法律相談センター検索 弁護士検索

「男はつらいよ」を旅する

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 川本 三郎 、 出版  新潮選書
1969年(昭和44年)夏、私が大学3年生のときにスタートした映画です。その年の1月に、東大安田講堂「攻防戦」があり、3月から授業が再開されました。
私の記憶では、東大の五月祭のとき、25番大教室でみたと思うのです。少なくとも翌年の五月祭です。大教室が学生の笑い声で揺れ、心の震える思いがしました。大学紛争(私たちは闘争と呼んでいました)で荒さんだ学内で、久しぶりに学生の笑いがはじけたのです。泣き笑いのある、ホロリとさせる人情話でもあります。
当初の観客は50万人。第8作(1971年)で100万人をこえ、第10作では200万人突破というのですから、そのすごさに声も出ません。
1年に、夏と正月に、律気に繰り返された寅さん映画の大半を私はみています(残念なことに全部ではありません)。
寅さん映画を「なまぬるい」と評する映画評論家がいるそうですが、私には理解できません。といっても、同世代の女性にも、「私はみないわ」と断言する人がいて驚きました。好きなら好きで、はっきりしてよ、私はどっちつかずのストーリーなんて見てられないのよ、というんです。なーるほどね。でも、その、うじうじしているところがまたいいんですけど・・・、と反論しようとして、思いとどまりました。
葛飾柴又には、最近行ってませんが、私も2回か3回は行ったことがあります。いかにも東京の下町風情だと思ったのですが、この本によると、柴又は決して下町ではなく、市中から遠く離れた「近所田舎」なのだそうです。つまり、郊外の行楽地なのです。下町ではないんですね・・・。
おいちゃんの店は、39作までは「とらや」、そのあと「くるまや」に変わっているとのこと。気がつきませんでした。現地に行くと、そっくりの草だんごを売っている店がありますよね。
さくらが博さんとアパートを出て、一戸建ての家に住むようになった家は、平成3年(1991年)、鉄道開通のときに撤去されて今はないそうです。
私は、弁護士になってまだ10年にもなっていないころ、NHKの朝の番組に出演し、おばちゃん(三崎千恵子)と話したことがあります。生放送(全国放送)でしたから緊張もしましたが、いい経験でした。
この本は、寅さん映画で登場している全国各地を著者が取材してまわってレポートしたものです。映画が撮影された当時にはあった線路や駅、そして商店街がなくなっていることが次々に伝えられ、物悲しくなってきます。
JR各社は金もうけ本位で、金持ち向けの七つ星とかナンタラには力を入れて、田舎のローカル線をどんどん廃線にしていきました。公共交通機関としての使命を投げ捨ててしまっていることに怒りを感じます。国労つぶしの負の遺産です。
先日の大雨で被害にあった日田市の小鹿田(おんだ)焼の里までロケ地だったなんて知りませんでした。第43作、「寅次郎の休日」です。後藤久美子が出ていて、宮崎美子も出演している映画なので、みているはずなのですが・・・。
寅さん映画48作の全作品に出演している女優がいるというのを初めて知りました。谷よしのという脇役専門の女優です(2006年に死去)。商人宿に寅が泊まって、「いらっしゃい」とお茶を運んでくる女中役です。「邪魔にならない。目立たない。まるで風景のように歩いたり、たたずんだりできる人」、というのは山田洋次監督のほめ言葉です。60年以上の女優生活で1000本の映画に出たというのですから、想像を絶します。
著者は、寅さんシリーズが長続きした理由のひとつに出演者の顔ぶれが固定していたことをあげています。おなじみの俳優が出演して、観客に、そこに家族がいるような安心感を与えた。この点は、私も、まったく同感です。そして、山田監督があきさせないマンネリズムから脱却し続けたという点に頭が下がります。
女優ナンバーワンは、なんといってもリリーさん(浅丘ルリ子)です。
「幸せにしてやる?大きなお世話だ。女が幸せになるには、男の力を借りなきゃいけないとでも思っているのかい?」
胸のすくタンカです。浅丘ルリ子は、これで女を上げた。
「寅さんロケ地ガイド」という本(DVDマガジン)があるそうですね。まだまだ日本全国には、行ったことのない、行ってみたいところがたくさんありますよね。それを知ることのできる本でもありました。いい本をありがとうございました。
(2017年5月刊。1400円+税)

大坂商人旅日記、薩陽紀行

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 高木 善助(東條 広光) 、 出版  鹿児島学術文化出版
江戸時代も末の文政・天保のころ、大阪と鹿児島を10年間のうちに6回も往復した大坂商人がいました。片道20日ほどもかけています。あちこち寄り道して、それを画張にスケッチして残したのです。
ときの薩摩藩主は島津重豪、そして調所広郷が財政改革にとりくんでいた当時です。従来の銀主(大名貸しの商人)たちに見放された薩摩藩は新しい銀主を求めて、著者たちを重用することにしたのでした。
大坂の豪商・平野屋五兵衛の分家筋にあたる著者は、そんなわけで薩摩の現地まで出かけたのでした。当時の大名貸しの平均的な利息は年利9.6%(月利0.8%)だったのに対して、年利2.4%におさえたというのです。
それでも、新しい銀主には、俸禄や資金運用でのメリットがあったのでしょう。
薩摩藩は、紙の原料である楮(こうぞ)の皮を年貢の一つとして領民に納めさせ、地域の紙漉(かみすき)職人に下げ渡して、紙を漉かせて、お金を払って藩に納めさせていた。
この紙をなるべく高く、大坂で売りさばいて収入を得ようというのです。
この著者の旅日記には、当然のことながら、その経済的な仕組みは書かれていません。
著者の描いた絵は島の目で見たような風景画です。よほどの観察眼がなければ描けません。ただ、残念なことに人物はほとんど描かれていません。
したがって、当時の人々の生活を知ることは難しいのですが、江戸時代の風景画としては、感度(構図も写真も)は良好です。
(2016年10月刊。1482円+税)

25年目の「ただいま」

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 サルー・ブライアリー 、 出版  静山社
映画「ライオン」の原作本です。私は涙を流しながら読みすすめめした。なにしろ、5歳の男の子が言葉もよく通じない喧騒の大都会カルカッタ(今はコルカタ)で、一人ぼっちで数週間、路上生活して生き延びたのです。そして警察に行き、施設に入れられてオーストラリアへ養子としてもらわれていったのでした。
この本を読むと、世の中には危険がたくさんあり、悪い人間(子どもを金もうけのために騙す奴)も多いけれど、善意の固まりのような人だって少なくないということを実感させられます。
25年たって、大人になってグーグルアースで記憶をたどってインドの生まれ故郷を探しあてたというのも驚異的ですが、なにより故郷に実母がそのままいて、息子の帰りを待ち続けていたというのには胸を打たれます。なにしろ25年間も息子が生きて帰ってくるというのを信じて動かなかったというのです。信じられませんよね。母の愛は偉大です。
5歳の男の子がカルカッタの路上で数週間も生きのびられたというのには、もともとこの男の子が貧乏な家庭で生まれ育っていたので、食うや食わずの生活に慣れていたということもあるようです。みるからに賢い顔をしています。とはいっても、インドでは学校に通っていません(5歳だからではなく、貧乏だから、です・・・)。
家に食べるものがないため、ときには母親に鍋をもたされて、近所の人たちの家をまわって、残り物を下さいとお願いして歩かなければいけなかった。夕方になれば家に戻って、手に入れたものをテーブルの上に出し、みんなで分けあった。いつも腹ペコだったが、それほど辛いとは感じていなかった。
やさしい母親がいて、二人の兄たちそして面倒をみるべき妹がいて、楽しい家庭だったのです。
家にはテレビもラジオもなく、本も新聞もなかった。単純で質素な生活だった。そんな5歳の男の子が突然1000キロも離れたカルカッタへ列車で運び込まれ、ひとり放り出されたのです。
カルカッタは、無秩序に広がる巨大都市。人口過密と公害、圧倒的な貧困で悪名高い。世界でもっとも恐ろしくて危険な都市の一つ。そこへ裸足、お金も何も持たない5歳の男の子が駅の大群衆にまぎれ込むのです。
警察官に見つかったら牢屋に入れられると思ったので、警察官や制服を着た人々は見つけられないようにした。地面に落ちた食べもののかけらを拾って生き延びた。
危険はあまりに多く、見抜くのは難しい。他人に対する猜疑心が強くなっていた。
世の中の人たちのほとんどは無関心であるか、悪者であるかのどちらかだ。同時に、たとえ滅多にいないとしても、純粋な気持ちで助けてくれる人がいる。
何に対しても注意深くあらねばならない。警戒すること、チャンスを逃さずつかむこと、その両方が必要だ。
インドでは、多くの子どもたちが性産業や奴隷労働、あるいは臓器摘出のために売り飛ばされている。その実数は誰にも分からない。
映画をみなかった人にも、ぜひ読んでほしい本です。5歳の男の子がどうやって危険な大都会のなかで生き延びていったのか、その心理状態を知ることは、日本の子どもたちに生きる力を教えてくれると確信します。
(2015年9月刊。1600円+税)

在日米軍

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 梅林 宏道 、 出版  岩波新書
首都東京に巨大な外国軍の基地があって、アメリカ人が自由気ままに入出国しているなんて、まるで日本はアメリカの植民地です。しかも、その外国軍たるや日本を守るためにいるわけではありません。すべてはアメリカ本土の命令に従うだけです。
なんで、こんな巨大な外国軍が戦後70年以上も日本に居すわっているのか・・・。要するに、日本が至れり尽くせりの優遇をしているからです。例の「思いやり予算」です。日本の高速道路だって、アメリカ軍人はタダで走っているとのこと。ひどい話です。
諸外国では兵力を半減しているのに、日本は相変わらず、24万人の将兵をかかえています。そして、軍事予算が安倍政権になってから増え続け、今では5兆円を軽く超えています。例の北朝鮮ミサイルうち上げの「効果」です。
日本の高額支援のおかげで、アメリカ軍を配備するのに、日本はアメリカ国内まで含めて世界でもっとも安上がりの場所だ。
日本のアメリカ軍の駐留経費の負担率は74%をこえ、同盟国のうちでトップ。ドイツの32.6%、韓国の40%、イタリアの41%を大きく上回っている。
在日アメリカ軍は5万人で、海軍と海兵隊が、それぞれ2万人ずついる。
在韓アメリカ軍は3万人弱。
沖縄は、海兵隊の練度を退化させる。沖縄は利用できる訓練区域はとても少なく、スペースが小さい。地域の政治問題があるので、実弾砲弾射撃は許されていない。訓練の必要性をみたさないので、アメリカ本土で身につけた技術は徐々に退化してしまう。
アメリカ軍がアジアにいる結果、中国や北朝鮮の軍拡を推進してきたという側面は大きい。
横須賀を母港とする原子力空母、ジョージ・ワシントンは加圧水型軽水炉2基で動力をまかなっている。東京湾に原発が浮かんでいることのリスクは、きわめて大きい。
ロナルド・レーガンは3.11のあと「トモダチ作戦」に従事したが、多くの乗組員が被曝し、アメリカの裁判所で裁判が始まっている。
2001年(平成13年)の9.11のあと、根拠もなくイラク戦争に走ったアメリカは、国際法も無視した無法国家そのものだった。
日本にいるアメリカ軍が日米安保条約の取りきめにしたがって、日本を守るなんてことは絶対にありえないし、起こりえるはずもありません。
兵士の精神状態、士気を維持し、向上させるためには、使命感と特権意識を植えつける必要がある。なるほど、戦前、大坂で起きた「ゴー・ストップ事件」で、それが認められます。
トランプ大統領のSNSをみていると、アメリカこそ世界最大の「ならずもの国家」ではないかという気がしてなりません。あんな大統領が核のボタンを持っていることを考えると、北朝鮮なんて、まだかわいいと思えてしまうほどです。
そして、日本ではアベ首相がもっとも危険人物と考えるべきではないでしょうか・・・。
(2017年6月刊。880円+税)

ボコ・ハラム

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 白戸 圭一 、 出版  新潮社
2014年4月16日、アフリカのナイジェリアの中高一貫制女子高の寄宿舎を武装集団が襲撃し、女子生徒300人近くを連れ去ったというニュースは、私にとっても衝撃的でした。被害者の年齢は16歳から18歳で、今なお、その行方は判明していません。自爆テロ要員になっているのではないかという報道もあり、私も及ばずながら心を痛めています。
犯人とされるボコ・ハラムは、この事件で一躍、全世界に知られるようになりました。
ボコ・ハラムのボコとは、ナイジェリア北部で広く話されているハウサ語で「西洋の知、西洋の教育システム」を意味し、ハラムはアラビア語で禁忌・禁止を意味する。
つまり、西洋に源流をもつ価値・技術を否定し、イスラム国家の樹立を目指す集団だ。
ボコ・ハラムが2014年に殺害した民間人は6644人。これは、ISのテロによる民間人犠牲者6073人を上回る。
この本は、ボコ・ハラムとは何か、なぜ生まれたのかを追跡しています。そのためには、ナイジェリアという国を知る必要があります。
ナイジェリアは、北部アフリカ随一の経済大国。石油産業が支えている。ナイジェリアの石油生産能力は1日最大250万バレルで、アフリカ最大。ナイジェリアは人口大国でもある。日本の2.5倍の国土に、総人口1億8220万人、世界で7番目に多い。ナイジェリアの政情は安定せず、これまで軍事クーデタが7回も起きている。
ボコ・ハラムは、単なる「反キリスト教」の組織ではない。ボコ・ハラムの犠牲者の多くは、同じ北部のイスラム教徒なのだ。
ボコ・ハラムは一枚岩の組織ではなく、2014年4月時点で、6つの派閥があった。ボコ・ハラムは、確たる指揮と統制を有したことがない。
ナイジェリアでは、現場の兵士や警察官の士気は著しく低い。ボコ・ハラムとの戦闘をサボタージュするケースも多発している。
少女による自爆テロが頻発している。これは、ボコ・ハラムから強要されているから殺害されていると言ったほうが実態に即している。
政府と官僚組織がこわれてしまうと、国家の体裁をなさなくなるのですね・・・。
(2017年7月刊。1300円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.