法律相談センター検索 弁護士検索

カジノ幻想

カテゴリー:社会

                (霧山昴)
著者  鳥畑 与一 、 出版  ベスト新書
 世界一のパチンコ普及率であり、ギャンブル依存症が蔓延している日本へ、今度はカジノ産業を誘致して日本経済を復興させようという人たちがいます。カジノ法案を推進する議員連盟の多くは、安保法制法案、つまり戦争法案を推進する人たちでもあります。
 要するに、金もうけが出来れば、自分さえよければ、他人がどんなに不幸になろうとも、社会不安がひどくなっても、そんなことは知ったことじゃないという我利我利妄者の連中です。悲しくなります。
 アメリカでは、カジノは典型的な「略奪的ギャンブル」と言われ、ビンゴや宝くじといったギャンブルに比べても、ギャンブル依存症に誘導する危険性は非常に高い。
 カジノは、大金を得る快感と失う喪失感を交互に味わわせることで、脳内に物理的依存症と同じ状態をつくり出す。
 イギリスでは、カジノは長く会員制が原則だったし、カジノに認められるテーブルの数やスロットマシンの数は、きびしく規制されていた。ところが、IR型カジノは高収益の確保を必須とするので、このような規制は考えられない。
 カジノは、客がほとんど負けて終わるように商品設計されたギャンブルを提供するビジネスである。地方都市にカジノが出来たら、その客はほとんど国内顧客で占められることになる。
 すでにアジア市場でカジノは飽和化がすすんでいる。したがって、中国北部のギャンブラーが韓国・台湾を飛び越して大挙押し寄せるというのは、ほとんど期待できない。
 結局、日本にカジノが出来たら、そのほとんどは国内客だのみにならざるをえない。
 カジノ・ギャンブルは、客が負けるほど収益が増大するビジネスである。それは、地域の経済を衰退させ、ほとんどの客を負けに追い込むことで顧客を貧しくするビジネスなのだ。
 そのうえ、ギャンブル依存症という病を中心に、大きな社会的犠牲とコストを地域社会に押しつけるものである。
 現代のスロットマシンは、コンピュータプログラムで、長くプレイするほどカジノ側がもうけ、顧客側は必ず負けるように設計されている。いま、アメリカのギャンブル収益の80%以上はスロットマシンからである。
カジノにおける「もうける力」とは、より多くの顧客を負けさせる力のことである。
 カジノの「もうける力」の追求とカジノの厳格な規制は相反する。
 日本をこれ以上ギャンブル依存症患者の多い国にしてはいけません。日本にカジノはいりません。
(2015年4月刊。840円+税)

アメリカの法曹倫理

カテゴリー:アメリカ

                               (霧山昴)
著者  ロナルド・D・ロタンダ 、 出版  彩流社
 Eメールなどのインターネット社会において弁護士の守るべき法曹倫理が新しく追加された第4版が翻訳・出版されました。
 アメリカの弁護士にとって守るべき倫理のほとんどは日本の弁護士にとっても同じく共通するものです。最新の社会環境に照応する法曹倫理として、日本人弁護士にとっても大いに参考にすべきものだと思います。
 依頼者が弁護士の職務怠慢を訴えるとき、真に意味するのは、弁護士が依頼者と十分にコミュニケーションをとっていなかったというところにある。もしも弁護士が依頼者に常時情報を伝えていたならば、依頼者は無為な遅延ではなかったことを知ったであろう。にもかかわらず、弁護士が正当な理由もなく依頼者に情報提供しないまま放置するとき、それは弁護士に対して依頼者とのコミュニケーションを要請する倫理規則に反することになる。
 ここで指摘されているように、弁護士は依頼者へきめこまかな情報伝達(連絡)を欠かすことは許されません。
弁護士は、「弁護士と依頼者との間のコミュニケーションを、それが王冠ではないにせよ、宝石のように扱わなければならない」。
 FAXやEメールの誤送信についても論じられています。
 Eメールは、考えようによっては、封書のような安全性はない。専門知識のある人なら、Eメールをのぞくことができる。それでも、弁護士が依頼者とのやりとりについて、暗号化されていないEメールを使うことは許されているというのが、多くの倫理的見解である。
 「やかましい辞任」という概念があることを認識しました。悪事をたくらむ依頼者に対して弁護士がいかに対処すべきという問題です。
 弁護士は、その通知が依頼者の不正行為への渓谷になる可能性があろうとも、やかましい(Noisy)「辞任通知」を送付することができる。
 依頼者は、弁護士がやかましい辞任することに先立ち、弁護士を解任することによって、それを防げることは許されない。
 「ホットポテト法則」という面白い名前のついたドクトリンがあります。
 もし、ある法律事務所が、同時に敵対する二人の依頼者を別々の訴訟で代理していることに気がついたとき、「ホットポテト」から手を離すように、一方の当事者を軽んじて厄介払いをしたり、新規の依頼者を旧来の依頼者と入れ替えようとしてはならない。
 法律事務所は、依頼者を熱いジャガイモを放り投げるがごとく扱ってはならない。ましてや金銭的に大幅な利益増になる理由をもって依頼者を選択するなど、論外である。
弁護士は、さまざまな業務を秘書、事務員、弁護士補助職員(パラリーガル)にまかせることができる。そして、その弁護士が、かれらの仕事を監督し、最終的な責任をとる限りにおいて、それは無資格法律事務とはならない。
弁護士は、事務所を訪れる依頼者が、いかなる依頼者であれ、受け入れることを要求されるものではない。しかし、不当な理由によって事件の依頼を拒絶するのは適切でない。法律サービスが完全にいきわたるという目標を達成するためには、弁護士は与えられた任務を軽々しく断ってはならない。たとえ、その仕事が弁護士にとって魅力のないものであっても、同じである。
昨今の法律事務所への入所は、現代の結婚に似ている。つまり、終生の契りといえるものは、ほとんどなくなってしまっている。元の法律事務所から、ビジネスを手に入れて成功すると、事務所を去る弁護士がいるという事実は、この新たな現実を反映している。
 依頼者のほうでも、担当していた弁護士についていきたいと思う場合がある。依頼者は商品ではない、だから依頼者は、弁護士が法律事務所を替えれば、その弁護士についていく権利がある。そこには、無視できない言論の自由の問題が横たわっている。
 アメリカでは、弁護士について、直接の電話または対面式勧誘に加えて「リアルタイムの電子的接触」も禁じている。チャットルームに弁護士が参加するのは完全に自由ということはない。
 アメリカの弁護士(法曹)倫理は、一歩遅れてインターネット社会になっている日本人弁護士にとっても大いに参考になることを実感させられる本です。
 沖縄で、今も元気に大活躍している、敬愛する当山尚幸弁護士から贈呈を受けました。当山弁護士自身も前の第3版から翻訳に関わっていますが、本当に頭が下がります。ありがとうございました。ひき続きのご健闘を心より祈念します。
(2015年4月刊。3500円+税)

先生、洞窟でコウモリとマナグマが同居しています

カテゴリー:生物

                                (霧山昴)
著者  小林 朋道 、 出版  築地書館
 なんと、この先生シリーズも9冊目です。第1刷は2007年3月に出た『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます』でした。それからの8冊は、このコーナーで全部を紹介させていただきました。
 鳥取環境大学の教授がキャンパスの内外での自然観察を軽妙なタッチで面白く紹介しています。この大学にはヤギ部があります。今や7頭ものヤギが飼われていますので、世話をする学生は大変だろうと推察します。
 ちなみに、ヤギは1歳で成熟し、メスなら子どもを産めるそうです。
 ヤギが出産した状況は、なるほど、人間とはまるで違います。ヤギの赤ちゃんはうまれて1日か2日は母乳を吸わないで生きているようなのです。ええっ、そ、そうなの・・・。おどろきました。そして、赤ちゃんヤギには乳母が登場します。なんと、出産していないのに、乳母のヤギに乳が出るようになるというのです。本当に不思議な現象です。
 先生は、洞窟探検に出かけます。勇気がありますね。私なんか、とてもダメです。お化けが出てきたら、どうしますか・・・。そして、ヘビがいたら、どうするのでしょう。実際、洞窟内には、とぐろをまいたアオダイショウがいました。うひゃあ、こ、怖い・・・。
 そして、洞窟内にいるコウモリを種別に観察するのです。コウモリの顔って、はっきり言ってグロテスクですよね。よくよく見たら、案外、可愛いのかもしれませんが、あまり好きになれそうもありません。
 私が小学校の低学年のころは、なぜかコウモリが夕方になると、家のまわりを何匹も低空飛行していました。長い物干し竿をもって、コウモリをはたき落として遊んでいました。今思えば無用の殺生の典型ですが、子どもの私にとっては単なる面白い遊びの一つでしかありませんでした。
コウモリは、犬のような格好で水を飲む。
 コウモリは、紙にしがみつき、引きちぎり、紙を食べる。
 「先生」は、ヘビは何ともないのです。平気です。ところが、なんとヘビに比べようもない無害そのものの大ミミズが怖いというのです。なんという逆転現象でしょうか。信じられません。
 サルには、ヘビだけに特別強く反応する神経が見つかっている。人の脳も同じような神経を指定する遺伝子があるのではないか・・・。私も、きっとあると確信しています。だって、本能的反応なのですから・・・。
 いつものように写真がたっぷりありますので、生きものたちの自然な姿がよく見え、素直な文章によって理解が深まります。
 「先生」のますますのご健筆を祈念します。
(2015年6月刊。1600円+税)

平城京の住宅事情

カテゴリー:日本史

                              (霧山昴)
著者  近江 俊秀 、 出版  吉川弘文館
 奈良の平城宮跡に立ったことがあります。もう20年ほど前のことになりますが、広大な平地が広がっていました。
 ここが長屋王邸跡という表示も、町なかに見かけたような気がします。そこから大量の木簡が出てきたのでした。
 平城京に住んでいた役人たちは、律令の規定に従って、正一位から少初位まで30に分けられた位階に与えられ、それぞれの役所に勤務していた。
 平城京に住む人の数は5万人から20万人まで、推定の幅は広い。
 木簡に見える役所は、大蔵省とか宮内省とか、現代日本でもついこのあいだまであったものもあります。
 平城京の宅地の3分の1強(37%)が役人に与えられていた。
奈良時代、妻も相続できる場合があった。夫が既に死亡していて、男の子がおらず、死別後も婚家にとどまっているときには妻の相続が認められていた。
 結婚したとき、当然に夫婦の財産の共有にはならなかった。結婚しても、夫の財産は夫個人のもの、妻も妻個人の財産が認められた。その子が相続することによって初めて一つの財産として扱われた。
 財産には、個人の財産とウジの財産の二者があった。個人財産は処分できるが、ウジの財産は管理者であっても勝手に処分はできなかった。
平城京の宅地は、一般的に自由に売買できた。つまり、当時の土地取引は、純然たる売買ではなく、今の借地に近いものだった。
 そして、建物は不動産ではなく、動産として考えられていた。
 平城京での当時の人々の生活の一端を知ることができました。
(2015年3月刊。1700円+税)

銀幕の村

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  西田 真一郎 、 出版  作品社
 フランス映画は、フランス語を長らく勉強している身として、つとめてみるようにしています。もちろん、みたいと思っても見逃してしまう映画も多くて、残念に思うのが、しばしばなのです。
 この本は、フランス映画の舞台となった田舎町(村)を探し歩いた体験記です。私が行ったことのある映画の舞台も登場しています。2000年公開のアメリカ映画「ショコラ」です。この映画の舞台は、ブルゴーニュの山間にあるフラヴィーニ・シュル・オズランです。私はディジョンから観光タクシーに乗って行き、映画に出てくる古ぼけた教会にたどり着きました。そのすぐ近くにあるレストランで美味しい昼食をとり、少し離れたカフェで赤ワインを一杯のんだのでした。至福のひとときでした。
そして、「プロヴァンス物語・マルセイユの夏」に登場してくるプロヴァンスです。
 私は、エクサン・プロヴァンスに4週間いて、外国人向けのフランス語集中夏期講座を受講したことがあります。「独身」を謳歌したのです。40代前半だったと思います。本当にいい思い出となりました。そして、このエクサン・プロヴァンスには還暦前旅行と称して、それから20年たった59歳のとき妻と2人で再訪し、妻への罪滅ぼしをしました。
 私より一まわり以上年長の著者は、永年、国語科の高校教師をつとめたあと、フランス各地に徒歩の旅を続けているとのこと。なかなか真似できないことです。
フランス映画に関心のある人にはおすすめのオタク本です。
(2015年2月刊。1800円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.