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「空白の五マイル」

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  集英社文庫
命がけの冒険とは、こういうのを言うんだろうなと、つくづく思いました。
読んでいるほうの私まで、遭難して命を落としてしまいそうな気分になってくる本です。
早稲田大学探検部のOBである著者は、2002年12月、一人でチベットのツァンボー峡谷の探検に挑戦した。ツァンボー川はチベットの母なる川。ツァンボー川は、チベット高原を西から東に流れたあと、ヒマラヤ山脈の東端に位置する二つの大きな山にはさまれた峡谷部で円弧を描き、その流れを大きく南に旋回させる。そこはツァンボー川大屈曲部と呼ばれる。
山で一番こわいのは毒ヘビ。夏には、ヘビにかまれて死ぬ村人もいる。冬ならヘビは冬眠している。だから雪が積もっていても、冬のほうが探検には適している。
密林に足を踏み入れると、日本の山とはまるで勝手が異なることを知った。地面の土は柔らかく、傾斜が強いので、一歩足を踏み込むたびに半歩ずるっと滑る。灌木はつかむとメキっと柔らかい音を立てて折れてしまう。滑落の原因になる。障害となる岩場が頻繁にあらわれる。
ツァンボー川で1993年9月に遭難死した日本人青年の相棒で生き残った人が、いま東京で弁護士をしているという話も紹介されます(只野靖弁護士)。そんな経歴の弁護士もいるのですね、驚きました。
著者の場合は、15メートルほども滑落したけれど、幸いなことに途中のマツの木にひっかかって、運良く助かります。2時間あまりに到達できると予測した沢を渡るのに、実際には20時間以上もかかったのでした。
川に温泉があるのを見つけて、衣服を脱ぐと、自分の体に不気味な異変が生じていた。手の指先から足のつま先に至るまで、全身が赤いぶつぶつで覆われている。手のひらで触れてみると、ハ虫類のうろこのようにぼこぼこしている。数え切れないほどのダニが体に群がっていたのだ。ダニの咬傷はどんどん増え、表面からすき間がなくなてしまうくらいに、体はかゆいぶつぶつに覆われた。
こりゃあ、ヘビも怖いけれど、ダニも怖いっていうこうとですね・・・。ようやく3日後、なんとか村にたどり着くことができたのです。
そして、2009年12月に再び著者は挑戦するのです。
せっかく就職できた朝日新聞記者の職を投げうってからの挑戦です。そして、再び最悪の死の危険に直面します。
体の状態は疲労を通り越して、衰弱の域に入った。すでに出発してから20日がたっている。朝食をとって出発して1時間半くらいは普通に動けるのだが、それから急に疲れが襲ってくる。疲れというより、エネルギーが足りなくて体を動かせないという感じだ。斜面に傾斜があると、四つんばいにならないと登れない。倒木に足先がひっかかったら、手で足をもちあげなければならなかった。しかも大きな声で気合いを入れながら。その大声を逃すにも疲労を感じた。体内に蓄えられていた脂肪がついに完全に燃え尽きたのかもしれない・・・。たくましかったはずの太ももはモデルのように細くなり、肋骨は見事に浮き出て、なでるとカタカタと乾いた感触が手に残る。
すさまじいばかりの探検記です。真夏の夜にゾクゾクさせる涼味あふれる本だと言えましょうか・・・。
(2012年9月刊。600円+税)

発光する生物の謎

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 マーク・ジマー 、 出版  西村書店
私が発光する生物を初めて見たのは、ホタルを別にすると、伊豆諸島の戸田(へた)の海岸での夜行虫でした。夜の海岸で怪しげに光っているのを見て、その美しさに驚きました。
ノーベル化学賞をもらった下村脩氏はオワンクラゲをアメリカの海岸で大量に集めたのでしたよね。
自然に発光するダンゴイカ、チョウチンアンコウ、クラゲなどのほか、人工的に発光させて病理研究に役立てている話も紹介されています。
チョウチンアンコウは、口の前方に生物発光するアンテナをもっている。アンテナの先には、何万匹もの発光バクテリアが棲息し、その光に犠牲となる魚が惹き寄せられる。
オワンクラゲの傘の部分には緑色の光を発する数百の発光器がある。その光の点滅がどのように制御されているのか、まだ分かっていない。
蛍光タンパク質をつかってマラリア原虫の動きを探り、ガンとのたたかいに役立てようとしています。
蛍光タンパク質によって鳥インフルエンザの感染もすぐに判明するようになりました。
遺伝子操作は怖いものですが、こうやっていろんな生理現象の解明に役立っているというのはすばらしいことです。
蛍光タンパク質をつかった地道でカラフルな探究がさらにすすむことを願っています。
(2017年8月刊。1800円+税)

忘れらないひと、杉村春子

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 川良 浩和 、 出版  新朝社
「姿の水谷八重子、科白回しの杉村春子」
これは三島由紀夫の言葉。それほど、杉村春子の科白(セリフ)回しは、演劇界の至宝ともいうべきものだった。団塊世代の私は、幸運にも、水谷八重子も杉村春子も、テレビですが、みています。残念ながらこの二人の舞台はみたことがありません。
杉村春子の主な芝居の上演回数は、「女の一生」947回、「華岡青洲の妻」634回、「欲望という名の電車」594回、「ふるあめりカに袖はぬらさじ」365回、「華々しき一族」309回。これに加えて、数多くの映画に出演した。
その杉村春子は、平成7年秋の文化勲章を辞退した。「演劇の賞は喜んでいただきますが、勲章は私に似合わない気がします。ただ、自由に芝居をしたいから」。偉いものですね。たいしたものです。
それにしても、三島由紀夫って、とんでもない男です。三島の「喜びの琴」という作品は松川事件を連想させる列車転覆事件が描かれて、首謀者は右翼の仕業に見せかけた共産党員になっているというのです。ひどい話です。松川事件がアメリカ軍(占領軍)と日本当局による謀略事件であることは明らかになっていますが、その歴史的事実をひっくり返そうとしたのです。文学座は、臨時総会を開いて三島の作品を上演しないことを決めたのでした。当然ですよね。
山田洋次監督は、杉村春子を次のように評価しています。
「ワンカットだけ出演していても映画が落ち着く。つまり、錨(いかり)のような俳優なんだよ。映画の芝居というものは、どうしても空々しくなるものなんだ。その中で、杉村春子が登場してくることで、画面にぐっとリアリティを与え、観客に人間的な共感を抱かせる」
小津安二郎監督は杉村春子を多くつかった。「小津は下手な役者だけを使った。皆が下手だけど誠実に、懸命に演じる中で、桁違いにうまい杉村がその間を縫って、自由自在に動きまわる」
なーるほど、そういうことなんですか・・・。
杉村春子は2回、夫と死別している。その後は、生涯結婚せず、独身で過ごす。杉村春子を慕った森光子も43歳のときに離婚している。二人とも家庭をもたず、人生のすべてを賭けて舞台に生きた。うむむ、まあ仕方のないことなんでしょうが・・・。
団塊世代でNHKに長年つとめていた著者が杉村春子の女優としての生き方にとことん迫った本です。大変勉強にもなりました。
(2017年6月刊。1800円+税)

にっぽんスズメしぐさ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 中野 さとる 、 出版  カンゼン
夕方になると、駅前の街路樹でスズメの集団がかまびすしいですよね。大勢のスズメたちが、あっちうろうろ、こっちうろうろして、鳴きかわしています。いったいぜんたい、何を話しているのでしょうか・・・。私は、ぜひぜひ、その会話の中味を知りたいです。
この本は、日本のスズメの生態を写真で紹介するシリーズ第二作。
スズメは、3月、桜の花が咲くころ、メスは卵を産みはじめる。産んだ卵をすぐに温めるのではなく、すべての卵を産み終えてから抱卵をはじめる。これは産卵順で成長に差が出ないように、卵のかえるタイミングをそろえるため。卵のほうも、温められてから成長スイッチが入るようになっている。
抱卵して2週間ほどでヒナが誕生する。そして、親は毎日せっせとエサを運ぶ。1日300回、2週間で4200回、親はエサをヒナに運ぶ。そして、ヒナのフンを外へ放り出して、巣の中を清潔にたもつ。
巣だってしばらくの間も、エサをとるのが苦手な幼鳥は親鳥がエサを与えて、ケアする。
その後、親は次の子育てに入り、8月から9月にかけて2回、多いときには3回も子育てする。そんなにヒナの子育てしたら、スズメが爆発的に増えるはず。ところが、現実には、そんなにスズメは増えていない。なぜか・・・。
野生のスズメの平均寿命は1年3ヶ月。自然のなかでは仔スズメは、ほとんどが生きのびれない。生き残った、ほんの一部が子孫を担うことで命がつながっている。
カラスやツミがスズメのヒナを襲う。
亡くなった作家の半村良は、スズメが大好きで、庭に来る100羽のスズメの全部に名前をつけて個体識別していた。
山の中で道に迷ったらスズメを探したらよい。なぜか・・・。日本のスズメは、人の暮らしの周囲にしかいないので、山の中でスズメに会ったら、人家が近くにあることを意味しているからだ・・・。
スズメは、水浴びと砂浴びの両方をやる。そして、不思議なことに水浴びのほうが先。そのあと砂浴びをする。
スズメの生態をよくとらえた写真集です。
(2017年5月刊。1400円+税)

日中戦争全史(下)

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 笠原 十九司 、 出版  高文研
1938年1月の大本営政府連絡会議において、陸軍の参謀本部は中国との長期泥沼戦に突入するのを阻止しようとした。なぜか・・・。
このころ日本陸軍は、3ヶ月に及んだ上海戦に19万人を投入し、戦死傷者4万人という大損害を蒙っていた。それ以上に戦病者も膨大だった。南京攻略戦に20万人の陸軍を投入し、「首都南京を占領すれば中国は屈服する」はずだったのに、失敗してしまった。ゴールの見えない長期戦・消耗戦に、陸軍はこれ以上の負担と犠牲を蒙るのを回避しようとしたのである。
これに対して海軍首脳は、日本という国の運命より、日中戦争に乗じて海軍臨時軍事費を存分につかって、仮想敵のアメリカ海軍・空軍に勝てる艦隊戦力と航空兵力をいかに構築するのかばかりが関心事だった。本当に無責任きわまりありません。海軍は平和派なんて、真っ赤なウソなのです。
1938年末、日本の動員兵力は陸軍で113万人、海軍で16万人、合計129万人。このうち中国に派遣されたのは関東軍をふくめて96万人に達していた。
1939年7月のノモンハン戦争において日本軍は圧倒的な近代兵器を大量に駆使するソ連赤軍に惨敗してしまった。戦死傷者は2万人近い。
敗戦の責任をとって関東軍のトップは更迭された。ところが強硬論によって関東軍を泥沼の苦戦に引きずり込んだ作戦参謀の服部卓四郎中佐や辻政信少佐は、やがて東京の参謀本部の作戦課長、作戦班長に就任し、アジア太平洋戦争開戦の推進者となった。
まことに無責任な軍幹部たちです。そして、服部卓四郎は戦後は戦史研究者として長生きしています。この服部史観は海軍を擁護する俗説を広めました。
1940年8月、八路軍が百団大戦を開始した。このころ、八路軍・新四軍は60万人、民兵は200万人。解放区の人口は4000万人に達していた。日本軍は八路軍の戦力を軽視し、分隊単位で高度分散配置していたので、八路軍は、道路・鉄道の各所を破壊して分断したうえで奇襲攻撃をかけた。
百団大戦は、日本軍(北支那方面軍)の八路軍に対する認識を一変させ、その作戦方針を転換させる契機となった。主敵が国民政府軍から共産党軍に移っただけでなく、軍隊を相手にすることから、抗日民衆を相手にする戦闘に変化していった。
百団大戦後、日本軍は「正面戦場(国民政府軍戦場)」と「後方戦場」(敵後戦場)(共産党軍戦場)という二つの戦場での戦闘を強いられるようになった。
1943年2月のガタルカナル作戦を立案した参謀本部の主役は田中新一作戦部長、服部卓四郎作戦課長、辻政信作戦班長だった。
「海軍は陸軍にひきずられて太平洋戦争に突入した」という俗説があるが、真実は、その逆だ。海軍は日中戦争を利用して仮想敵である対米決戦に勝利するために軍備と戦力を強化し、南進政策に備えた。
日中戦争のおぞましい実態、軍部指導部の無責任さが如実に描写・分析されている労作です。広く読まれることを願います。
(2017年7月刊。)

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