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水中考古学

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  井上 たかひこ 、 出版  中公新書
  海底に人類の遺産が、こんなにたくさん眠っているのですね・・・。
エジプトのツタンカーメン王への積荷が海底に沈んでいた。硬い木材である黒檀(こくたん)は、エリート階級のためのもので、象牙のように加工されていた。そして象牙の代用品としてカバの歯が使われていた。
蒙古襲来のときの元寇船の遺物として、「てつはう」が発見された。直径15センチの陶器で出来ている。中には、火薬や石つぶてが詰められた。そして、厚さ1センチほどの小さな鉄片が詰まったものが発見されており、殺傷能力の高い散弾式武器でもあった。
「てつはう」のサイズは、15センチ、重さ2キロなので、人力ではなく、投石機を使って炸裂させていたはず。
タイタニック号が沈んだのは、氷山が船体に突をあけた結果ではない。氷点下で鉄板がもろくなり、衝突のショックで鋼板がはがれたから。船は二つに折れて、海中に没した。
海底に沈んだ遺物を引き揚げても、そのまま空中に放置しておくと、ボロボロになってしまうようです。塩気を抜いたり、何かと大変なんですね。でも、その苦労と工夫のおかげで私たちは居ながらにしてこんなことを知ることができるわけです。
(2015年10月刊。800円+税)

誰が「橋下徹」をつくったか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 松本 創 、 出版  140B
 私からすると、ウソ八百の政治家であり、同じ弁護士なんて言ってほしくありません。ところが、大阪では依然として高い人気があるというのですから、世の中は不思議です。
 まあ、憲法無視のアベの支持率が5割前後をキープしているのと同じ現象なのでしょうね。要するに、共通点は、今の政治に不満はあるけれど、誰かが良い方向にひっぱっていってくれるだろうという「他力本願」なのです。でも、自分が出来ることをしなくて世の中が良くなるはずはありません。
この本は、作られた「橋下」人気を懺悔をしながら解明しています。
「大阪維新の会」の動きや政策は、橋下徹が着火源の種火(たねび)だとすれば、松井一郎は、おが屑のような役割を果たす。つまり、松井は党内調整や他党との交渉を仕切って火を広げる役回りだ。そこへ空気を送り、さらに燃え広がらせるのが、マスメディア、主として大阪の新聞とテレビだ。
橋下徹は、詭弁と多弁で煙に巻き、自らの責任は決して認めず、他者を攻撃することでしか主張できない。これにマスコミの記者たちは、うんざりし、そして丸め込まれる。 
橋下は自分たちの側の問題は何ひとつ省みないまま、メディアが悪い、反対した他党が悪いとしか言わない。
 若い記者は橋下の多弁・能弁に圧倒される。会見の言葉をパソコンで書き留めることを聞きとりテキストを縮めて「トリテキ」と呼ぶが、そのトリテキ作業で手一杯になってしまう。
 話も長いし、トリテキをつくるのに精一杯で、記者は考えている時間がない。これでは困りますよね・・・。マスコミも流されないようにしてほしいものです。
ポピュリズムの核心は「否定の政治」にある。既存の権力を敵とみなし、「人々」の側に立って勧善懲悪的にふるまう。ポピュリストは、いつも素人っぽさや庶民感覚を売りものにする。  
橋下への「囲み取材」は、完全に橋下に支配されている。それは「取材」ではなく、ありがたく橋下のお言葉を聞く「放談会」になっている。
マスメディア以上にマスメディア的手法を心得て巧妙に使いこなすテレビ育ちのタレント政治家に記者たちは、すっかり足下をみられている。
橋下は、新聞の単独取材をほとんど受けない。その反対に、勝手知ったるテレビの情報番組やニュースショー的なものには頻繁に、しばしば生放送で出演している。
橋下は、「今」「この場」にしか生きていない。そんな橋下のペースに乗っていては、いつまでも橋下の術中から逃れることは出来ない。
橋下は難しい質問も口先で難なくかわし、うんざりするほど過剰な多弁で煙に巻く。
論点を瞬時にずらし、話をすり替え、逆質問に転じ、責任をほかへ転嫁してともかく「自分は悪くない」「議論に負けていない」ことだけを示す。その反射神経とテクニックは恐るべきものがある。ここぞというときには、大勢の報道陣やカメラの前で特定の記者を口汚く罵り、吊るしあげる。そうやって、この場を支配しているのは自分だと見せつけ、恫喝する。
ホント、橋下もアベも嫌な奴ですね。こんな政治屋をマスコミが天まで持ち上げるなんて、マスコミの自殺ですよね・・・。
                           (2015年12月刊。1400円+税)

ゆびさきの宇宙

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  生井 久美子 、 出版  岩波現代文庫
  盲ろうの東大教授・福島智氏の生きざまを紹介している本です。
目が見えず、耳も聞こえない。3歳で目に異常が見つかり、4歳で右眼を摘出。9歳で左の視力も失う。14歳のとき右耳が聞こえなくなり、18歳ですべての音が奪われた。
無音漆黒の世界にたった一人。そこから救い出したのが、母の考案した「指点字」と「指点字通訳」の実践だった。恐るべしは母の愛、ですね。
盲ろう者は、黙殺され、抹殺されてきた。
盲ろうは、感覚器における全身性障害。コミュニケーションや移動に全介助が必要になる。盲ろう者は、内部の戦場体験をしている。それは、たった今も・・・。
自殺を考えたことはない。あわてなくても、いずれ、みんな死ぬのだから・・・。
盲学校の先生はこう言った。「おまえたちは、どういう位置にいるかを勉強しておいたほうがいい。社会に出ると、『見えない人間』とひとくくりにされて生きていかなければならないのだ」
盲ろうになった当初は、だれかと話していないと不安だった。沈黙は拷問だ。指を重ねて話していた。
「うるさすぎて、眠れない」。指点字は、触覚言語だ。指先など皮膚からの情報でコミュニケーションをするが、それが全身からだと、うるさすぎる。つまり、抱きしめられると、うるさすぎるということ。
いま、大学が通訳・介助するシステムが出来ている。3人の優秀な通訳介助者がいる。強いと思われていた福島氏も、適応障害になった。それで、自分も人間だと思った。どこか過信していたのかもしれない。
障害者の問題は、社会の本当の豊かさの実態を示すショーウィンドウである。
私には、目が見えず音の聞こえない世界というのは想像すら出来ません。恐ろしくてたまりません。しかし、障害者も一人の人格をもった人たちです。その人たちをふくめて生きていける寛容さが、どうやら日本社会は少しばかり弱くなっている気がします。少数者をいじめて楽しもうというヘイトスピーチなんて、その悪しき典型ですよね。許せません・・・。
  
(2015年2月刊。100円+税)

日本を壊す政商

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  森 功 、 出版  文芸春秋
 人材派遣業で名を成しているパソナの南部靖之の実像に迫っている本です。
 人材派遣って、昔の口入れ業ですから、ヤクザな稼業です。そんなのは違法に決まっている。私が弁護士なりたてのころには、そのことに疑問の余地はありませんでした。
 ところが、それは少しずつ自由化され、今や原則と例外が逆転してしまいました。
若者が大学を卒業しても正社員になれない。派遣社員であったり、アルバイトやパートであったり、長期安定雇用が期待できなくなってしまいました。その結果、結婚できそうもない低賃金・長時間労働を余儀なくされ、過労死するのも珍しくない社会になってしまいました。
 すべては「規制緩和」のせいです。そして、超大企業とそのトップたちは、アメリカ並みのとんでもない超高級取りになっています。格差の増大です。
パソナの南部靖之が切望してきた労働の自由化という政策転換は、非正規労働の増加と格差の拡大という暗い社会変化を招いている。
 戦前からある口入れ業は、暴力団と深いつながりをもっている。日本社会に人材派遣という言葉が定着したのは、1973年の第一次オイルショック以降のこと。パソナの前身であるワンパワーセンターが設立されたのは1976年。1993年に今のパソナという社合になった。
 パソナの会長は、あの竹中平蔵。典型的な御用学者です。いつだって権力のお先棒をかつぎ、莫大な利権を自分のものにするのに長けた男として有名です。前にもこのコーナーで本を紹介しました。思い出すだけでも腹が立ちます。
 労働者派遣法は1986年に施行された。これもアメリカの強い圧力の下で実現したもの。日本の支配層は、ここでもアメリカの言いなりになって動き、その「成果」を自分のふところに入れて、ぬくぬくとしています。
 労働者派遣法は、スタートしたときには、それなりに業種が制限されていたものの、やがて、原則と例外とが逆転させられるようになりました。
 労働の自由化という旗印の下、将来の展望が開けないまま、日本社会が壊れていく・・・。
 そうならないように、私も微力を尽くします。
                           (2015年11月刊。1500円+税)

尼崎事件、支配・服従の心理分析

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  村山満明・大倉得史 、 出版  現代人文社
尼崎事件とは何か。主犯の角田美代子は、私と同じ団塊世代の女性です。1970(S45)年ころから2011(H23)年までの40年間わたって、いくつもの家族を取り込み、金銭的に搾取し、崩壊させていった事件。その過程で少なくとも9人が死に追いやられた。ところが、主犯の美代子は直接に手を下して殺したのではない。取りこんだ家族員相互に暴力を振るわせるなどして、激しい虐待を繰り返して、その結果として死に追いやった点に特徴がある。
美代子は、取り込んだ家族を崩壊させる一方で、その一部の成員を養子にするなどして、疑似家族、角田ファミリーを形成していた。
 角田ファミリーは、明らかに異様な疑似家族だった。周辺ないし中心において虐待、監禁、殺害、死体遺棄等が繰り返されていた。少なからぬ人間が関与し、それを知っていたにもかかわらず、長年にわたって、事件として発覚することがなかった。
美代子の「奴隷」となった人々は、必ずしも生来から反社会的性向をもっていたのではなく、むしろ至って平凡で穏やかな社会生活を送っていた人が多かった。
ごく普通の住宅地の一角で、ごく普通の人々が、角田美代子というたった一人の女性にいいように操られ、こられだけの事件を起こした。
美代子は、逮捕されてから1年後の2012年12月に留置場で自殺した。
 暴力団の組織に属しているわけでもない一人の中年女性に、これほど多くの家族が巻き込まれ、財産を搾り取られ、壊滅させられるというのは、一体どういうことなのか・・・。
 角田美代子は、1948年10月に尼崎市内で出生した。両親は美代子が幼いころに離婚した。美代子は、関西弁で怒鳴り散らし、凄い迫力があって、ヤクザ風の女だった。美代子は、頭が切れる一方、何を考えているのか分からない、得体のしれない不気味なところがあった。しゃべるのは上手で、記憶力はものすごくよく、人が話したことは本当に覚えていた。美代子は、言い方がうまくて、断るに断れなかった。
 角田ファミリーでは、誰も仕事に行っておらず、パチンコ、美代子の買い物、そしてときに寺参りをする。常に団体行動をして、自由はない。みなが常に美代子の顔色をうかがっていた。
 角田ファミリーでは、美代子を1位として、ランク付けが明確だった。ランクによって美代子の態度、食事の内容、座席の位置がはっきりしていた。
角田ファミリーでは、1~2週間に1回、子ども会と称して、全員で話し合いをさせられた。繰り返して虐待を受けるうちに、美代子の言うことには絶対に逆らえない、もし逆らえば精神的にも肉体的にも追いつめられるということを身にしみて感じていった。精神的にも肉体的にも、ぼろぼろになって、反抗することもできず、言われたことにただ従うだけだった。
 「私が悪いんだ。美代子は何も悪いことはしていない」
 「お世話になった人に恩を仇で返し、本当に美代子に悪いことをした」
 「自分がすべて悪い。美代子が正しい」
 「美代子は、自分のことを本当に心配してくれているんだ」
 そう思えた。
 ファミリーの一員が死んだことを可哀想だと思うことはなく、自分のことしか考えていなかった。動揺しているのを見せて、美代子の不興を買うことにだけはならないよう必死だった。
 「やっぱり、美代子は裏の人間だ。普通の人間ではない。逆らったりしたら、次は間違いなく殺される」
 角田ファミリーのメンバーは、パチンコと万引きを毎日のようにやっていた。万引きしてきて冷蔵庫に入りきらない食品を何箱もの発泡スチロール箱に入れて冷やしていたので、そのために必要な氷を毎日、大きな袋に2~3袋分もスーパーに取りに行って、スーパーの従業員からクレームを受けていた。パチンコで月に100万円ほど稼いでいた。
 角田ファミリーは事前に万引きしておいた商品を、美代子から誕生プレゼントとしてもらっていた。角田ファミリーのメンバーが死んでドラム缶にコンクリート詰めにされた。その作業をしているとき、犯罪を隠している感覚とか悪いことをしているという感覚はなかった。
 睡眠、食事、排泄、喫煙などの生理的欲求に対して適切に対処できないとき、人間には羞恥の感情や自己の意思力・能力への疑惑が生じる。それらの欲求を充足できるか否かの決定権が全面的に他者に委ねられているとき、人はもはや自分が自分をコントロールできるこということを信頼できなくなり、自分の内側までもがその他者に掌握されているという感覚を抱き、その他者を自分の支配者として認めざるをえなくなる。このような被支配感によって、急速に抵抗の意思を喪失し、美代子のさらなる支配を受け入れざるをえなくなるような状況へと追い込まれていったと思われる。
 人間が他の人間を完全に支配しようとするとき、相手の人間としての尊厳をもっとも傷つける行為として、性的行為が選ばれる。性的行為を人前でするのは、家畜や獣である。
 性的行為の強要は、支配者側にこの上ない優越感と愉しみをもたらすものとして、被支配者側を奴隷化しようとする試みの延長線上に自然に出てくるもの。
 極端な脅迫下では、どのような人でも必ず「背筋が折れる」。その第一段階が「ロボット化」である。被害者は、人間でない生命形態への退化によって生き延びようとする。おのれの内的自立を、世界観を、道徳律を、他者とのつながりを犠牲にして、感情に、思考に、イニシアティブに、判断にシャッターを下ろす。
 人間の破壊の第二段階は、被疑者が生きる意思を失ったとき。生きる意思の喪失は自殺念慮ではない。自殺は積極的意思の表明でありうる。生きる意思の喪失は、「絶対的受け身の態度」、すなわち生きながらの死者をつくる。
 ロボット化した心理状態の第一の特徴は、正常な心的機能の麻痺。
 このような状態にあっても維持されている唯一の精神機能は、自分自身を第三者に見つめる観察自我である。感情や思考といった内面的活動が麻痺して、ロボットや自動人形のように心が空っぽになった自分自身を、まるで自分とは無関係な物体の運動を見るかの如く(離人症的に)眺めている観察自我の記憶が残るために、被害者自身による外傷体験の記述は、しばしばそれをどう感じたかという描写を欠いた出来事の羅列になる。
 心理的狭窄は、監禁状態を生きのびるための適応の結果である。監禁された被害者は、人間らしさを放棄して支配者に絶対服従し、次なる虐待をともかく避けること、ただ生きのびることのみを目標とするようになる。そのとき、心理的狭窄は、適応に不可欠な形式となる。対人関係も活動も、思考も、記憶も、情緒も、感覚さえも狭くなる。
 被害者は、どの行動もすべて監視されており、主動的な行動は禁止されており、失敗したら高くつくことを身体に叩きこまれている。被害者にとっては、自分の主動的な行動は、すべて加害者に対する不服従を意味し、危険であると感じられる。だから被害者は、最後には、これまでどおり服従していれば、再び激しい虐待を受けることだけは避けられるだろうという安全策を選んでしまう。内面の激しい葛藤と裏服に、外面的には完全な従順さを維持し続ける。
 監禁生活のなかで、食事は1日1回、わずかな量しか与えられなかった。飢餓衝動には圧倒的な影響力がある。飢餓衝動は、あらゆる精神的な装いをかなぐり捨てる。文明の名で呼ばれるすべてのものは、この飢餓衝動に屈服してしまう。その結果、精神的に赤裸な状態で、動物のように、臆病に、激しく残酷に、自分本位に、自己中心的に、行動するようになる。
美代子のもとから逃げ出すことは、以前のような正常な社会生活に復帰すること。ところが、仕事もなく、住むところもなく、お金もない人間にとって、社会に復帰するための手がかりをすべて切られていた。一般社会とつながりたくてもつながれない状況に置かれていた。
 美代子というバタラーは、被害者側からの肯定を求める。バタラーの究極の目標は、自発的な被害者をつくり出すことにある。美代子は、角田ファミリーのメンバーからの自発的な愛情と感謝の表明を常に要求し続けた。被害者の心理的支配の最終段階は、被害者がみずからの倫理原則をみずからの手で侵犯し、みずからの基本的な人間的つながりを裏切るようにさせてはじめて完成する。
 一つの理不尽を受け入れたことが、次なる理不尽の受け入れにつながっていく。
 内側からの自立性を脅かされ、外側から尊厳を傷つけられ、自分が自由意思をもった一人の人間であるという感覚は、きわめて効果的に破壊されていく。
一般に、虐待者の加害者によって、あらゆる人間関係が断絶され、孤立させられた被害者は、許容されている唯一の対人関係である加害者への依存的関係にはまり込む傾向がある。被害者は加害者の中に良き人間性を発見し、そこにしがみつきたい誘惑にかられる。  
人間とは何か、どういう存在なのか、極限状態に置かれた人間の行動の分析を通じて、よくよく考えさせられました。司法に関係する人にとって、必読の本だと思います。
          (2015年12月刊。3200円+税)

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