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女子大で「源氏物語」を読む

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者  木村 朗子 、 出版  青土社
 恥ずかしながら、私は「源氏物語」を部分的にしか読んだことがありません。現代語訳でも全文を読んでいません。なんとか読みたいとは思っているのですが、手が出ません。この本には、原文と訳があり、解説もありますので、ほとんど原文を飛ばして読みすすめました。
 この本のユニークなところは、女子大(津田塾大学)の学生たちの反応が感想文として折々に紹介されているところです。なるほど、今どきの女子大生は、こんな反応をするのかと興味を惹きました。
 いまから1000年も前に、若き女性が小説を書いていたということ自体が世界的には珍しいことのようです。その点、日本人として偉大な先祖を誇りに思ってよいように思います。
 「源氏物語」を読みにくくしているのは、古文であることはともかくとして、文章の主体が目まぐるしく入れ替わっていること、そして、登場人物の呼び方が、同じ人物なのに、そのときどきに就いている役職名や中将、大将などと変わっていくことによる。『源氏物語』は、語り手が複層的に入り組んでいて、統一視点で語られていない。
平安時代の人々も、実は男女を問わず名前をもっていた。しかし、基本的に名前を呼ぶことはない。
 日本語は、文法上、主語がなくても成立する。
平安貴族の葬儀は、土葬ではなく、火葬だった。火葬を野辺送り(のべおくり)と言う。
平安時代の貴公子は、色が白くて、女性的な方が美しいとされた。
 元服する前の男子は御簾(みす)のなかに入れてもらっていた。元服後は、女性とは御簾越しに対面する。
「雨夜の品定め」というのは有名です。若い貴族たちが自分たちが過去に知り合った女性の話をはじめる。光源氏はそれを狸寝入りをして聞いていて、実践していく。
「中の品」(なかのしな)の女性は、その身分が非常に不安定だけど、だからこそ、いきいきしている。
方違え(かたたがえ)は、浮気するときの格好の言い訳になっていた。うひゃぁ、そんな効用もあったのですか・・・。
 「源氏物語を」レイプ小説だとする説があるそうです。単なるモテ男の浮気話かと思っていたら、レイプだと決めつける説があるというのには驚きました。著者は、それは違うだろうと批判しています。私も、そう思います。
 平安時代、結婚というのは、基本的に当人同士が自由に選ぶことは許されないシステムだった。しかし、性の自由はあった。当時、顔を見て容姿で相手を選ぶことはほとんどない。身分、手紙の文字、紙選びのセンス、和歌の才能などから妄想していた。そして、女性の髪は、たっぷり、ふさふさしていることが、女性の美しさの一つになっていた。
 従者と男主人が連れだってある邸に行ったとき、男主人が女主人と関係しているあいだに、従者は自分の恋人と楽しくやっている。従者がその邸の人と男女関係を取り結ぶことで、はじめて男主人を手引きできた。
 「現代でも、モテる女性はかけひきが上手だというイメージは大きいが、それは平安時代からのことだった・・・」
 戦争中、「源氏物語」は、天皇への尊崇をそこなうものとして、部分的に削除され、禁書になっていた。うへーっ、そ、そうだったんですか・・・。そんな世の中には戻りたくありませんね。アベ政権の大臣が言論統制を強めようとしていますが、とんでもありません。
 昔も今も、女性の不倫話はまったく珍しいものではありません。ですから、平安時代と現在とで貞操観念は変わっていないのです。
 平安時代も、今もと同じく、離婚、再婚はあたり前でした。
 読めば読むほど、現在(いま)の恋愛事情そっくりの話が展開しているのが『源氏物語』なのである。なるほどなるほど、まったく同感です。今の私の法律事務所の経営を支えているのは、男女を問わない不倫による事件なのです。
 これで『源氏物語』を読んだ気になってはいけないのでしょうね。早いとこ全文(とりあえず現代文)にチャレンジしたいと思います。
(2016年2月刊。2200円+税)

仕事のエッセンス

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  西 きょうじ 、 出版  毎日新聞出版
著者は予備校(「東進ハイスクール」)のカリスマ教師のようですね。
人にとって働くことって何なのか、仕事するってどんな意味があるのかを根本に立ち帰って考えてみた好著です。いろんな仕事があることを改めて思い知らされます。
スペインでは、生活苦から卵子を売る女性が増えている。1回10万円もらえるけれど、大量に薬を飲んで、全身麻酔で手術をうけるなど、時間がかかり、苦痛をともない、身体面のリスクがある。
日本人にも、タイや韓国に渡って卵子を提供するドナーが100人以上もいて、1回60~70万円の謝礼をもらっている(2011年)。
タイで、代理母による男女産み分けを利用する日本人夫婦が年間100組以上いる。
介護士は、賃金の低さと仕事量の多さ、きつさから、離職率が他よりも高い。
同じ作業であっても、自分のしていることに意味を見出せるかどうか、大きな心理的違いを生む。
東北新幹線の車内販売員は平均して7~8万円の売り上げなのに、なんと片道で54万円を売った人がいる。そして、別の販売員は、全400席の乗客に187個の弁当を売った。弁当の注文を受けたとき、彼女は「お土産でしょうか?」と尋ねる。すると、客は弁当を土産にできることに気がついて弁当を買い求める。こんなわけです。
お客様の視点に立つ。自分のしてほしいことを相手にしてあげる。客の心を読み、その行動を予測する。なーるほど、ですね。たいしたものです・・・。
私は幸いにもしたことがありませんが、「宮仕えは辛いもの」です。ところが、フリーランスになったら、よりひどい隷属状態になることもありうるわけです。ですから、軽々しく会社を辞めるべきではないと著者は強調しています。これだけブラック企業があって、若者をとりまく雇用環境が悪化しているのだから、学校教育のなかで、身を守るすべや働くリスクまで教えるべきだ。そのとおりです。 
好きで、個人がワーカホリックになっていくのではない。職場にそれを生み出すからくりが幾重にも埋め込まれている。そのシステムに踊らされながら、人は、それを自分が選んでいるという錯覚に陥っている。
英語力の習得とグローバル化というのは、ほぼ無関係だ。私もまったく同感です。英語が話せるかよりも、人間力のほうが大切だと思います。
諸外国では大学卒業の平均年齢は25歳なのに、日本だけが22歳。高校を卒業したらすぐに大学、そして大学を卒業したら、すぐに就職するというのは日本だけ。日本はとても不自由な国。しかも、日本では大学に100人が入学したとして、12人が中退し、13人が留年し(私も1年だけ留年しました)、残る75人のうち就職できるのは45人で、3年続くのは31。 
新卒で正社員として入社し、できる限り長く勤めあげるのが正しい人生なのだ。それができない者は落伍者だ。これは、昭和の幻想的な教訓であって、そんなものに今どき縛りつけられる必要はない。
就活自殺が、2007年から2013年までの7年間で218人にのぼる。これは、いかにも悲惨な事態である。
仕事すなわち自己実現という等式は捨ててしまったほうがいい。仕事を続けるうちに、それが自分のしたいことと一致し、周囲にも認知されるようになることで自分も満足感を得、環境もより良くなっていく、そういうこと地味に続けることで人に必要とされ役に立っているという喜び、幸福感を高めていく。
仕事とは、自分と社会を持続的に接続するものであり、積極的に選択できるもの。仕事から「はたらく」(「はた」を楽にする)喜びを得られるようになると、「はたらく」ことで自他ともに幸福感を与えられる。そうして、自分が安心して生活できるコミュニティを形成し、維持することにつながる手段となりうる。
著者は、日々、苦労と工夫をしながら生き、そして考えている人なんだろうな、そう共感しながら読了しました。
(2015年11月刊。1350円+税)

ドキュメント死刑図

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  篠田博之 、 出版  ちくま文庫
  2008年の末に刊行された本に大幅加筆したものです。既に処刑された死刑囚、死を待つ死刑囚と交流のなかで、その実情を明らかにしています。
  幼女連続殺害事件の宮崎勤は処刑されましたが、父親は自殺したものの、母親は毎月、拘置所へ差し入れに通っていたそうです。そして、被害者遺族への賠償もしています。
本人が早期の死刑執行を望むときは、異例の速さで死刑は執行される。小林薫、そして宅間守がそうだった。
  この世に生きる価値を見出せず、死んでしまいたいと考える人にとって、死刑は刑罰としての意味があるのか・・・?もともと社会から疎外され、現実社会に自分の居場所がないと思い、死んでしまいたいと考える人にとって、死刑はもう怖い刑罰ではない。
  宅間守は、自覚的に、自分を疎外するこの社会に復讐するために凶悪犯罪を犯した。死刑を宣告されてからも、早く執行してほしいと言い続けて、確定から1年間という異例の速さで死刑を執行された。
  宮崎勤、小林薫、宅間守の3人は、いずれも父親を激しく憎悪していた。宅間守は死刑確定後に獄中結婚した。彼と結婚を望んだ女性は2人いた。一人の女性は、自らも小学校のころからいじめに遭い、社会に訴外されてきた人物だった。自分も一歩間違えれば宅間守になっていたかもしれないと、犯罪を犯した側に自分を投影する人も、日本社会には現に存在する。こういう人が、社会に存在することに想像力を働かすことができないと、その犯罪を解明することはできないのではないか・・・。
  信じにくい話ですが、それが現実なのですから、お互い、ここは想像力を働かせるしかありませんよね・・・。
  小林薫は、こちらからの質問の意図も明確だったし、物事を何も考えていない人間ではなかった。恐らく、家庭環境が違っていたら、あのような犯罪者にならないですんだ人間ではないだろうか・・・。
  小林は、小学校のときに母親を亡くした。母親への思慕が強烈なのが、小林の特徴である。法廷で、母親の話が出たら涙ぐんだ。
  宮崎勤にとって、それは祖父だった。幼少期に自分を可愛がってくれた者の死が精神的ダメージを与えた。
  小林薫が父親に対して思い望んでいた6ヶ条。
  1.子どもと一緒に食卓に着き、団らんのひとときを過ごしてあげてください。
  2.子どもの話を聞いてあげてください。
  3.子どもを信じてあげてください。
  4.子どもと遊んであげてください。
  5.子どもを叱るとき、なんで叱るのか、何が悪いのか、言いきかせ教えてあげてください。 
  6.子どもが2人、3人といるのなら、平等に接してあげてください。
  ゆったり心の休まる家庭生活が子どもに本当に大切なんだなと思わせる本でもありました。  
 
(2016年1月刊。900円+税)

「音楽狂」の国

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  西岡 省二 、 出版  小学館
  2012年7月、平壌・万寿台(マンスデ)芸術劇場。金正恩が臨席するなかで、モランボン楽団が演奏する。その曲目に登場したのはアメリカの音楽だった。「ロッキー」のテーマ。マイウェイ、そして、ディズニーの音楽が演奏された。
 アメリカは、北朝鮮にとって「不倶戴天の敵」と呼んで憎んでいる相手である。いわば「敵の音楽」だから、北朝鮮の刑法では労働鍛錬刑に処せられるはずのもの・・・。
 飢えている国民にミッキーマウスを見せて、いったい何になるのか・・・。
 モランボン楽団は突然異変のように生まれたのではなく、金日成、金正日と引き継がれた北朝鮮音楽の延長線上にある。
 北朝鮮では3代にわたり独裁体制が引き継がれた。この国は、音楽をプロパガンダ(政治宣伝)の手段として使い、歌の大半を金王朝や朝鮮労働党をたたえる内容にした。
 北朝鮮では、音楽愛好家の金正日が音楽を政治と密接に結びつけ、独裁体制を守るための手段の一つにしてしまった。その結果、楽器は、美しく感動的な音を生み出すためのツールではなく、金王朝のメッセージを伝える道具とみなされてしまった。
 北朝鮮では、「ロッキー」などの外国音楽は、一部専門家をのぞいて、だれも聞いたことがないはず。その曲がどこから来たものか知らない。だから、出自さえ明かさなければ、北朝鮮の国民は、その曲が「タブーが破られて入ってきた音楽」なのか分らない。
 音楽マニアだった金正日は、国民の音楽能力を高め、それをプロパガンダ楽曲を浸透させるための土壌とした。音楽と政治を結びつける「音楽政治」という用語を編み出して、自身への忠誠心を植え付け、社会の結束を図った。「青少年は、少なくとも1種類以上の楽器を演奏できなければならない」
 かの銃殺されてしまった、張成沢はアコーディオンの名手だったそうです。意外でした。
 北朝鮮音楽を支えるのが、幼いことから音楽教育を受けてきた北朝鮮国民であり、その中から選び抜かれた音楽家たちだけなのである。
 北朝鮮で音楽を普及させるのは、決して人々の心を豊かにするためのものではない。
 北朝鮮では、才能のある子どもたちは、専門的に音楽教育を施す機関に送られる。北朝鮮では歌が上手くなっても月給が上がるわけではない。そもそも自分の成功のために仕事をしているわけではない。
北朝鮮の素顔の一つを知った思いがしました。
(2015年12月刊。1400円+税)
天神の映画館でハンガリー映画「サウルの息子」をみました。ナチス・ドイツがアウシュヴィッツ絶滅収容所でユダヤ人を大量虐殺している過程で、その死体処理やら遺品整理をさせられたユダヤ人たちがいました。ゾンダーコマンドと言います。およそ4ヶ月間の命です。次々に交代させられ、彼らも殺されてしまします。その一人に焦点をあてて、収容所の非人間的な状況を再現しています。カメラは主人公にずっと焦点をあてています。遠景は出て来ません。大量殺人の収容所を具体的にイメージすることが出来ました。

日本はなぜ米軍をもてなすのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  渡辺 豪 、 出版  旬報社
  著者は『沖縄タイムス』の記者を17年間つとめていました。
  沖縄にいたら見えるもの。それは、日本が戦争に負けた国であるということ。沖縄では、敗戦と占領の残滓が日常にあふれ、日本がアメリカに従属している現実と否応なしに向き合わされる。
  日本の政府中枢そして中央官僚は、アメリカの意向を忖度(そんたく)して自発的に隷従するという、信仰にも似た強固な意識や価値概念に支えられている。彼らには、アメリカの威光を背景として、既得権益の保持や権力の強化を図る意図が働いているのでは・・・。
  日本の敗戦後、GHQの間接占領によって温存されたのは、天皇制であるとともに、官僚機構である。
日本は、憲法76条によって軍事会議を設置することができない。世界中で、軍法会議をもたない唯一の軍隊が自衛隊である。
  政権中枢と防衛省サイドには、辺野古で甘やかすと、次は嘉手納基地の返還を求めてくるだろうから、辺野古で譲歩するわけにはいかないと本気で考えているようだ。
  うひゃあ、お、おぞましい発想ですね。まさしくアメリカの奴隷の発想です。独立国日本の官僚ではありえません。恥を知れ、そう言いたくなります。
  アメリカ軍への思いやり予算が始まったのは1978年度で、このときは62億円だった。それが、2015年度は、なんと年1899億円にも達している。このほかにも、年に5000~6000億円ものお金をアメリカ軍基地を維持するために使っている。
  これではアメリカにとって、こんなにおいしい日本の基地を手放すはずがありません。
巨額の「思いやり予算」による恩恵を在日米軍に付与してもなお、アメリカへの従属的な対応から脱しきれていないのが、日本の実情だ。しかし、この「思いやり」の強要が、あたかも自発的意思にもとづくかのように、ならされているのは、日本政府だけではない。それは日本国民についても言えること・・・。
  大半の日本人は、アメリカ軍の基地があるという、意識することが不快な事実から目をそむけている。
  対米コンプレックスよりも、多くの日本人には対中国コンプレックスがある。他国の軍隊が長期間にわたって駐留し続けることから生じる、独立国家としての理念や制度の崩壊、そのことで生じる国民の犠牲や痛み、屈辱といった精神性の毀損をすべて、「カネでかたのつく問題」に転換して処理してきたのが、戦後日本の統治システムの本質だった。
  たしかに沖縄から日本本土を見ると、日本という国の本質が良く見えるのですね・・・。それにしても寒々とした光景です。
  
(2015年10月刊。1500円+税)

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