、あれほど「共産主義」を嫌いにならずにすんだかもしれない。「北」の改革は、問答無用式に民族反逆者を処断し、土地を没収し、地主を追放してしまった。
 四・三事件が起きたのは1948年のこと。私が生まれた年のことです(私は12月生まれ)。4月の段階では、せいぜい長くて半年で終わると思っていた。本土からすぐにも援軍が来ると期待していた。南労党支部の軍事委員会が本土の国防警備隊とつながっていて、呼応した軍隊が反乱を起こして救援に来てくれるという説明がなされていた。
 たしかに軍隊の反乱は起きたのです。そして、例の朴正熙(元大統領)も、当時は南労党の軍事委員だったのです(危うく死刑になりそうになったのでした)。
 四・三蜂起のあと、4月28日には、武装蜂起隊のリーダーである金達三と第九連隊の金益烈連隊長とのあいだで和平合意が成立した。
組織というものは、動いているうちは強いけれど、ひとたび停滞して内部が割れ出すと、まったく無力になる。もっともおぞましくなって、誰も、みんなを信用できなくなる。
一人の赤色容疑者のために村をまるごと焼き尽くすという惨烈な殺戮が広まると、かえって「山部隊」に対する怨嗟も広まっていった。
四・三事件のとき殺戮した側のほとんどが、その後、個人的な栄達を手にして韓国社会での名士に成り変わった。そういう殺戮者が正義であるということは正さなければならない。
 四・三事件を平定した権力者たちは、誰が何と言おうと、殺戮者であることは間違いない。
今やカジノがあるので日本人にとっても有名な島である済州島で1948年に起きた悲惨な歴史的事実を、当事者の対談によって掘り起こした貴重な本です。
(2015年4月刊。1400円+税)

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