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黒い巨塔、最高裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版  講談社
最高裁判所の内部を小説として描いた話題の本です。
さすがに最高裁で働いたこともある元裁判官だけに、その描写は精密をきわめます。私も弁護士会の役員をしているときに最高裁の判事室や民事局長室などに立ち入ったことがありますので、なんとなく部屋の雰囲気が分かります。
事件の関係でも最高裁調査官と面談したことが昔ありました。今では調査官すら面談に応じてくれないようです・・・。
当然のことながら、この本の冒頭には、「この作品は架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係がありません」という但書があります。しかし、それにしては、あまりに迫真的な描写です。最高裁による青法協つぶしについても「東法協」攻撃として登場してきますし、裁判官会同を開いて最高裁が全国の裁判をリードしていること、裁判官と政治家との結びつきなど、フィクションどころではありません。
砂川事件の最高裁判決のとき、ときの最高裁長官・田中耕太郎(裁判官の名に値しない、軽蔑するしかない人物ですので、呼び捨てにします)が司法の独立どころか、アメリカの下僕として言いなりに動いていたことが最近明らかにされましたが、最高裁上層部の自民党言いなりは昔も今も変わりません。本当に情けない話です。
出世主義者の裁判官がいるのは現実です。出世主義者の裁判官は、お世辞(せじ)、お追従(ついしょう)には、きわめて弱い。上の人の履き物を背広の中に入れて温めんばかりの忠誠を尽くす。
東法協(青法協)パージは、1970年代に急速に薄れていった。その会員のなかで成績や能力において秀でていた人々のほとんどが転向し、一定の節を守り続けた人は少なかった。そして、日本における左派の転向の常として、自由主義のレベルにとどまることなく、極端な体制派、狭量な保守派となって、出世の階段をひた走った。同時に、人事による締め付け、裁判官支配、統制工作に一役も二役も買った。
東(青)法協の後身である日本裁判官懇談会(懇話会)も、政治的な色彩を薄めたが、最初のうちこそ新任判事補の加入者も多かったが、7、8年のうちには、ほとんどが脱会してしまっていた。
転向者が極端な極右になったりするのは、日本だけではありません。アメリカのネオコンもそうです。そして、裁判官懇話会は会員制ではなかったし、8年で消滅したどころではなく、平成18年まで20年以上も続いていました。ここらは、著者の思いこみと認識不足だと私は思います。
最高裁長官による人事は、昔から、基準がよく分からず、恣意的で有名だった。一度でも意に逆らったり、許しがたいと思われる行動をとった人物に対して意識返しをするのは明らかだった。こうした恣意的な、あるいは報復であることが明らかな人事は、長官の思惑をはるかに超えた強烈な効果を裁判官たちに及ぼした。判決の内容や論文執筆のみならず日常のさまざまな言動にまで細かく気を遣い、長官や事務総局の意向をうかがう人々がどんどん増えていった。
これは今も生きている現象ではないかと思わざるをえません。
最高裁長官は、持ち前の冷徹な勘を最大限に発揮し、緻密な戦略の下に、確実に敵をつぶし、若手の優秀な裁判官たちを一人また一人と転向させていった。
『法服の王国』にも似たような状況が描かれています。
裁判官のなかに、大学時代に地域密着の学生セツルメント活動をしたという経歴の人が登場します。実際、私の知っている元セツラーが何人も裁判官になり、真面目に仕事をしています。
この本は、学生時代に民青シンパだった裁判官について、次のように揶揄した表現をしていますが、これは著者の本には過去何度も登場してくるもので、鼻をつくとしか言いようがありません。
「そんな学生によくあるように、彼の思想は深いところまで突き詰められたものではなく、系統的な読書にもとづいたものでもなく、ただ単純かつムード的な正義感に根差していた」
著者のこのような表現は、私からすると、著者こそ根の浅い表層的なモノの見方しか出来ない思考を反映しているものに思えてなりません。
良識派の裁判官たちを苦しめているのは、出世欲ではなく、閉じられた横並び社会における、理由のよく分からない線引きや選別にさらされることの辛さ、そうしたことの不安ではないか。自分の能力が正当に評価されない可能性についての不安だ。
ヒラメ裁判官ばかりになってしまったという反省が少し前には多く聞かれましたが、最近は、それがあたりまえになったためか、反省の声が内部からあまり聞こえてきません。
本人たちは自由に発想しているつもりでも、客観的には、がっしりした枠のなかの小さな「自由」でしかない。それが残念ながら現実ではないかと私は考えています。まだ読んでいませんが、先日『希望の裁判所』という本が発刊されました。「絶望」しているだけではダメですので、なんとか少しでもより良い裁判所につくり変えていきたいものです。
そのような問題提起の本として、一読をおすすめします。
(2016年10月刊。1600円+税)

編集とは、どのような仕事なのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 鷲尾 賢也 、 出版  トランスビュー
編集者は、まずプランナーでなければならない。無から有を作り出す発案者である。
編集者は、真似も恐れてはならない。柳の下にドジョウは三匹いる。アイデアは、真似をしながら変形させていくことによって新しくなるもの。
編集者は、ある面では「人たらし」でなければならない。依頼を気持ちよく引き受けてもらい、スムーズに脱稿にまでこぎつける。
編集者は、雑用の管理者という側面も持っている。すべてのことが同時進行になることが多い。企画を考えながら、ゲラを印刷所に返す。装丁家に依頼もしなければならない。営業との打合せも入る。こんなことは日常茶飯事。どのようにしてリズミカルにいろんな局面に対応できるか。これも編集者の大事な能力。口、手足、頭をマルチに使えるのが一流の編集者だ。
編集者には、フットワークが求められる。軽く、気軽に実行できる即応力である。
編集者の仕事の源は人間。それ以外に資源も素材も何もない。つまり、優れた人間を見つけるか、育てるかしか方法はない。
編集者は、旺盛な好奇心の持ち主でないといけない。素人の代表である。
編集者ほど、人間が好きでないとやっていけない職業はない。そして、夢を描き続けられることも編集者に必要な資質である。少年の夢に似た憧れを抱き続けられる持続力は、編集者に必要な資質だ。
編集者は、著者には読者の代弁者、読者には著者の代弁者でなくてはならない。執筆は苦しい作業である。身を削るほどの労力・時間を使い、ようやく完成する。
著者は機械ではない。催促なしの脱稿という夢のようなことは一切考えないほうがいい。催促なしに原稿は完成しない。それが原稿というものである。依頼したあと、編集者は著者を励まし、叱咤し、助力し、ほめたたえ、応援し、だまし、なんとか完成にこぎつける。どんな手段をとっても原稿が出来上がるところまでもっていかなければならない。
商品にするために、表現上の化粧は編集者がほどこさなくてはならない。
導入部は大切。ともかく読者を引き込まなければいけない。
パソコンで書かれる原稿は、どうしても漢字が多くなる。しかし、ベストセラーに共通しているのは、誌面に白地が多いこと。活字がぎっしり詰まっていると、読もうという意欲を失わせる。漢字とひらがなの比率、適度な改行が整理するときの大切なポイントである。
モノカキを自称する私ですが、同時に編集も業としています。この本は、その点さすがとても実践的な内容で参考になりました。
苦労してつくった真面目な本が本当に読まれません。残念です。みんな、もっと、本を本屋で買って読んでほしいと心から願っています。
(2014年10月刊。2000円+税)
 いま、今年よんだ単行本は492冊です。読書ノートをつけています。大学生のころから読書ノートをつけているのです。それによると、20年前から年間500冊のペースで変わりません。もっと前、30年前には200~300冊でした。読むスピードを少し上げたのと、訓練して速くなりました。でも、これ以上は増やしません。本を読むのは、電車のなか飛行機のなかです。ですから車中や機中で眠りこけないように、家でしっかり睡眠をとるようにしています。
 本を読むと、世界が広がります。こんなことが世界で起きているのかと、新鮮な刺激を受けられるのが楽しくて、本を読み続けています。

戦場の天使

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 浜畑 賢吉 、 出版  角川春樹事務所
戦争中、動物園にいた動物たちの多くが殺されてしまいました。毒入りのエサを警戒して食べない動物は餓死させられたそうです。人間だってろくに食べられない状況では、飼っている動物にやるエサがない。空襲にあってオリが壊されて猛獣が市街地に出ていったら大変。そんな人間の身勝手が罪のない動物たちを次々に殺していったのです。
この本は、上野動物園に飼われていたヒョウが高知市にある科学図書館におさめられたヒョウのはく製になった由来を紹介しています。このヒョモもまた、戦争の犠牲者なのです。
「戦場の天使」とはヒョウのこと。なんでヒョウが「天使」なのか・・・。
高知県出身者から成る日本軍の部隊が、中国の揚上江中流域にある湖北省陽新県に派遣され、駐屯していた。
ある日、「敵兵見ゆ」の情報で山中に出動すると、「敵兵」の正体は、なんとヒョウ。
ヒョウは、人間の赤ん坊を襲っていた。そこで、ヒョウ退治に出かけた日本軍の兵士が、なんとヒョウの赤ちゃんを2頭も救出してしまった。さあ、大変。ヒョウの赤ちゃんを助けるのか、助かるのか・・・。
生肉を与えると、ヒョウの赤ちゃんは元気を取り戻して生きのびた。
部隊では愛犬ならぬ愛ヒョウとして、兵士みんなに可愛がられる人気者となった。
ヒョウは「ハチ」と名づけられ、愛情一杯で育てられて大きくなった。決して人間は襲わない。しかし、ヒョウの本能を失ったわけでもない。部隊の斤候の役割も果たした。
ヒョウも兵隊も楽しい時期は過ぎていき、部隊は転進することになった。
人間に飼われていたヒョウは、自分のことを人間と思っているので、自然の中へは返せない。かといって、見知らぬ人間社会に野放しするわけにはいかない。そこで考えついたのが、日本の動物園へ送って預けること。
そうやって、中国のヒョウが東京は上野動物園におさまったのです。
そして、東京が空襲にあうようになり、ついに毒殺されてしまったのでした。
人間だって、次々に殺されていったのが当時の世の中です。ヒョウが毒殺されたのはやむをえなかったでしょう。やっぱり戦争が良くなかったんだ。そう思いました。
この本は小学高学年から中学生に向けていますので、漢字にはすべてルビが振ってあります。そんなルビが気にならないほど、思わず惹きこまれました。大人が読んでも考えさせられる本になっています。
(2003年8月刊。1300円+税)

脳は、なぜあなたをだますのか

カテゴリー:未分類

(霧山昴)
著者 妹尾 武治 、 出版  ちくま新書
人間って、単純なところが多々あるんですね。この本を読むと、ますます、そう思ってしまいました。選挙のとき、有権者は顔を見て投票しているというのです。
顔だけを見て競争力があるとして選ばれたほうの人物が、実際の選挙でも当選していた確率が71.6%だった。結局は顔なのだ。だから、選挙ポスターはきわめて重要。なんとなく力強いから。なんとなく信頼できそうな顔をしているから・・・。そんな些細な、瞬時に形成されるような印象こそが、選挙のとき一番大事なようだ。
単純接触効果というものがある。マインドコントロールの一種である。なんらかの対象に何度も接触すると、その対象の好感度が上がる。つまり、繰り返し見たり聞いたりすると、それが好きになってしまう。
CMや広告にさらされていると、私たちの好みは、無意識のうちに影響され、形成される。メディアに踊らされるのである。自分の意思で、自分がほしいから手に取ったと私たちは考えている。しかし、実は、そのお菓子を手にとったのは、無意識のうちにCMや広告で操られた結果に過ぎないのだ・・・。
アンカリング効果というものがある。アンカーというのは、いかりのこと。提示された数字がいかりのように機能して、思考がそこから大きく外れることができなくなってしまう。
たとえば、1万円の正札がついている商品があると、実際にはよそでは千円で買えるものでも、なんとなく5千円の価値はあるという思考をして、半額に値切って買い、もうけたと考えてしまう。
この本には、こんな実験も紹介されています。信号のない横断歩道を渡ろうとしたとき、いかにも高級なベンツがやって来たら、ベンツの走行を優先させて、歩行者は立ち停まる。ところが、いかにもボロそうな軽四輪車が走行してきたときには、歩行者は立ち停まらず、車を停めて歩いて渡る。金持ちは、いろんな場面で優先的に扱われて当然だという思考がそこにはある。
なーるほど、そう言われたら、恐らく、私もそうするかな・・・。
心理学を中学生や高校生にも教えるべきだと著者は主張しています。この本を読んで、なるほどと思いました。
(2016年8月刊。780円+税)

纒向発見と邪馬台国の全貌

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 白石 太一郎 ・ 鈴木 靖民ほか 、 出版  KADOKAWA
私は、もちろん邪馬台国は九州にあったと考えています。そして、いつのまにか奈良の大和(やまと)王朝にとって代わられたのです。
ところが、纒向(まきむく)遺跡が発見されてから、ヤマト王権は大和(奈良)にあったという考えが圧倒するようになりました。残念です。でも、本当にそうなのでしょうか・・・。
この本は、福岡と大阪のシンポジウムをまとめて本にしたものですから、最新の議論状況がよく分かります。いろんな問題が、まだ決着ついていないこともよく分かりました。こんな、たくさんの謎が残されているからこそ、歴史学は面白いのですよね。
『魏志』倭人伝という文献の解釈だけなら、九州説に分がある。しかし、考古学の側からは大和説はかなり優位にある。そして、倭国の王権の所在地が九州から東の大和に移ったとする、東遷説もある。
北部九州、とりあわけ福岡県内には額を割られた人骨、石や青銅の鏃(やじり)や剣の切っ先を体内に残して葬られた人骨が多く出土している。吉野ヶ里遺跡などには首が切断された人骨も出土している。
奈良盆地にある纒向遺跡には、幅6メートルもの大溝の護岸に天板を並べて運河がつくられた。大和で、墓への大量の副葬が始まるのは、この纒向遺跡のあとから。
纒向遺跡の前方後円墳が、もっとも古くて、もっとも巨大だ。長さ86メートル、96メートルある。他の地域のものは、3分の1,せいぜい3分の2ほどしかない。
倭国王は、2世紀には伊都国にいたから、倭国の王都は、3世紀に伊都から「やまと」へ遷都したことになる。卑弥呼は、邪馬台国の女王ではない。卑弥呼は、倭國王ではあったが・・・。
三角縁(さんかくぶち)神獣鏡は中国の工人がつくったものだった。
鏡は、中国では化粧道具である。日本(倭の国)では、呪術性が拡大され、支配者の象徴的な器物、政治的な配布物ともなるもの・・・。卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」には含まれていない。
三角縁神獣鏡について、その形状を改めて精査し、形状等をこまかく比較検討しているのです。古代日本では九州は先進地であり、さまざまな鉄や威信財が入ってくるときの窓口だった。
まだまだ九州説が完全に否定されたというのではなさそうです。なんとかして、巻き返したいものです。
それにしても遺跡の発掘って大変な根気のいる仕事ですよね。その地道な苦労に心より敬意を表します。
(2016年7月刊。2000円+税)

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