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江戸日本の転換点

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  武井 弘一 、 NHK出版  
 銅銭を日本へ輸出していた明(中国)に日本から銀が輸入されるようになって、基準通貨が銭から銀へ移行しはじめ、銭の発行・流通が不安定となった。南米産の銀も明(中国)まで銀経済圏になってしまった。これにより、日本では銭の供給が途絶えて、銭不足となった。そこで、安定的に税を確保するため、米で年貢が納められるようになった。
加賀藩では、百姓は毎食でなくても、米を食べていた。百姓が食べていたのは、大唐米というインディカ型(長粒米)の赤米。赤米は、新田におりる稲作のパイオニアの役割を果たしていた。 
水田には一種類ではなく、バラエティに富んだ米が育てられていた。百姓は変わり種を選び、各地から新種を導入して試し植えをして、収穫量の多い、病気や虫害に強く、しかも味の良い米を求めた。
ため池は、田んぼに引き込む水が冷たすぎないように、水を溜めて温めていた。 
畦(あぜ)で育てられた豆を畦豆(あぜまめ)とよぶ。これで自家用の味噌がつくられるようになった。そもそも畦は、検地の対象外であった。
牛革は良質で加工がしやすい。馬皮は、強靱さや防水などの点で劣る。馬より牛のほうが、皮革の商品価値は高い。結果として乾田化で多くのウシが飼育されるようになって、西日本ではえたが増えた。
肥料は、農業生産力を向上させるだけではない、それを入手できるかどうかが、百姓の経済的な格差をもたらしたのだろう、、、?
江戸時代の米づくりの実情などについて、教えられるところがありました。差別用語は歴史的事実として引用していますので、ご容赦くだい。
(2015年4月刊。1400円+税)

軍艦島の生活

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  西山夘三記念すまい文庫 、 出版  創元社
 長崎の無人島、端島は軍艦島と呼ばれ、今では日本でも有数の知名度を誇っています。
 私は行ったことがありませんが、私の家族は行っています。軍艦島ツアーは、今や人気抜群なのです。今では完全な廃墟となっていて、無人島なわけですが、最盛時には、5000人もの人々が住み、小中学校、そして幼稚園、映画館などもあって炭鉱の島として栄えていたのでした。そこに住んでいた人は、当時をなつかしみ、パラダイスだったといいます。
 「何もかもあけっぴろげで、住民同士みんな思いやりがあり、おまけに住居費はタダ、光熱費も安く、賃金も悪くない。5年がんばれば炭鉱年金がつく。こんなに住みよい天国のようなところは他にない」
 本当にパラダイスだったのか・・・。この本は、疑問を呈し、写真とともに実情を明らかにしています。この島に住むと、外部との電話は「外勤詰所」の公衆電話しかなく、夫婦ゲンカをすると、その日のうちに会社に伝わる。完全な管理社会。会社による労働者の生活管理はズボラ休みを防ぎ、出稼率を上げ、島内の秩序を維持するため、徹底的に行われた。
坑内事故によって、215人の犠牲者も出ている。
水道、ガス、水洗便所、家電や家具の普及は早かった。
水問題は深刻であり、海が荒れると、島はまったく絶縁状態になる。
 水洗便所といっても海水を利用するので、十分に腐敗しないまま海に放流することになって、衛生上の問題があった。
部屋に風呂はなく、共同風呂だった。
 この本には、1952年と1970年に住宅調査に入った西山調査団による写真がたくさん紹介されていて、軍艦島での人々の生活の様子が生々しく再現されているのが最大の特色です。その意味で、本当に貴重な本だと思いました。
     (2015年6月刊。2500円+税)

エンタテイメントの作り方

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  貴志 祐介 、 出版  カドカワ
  小説の本質は妄想である。
  この言葉を読んで、のっけから、私はとても小説家になれそうにはないと腰が引けてしまいました。いえ、私が妄想しないというのではありません。しかし、すぐに現実論が妄想を追い払ってしまうのです。
  いかに詳細に説得力をもって妄想できるかが、勝負の分かれ目なのだ。そして、どこまでオリジナリティのある、つまり異様な妄想を紡(つむ)げるのかが重要なのである。
  うひゃあ、ここまで言われたら、モノカキ思考の私としても新たな壁に挑戦せざるをえません。難しいですが、がんばります。
小説のアイデアというものは、じっと待っていれば天啓のように降ってくるものではない。アイデアの種を拾い上げるためには、こまめにメモを取ること。アイデアらしきものが脳裏をよぎったら、すかさずメモして、ストックしておく。常にメモを携帯することは欠かせない。
  アイデアメモが、着想を掌中に引き込むための第一の役割を果たす。
 アイデアは、一瞬のひらめきのことが多い。浮かんだら、そのつどメモしてつなぎとめておくことが重要。忘却とのたたかいだ。そして、なるべく早くアイデアノートに整理する。面倒くさがらすにこまめにメモを取り、それをアイデアノートに昇格させていくことを習慣化する。
  実は、私も長年これを実践しています。トイレの中にこそメモ用紙は置いていませんが、寝室のそばに、また車中にメモ用紙と太ペンを常時おいています。寝ているときに浮かんだアイデアは、起き上がって明かりをつけてメモします。車中では、交差点で停まったときに素早くメモしています。いいアイデアが生まれたと思ったとき、かえってスムースに車が流れてメモができず、そのうち忘れることがあります。そうならないため、走行中でも、脇見運転にならないように注意しつつ、太ペンでメモに殴り書きします。このときのメモ用紙はカレンダーの裏紙を使います。ちょうどよい固さなのです。
想像力を膨らませる思考訓練をする。日常生活によくあるフツーの出来事を「ひとひねり」してみるのだ。アイデアには、熟成期間が必要だ。
想像力をめぐらせて、現実にはありえない世界をつくり出していく。これこそが小説の大きな醍醐味と言える。
 ジャンルやメディアを問わず、多くの作品(前例)に触れておくことは、クリエイティブを志す人間にとって大切なこと。いつか必ず血となり、肉となる。
 私が書評として、こうやって毎日一冊の本を紹介しているのも、いつかきっと私の小説(ベストセラーを目ざしています)の血となり肉となる、こう信じてのことなのです。
 すべての判断基準は、面白いかどうか、なのである。
これまでの私には、この観点がまったく欠けていました。自分として訴えたいこと、そればかりが先行していて、読み手の身になっていなかったのです。それで、いま挑戦中の小説には「面白味」を最大限もり込みたいのですが、日々の生活が面白味に欠けると、それもまた困難です。
 実在の舞台をつかうときには、できるだけ現地をつぶさに、足で歩くように心がける。すると現場にしか存在しない、無形の情報が価値を持ってくる。取材はディテールを深めるために有効な手段だが、知ったことをすべて使わないのも鉄則だ。
 キャラクターの名前は、意外に重要だ。主人公には、現実離れしない程度に「華」のある名前をつけたい。
 私も、小説の登場人物のネーミングには、それなりに気を使っています。
主人公は、読み手がごく自然にその心中を想像できる人物でなければならない。読者の感情移入を促すためには、読者に近い立場のキャラクター設定するのが有効。
 一行目の書き出しがスムースに口火をきれるかどうかは、自分自身がどれだけその世界に入り込めているかにかかっている。
 文章における読みやすさとは、万人にとってストレスなく読み進められるものであることが第一条件である。
 文章におけるスピードとは、各スピードではなく、あくまでも読むスピードだ。
 やたら漢字を使いすぎると、読む人に過度のストレスを感じさせてしまう。
モノカキをモットーとしている私にとっては頂門の一針という点が多々ありましたが、小説家を目ざす人にとって必読文献だと思った本です。
(2015年8月刊。1400円+税)

ある反戦ベトナム帰還兵の回想

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 W.D.エアハート   出版 刀水書房
 
私と同世代(団塊世代)のアメリカ人の相当部分はベトナムの戦場へ送られ、死んだり負傷したり、また心に深い傷を負って帰国しました。
著者もその一人です。なんとか生きて帰り、大学に入ったのですが、あまりに過酷な戦場体験がときとして暴発してしまい、恋人から逃げられるのです。
詩人でもある著者による、小説のような体験記です。
電車の行き帰りと裁判の待ち時間をつかって、一日で一気に読了しました。ずしんと重たい読後感のある本です。
アメリカ兵が長くいればいるほど、ベトコン(ベトナム人のアカ)が増える。年々、ベトコンは強くなる。アメリカ軍のおかげだ。アメリカ人は、戦車やジェット機、ヘリやらを、その傲慢さと一緒に持ち込んでくる。そのおかげでベトコンは、まるで田んぼに新しく米が育つように成長していく。
オハイオ州兵がケント州立大学の学生6人に発砲した。それで4人が死んだ。
地球の反対側にアメリカの青年を送り込んで死なせるだけでは終わらなかった。アジア人と戦わせるだけではすまなかった。今度はアメリカの兵隊たちを、アメリカの子どもたちにまで向けてきたのだ。そのとき、オレは悟った。今こそ、長くかかったが、言い訳やプライド、むなしい幻想を捨て去るべきときだ。
3年近くものあいだ避けてきた、厳しい、冷酷な、このうえない苦い真実を直視すべきときだ。この戦争(ベトナム戦争)は、恐ろしいほどに間違っている。オレの愛する国は、そのために死にかけているのだ。オレは自分の国に死んでほしくはなかった。
オレは何かをしなければならなかった。戦争を今こそ止めるべきだ。そして、オレがそれをすべきなのだ。
ダニエル・エルズバーグによって「国防総省白書」(ペンタゴン・ペーパーズ)が暴露され、著者もそれを読んだ。
間違い?ベトナムが間違いだって?冗談じゃない。調子のいい二枚舌の権力者たちが、力ずくでこの世界を造り替えるための、計算ずくの企みだったのだ。アメリカの支配者層は邪魔なものは何であろうと破壊してもいいとする道徳心をもった偽善的犯罪者集団なのだ。三つ揃いと、いくつもの星のついた軍服の冷血な殺人者の嘘つきどもだ。彼らは、毎年毎年、善良な家庭の子どもたちを、コメづくり農家と漁師の国(ベトナム)を相手として戦わせるために送り込んだ。 
その間、自分たち自身は、上等な真白い陶器の皿で、うまいものを食っていたんだ。農民も漁民も、外国人(アメリカ人)から自分たちの国を解放しようとしていただけだった。生きるために穀物を育て、魚を獲ることだけを願っていたのだ。ベトナムに行く前に、そのことを知ってさえいたら、、、。
オレはバカだった。無知で、お人好しだった。ペテン師、そんな奴らのために、オレは殺人者になってしまった。そんな奴らのために、おのれの名誉、自尊心、人間性まで失ってしまった。
そんな奴らのために、オレは自分の生命まで投げ出そうとしていたのだ。
奴らにとって、オレはほんの借り物の銃、殺し屋、手下、使い捨ての道具、数のうちにも入らない屑でしかなかった。真実がこれほど醜悪だとは想像さえできなかった。
ベトナムなんて氷山の一角でしかなかった。アメリカは、自由、正義、民主主義と言ってはきたものの、誰にも何もしてこなかった。アメリカが望んだのは、こちらの望みどおりの条件でビジネスを展開する自由だった。つかみとれるだけの大きなパイの分け前だった。それは、共産主義も社会主義も、それ以外のどんな主義とも関係ない。
戦友たちが次々に死に、傷ついていくなかで、生きて帰ったものの、深く心に傷ついていた著者がベトナム反戦運動に参加するに至る過程は、実に痛々しいものがあります。
いま、日本はアメリカの言いなりになって自衛隊を海外の戦場に送り出そうとしています。それこそ、日本の政財界のためです。金もうけのためです。日本を守るためという名の下で、汚い金もうけを企んでいるのです。
アベ首相のすすめている戦争法の危険な本質をよく理解できる本でもあります。
(2015年5月刊。3500円+税)
 

骨が語る日本人の歴史

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 片山 一道   出版 ちくま新書
 
日本人とは何者なのか。アイヌ民族と同じように、琉球民族というものが存在するのか、、、。
骨考古学の知見から日本人を解明した、画期的な新書です。
現代日本人は、身体特徴に限ってみても、日本人の歴史のなかでは突飛すぎる存在である。背が異常に高く、顔が小さく、顎(あご)が細く、脚が長く、足が大きい。これは、日本列島の人々の歴史においてはすばらしいのだが、それも、ここ70年ばかりの現象でしかない。
では、江戸時代の日本人は、どんな身体をしていたのか、、、。男性の身長は166~149センチ。女性は152~136センチ。江戸時代の日本人の背丈の低さは記録的だった。
大顔で、大頭、長頭、寸詰まりの丸顔の人が多かった。
江戸時代の人々は、鉛汚染による健康被害に悩んでいた。鉛白粉(おしろい)によるもの。そして、虫歯が多く、梅毒も流行していた。
乳児の死亡率は14%と高いけれど、55歳にまで達していたら、70歳までの寿命があった。
明石原人、高森原人、葛生原人、牛川人。いずれも、今では虚像とされている。
沖縄本島で発見された港川人は、琉球諸島に限定された人々と考えられている。
日本列島に住んでいた縄文人の起源を東南アジア方面に限定する説は、もはや了解事項ではない。
縄文人は、骨格が全体に骨太で、頑丈である。頭骨は、さながら鬼瓦の風情である。
縄文人は、短軀、下半身型でがっしりとした体型、大顔で大頭のユニークな顔立ち。豆タンク型だ。縄文人は、鼻と顎が特徴的。平均身長は、男性158センチ、女性147センチ。
日本人の歴史における平均身長は、男性で160センチ内外だった。縄文人の歯には、抜歯と研歯の風習があった。
縄文時代は1万年と長い。それに比して、弥生時代は700年ほどと短い。
弥生時代よりも、次の古墳時代のほうが、多く存在したのかもしれない。
日本人の歴史では、古墳時代のころまでは「中頭型」だった。鎌倉時代から江戸時代にかけて「長頭型」が多くなる。そして、明治以降、だんだん短頭化し、戦後は、「過短頭型」の人が大半を占めるようになっている。
日本列島に、北から西から少数の人々が流れて来た。それらの人間が長い時間をかけて風土マッチしながら、練金術師がブレンド・ウィスキーを溶けあわせるように混合融合し、独特の身体特徴をした縄文人が生まれていった。
弥生時代には、朝鮮半島を平穏な海路が開けていた。だから、多くの人々が行き来していた。いつも渡来人はいたし、中世の倭寇のころまで、渡来人はいただろう。
縄文人が雲散霧消して、弥生時代の渡来人に総入れ替えしたというものではない。
琉球諸島に住む人々は、文化基盤は違うものの、身体特徴は本州域の日本人と大差ない。言語は、日本語の流れにある。アイヌとは、事情を異にしている。
日本人を骨考古学の立場から、じっくり観察していますので、納得できる内容になっています。
(2015年7月刊。820円+税)
 

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