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古代ローマの庶民たち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  ロバート・クナップ 、 出版  白水社
 ローマ帝国で庶民がどんな生活をしていたのかについて、多角的に明らかにした本です。
 なにより驚かされたのは、ローマの公衆浴場が、実は不潔だったという記述です。お風呂に入るというと、日本では、かけ流しの温泉のイメージで、清潔そのものというイメージです。ところが、マルクス・アウレリウスは、入浴の汚さを次のように記している。
入浴とは、油、胸の悪くなるような臭いのごみ、汚物まみれの水、吐き気がするようなものすべてある。
 なんだか恐ろしい浴場ですよね・・・。
何もかもが混ざった場が接触感染者を蔓延させていた。病気を治すはずの場から、人々は新しい病気をもらっていた。それでも、ローマにおいて浴場は、貴重な社交の場になっていた。日々の生活の根本的な部分だった。酒と女と浴場こそが人々の楽しみだ。
 ローマには正規の警察組織はなかった。ローマに住む人々にとって、窃盗は重大な関心ごとだった。あらゆる種類の物品が盗まれた。泥棒も多種多様だった。
ローマの女性は、法的な地位がなく、投票できず、高等教育からも排除されていた。
 結婚は、男中心の性質のものだったが、女性は積極的な伴侶だったし、背景に押し込められてはいなかった。
女性は3人か4人の子どもの母親になることで、完全な司法上の人格を獲得することができた。そして、財産の所有権や契約書・遺言状の作成ができた。嫁資をもつことで、結婚したあとで夫の支配力を和らげるのに役立った。
古代ローマだからといって、現代に生きる私たちとまったく別次元で生きていたわけではないということも、よく分かる本となっています。
(2015年6月刊。4800円+税)

イースター島を行く

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者  野村 哲也 、 出版  中公新書
 モアイのいるイースター島を隅々まで紹介している、楽しい本です。
 小さな島に1000体も石像があるそうです。洞窟もたくさんあり、夏至の日にだけ壁画を照らし出すサイトもあります。
 著者はイースター島に住んでみて、しかも、現地の人と親しくならなければたどり着けないような秘境にまで出かけています。幻想的な写真とともに紹介されています。
 モアイを宇宙人がつくったという説は信じられません。ポリネシアとかハワイの諸島から移住してきた人たちが墓や墓標として作りあげたものというのが有力です。
 日本で関ヶ原の戦いが起きた1600年ころ、イースター島内部では深刻な食料不足から島民が12の部族に分かれてモアイ倒し戦争を繰り広げた。そんな悲しい歴史があったのですね、、、。
 モアイには眼がはまっていた。その眼は黒曜石などでできていた。
 私はマチュピチュに行っていませんが、行きたい気持ちはあります。同じように、イースター島にも行ってみたいものです。宮崎の都井岬でしたか、和製のモアイ像があるのは・・・。仕方ありません。それでガマンすることにしましょう。
 イースター島の現地に行く人には欠かせない、絶好の手引書です。
(2015年6月刊。1000円+税)

太閣の巨いなる遺命

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  岩井 三四二 、 出版  講談社
 ときは戦国時代。江戸時代がまだ始まる前のこと。日本人は、東南アジアとの交易を盛んにしていたのです。タイのアユタヤに出かけていきます。
鹿皮はシャムの国の特産品。ほかには、染料のもとになる蘇木(そぼく)、高価な香料の沈香(じんこう)、象牙、絹などが買い付けられ、日本からは刀や塗り物、銅などが持ち込まれる。支払いに一番喜ばれるのは銀だ。
 日本で生み出される大量の銀が、アユタヤとの交易を回している。だから、銀を積んだ朱印船が年に何十艭も日本を出航し、アユタヤばかりでなく南洋の各地をめざして海を渡っている。南蛮船や明国の船も、日本の銀を求めて南洋各地と日本を往反(おうへん)している。
 アユタヤには日本町があり、1000人近くの日本人が住んでいる。チャオプラヤ川に沿って南北に5町、東西の幅が2町ほどの矩形の中にある。アユタヤ産の鹿皮は、革袴や革羽織、馬に乗るときにつける行膳(むかはぎ)、甲冑(かっちゅう)の飾りなどに使われ、日本の武士のあいだで人気が高い。少し前まで鹿皮はルソンから日本に持ち込まれるものが多かったが、いまはアユタヤが最大の産地である。
 イエズス会は、バテレンの元締めであるローマ教皇に忠誠を誓った熱心な信徒の集まりだ。いわば、ローマ教皇の直参馬廻り衆である。デウスの教えを世界に広めるために設立されたのだが、ポルトガルとイスパニアという世界に覇を唱えた強国の力を背景にし、信仰のためには、どんな危険な地域にも入り込む、忠実で優秀な人材を抱え、なおかつ軍勢のように上意下達の仕組みを持っている。
 イエズス会が現にやっていることは、神の教えを広めるという崇高な建前とは裏腹に、ずいぶんと世俗の塵にまみれている。南蛮人が行く先々で、その地の人々に神の福音を説き、人々を手なずけて南蛮船が着く湊をしつらえ、商人が交易できるよう手助けする。
 果ては、ゴアやマカオのように、他国の領土に南蛮人の居留地をつくってしまう。そして、宣教師たちも、当然のように商売をし、ぜいたくも蓄財もするのだ。
 宣教師たちは、京都など宣教に訪れた日本各地では清貧な暮らしをして見せていたが、おのれの領地である長崎では下僕を使い、ポルトガルから運んだ酒や食物を飲み食いするなど、贅沢な暮らしをしていた。
 宣教師になるのに必須であるラテンの言葉や教養を学ぶのは、資力に余裕のある家に生まれなければ出来ないこと。だから、宣教師たちは、もともと貴族か裕福な商人だった者ばかり。貴族だから、召使を身辺におき、贅沢するのは当たり前だと思っている。そこは、日本の位の高い坊主と変わらない。
 しかも、南蛮の貴族は武人の一面も兼ね備えている。戦いとなれば、馬に剰従卒をひきいて出陣する。イエズス会が長﨑を守ろうとして大筒鉄砲を持ち込んだのも、もともと武人でもあった宣教師たちの目からすれば、何の不思議もない。
 手に汗にぎる大海洋冒険小説です。著者のたくましい想像力によって海賊船とのたたかい、そして海上戦闘をしっかり堪能することができました。
(2015年7月刊。1800円+税)

日本とイスラームが出会うとき

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小林 明子   出版 現代書館
 
2014年現在、日本全国にあるモスクやムサッラーは80ヶ所。
ムサッラーは簡単な礼拝施設のこと。
日本のムスリム人口は10万人。
山梨県甲州市には、1万平方メートル(2700坪)のイスラム霊園がある。
日本人がイスラムへ改宗する理由の多くが結婚による。一般に、イスラームにおいて「棄教」は認められない。それは、刑罰では死刑になる。
日本自動車ユーザーユニオンで活躍していた安倍治夫弁護士(故人)が、日本イスラム教団の専務理事だったことを初めて知りました。
これまで日本にイスラームが広まらなかったのは、宗教的な感覚、あるいは価値観の違いが原因と思われる。イスラームは一神教の価値観で実践される宗教・文化であり、それは日本社会の習慣にあっていない。日本の宗教的伝統は、多神教的であり、非常にあいまいである。宗教の教義により社会や日常生活に厳密な規定があるイスラームとは根本的に異なっている。
イスラームでは、他の宗教のように「輪廻転生」(りんねてんしょう)を認めてはおらず、人間は楽園か火獄(かごく)のどちらかに行き、永遠の命を与えられる。だから、イスラムには、来世を楽園で過ごすために、現世でイスラームの教義に則した生活を送るよう努めることが求められる。
楽園は水と緑にあふれ、いくら飲んでも悪酔いしない酒を飲み、好きなだけ食べ物を食べることができる。火獄に行くと、業火(ごうか)によって永久にその身を焼かれることになる。
日本とイスラームとの関わりの現実と問題状況を知ることのできる本です。
(2015年6月刊。2600円+税)

満州難民

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  井上 卓弥 、 出版  幻冬舎
  いざというとき、国家は国民を助けず、冷酷に見捨ててしまう。
  そのことを証明しているのが、戦争末期の満州難民です。軍隊も国も、さっさと自分たちは列車に乗って日本に帰り、寄る辺なき大勢の日本人家族が満州の地に取り残されてしまいました。
  王道楽士をつくるという幻想にかられて満州へ移住していった日本人を、今の私たちが馬鹿な人々だと切り捨てるのは簡単ですが、それは日本の国策だったのです。その国策にしたがった人たちを日本の国家が見捨ててしまったのですから、国家指導者の責任は重いというべきです。
  いま、自民・公明の安倍政権は嘘八百を並べたてて戦争法案を強引に成立させようとしています。日本の自衛隊をアメリカと一緒になって地球の裏側まで派遣して海外での戦争に参加させようとする憲法違反の法案なのに、国民に対しては中国や北朝鮮の脅威をあおりたてて法案の必要性をことさら言いつのっています。マスコミでは桜井よし子が安倍政権の応援団です。こんなひどいウソを一国の首相が言い続けて、それをNHKなどのマスコミがそのまま垂れ流しているのです。許せません。
  主戦直後の8月9日、10日の2日間に、関東軍と軍属そしてその家族3万7000人が鉄道をフル稼働させて新京を発って南へ向かい、日本本土へ引き揚げていった。
  当時、満州在住の日本人は155万人いて、開拓移民は2割ほど。その3割近い8万人ほどが生命を失った。日本政府は、満州に住む日本人の一般住民(民間人)の日本本国への帰還について、きわめて冷淡だった。満州での日本人死者17万6000人のうち、開拓移民の犠牲者は8万人近かった。
  満州各都市における日本人死者は、終戦前に48万人の日本人人口をかかえた奉天が3万人で、一番多い。新京特別市は15万人の日本人人口が敗戦後は20万人にまでふくれあがり、うち2万7000人が亡くなった。
  ある子どもは亡くなる前に、「僕を穴のなかに埋めないでね」と言い残して息を引きとった。本当に可哀想です。何度読んでも涙が出てきます。
  終戦当時、朝鮮半島にいた日本人は、北緯38度線より北に30~40万人、南側に50~60万人。合計80~100万人。朝鮮北部にとめおかれた日本人は難民7万人をふくめて40万人。そして、1年間で3万4000人が亡くなった。その犠牲者の大半が子どもと女性。厳冬期のことだった。
  戦争の悲惨さを改めて実感させる本となっています。
  このような事態を引き起こした政府の責任は厳しく追及されるべきですし、いま再び安倍政権は同じ道に突きすすもうとしています。許せません。
(2015年5月刊。1900円+税)

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