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愛猿奇縁

カテゴリー:生物

                               (霧山昴)
著者  村﨑 修二 、 出版  解放出版社
 猿回し復活の旅というタイトルのついた本です。猿回し芸の実際がよく分かります。
 猿は、着物を着るとか、烏帽子をかぶるのを大変いやがる。そうなんですね・・・。この本を読むまで、猿は平気でチャンチャンコを着ているとばかり思っていました。
 猿回しは室町時代に一般化し、戦国時代から爆発的に増えた。戦国時代に生活の手段としての「軍兵」をやっていた人々が、戦がなくなり、生まれた土地に帰れず仕事もないという中で、大量の流浪の民が生まれた。この流民たちが大道芸、放浪芸をするようになり、たくさんの河原者(かわらもの)が生まれた。
江戸時代、浅草には猿屋があって、猿を売っていた。
 猿の性格は、みんな違う。十人(猿)十色。
 「反省」のポーズをしている猿は、単に休憩しているだけ。それを口上で「反省」と解説してやっている。
猿飼の基本は、猿を健康にすること。まず首輪をつける。2,3日もしたら猿は首輪になれる。二番目に紐のたすきがけをする。
 猿が一番きついのは、しばられること。そうとうな恐怖を感じて、一日中うずくまって動かないし、オシッコもウンチもたれ流してしまう。
猿の要求は、外へ出て遊ぶこと。猿が小さければ小さいほど遊びたい。外に出て自由に遊びたかったら、たすきをかけてもらうしかない。じっとこらえて、タスキをかけてもらうまで待つようになる。タスキをかけたとたん、飛び出して、いさんで遊びまわる。
 猿が舞台で芸をするのは、外に出られて、皆にほめられ、あとではご褒美でおいしいものを食べられ、休める。猿は外へ出ると喜ぶ。それで、またオリに入りたがる。休めるから。
 ただ、ずっと家にいると旅に出たがる。旅が長くなると、猿は今度は帰りたがる。
 猿まわしは、使う人と仕込む人が分業化している。
猿は飼い主のもとで、衣・食・住のすべてに責任をもってもらって毎日を過ごす。猿は家族なのだ。細やかな芸や動作を仕込むときには、今の仕草のどこが悪かったのか、すぐに知らせてやる。あとではダメ。
 猿は、非常に恐怖心が強い。そして、好奇心が強く、すぐにほかに目が行ってしまう。
 猿が、「もう、あんたがおらんと、私は困る」と言う関係を、一年ほどかけてつくりあげる。
 罰には、当面なくしたいと思うときには効果があるけれど、永続性がない。罰を与えると、その場ではやらなくなる。でも、罰を与える者の目が聞かないところでは、かえってひどくなる。
 早く調教したほうがお金になる。しかし、長い目でみれば、本仕込みで、のんびりと猿と旅行したほうが、みんなから好かれるし、猿も長生きする。
 猿がゆっくり歩行するのは難しいこと。走るのは本能的に出来る。しかし、ゆっくり歩くためには随意性の筋肉をコントロールしなければいけない。
猿の子どもを親離れさせる前は、6ヶ月間、母親にしがみつかせる。とにかくしがみついていて、あの感覚を自分の皮膚できちんと感じるのが、猿にとって大切なことだ。
 猿は体温調節がすごく悪い。だから、猿を追っかけて15分以上というのはヤバイ。続けると、体温が上がりすぎて、ショック死してしまう。
 猿は気に入っていると、耳をかんでくれる。「あんた、好きだ」と・・・。話す代わりに、猿はかんで感情を伝える。
 猿のことがよく分かる本でした。
(2015年4月刊。1800円+税)

驚くべき乳幼児の心の世界

カテゴリー:ヨーロッパ

                              (霧山昴)
著者  ヴァスデヴィ・レディ 、 出版  ミネルヴァ書房
 人間の赤ちゃんを観察する学問があるのです。それによって、人間とは、どういう存在なのかを知ることができます。私は赤ちゃんが大好きです。生命(いのち)の輝きをみていると、心が浮き浮きしてきます。
 赤ちゃんは、生まれてすぐからよそ見している顔より、自分を直接見つめる顔を好んで見たがる。赤ちゃんは相手が反応しないと、苦痛に感じる。
 母親がうつ状態で、反応が乏しいと赤ちゃんも、より起伏のない感情を示し、ひっこみがちな状態になる。そのとき、赤ちゃんは「無力感」を学習している。
 赤ちゃんは、予期できないこと、驚くことを必要としている。すべてが予測できるのは、赤ちゃんにとって退屈なのである。
 赤ちゃんは、他者のフンイキや表現におけるちょっとした変化に非常に敏感である。
 人間の赤ちゃんは、生後9ヶ月から12ヶ月で、他者から注目されていることに気がつくようになる。
 問題のある環境で育てられた子どもは、日常生活で笑いがほとんどない。
 1歳未満でも、赤ちゃんは他者との非言語的交流のなかで、ものを隠したり、だましたり、人の気をそらしたり、何かのふりをしたりする。
 だましのコミュニケーションは、最初の、またすべてに先行するコミュニケーションであり、他のすべての社会的コミュニケーションと同様に、基本的に対話的な過程を通じてあらわれるはずのものである。
 「赤ちゃん学」の今日における到達点を知った気がしました。
(2015年4月刊。3800円+税)

革命前夜

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  須賀 しのぶ 、 出版  文芸春秋
 冷戦下のドイツが舞台です。
 いったい、誰を信用していいのか。誰は信頼できるのか、疑心暗鬼になってしまいます。主人公は、ドレスデンの音楽大学でピアノを学ぶ日本人留学生です。
 私は、久しくコンサートに行ったことはありませんし、自宅でクラシック音楽を聞くことも滅多にありませんので、バッハ平均律に深い思い入れをもつと紹介されても、さっぱり何のことやら分かりません。
 そこへ、ベトナムや北朝鮮からの留学生が登場し、ハンガリーからの留学生もいます。
 ヴァイオリン、オルガン、ピアノの奏者たちです。
 音楽のことは、正直いってよく分かりませんが、その雰囲気はよく描写されていると思います。なんとなく、オーケストラや室内音奏団のかなでる音楽を聞いている気分になってくるのが不思議です。
 でも、話のほうはシビアです。東ドイツが崩壊する前、ベルリンの壁が健在だったのに、それが、今にもこわれてしまいそうになっていく様子が小説としてよくとらえられています。
(2015年3月刊。1850円+税)

ライブ講義・集団的自衛権

カテゴリー:司法

                              (霧山昴)
著者  水島 朝穂 、 出版  岩波書店
 この6月4日に開かれた衆議院の憲法審査会で、憲法学者が三人そろって安保法制法案は憲法違反だと断言したので、自民・公明の安倍政権は言い訳に終始するようになりました。
 合憲だという憲法学者もたくさんいる、そう言って安倍政権が名前をあげたのは、わずかに3人のみ。しようもない、おじさんたちが登場しただけです。すると、今度は学者が決めるのではない、最高裁が判断するのだと逃げます。では、最高裁が議員定数の不均衡を是正しろと言ったとき、政府は従ったでしょうか・・・。多くの学者が憲法違反と断言し、最高裁の言うことには従わないという権力者は、あまりにも立憲主義を無視しすぎです。
著者の語りは、いつものことながら明快です。
市民には、素朴な「疑」の心を大切にして問い続けること、「偽装」を見抜く知恵と「技」を磨くことが求められている。「疑の技」でもっとも大切なことは、「忘れない」ということ。
 著者は、佐藤優や木村草太の主張は誤りだとしています。
この二人は、昨年7月1日の閣議決定は、個別的自衛権の範囲をこえるものではないとしているが、間違いだ。過小評価ないし、過度の楽観論である。
 ある武力行使が、個別的自衛権にあたるか集団的自衛権にあたるかは、二者択一の関係にあり、双方にあたるということはありえない。
 徴兵制について、安倍首相は、「憲法上ありえない」と断言している。しかし、この言葉は、どこまで信用できるものなのか?集団的自衛権の行使は憲法解釈上許されないとして来た自民党政府の見解を一変させてしまった安倍首相の言葉を信用することは出来ません。あのときとは社会環境が変わったから・・・、と言って変更するのは簡単なことです。
 いま、むしろ日本は北朝鮮を脅している。「平和ボケ」より「軍事中毒」のほうがはるかに有害なのだ。私も本当に、そのとおりだと思います。
 いま、韓国や中国に観光旅行に行く日本人が激減しているそうです。なんとなく「怖い」という気分があるからです。でも、韓国や中国からは大量の観光客が来ています。日本は平和な国だと思って信頼しきっているのです。このギャップを、私たち日本人は一刻も早く解消する必要があると思います。
 自民・公明の安倍政権が、つくり出した「なんとなく、韓国も、中国も怖い」という皮膚感覚を一掃すれば、今の安保法制法案は、すぐにも吹っとんでしまうと思います。そして、平和憲法の意義を高らかに全世界へ発信すべきなのです。
(2015年4月刊。1800円+税)

裁判に尊厳を懸ける

カテゴリー:司法

                                (霧山昴)
著者  大川 真郎 、 出版  日本評論社
 心が激しく揺さぶられる思いがしました。とてもいい本です。司法関係者には一人でも多く読んでもらいたいと思いました。
 冒頭で紹介される、和歌山大学生「公務執行妨害」事件は圧巻です。何より、書き出しがうまい。読ませます。判決宣告人言い渡そうとした裁判長が途中で言葉に詰まり、涙があふれ出したというのです。1976年11月25日午後6時すぎの和歌山地裁法廷での出来事です。
 この日、弁護人が午前1時から詳細に無罪弁論をし、被告人となった元大学生二人が最終意見陳述をした後のことです。よほど、裁判長は二人の言葉に心打たれたのでしょう。
 事件が発生したのは1966年(昭和41年)10月です。私がまだ高校3年生、受験勉強のラスト・スパートをかけていたころ、つまり、私が大学に入る前のことです。
 いったい二人は何をしたというのか。要するに何もしていないのです。
 夜中、3人の巡査が勤務時間外に上司の自宅で飲食し、酒に酔って帰宅しようとしていると、電柱に3人の学生が「ベトナム戦争反対」の張り紙をしているのを発見した。3人の巡査は、いきなり追いかけ、そのうちの学生1人をつかまえ、近くの派出所に連行した。すると、つかまった学生の釈放を求めて大勢の学生が集まってきた。その学生たちに向かって、一人の巡査が「アホンダラ」と叫んだため、学生たちは激しく抗議した。警察官もパトカーで応援に駆けつけ、巡査を救出して本署(和歌山西署)に逃げ帰ろうとしたあたりで、その場にいた学生二人が警察官に捕まった。この二人の学生は、日ごろからリーダーとして警察に目をつけられていたのだった。
学生二人は警察官たちから暴行を加えられた被害者なのに、逆に暴力を振るったとして、「公務執行妨害」罪で起訴された。
 それから裁判は10年かかった。なんということでしょう。わずか1時間ほどの出来事のために、警察官たちが口裏をあわせて嘘の証言をくり返したことから、無罪の立証に10年もの歳月を要したのです。証人は21人。
 著者は司法修習生として裁判を傍聴し、のちに弁護人となったのでした。
 二人の「被告人」の最終陳述は、胸をうつものがあります。自然に涙があふれ出てきます。
 「この10年間は、苦しみの10年間であったと同時に、友情と連帯というかけがえのない貴重なものを得た期間でもありました」
 このとき、年老いた母親、そして就学前の子どもたちを法廷に来てもらっていたそうです。これって、なかなか出来ることではありませんよね・・・。
 裁判長は、無罪を言い渡したあと、こう言った。
 「裁判所としても、裁判がこのように長くかかったことについては、被告人の諸君に対して、申し訳なく思っています。・・・これからの人生に向かって、どうか幸せな御家庭を築いてください」
 検察官は控訴せず、無罪は一審で確定した。捜査当局は、一言の謝罪もなしに、一つの事件を終了させた。
この二人は、今もお元気なのでしょうか。著者によって、久しく忘れられていた事件に光が当てられました。この二人が、必ずや今もお元気に活動しておられることと祈念します。
 7話からなる本の一話の紹介にスペースを割きすぎました。続く2話の杉山彬(あきら)弁護士の接見妨害事件のとりくみも驚嘆すべきものです。弁護人が面会切符をもらわないと被告人に自由に面会できないという、今では考えられない制限を受けていた当時の不屈のたたかいの記録です。ぜひ、今の若手弁護士にも知ってほしいと思います。
 著者の本は、単行本としては4冊目のようです。ますます文章も洗練され、読みやすくなっています。いろんな点で、私の見習うべき先輩として敬愛しています。今後、ますますの健筆を期待します。
(2015年6月刊。1700円+税)

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