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江戸の犯罪録

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 松尾 晋一 、 出版 講談社現代新書
 長崎奉行「犯科帳」を読む、というのがサブタイトルなので、出島があり、オランダとの貿易の窓口になっていた長崎ならではの密貿易犯罪が多く紹介されています。
ところで、「犯科帳」とは、そもそも何なのか…。
 この新書が扱っているのは長崎奉行所での審理にもとづく刑罰の申し渡し、不処罰の申し渡しが記録されている。期間は1666(寛文6)年から1867(慶応3)年までのもので、145冊ある。
長崎奉行は単独で判断を下すことはできず、必ず上級機関の指示を仰ぐことになっていた。刑事案件については、老中から幕府評定所に下付され、評定所において評議が行われ、その結論が老中にあげられるという手続きだった。
 そして、江戸に伺いを出すときには、長崎奉行は事件の経緯をまとめた報告書に加え、その判決案も添えていた。ほとんどの場合、判決案はそのまま採用されたが、なかには覆されることも時々あった。
 有名なジョン万次郎も日本に帰国したときは、長崎に送られ、揚屋(あがりや。上級身分の者が拘束された)に入れられて取り調べを受けている。
 長崎奉行は原則2人。1人が江戸にとどまり、1人が長崎に常駐する体制がとられている。奉行に伴われて江戸から長崎に派遣される武士は多くはなく、200人ほどで、年々、減っていった。
 通事は通訳するだけでなく、唐人関係の捜査権も付与されていた。
長崎は、幕府にとって「頭痛のタネ」だった。長崎で死亡した長崎奉行も数人いる。
 長崎では公事方御定書が軽んじられる土地柄だった。
長崎には、「ケンカ坂」と呼ばれる坂がある。1700(元禄13)年12月19日に発生した大ゲンカでは、28人が裁かれ、うち18人が死罪となった。これは、鍋島藩の家臣と長崎の町年寄をつとめる名家の下人との大乱闘事件。
 オランダ船を舞台とする抜け荷(密貿易)は多かった。
 1732(享保17)年秋から翌18年の春にかけてウンカ類が大量発生し、西日本は大飢饉となった。そこで、長崎奉行は諸国の米を長崎に送られ、なんとか一人の餓死者も出すことはなかった。しかし、住民の不満から米屋の打ちこわしが起きた。
 1667(寛文7)年には朝鮮への武器輸出が問題になった。
 1675(延宝3)年には、唐船を購入してカンボジアとの交易を図ったことが露見した。信じられないような密輸事件が起きていたのですね…。
 本来、抜荷は発覚したら死罪だったが、将軍吉宗は罰則を寛刑化した。罪人に自訴(自首)を促し、それで抜荷を抑制しようとするものに変わった。死を覚悟しても抜荷するのは、なんといっても利益が膨大だったから。元手の8倍もの利益が上がることがあった。
 1686(貞享3)年、オランダ人8人が関わる密貿易事件が起きた。このとき日本人が28人も関与していたし、日本人には死罪が命じられた。
 朝鮮へ渡海して、人参を買い求めて日本で高く売ろうとする人々もいた。仕入れ値の6倍で日本で売れた。偽(にせ)人参として、桔梗(ききょう)の根を売りさばいた悪人もいた。
「犯科帳」には、長崎で起きた事件であっても、必ずしもそのすべてを記録したものとは言えない。
 「犯科帳」は、現在の犯罪書のような、当時の長崎における犯罪とその処罰が整理され、系統書に記された記録だとは単純に言いきれない。
長崎の遊廊は、丸山町の遊女屋30軒、遊女335人、寄合町には遊女屋44軒、遊女431人いた。遊女は基本的に自由に遊郭を出入りできていた。
 長崎をめぐる犯罪、そして処罰の実例がよく分かって勉強になりました。
(2024年10月刊。1200円+税)

SF脳とリアル脳

カテゴリー:人間・脳

(霧山昴)
著者 櫻井 武 、 出版 講談社ブルーバックス新書
 人間は脳の能力の10%しか使っていないという俗説は間違い。ええっ、そ、そうなんですか…。
 人間の脳は何もしていないときでも、すべての領域が活発に働いている。まったく機能していない部位は脳には存在しない。
 脳全体が常に活発に動いているので、特定の課題で活動が上がる部分はわずかでしかない。ぼーっとしているときでも、すべての脳領域で、活発な活動と情報交換が行われている。脳は、状況によって使う領域や神経回路のパターンを変えているが、どんな状況でも、ほぼすべての領域に活動がみられる。
 脳は、右半球・左半球を問わず、全体で、もてるリソースを総動員して、情報をやりとりしながら作業している。
 人間の行動は「意識」がなくても起こる。睡眠中に、起きあがって絵を描き、本人は、まったく自覚していないということが起こりうる。いやあ、そんなこともあるんですね…。
 脳は成長が期待できる臓器である。脳は学習や経験にともなって変化する可塑性をもつ組織だから。
 睡眠は脳にとって「休んでいる」のではなく、能動的に心身をメンテナンスしている過程。
 マウスを完全に断眠(眠らせない)と、わずか4日で8割が死んでしまう。断眠は、視床下部の恒常性維持機構の破綻を招く。断眠させられると、ラットは感染症のため次々に死んでいく。免疫系の機能に重篤な影響を与える。
 睡眠を断つと、脳の記憶システムにとどまらず、恒常性の維持機構や免疫系、ひいては全身の機能を狂わせてしまう。人間が眠っているとき、脳も「眠っている」のではなく、実はさまざまな作業をしている。その一つが記憶の固定化。
 人間の脳は1000億もの神経細胞(ニューロン)から成り、高次機能をつかさどる大脳皮質だけで140億個のニューロンが稼働している。
 人間が見ているのは、ばらばらな情報を脳が組み合わせたヴァーチャルリアリティ。たとえば、色は脳がつくり出したもので、脳がつくり出したもので、脳が感じないかぎり、色というものは存在しない。これって不思議ですよね。色は物質に付着したものばかり思っていました。でも、あの
玉色の金属光沢は複雑な構造が生み出したものなんですよね…。
 情動は、脳の中の「大脳辺縁系」と呼ばれる領域が、視床下部との共同作業によって引き起こされているもの。感情を生むのは、大脳辺縁系だ。脳機能のうち、意識ののぼるのは、ごく一部だけ。
 海馬は、新たな記憶をつくるために大脳皮質の働きを助ける装置。記憶後の初期の段階では、海馬がないと、記憶の成立も想起もできないが、記憶は最終的には大脳皮質、とくに側頭葉の皮質で保持され、数ヶ月から2年くらいの期間を経て、海馬の助けがなくても、大脳皮質から取り出し、前頭前野で認知できるようになる。これが長期記憶だ。
脳の話は、いつ聞いても(読んでも)面白さにみちみちています。今回も、とても刺激的な内容でした。
(2024年12月刊。1100円)

クラクフ・ゲットーの薬局

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 タデウシュ・パンキェヴィチ 、 出版 大月書店
 ポーランドの南部、クラクフにナチス・ドイツはユダヤ人を集めたゲットーをつくった。
 このとき、ユダヤ人ではない著者の営む薬局がそのままゲットー内での営業を認められ、ゲットー内での出来事を目撃していったのです。それはナチスによる殺人が日常的に起きる異常な光景でした。
 始まりは1941年3月のこと。ユダヤ人でない「アーリヤ人」は誰ひとりとしてゲットー内に住むことが許されなかった。例外は薬局を営む著者と拘置所(翌年、移動)の看守のみ。
 ゲットーの住民は1万6千人ほど。大勢の人が集まったことで、経済生活は活性化し、オーケストラ演奏のあるレストランまで生まれた。
 人々は日常につきまとう緊張、生活不安からイライラを募らせ、意気消沈することが多かった。ナチスの親衛隊員は粗野な本能に息抜きを与えるかのように通行人を殴ったり、蹴ったりした。
 ゲットー内ではユダヤ人の抵抗組織が活動していた。そして、それをナチスに通報する密告者(スパイ)がいた。密告者はあらゆる事業所そして作業場にいた。これらの密告者のほとんどはゲシュタポの手によって、あるいはレジスタンスの地下組織によって殺害された。
 ゲットーには銃声が鳴り響き、死者と負傷者がバタバタと倒れ、歩道と車道に残った血痕がドイツ人の犯罪を物語った。
 人々が水を手に入れることは出来なかった。万一、そんなチャンスがあったとしても、与えることを禁じられた。
薬局の前には小型の軍用車が停っていて、親衛隊員がトランクを次々に社内に運び込んでいった。それは家宅捜索のとき、ユダヤ人から奪ったトランクで、中には指輪、腕輪、金時計、シガレットケース、ライターなどの貴重品が入っていた。
 行列をつくっているユダヤ人の顔には無感動と諦観の表情が浮かんでいた。もう何事も、どうでも良かったのだろう。
 親衛隊の秘密メンバーでもあったドイツ人警察官ブスコは、ナチスに加わった最初の一人であったが、ナチスに背を向けた最初の一人となった。ユダヤ人に対して比較的に誠実な態度をとり、可能な限りの支援を惜しまなかった。「自分が怒鳴るのは偽装のためだ」と言ったが、それはみんな理解していた。やがて前線に召集されそうになって逃亡した。しかし、ついに見つかり、1944年10月、銃殺された。
 ユダヤ人たちは祈った。
 「神よ、あなたはどこにいるのですか?」
 「神はいる。神は休暇で出かけているが、戻ってくる」
 そうなんですよね、私が神を信じないのも、この現実があるからです。
ゲットーで自然死するのは、決して容易なことではなかった。移送行動の際、多くの人が自殺した。
 ワルシャワではゲットー蜂起が起きたけれど、クラクフのユダヤ人はそれほどの規模の自由を求める闘争は起こさなかった。それでも、ユダヤ人たちは決して自尊心を失わず、占領者に対して自らを卑下することなく非業の死を遂げた。
 さまざまな事業所の労働者はほとんど全員が意識的に一貫性のあるサボタージュ行為を起こした。それは作業ペースを落とし、納入期限を守らず、ゲットーで製品の重要部分を取り除き、破壊し、燃やし、ドイツ人の手に入らないようにするサボタージュ行為だった。
 ゲットーでは、ユダヤ戦闘団が壁の外の地下組織と協力して活動していた。ユダヤ戦闘団の闘争手段はサボタージュと占領者に対する破壊工作だった。ユダヤ戦闘団はポーランド語の「民主主義者の声」という新聞を発行した。部数は40部で、60号まで発行された。
 大変貴重なゲットーの目撃記録です。
(2024年11月刊。2400円+税)

算数を教えてください!

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 西成 活裕 、 出版 かんき出版
 フルタイトルは「東大の先生!文系の私に超わかりやすく算数を教えてください」です。
 私の場合、大学入試は文系一択でしたが、高校3年まで理系クラスにいて、「数Ⅲ」まで履修しました。微分・積分も理解でき、不得意科目ということではありませんでしたが、図形問題は苦手でした。そこは直観がモノを言う世界で、私には直観が欠けていたのです。つまり、図形を眺めて、ひらめくところがありませんでした。こればかりは練習問題や過去をいくら積み上げても身につかないと決断し、高校2年の終わりの春休みに文系志望を固めたのです。今考えても正解だったと思います。論理的思考力とちょっとした文章力(たとえば「30字以内に大意を要約せよ」といった設問を得意としていました)で生きていくことにしたのです。これは今に生きています。
 さてさて、この本です。「実は、算数は奥が深い」と表紙に書かれています。まったくそのとおりです。小学校の算数を身につけ、中学校の数学が理解できたら、世の中に理解できないものはない。私は、そう考えています。
 なので、今回は小学生を対象とする算数の本に挑戦してみました。少し前には中学数学にも挑戦しました。高橋一雄の『語りかける中学数学』(ベレ出版)です。800頁をこす大部の本なのですが、私は中学数学を真面目に学ぼうと思って、最後まで読み通しました。6年前のことです。ただし、「最低でも3回は復習してください」とありましたが、1回通読しただけなので、理解できたという自信はありません。でも、この本には著者の数学を理解してもらいたいという真剣な情熱はよくよく伝わってきました。
 この算数の本に戻ります。ひらめきが必要。あれ、なんか違わない?こっちじゃないの?そんな動物的嗅覚が大切。
 意識的に直感と論理を行き来する脳を鍛えることは算数や数学に限らず、大人になったときに絶対に役立つ。
日本は、計算は10進法、時刻などは12進法と使い分けてきた。
 干支(えと)も12進法。和算は算木やそろばんを使っていたので、計算を紙に書く習慣がなかった。1,2,3…。そして0(ゼロ)を導入したことによって初めて、紙での計算ができるようになった。
 数学とは言語。算数の世界を旅するためには、その世界の言語を覚えないといけない。無駄がなく、解釈の違いが起きないからこそ数学は世界共通言語になれた。
 文章の理解とは、その状況を頭の中でイメージできるかどうかの勝負。
 九九を習う目的は「掛け算の筆算が出来るように、81パターンが暗算できるようにすること。九九のなかで、絶対に覚えないといけないパターンは36しかない。
小数は中国生まれで、ヨーロッパに伝わったのは、わずか500年ほど前のこと。
 分数は数ではなく、計算途中をあらわしたもの。時間、速さ、距離の関係は、実は割合。
 図形は、数学の原点。図形の決め手は、妄想力。想像力や妄想力、イメージをする力をどうやって養うか…。それは、小さいときから、どれだけ遊んできたかによる。いろんな「形」に実際に触れる体験を伴う遊びをどれだけしたか…。円は三角形の集まりでできていると、イメージする。
 予備校で講師のアルバイトをしていた経験を生かした本でもあるそうです。なんとなく分かった気にさせるのは、さすがです。400頁近い本なのに、2000円しないのもいいですよね。
(2024年10月刊。1980円)

加耶/任那

カテゴリー:朝鮮

(霧山昴)
著者 仁藤 敦史 、 出版 中公新書
 古代の朝鮮半島に大和朝廷の出張拠点として「任那(みまな)日本府」があったという近年までの通説は現在、明確に否定されている。私もここまでは認識していました。
 この本によると、「日本府」の「府」というのは「臣」だそうです。つまり、「日本府」は「倭臣」なのです。大宰府というと、大宰府政庁があって、九州における大和朝廷の出先官庁でしたが、それとはまったく異なるものです。
 そして、「倭臣」といっても、大和王権(朝廷)とは独立した存在であって、臣従関係にはありませんでした。
5世紀後半の雄略天皇以降、加耶(かや)諸国には倭系加耶人が多く居住していたが、ヤマト王権とは独立した存在として、加耶諸国の独立を維持する活動をしていた。つまり、新羅(しらぎ)と百済(くだら)の侵攻を排除し、加耶諸国の独立を維持しようとしていた。
 朝鮮語では、カヤ(加耶)とカラ(加羅)の発音は通用する。狗邪(くや)韓国も同じ。
高句麗の広開土王の功績を記念して建設された広開土王碑が今の中国吉林省集安市に残っている。高さ6.4メートルの方柱碑。四面に1775字が刻まれている。
この碑文については、日本の軍人が石灰を塗布して文面を一部改ざんしたという説もあったが、現在では改ざんは否定されている。ただし、広開土王の業績を誇るため、「倭」の脅威が誇張されていると考えられている。つまり、広開土王碑の碑文から、大和朝廷が任那を支配していたとすることはできない。
 朝鮮半島の西端には前方後円墳が存在する。これは、5世紀後半から6世紀前半にかけて筑紫(つくし)出身の倭系の人々がつくったものと考えられるが、ヤマト王権の任那支配とは関係ない。
古代朝鮮に大和(ヤマト)朝廷(王権)の支配する拠点はなかったとしています。それでも朝鮮半島の南部に北部九州の倭人が進出していて、交流していただろうともしています。
 筑紫の君・磐井(いわい)の反乱もあったわけですから、大和朝廷が日本を統一したうえで、朝鮮半島の一部まで支配していたかのような考えが明確に否定されています。大変勉強になりました。
(2024年12月刊。990円)

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